8.三匹の手駒
冷たく澄み、少し張り詰めた感触の朝の都の空気が、ポッチは結構 好きだ。
落ち合う人数までは言っていないというのに、宿酒場を出る直前に 四人前の弁当包みをファズから受け取った。「サナからの注文だ」と言うからには、判断基準のお客サマはファズなのだろうか。
従業員用の裏口から出たその足でダイフクのガレージに寄り、愛機だけ回収する。周囲に人の気配が無いのをよくよく確認すると ガレージの持ち主に指示された通り、シャッター横に設置された【真実のカニ】の大きい方の鋏の中に 借りてきたスペアキーを入れた。だが、手を入れた途端に挟まれるなんて聞いていない。
しっかり痕のついたついた手の甲をさすりながら、サナの言葉を信じて《アヴェクス》正門前を目指す。そう距離はないが、昼間に見かけるのとは違った表情をした多くの人々とすれ違う。それぞれが また新しく日常をはじめに向かっているのだろう。
『ファズおじさんのおうち』の宿酒場の正面口からも見えるほど大きな《アヴェクス》正門前に、複数の人影がたむろしている。こんな朝早くからとは驚くが、待ち合わせの目印として使われることも多い場所であるため、そう珍しい光景でもない。
「さて、連中は来ているんだか」
正門前とひとことで言っても、ちょっとした広場くらいはある。何人かで集まっているようなグループを窺いつつ、異常な昏さを感じる一角だけ避けて様子を見て歩いた。たまに目が合う女性グループに 奇声など上げられ、少しばかり傷付いたりする。
「ねぇ君、誰か捜してるの? 手伝おうか?」
軽い口調で背後から声をかけられ、助け舟かと振り返る。
「これから出かけるの? まだ早いっしょ」
夜通し遊んでからの朝帰りといった風をした、陽の民と雨の民の二人組みの若者は どちらもポッチの知っている顔ではない。《討伐者協会》の仕事に絡みそうもなければ、サナの部下たち捜しを手伝ってもらっても構うまい。
「助かります! これから都外に行くのに、ここで待ち合わせてる三人を捜してるんですが……」
「なんだ、男かよ」「声かけて損した。行こ行こ」
声を聞くなり、露骨に興醒めしたとばかりに 二人組みは背を向ける。急な掌返しに困惑していると、背筋にぞっと悪寒が走った。
「なんて無礼ですの! ワタクシ以外の分際で ポッチ様を口説こうだなんて」
「テメェから馴れ馴れしく話しかけてきたくせに、声かけて損した、だァ?」
「おはよう、あさごはん。まってたよ、ずっと……きのうから、ずぅっ、と……」
振り返らなくても分かる。異常な昏さに無意識に避けていた空間が、背後に迫っていることに。
「マイブラックローズ。すぐ戻るから、ちょっとヤツらの首 落としてきて良いかな?」
「ついでにその首、野良犬にでも食わせておしまい!」
「やめてやめてやめて!! 朝イチで一面記事作ろうとしないで!! あと 何さり気なく尾羽根かじってるんだ」
「うーん、みがはいってない……」
振り返ってみて分かる。異常な昏さは、待ち合わせた相手三人が発する負の気迫に因るものだと。理由はプリンの言葉から うっすら察する。
「……もしかして、一晩中 ここで待ってたのか?」
栗色の縦ロールヘアな悪役令嬢も、プラチナブロンドのマッシュルームボブから眼帯を覗かせる一ツ目少女も、既に両手に刀を抜き放っている 鮮やかな体色のカメレオン少年も、どこか疲れた表情で 一様に頷いた。
やはり、サナにも正確な日時の把握は出来なかったようだ。きっと「待ってればいつかは来るから」みたいな事を言って 送り出したに違いない。
「……安定の会長だな……。何と言うか、申し訳ない。本当、すまん」
空腹で、それは気も立っていることだろう。適当に落ち着ける場所を見つけ、ファズの弁当で腹ごしらえでもさせてやらなければ。
《アヴェクス》正門を出てすぐの辺りに、駆車の利用者のために設けられたあずまやがあったはずだ。駆車始発までまだ時間はある、使わせてもらおう。
場所を移し、ひんやりとしたあずまやの下に落ち着くと、弁当包みを受け取るより先にアイが緑の紙をそっと一枚、筆記具とともに差し出してきた。
「ポッチ様。先程 謝罪なさって下さったけれど、よもや口だけで許してもらおうなどと 思ってはらっしゃいませんわよね? さあ、こちらにサインなさいませ!」
差し出された紙をまじまじと見つめ、特に拒否せずポッチも筆をとる。
「……結婚する前から、離婚届にサインしちゃって良いんだな?」
