3.不思議の国のアイーダ
悪役令嬢なるものを理解していない人間が、悪役令嬢を書いてみるとこうなるという悪例です。
そこな貴方、頭が高いわ 平伏なさい。
ワタクシの名はアイーダ。この世の頂点に咲き誇る一輪の薔薇ですわ。
本来なら 貴方のような下賤な輩には目を向けることすらないのだけれど、今のワタクシは最高に気分が良いの。ありがたくこの美声に 耳の穴から痺れ上がるが良いわ。
ワタクシの生まれはパンゲニア大陸北北西、ヨセフナ砂海を龍脈に沿って北上した場所に位置する《グリーディア》という 由緒ある都ですわ。五百年ほど前に天空の民と交流があり、技術や文化を与えられた雅なる都でしたのよ。それこそワタクシのような最高の美女が治めるに相応しい、ね。
――そう、このワタクシが お父様の跡を継ぎ、栄華を極めるはずでしたのよ。
はずでしたの、というのはね……もう今は《グリーディア》の都は崩壊してしまったからですの。愚かな民衆の反乱によって。
何がきっかけであったのか、未だに ワタクシには分かりませんわ。
だって、お父様は都を豊かに保つ為 民の財産を一挙に集めて管理してあげたり、都中の年若く可愛らしい娘たちを宮殿に召し上げて花嫁修業を兼ねた働き口を与えたりと、民が時間を無駄にしないよう日々の充実を図ってあげていましたわ。お母様や妾どもは民の見本となり 彼らの目を愉しませようと、良いものを食べては健康に気を配ってレジャーに励み、流行の最先端を行くため常にお洒落に着飾っていたのですわ。
もちろんワタクシだって頑張っておりましてよ。何組かあった 明らかに不相応な交際をしている下層民の小娘と上流氏族の若君には、ワタクシとの縁談を持ちかける事により 円満に 関係を解消させてあげましたし。かといって、最上級の麗質を誇るワタクシは《グリーディア》至高の宝。そう平凡な殿方では隣に並ばれても惨めな思いをしてしまうだけでしょう? だから皆、すぐに婚約は破棄して差し上げましたわ。都の民も、ワタクシと結ばれるのは相応の美男子でなければ 納得してくださらないでしょうしね。
それほどワタクシたちに良くしてもらったというのに、恩も理解できない不届き者に毒を盛られ、呆気なくお父様とお母様は亡くなってしまった。それを旗揚げに《グリーディア》の民は反乱を起こし、ワタクシの一族は次々に血祭りに上げられてしまいましたわ。
妾どもに紛れて逃げ出し、間一髪 難を逃れたワタクシは、しかし 蛮行を黙って見過ごしはしなくてよ。
かつて天空の民と交流があった頃、天空の民への忠誠の証として与えられた宮殿型兵器《グランパレシウス》。ワタクシたち都を治める長の 直系の子孫のみに伝わる秘密兵器を起動し、《グリーディア》の都もろとも炎の海に沈めてやりましたわ!
――そして ただ一人、ワタクシだけが 残ってしまった。
お父様とお母様、一族の仇を《グランパレシウス》の力で討ち取ったのは良いものの、皆に愛され、蝶よ花よと 大切に育てられてきたワタクシに、独りで生きてゆける力などありませんわ。
行くあてもなく彷徨うワタクシを、それでも天は見捨てたりはされませんでしたわ。まったく、美人ってなんて得なのかしら、天にまで愛されてしまうなんて。
その男は様子を見るに、人買いの類だと思われましたわ。年端も行かない少年少女を引き連れ、大陸の集落を回っていると言っておりましたもの。
人買いとはいえ、ワタクシと接するときは距離を置き目線も外すような 分を弁えた扱いの出来る業者であったのは幸いでしたわ。このワタクシを粗末に扱ったらどうなるか、考える頭をちゃんと持っておりましたのね。不味いものしか出されなかったけれど、飢えることもなくここまで来られたんですもの。
幾つかの集落を巡り、連れられていた子どもたちは 減ったり増えたりと顔ぶれが変わりましたわ。その内の一人に、ワタクシと共にここに来たプリンさんもいましたわね。彼女、プリンさんのこと? 詳しいことは知らなくてよ、後で直接 お聞きなさいな。貴方はワタクシの話だけ、黙って聞いていれば良いのですわ。
もうなんてこと、脱線しましたわ。白けるじゃありませんの。
とにかく そんな出来事を経て、ワタクシはこの《アヴェクス》といかいう 天空技術にかぶれた都に落ち着いたワケですわ。
《討伐者》とかいう見るからに野蛮な輩が幅を利かせた、あまり品を感じない都ではあるけれど、そう悪いことばかりでもありませんのね。
なぜなら! ワタクシは 運命というモノを、身を持って知ってしまったから!
