6.外道戦記
「ニンジャテクシー、ご利用ありがとうございやした! またのご利用を 心よりお待ちしてますぜ」
「御苦労。もう二度と使わない」
普通の生活をしていれば通るはずのない建物の屋根上を伝い、『シルク・スパイダア』正面口の前まで来てやっと 降ろしてもらえた。徒歩で向かうよりは、確かに大幅な時間の短縮が出来ている。ただ一つの大きなマイナス点は、クレイジーなテクシーでしかないということだ。
降ろされてもすぐには危機感と羞恥心が消えず、笑う膝を両手でさする。もともと白い顔から血の気まですっかり失せているポッチを見て、さすがのロノアロも 申し訳無さそうに頭頂冠をポリポリ掻いた。
「……ゴメンよ、ミッドナイトトゥインクル。怖かったかい?」
「怖くはなかったけど、恥ずかしくてやってられない」
「そうかぁ。なら次は 頸動脈絞めるか当て身の一発も入れるかして、ちゃんと意識飛ばしてから抱いてあげるからね」
「だから、次はないって言ってるだろ!」
娼館の営業時間にはまだ 大分 早い。立て看板も前回同様に電源が落ちている。にも関わらず、ロノアロは慣れた様子で正面口から『シルク・スパイダア』内へと入って行った。扉を押さえたまま、ポッチを手招きする。
入った先のロビーにはやはり 人はまばらで、嵐の民ディンゴ部族とリカオン部族のボーイが 備品を手入れしながら談笑しているだけであった。
「……どうした、愛しい人? タグの野郎が何か?」
「ああ、いや。あのディンゴ部族の人、知り合いに似てるなって思って」
「気になるなら 始末しておこうか?」
「どうしてそんなナチュラルに 穏やかじゃないんだよ」
「キミにはボクだけを、見ていて欲しいからさ!」
新米討伐者時代に組んでいたパーティの面子は、仕事が終わるとよく娼館に寄っていた。あの頃は彼らがただ 女遊びが好きなだけだと思っていたが、もしかしたら そこで働く身内に会いに来ていたのかもしれない。
実際のところはどうか分からないし、訊いてみる勇気もない。胸の内に密かに詫びるのが、ポッチの精一杯だった。
そんなポッチに気付く素振りもないボーイ達の横を抜け、客室の内の一つに入る。真っ昼間というに薄暗い部屋で、妖しくランプの灯が揺れている。
広めの高そうな部屋は特別 話し合い用にセッティングされている事もなく、丸く大きなベッドに三人の女性が掛けている。真ん中で足を組んでいるのが 呼びつけた張本人であるサナだ。
「よしよし、ちゃんと時間内に攫って来られたね」
ただでさえ艶っぽい女性ではあるが、甘い香の焚かれた蠱惑的な室内で改めて見ると、ポッチでさえ変な気を起こしそうになる。
「さて、ポッチンをここに連れて来てもらったのは 他でもない」
すいと立ち上がり、サナはポッチの肩に手をかける。そのまま軽く腕ごと引いて 壁際まで追いやった。
「ヒロインの座争奪戦の副賞になってもらうためだよ」
「それ、本気で開催するイベントだったんですか」
「というか、一体どんな勝負を……」呆れ半分のポッチの前で、すらりとロノアロが刀を抜く。ベッドに掛けていたアイとプリンも 静かに闘志を燃やすように立った。
「さあ! ヒロインの座とポッチンを賭けて、バトルロワイヤルデスマッチといこうか!」
「冗談抜きで止めて下さい!!」
我らが《討伐者協会》会長は冗談めかして本気で言い出すため、油断ならない。宿酒場でサナの言動に振り回されて、ファズがストレス太りしてしまうのも納得だ。
