第3話:記録と違和感
リュクセン王国の春は、屋敷の中庭にも柔らかく届いていた。古びた煉瓦の壁に這う蔦が若葉をつけ、噴水の水音は昨日と同じように涼やかで、異変の兆しひとつ見えない。だがユリウス・ヴァレンツの瞳には、日々の些細な変化が、静かな焦燥と共に映り込んでいた。
屋敷に戻ってからというもの、彼は内密に記録を始めていた。帳面は重ねられ、羊皮紙に走らせた文字は日に日に増えていく。内容は実に地味なものだ——食事の分量、下女の動き、井戸の使用頻度、魔法灯の明滅、薪の消費、そして奉公人たちの出入りとその言動まで。
現地の人々にとって、これはただの「日常」であった。だが、ユリウスにとっては違った。現代日本で制度の中に生き、情報という名の川を泳ぎ切った彼には、これらの断片が一種の構造体として見えていた。目に見えぬ仕組みが、日常の形を決めている。ならば、その“見えぬ仕組み”とは何か? 誰が設計し、誰が恩恵を受け、誰が沈むのか。
記録を重ねるうちに、あることに気づいた。奉公制度が想像以上に“均質”だったのだ。上級奉公人は代々貴族に仕え、下級は市井の家に生まれた者たち。その振る舞いや使われ方は驚くほど画一的で、そこには個人の能力や志向が反映される余地がほとんどなかった。魔法の扱いにおいてさえ、それは変わらない。
アナスタシアは今、屋敷の西側の雑務を任されていた。洗濯物を干し、台所で草を刻み、時に庭の水汲みをこなす。その働きは静かで、目立たず、だが効率的だった。ユリウスはふとした折、彼女の手元に目を留めた。
洗い場にて、彼女は指先で小さな水流を生み出していた。ほんの微細な魔法。手を濡らすことなく水桶の中身を器に移し替え、濁りを飛ばし、葉を洗い流す。だが、その仕草は目立たず、誰も褒めない。むしろ、そうした“勝手な魔法の使用”は礼儀を欠くと見なされ、たいていは叱責の対象となる。
ユリウスは、その光景を前にして、鉛を呑んだような怒りを感じた。これは才能だ。創意だ。制度に収められずとも、技術は芽吹いている。だがそれを評価し、記録し、昇進に繋げる仕組みがどこにも存在しない。
「アナスタシア」
ふと声をかけると、少女は肩をびくりと震わせ、小さく振り返った。濡れた指を隠すように背に回し、恐る恐る訊ねる。
「……お叱り、でしょうか」
ユリウスはかぶりを振った。
「いや。君のやったことは正しい。むしろ……素晴らしいよ。なぜ、それをもっと使わない?」
アナスタシアは目を伏せ、呟く。
「魔法は……ご主人様に言われたとき、だけ。あまり使うと、“行儀が悪い”と……言われて」
その言葉が、ユリウスの胸を深く抉った。評価されない才能。黙殺される創意。自由とは、能力を行使する場があってこそ実現されるものだ。だが今の社会には、それを認める制度が存在しない。
彼は記録帳に、新たな項を設けた。
“微細魔法の活用例・奉公人アナスタシア”
誰もが見過ごす営みを、誰かが言葉にしなければならない。評価とは制度のはじまりであり、記録とは制度の種である。そして、ユリウスは改めて理解する。
「制度を設計しなければ、自由は実現しない」
少女はただ、水を移していただけだった。それが誰にも見向きされぬ才能だと、彼女自身すら気づいていなかった。だからこそ、記録しなければならない。仕組みとして、誰かが語らなければならない。
ユリウスは帳面を閉じ、静かに息を吐いた。
物語はまだ動かない。だが確かに、土の下で根が伸びている。芽吹く日は、近い。