ああ、最高の気分ですわ。あんなに美しい殿方を、モノにする事が出来るなんて。
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「んー……ちっと悪ィんだが、ウチでは犯罪者とか危険な思想・嗜好持ちは 入店からお断りさせてもらってんだわ」
「なんだよケチ! あたし(闇組織関係者)とかダイフクちゃん(変質者)とかは入れてくれるのに、何でこの子たちは面倒見られないんだよ」
「いや、明らかに周りの空気 悪くなってんだろ……。見てくれはどっちも可愛い嬢ちゃんなんだから、てめぇの見世で面倒見ろよ」
《アヴェクス》という名の都で、ワタクシはサナというらしい 狐のような耳と尻尾を持つ陰の民の赤毛の女性に、晴れて買い取られましたわ。一応 雇用主という事で、サナ様とでも呼んでおいた方が良いのかしら。どうもこの方《アヴェクス》の都では立場も強いみたいですし。そのうち 下剋上して差し上げますけれどね。
そのサナ様がワタクシと、ついでに買い上げたプリンさんを連れてやって来たのが、この そこはかとなく獣臭い『ファズおじさんのおうち』という食事処? でしたの。サナ様とやり取りしているのが、店主のファズおじさんとかいう嵐の民の方ですかしら。黒くて頭の大きい、お腹のたるたるした可愛い巨猫さんですわ。
「てなワケでな。可哀想だけど、ウチでメシ食うのは堪忍な。弁当なら作って届けてやるから」
申し訳無さそうな顔をしておきながら、平気で追い出すんですのね! 別に構いませんわよ、こんな埃っぽいところ こちらから願い下げですわ。
「……残念。ま、でも あたしの私兵だし、仕方ないか」
サナ様も最初から期待はしていなかったようで、割りにあっさりと踵を返してらしたわ。「宿舎とかはちゃんと用意するから、心配しないで」と、ワタクシとプリンさんに悪戯っぽく笑いながら言ってらしたけど、雇用主が衣食住と娯楽を整えるのは当然のことですわよね。
『ファズおじさんのおうち』を出て、サナ様が経営している『シルク・スパイダア』へと引き返す途中で、遂にワタクシは 運命を見つけましたの。
「あ、サナさんだ。今日はこっちまで来てたんだね」
「よう、ダイフクちゃん。今日もポッチンと一緒か。買い出し?」
知り合いかしら、サナ様の足が止まりましたわ。ちょっと覗いてみましょう。
「そう。ファズさん、食材と調理器具しか買わないから」
あら、なかなか綺麗なお顔立ち。銀灰の髪なんて素敵ね、よく絞れていてスタイルも悪くはありませんわ。色黒なのと、ちょっと筋肉質すぎるのが惜しいですわね。
「ダイフクだって 余計なものしか買わないだろ」
――――!?
ふぉわちょわおあああああ‼
「僕が付いて行かないと、必要な物 何にも揃わないんですよ」
ふぁるぷるおぺう‼ ふ、う、うふ、ふつくしい……‼ あんじゅぅ? でぁぼぉう? のん! ひゅうめんず‼ 良かろう、是ぞ運命ですわ!
白雪の肌に髪は鴉の濡れ羽色……線の細い儚げな立ち姿は桜の舞い散るようですわ。きりりと涼やかな目元がこちらに向くだけで、ワタクシの恋心が一刀両断でしてよ‼ この方こそ、ワタクシに相応しい、ワタクシを幸せにするためだけに産まれてきた、ワタクシのための運命の男‼
「……あれ? アイちゃん、どうした? おーい」
どこか遠くからサナ様の声がするけれど、ワタクシは今、運命を感じるのに忙しいんですの! お黙りあそばせ‼
「後ろの二人、見ない顔ですね。会長の見世の人ですか?」
「おっとぉ? ポッチン、食いついたね?」
「サナさんとこ遊びに行くなら 一人で行ってね」
「いや、違……そんな意味で言ったんじゃなくて……」
あらあらぐふふ、照れ屋さんですのね。可愛げがあってよろしくってよ。
「上玉だからウチの見世で使おうかとも思ったけど……そっか、ポッチンが食いついたなら 止めて置くかね」
「いやいや会長、お気遣いなく」
何か含みのあるお顔で、サナ様はワタクシとプリンさんを交互に見てきましたわ。どちらが麗しき鴉羽の君に相応しいか、品定めなさってるのね? もちろんワタクシの王子様ですもの、ワタクシに身柄を寄越すのが筋でございましょう?