「ま、模擬戦は外でやる方が正しいのは確かだよね。お茶目な冗談はさておいて、アイちゃんとプリンちゃんも《討伐者》の初級依頼くらいなら受けられる程度には仕上がった。ちょっと被っちゃうけど、アイちゃんはハジキヤの【銃剣】とクスシの【投薬器】の扱いを、プリンちゃんにはサキモリの【両手盾】とハジキヤの【散弾斧】の扱いを教えておいたよ」
アイの構えた得物とプリンの構えた大盾を順に指差しながら、さも愉快そうに サナは解説してみせる。
「ただ、二人とも付け焼き刃であることには変わりない。ポッチンが有能ポンコツなのは理解してるけど、護衛とするには心許ないだろ」
「有能にポンコツ付ける必要あります?」
「……なんかポッチンは、あたしに近いモノを感じるのよね」
コホン、と咳払いで打ち消し、今度はロノアロを顎で示す。
「だから、ロノちゃんも護衛としてつけようと思って。あたしにはコテンパンに伸されたけど、一般的な生身の相手には強いよ あのコ」
室内であってもお構いなしに、三者ともノリノリで攻防を楽しんでいる。よくよく見ていれば、サナの言う通り ロノアロは多少 手加減しているようだ。
「そんなのに刃物、持たせてしまって大丈夫ですか?」
「あたしに歯向かったら、また尻に爆竹 突っ込んでやるからヘーキヘーキ」
「うわ、外道……」
「正攻法じゃ、言う事きかない奴なんてゴマンといるからね」
ふふん、と鼻で笑うサナの横で、抽象画の入った額縁が落ちた。
「コラ!! 備品は壊すなって言っておいただろ!? 弁償させるよ、ポッチンに!」
「何でですかっ!!」
予想もしていなかったとばっちりに 思わず突っ込んでしまった。ポッチの視線をひらりと躱して、白々しくサナは呟く。
「だってあたし、あのコたちにお給料払ってないもの。ナマ金のない人間に弁償しろっても、支払い能力ないんじゃ、ねぇ?」
「どこまでも鬼畜生ですね……」
ダイフクが傍についていれば、いつものサナの手口だとポッチに警告してくれただろう。生憎それを教えてくれる存在は、ここには居ない。
卑怯な手がここでは正攻法ならば、使うしかあるまい。
「プリン、ちょっとおいで」取り敢えず、一番近い場所に居たプリンに声をかけた。
「なに? いま、あたまいたい、ちがう。かじるいいの?」
「かじるのは駄目だ」
そっとプリンの頭に手を置き、ひとつだけの薄青い瞳を見つめる。
「【呪印】追加呪効【麻痺】、発動」
「ふぎゃっ!?」
一声 発したきり、プリンの身体は脱力する。他二人の流れ弾が当たらないよう壁際にもたれさせ、次の狙いをアイに定める。
「アイ、今 大丈夫か?」
「もちろんですわ! 挙式しますの!?」
「予定はないかな……【呪印】追加呪効【麻痺】、発動」
「はぁンッ!!」
変な声 出さないで欲しいな、と思いつつ、同様に無力化されたアイをプリンの隣に並べる。このままだとロノアロの一人勝ちになってしまうので、
「次はボクだね!? 今 行くよ、マイスイートピーチパイ!!」
「【呪印】追加呪効【遅延】、さらに追加【燃焼】、発動」
「アイエエエエエエエエエ!! ナンデ? 燃焼ナンデ??」
これでヨシ。もう備品が壊れる心配はないだろう。
「おーっとぉ!? まさかのポッチン一人勝ちィ!! てなワケで、第一回 ヒロインの座争奪戦、栄えある優勝者はポッチンだァ!!」
「違っ、会長! 僕は参加していませんよ!!」
「飛び入りも歓迎してるからオールオッケー! あ、でも副賞が参加しちゃったな……。よし、こうしよう。ヒロインの座と副賞『サナ会長をダイフクちゃんから寝取る権利』は ポッチン、やったね あんたのモンだ!!」
「どっちもいらないんで、萌えないゴミに出しといて下さい」
自分は一体、何をしにここまで連れて来られたのだろうか。……そうだ、『大事な話』だ。