「ええ、ひと思いにおサインあそば……せ? お待ちなさって、離婚届ですって!? ……何ですの、コレ!? ワタクシ、確かに婚姻届を三百枚程 用意しておきましたのに……!!」
「どうやってそんなに調達した!!」
「あらゆる手を尽くしましたわ」
「おきのどくですが こんいんのしょは きえてしまいました」
「プリンさん!? さては貴方ね? 貴方、しらばっくれて 何かやりやがりましたわね!?」
バリバリと緑の紙を引き千切り、詰め寄るアイにも 勝ち誇った態度でプリンは余裕の笑みを浮かべる。言葉こそ少ないが、やることはやらかすタイプに違いない。
「くっだらねぇ。そんな紙切れ一枚で人生縛られちゃ たまったモンじゃねぇよ。それより既成事実作ろうぜ、愛しい人!」
「チンピラトカゲはすっ込んでらっしゃいな! ワタクシとポッチ様の異世界恋愛フィールドに入って来ないで下さる?」
「んだと、このアマ……薔薇の間に挟まる女は爆散しやがれよ」
「薔薇の間にこの美しい薔薇が一輪挟まったところで 何の問題がございまして!?」
相手の合意を得ていないことは 問題ではないのだろうか。
「……プリン、先に弁当 食っていろ」
「うん、いただきます。あむ」
「違う、僕じゃない」
空腹の割にアイもロノアロも元気そうだが、プリンに限っては隙あらば齧りついて来ようとするので 先に弁当を渡しておく。
「お前たちも早いとこ朝飯、食っておいてくれ。これじゃ いつまで経っても出られないだろ」
「いつまでも一緒にいられるなら 特に問題は(✕2)」
「こっちには問題しかないんだよ」
サナのところで指導を受けている間に、互いにも打ち解けてはいると見える。弁当を食べている間のやり取りにもぎこちなさはない。と、いうより 遠慮がない。
「なんだかんだ会長はすごいな。どうやってまとめてるんだ、こんな連中」
今 ポッチの前でガッついている問題児だけでなく《アヴェクス》の裏で暴れるならず者たちも、《討伐者協会》の会長は女性の身で従えている。『ファズおじさんのおうち』では人懐っこく気さくな顔しか見せないが、《アヴェクス》の日陰に入ったら 全く別の人間になってしまうのだろう。
そんな事をぼんやり思っているうちに ポッチの分まで弁当を食べ終えたプリンが、じっとこちらを見ているのに気が付いた。
「ん? どうした、まだ足りなかったか?」
ふるふると髪を振り「ううん」とプリンは返す。見つめていたのはポッチの荷物だったらしい。荷カバンにしがみつく物体に 興味津々な様子だ。
「かばん、なにかついてる。むし?」
「なんだ、コレか」指差されたのは 極限まで畳まれたグライダーだ。
「こう見えてグライダーになるんだ。救難信号も出せるんだぞ」
嘘は吐かれていなかったはずなのに、グライダーは今やカブトガニの形に収まっている。頭の前部分がくぼみ 二対の鋏はフック状に造られているため、ガッチリと荷カバンに装着できるようになっていた。
「えうてるぺ、かいてある」
「エウテルペ? どこかで聞いたな、エウテルペ……って、ああ!!」
他人のグライダーにまで名前を付けたのか、あの変態は。
「えうてるぺ、かわいいね。かじって いい?」
「今の今、グライダーだって言っただろ。駄目だって」
精密機械でもある、ちょっと齧られただけでも動かなくなるかもしれない。プリンの悪戯を阻止したところで、アイとロノアロの弁当もちょうど片付いた。
「よし、二人とも食べ終えたな。眠くはないか? すぐ出られそうか?」
「……今、知らないオンナの名前が聞こえましたわ。どちらの不届き者ですかしら?」
またアイが 面倒臭いことを言いだした。
「名前というか、多分 製品名だ。ほら、この変形式グライダー『エウテルペ号』っていうみたいでな。ダイフクに造ってもらったんだけど」
「ボクという者がありながら、他のオトコの名前を出すなんて!!」
「あーもう、お前はめんどくさいから 勝手に言ってろ」
「オッケー! ちょっと行って あの野郎消してくる! 三分間待ってくれ、マイ謎肉マシマシカプヌ」
「ふぁっ!? 駄目駄目駄目、今の取り消しだっ!! 戻って来ーい!!」
三人とも十分 元気そうだ。速やかに《アヴェクス》を離れた方が 世のため人のためだろう。