「ところで。『大事な話』って、これで終わりではないですよね?」
これで終わりなら今すぐ帰らせてもらうつもりだが、ひとしきり笑った後で サナは真顔になった。ようやく、仕事の話か。
「茶番に付き合わせて悪かったよ。確認するけど、ダイフクちゃんには言ってないよね?」
「ヒロインの座争奪戦については、ロノアロが言ってしまいました」
「そいつは後でお仕置きだね」
目が合った途端にロノアロの体色が青ざめる。分かっていればよろしい、と頷きながら サナはベッドに腰掛ける。
「《討伐者》の子が持ってきてくれたから、場所自体はダイフクちゃんにも知られてるだろうけどさ。また新しく、動き出した遺跡が 見つかった」
《アヴェクス》の都より北西に進んだ場所に位置する、通称《チカコーバ》遺跡。正式名称が《地下製造工場》というのは、ほんの一部の者にしか知られていない。主要と思われる機構は地下に広がっていると推測されていたが、そこへ立ち入る扉がこれまでに発見されていなかったためだ。
「少し前に、ダイフクちゃんと【デビルマンモス】の調査をしてたよね? どうもアレは《天空の方舟》から墜とされたモノじゃないみたい。それも、《チカコーバ》から出てきたって話だ」
確かにダイフクも、【デビルマンモス】について 造りが雑だ、みたいな事を言っていた。雑な理由はまだ分からないが、それを調べて来いというのだろう。
「《チカコーバ》内に立ち入れるようには なってるはず。都合が付いたら できる限り早く、出向いて欲しい」
サナが詳しい説明をくれる間に、アイ・プリン・ロノアロの状態異常効果時間が切れたようだ。サナの周囲に集まり、それぞれ自身への指示を待っている。
「話は聞こえてただろ。ポッチンの準備が整い次第、あんたたちもお仕事だ。《アヴェクス》正門前で 待たせておくから」
連絡も入れずに、落ち合えるものだろうか。そう ポッチが疑問を口にすると「ウチが何の見世かは知ってるだろ?」と返された。
「常連のお客サマの様子で判断するさ。心配しなさんな」
正直なところ 何をどうやって判断するのか ポッチにはさっぱりだが、当然のような顔で言うからには 何らかの遣り方があるのだろう。
「まぁ、そういうことなら……こっちで何かしておく事とかありますか?」
「そうね、ダイフクちゃんの機嫌でも取っといて。気分良く送り出してもらえるようにさ」
本題の話はこれにて終了のようだ。続きは《チカコーバ》に行ってから。
「……承知しました。それじゃあ、アイにプリンにロノアロ」
「行ってらっしゃいませのキスですかしら!?」
「あじみ? あじみ??」
「遠慮なくこの胸に飛び込んでおいで! マイエレガンスチェリーブロッサム‼」
愛想笑いくらいはしてやるつもりだったのに、やはりどうしても頬が引きつる。
「頼むから次に会う時は、この腕の長さより内に 近寄らないでくれるかな?」
「無理ですわ!」「むりー」「ちょっとそれは無理な相談だな」
いつまで経っても噛み合わない配下のやり取りに、サナも小さくため息を吐く。
「あー、ポッチン? このコたちにはもうちょっと、実現可能な頼み事してやって?」
「これ、僕の方が無理難題 吹っ掛けてるみたいに言われてます?」
何を以て契約が終了するのか、早いとこクリアにしておかなければ。少なくとも《チカコーバ》の件は速やかに取り掛かり、片付けるべきだろう。
確固たる決意を胸に、ポッチは『シルク・スパイダア』を後にしたのだった。
**
『シルク・スパイダア』での時間の流れは 随分 遅く感じたが、色町通りから出てしまえば 外の空はまだ明るい。護衛のためと言いながらどこまでもついて来ようとするロノアロを 大通りの辺りで帰るよう促し、小腹も空いたので『ファズおじさんのおうち』に進路を向ける。
宿酒場に入ってみると 昼食時ほど混雑はしていない。しかしながら、軽食をとりに来た女性グループや語らいを愉しむカップルで それなりに席は埋まっている。
お一人様向けのカウンター席に着くまでに 何人かの視線は感じたが、声をかけられることも 唐突に迫って来られることもない。
「……やっぱりあの三人の距離の詰め方が異常なんだ」
今更ながら、サナからの依頼に不安しか覚えない。冷静に考えれば 何故、ダイフクにも隠さなければならない仕事を、一番近い場所にいるポッチに持ちかけるのか。
「どうした、難しい顔して。悩み事ならおっちゃんが聞くぜ?」
ポッチが好んでよく注文している青苦茶を差し出して、ファズがカウンター越しに声をかけてきた。仕事の話はできないが、つい 愚痴をこぼしてしまう。
「ちょっと、人間関係に躓きまして。……なんで雨の民とか陽の民とかってのは、一気に距離 縮めてこようとするんですかね」
「ああ、連中なぁ。良く言やぁ社交的だが、夜の民の感覚で見たら 遠慮がねぇよなぁ」
陽の民である友人のクルトも 初対面の時は圧しが強いと感じていた。ただ彼の場合は すぐに適切な距離感を把握してくれたし、可愛い恋人ができた今では 彼女の方にべったりだ。
「まぁなんだ。独りで息抜きしたくなったら、貸し切り席 用意してやるよ」
「その時はお願いします」
本日のお楽しみ盛り合わせを注文し、青苦茶をひと息に飲み干す。非常に不味いが、不思議と「もう一杯」と出てしまう。通にしか解らない飲み物である。
「あ、そうだ。帰る前に 依頼受付で話、聞いておくか」
《チカコーバ》について、あるだけの資料に目を通しておこう。ダイフクが絡んでいなければ、あの面倒臭いヤドカリ型機械獣も 邪魔はしてこないはずだ。
そんな事を考えているうちに 注文の品が揃う。
舌鼓を打つ間は、仕事の話は忘れよう。
**
ポッチ愛用のグライダーを極限まで畳むと、実はカブトガニ型機械獣の形になる。いつ気付いてくれるかとワクワクしながら楽しみに待っていたのだが、なかなか畳まれる機会が訪れないようだ。そろそろバラしてしまおうか、それとも内緒のまま 自律式人工知能を搭載してやろうか。
「君はどっちの方が良いのかな、エウテルペ?」
もちろん グライダーにまで名前が付いているなど、ポッチは知らない。
まだ何も答えない カブトガニ型に収納されたグライダーを作業台に置き、ダイフクはガレージの奥、遮光カーテンに隠された空間に潜り込んだ。
「……ポッチが留守にしてる間に、君も《ホカンコ》に移しておかないとね。大丈夫。仲間たちも もう《ホカンコ》の地下にいるから、淋しくないよ」
窮屈そうに歩脚を縮こめて部屋に収まる『彼女』を、愛おしむように撫でる。どこか嬉しそうに『彼女』は触覚をピコピコ動かした。
「ああああ!! 何でそんな可愛すぎる反応するんだよ、エリーニュス!!」
『彼女』たちを密かに保管するために、《ホカンコ》のパスワードを変えた。
これ以上、嗅ぎ回ってもらっては困る。
「……あとは カシオペアとパンドラを、どうやって誤魔化すかだ」
月は逸らさずずっと こちらを見ているのに、今宵は夜闇に紛れ その輪郭すら見えない。
知らず知らずに複製元と同じ道を選んでしまっている事を、ダイフク自身はいまだ 気づけずにいた。
ここまでが 第一話『天空の民対策班 集結編』になります。
次回からは 第二話『ヤパネーゼ復刻計画編』が始まる予定です。