《アヴェクス》の都より北西、《ディオツ跡地》の真反対方向へと荒野を進んだ場所に《チカコーバ》遺跡はある。距離的には《ディオツ跡地》の倍ほどはあるのだが、その周辺に遺跡管理をしている集落はない。もっと西に進めば《ナバッシ》の集落、もっと北に進めば《ラースラ》の集落がある。ただ そのどれもが《チカコーバ》からは遠すぎる。それ故 現在は《アヴェクス》の管轄遺跡として周辺集落に認められている。
密かに動向が注視されていた《グリーディア》の都も 既に跡地と化した。《討伐者協会》及び《アヴェクス》上層部としては幸いなことに、天空遺跡の管理を理由に勢力を伸ばしてくる都などは 今のところ 他にはない。
ダイフクと二人での調査であれば使わなかった《ナバッシ》行きの駆車に乗り、中間地点で途中下車した。ここからは徒歩で北へと進む。
「真っ直ぐ北に行けば間違いない。……先に調査に行ってくれてる隊があって良かった」
直近に調査をしている《討伐者》の隊などがあれば、風力で光る道標灯が設置されているはずだ。後続で調査に訪れる者は それを頼りにすると同時に点検しながら、対象の遺跡へと向かう約束になっている。
「……勤勉なキミが真剣に作業する姿は、この上なく美しいとは思うよ。別にボクも、邪魔をしたいわけではないんだけどさ」
道標灯を点検する度 パリンと手元から派手な音を立てるポッチに、珍しく控えめにロノアロが声をかける。
「こんな雑務に、わざわざキミが その綺麗な手を煩わせる必要は、ないんじゃないかな……」
「いや、でも決まりだから。《討伐者》でなくてもサボってはならないだろ。……あーまた壊れてる。こっちは風 強いから、故障しやすいんだな」
ポッチ本人は至って真面目に、後続のための点検作業を行っている。手順も決して間違っているわけではない。ちょっと触れるだけで 何故か 壊れてしまうのだ。
「こわれてるんじゃなくて、こわしてるんじゃ……」
「しっ! プリンさん、それを口にしてはなりませんわ!」
とは言え、このままポッチに作業を任せていると 全ての道標灯が故障し、後続どころか帰り道にも支障をきたす。
「えーと、あ! ちょうど良いですわ、プリンさんも道標灯の点検の仕方を教わってましたわよ! 練習も兼ねて、実践させてやるべきですわ!」
「えっ? あああ、うん、そうそう。うちもできるよ、やらせて」
「本当に大丈夫か?」と ポッチは心配そうな顔をするが、ほか三名は満場一致で力強く頷いた。少なくともポッチがやるよりは、故障率が低く済む。
「……ほら、もうだいじょぶ。うち、こわさない」
「こ、壊さないじゃないでしょう? 壊れてない、でしょう、プリンさん?」
「そうともいう」
プリンが点検を替わってから、故障した道標灯は見つからなかった。
ともかく無事に、調査対象である天空遺跡《チカコーバ》まで到達できた。一見したところ、荒野の中に唐突に現れただけの石造りの丸舞台である。建物跡のようなものも無くはないが、ほぼ全てが石柱となっている残骸だ。
「へえ、コイツが天空遺跡とやら ねぇ」
ぐるりと周囲を見渡し、ロノアロが呟く。サナに『稼働している施設』であると聞かされてはいるが、眼前に広がるそれが まだ生きているとは思えない。
「ロノアロは 天空遺跡を見るのは初めてなんだな。アイとプリンは?」
「うちも、たぶん はじめて」
「ワタクシは《グリーディア》にいた頃、似たようなモノは見ていましてよ」
アイも見たことがあるというのは意外だ。それでも遺跡内部に入るのは、さすがにこれが初めてだろう。
「会長の話では、内部には立ち入れるようになってるとの事だ。まずは扉を開く機構を見つけないとな」
《討伐者》依頼受付で集めておいた資料を取り出そうと 荷カバンをまさぐるポッチを、ロノアロは自分の後ろに押しやった。
「調べ物は後回しだ、ミッドナイトトゥインクル」
足元に差す影に顔を上げると、アイとプリンも与えられた得物を それぞれ正面に構えている。
「早速、お出迎えみてぇだぜ」
ロノアロが顎で示した先で、他より柔い赤土が筋を描きながら盛り上がり こちらに向かい来る。
飛び出した五つの目玉の下から ニョロリとギザ歯のついた吻を伸ばした絶滅奇獣、オパビニアを模して巨大化させた機械獣が 地面から湧き出すように姿を現した。
【月紀 8010年 12月の手記より】
ラクガンが惑星セスに降ろした複製体のうち、何体かの生存が確認されたらしい。ご機嫌で機械獣をいくつも造ってるが、それらも地上に降ろすつもりだろうか。
廃棄物処理業者にいちいち掛け合わなければならない こっちの身にもなってくれ。