「こっちの見るからに悪役令嬢な娘はアイちゃん。なかなか豪快なことやらかして 故郷を追放されたみたいよ」
「追放なんかされてなくてよ! 《グリーディア》の都が燃え尽きてしまったから、致し方なく出て来ただけですわ。そもそも、この世の全てはワタクシが生誕した時点でワタクシに所有権が渡っておりますの!」
「うわぁ……」銀灰の髪の殿方もワタクシに畏敬の視線を向けて下さっているけれど、御免あそばせ。貴方も十分に魅力的なのは認めますわ。でも、ワタクシの心はバッキバキにキマってしまいましたの。今さら貴方の気持ちなど受け取れませんわ。
「で、こっちの眼帯してる方の娘はプリンちゃん。ダイフクちゃんと同じで……」
「いいにおい。うまそう」
ちょおおっと、何してやがりますのよ プリンさん!?
今の今まで空気のように存在を消していたくせに、大胆にもプリンさんはワタクシの王子様に口元を寄せてきましたわ‼ おふざけでなくてよ‼ 今すぐ 離れなさいっての!
「ちょっと、かじる、していい?」
「ご、ご遠慮 願います……。ダイフクと同じって、気になる相手を物理的に味見するところがって事ですか?」
「俺のこと変態みたいに言わないでくれる? 調理済みのコしか食わないよ」
「んー、変態なのも同じかもしれないけど、そっちじゃなくて『堕天の民』だってコトがよ。……この子、眼帯の下に眼が無かったんだ」
まぁ、意外。ワタクシと同じ陽の民だとばかり思っておりましたわ。と、いうことは、そちらの銀灰の髪の殿方も陽の民ではありませんでしたのね。
「ダイフクちゃんは興味ないだろうからいいとして。失恋して傷心中のポッチンには新たな出会いを提供したいから、そのうち遊びにおいで」
「ワタクシの方は いつでも式を挙げられましてよ」
「うちも、べつばら、いつでもいける」
ななな何をおっしゃってますの、プリンさん!? サナ様はワタクシと縁談をまとめようとしているんですのよ!? サナ様もニヤニヤしてないで、何とか言っておやりなさいな!
ワタクシの心の声が通じたのか、不意にサナ様が真顔になられたわ。
「……そういえば、ダイフクちゃん。《ホカンコ》の制御室、Pass変えた?」
「いじってないよ、何で?」
「いやね、二、三日前に見回りしてきたんだけど、検索システムが応答しなくなっちゃっててさ。心当たりない?」
堕天の殿方は、何か考えるような仕草の後で「分からないな」と呟いて返してましたわ。サナ様と二人でしばし難しい顔を見合わせてましたけれど、ワタクシにはどうでも良いことですわ。
「後で調べてくるよ。何かあれば報告する」
「うん、頼んだ! それじゃポッチン、このまま一緒に遊びに来るかい?」
「忙しいんで行けません! あーあー残念だなー」
「必要な物は買い終わったし、行っても構わな……ふぐっ!?」
「ファズさんたちも待ってますし、失礼します」
品の良い笑顔で頭を下げると、鴉羽の君は堕天の殿方を連れて去っていってしまいましたわ。もっとお話したかったのに、残念ですわ。それにしても、随分と仲がよろしいこと。あの方ってば、堕天の殿方の頭を抱え込むくらいに引っ付いちゃって もう。やんちゃなところもお有りなのねぇ。
殿方二人の姿がすっかり消えてしまったのを見計らい、サナ様はワタクシたちに向き直ると こんな事を言い出されたの。
「今の二人はあたしの仕事仲間。堕天の方がダイフクちゃんで、夜混じりの陰の民の方が ヤツの相方のポッチ。あんたたち二人とも、ポッチンのこと気に入ったみたいで安心したよ」
ほら、やっぱり。サナ様もワタクシとお似合いだとお思いなのね。
「ダイフクちゃんには色仕掛けが通用しないから、ポッチンの方を上手いこと落としてくれないかな。もちろん、落とした後はお持ち帰りしようと 美味しく召し上がろうと あんたらの自由にしていいよ」
「ただし、条件がひとつ」ギラリとした笑みを浮かべて、サナ様は付け加えられましたわ。
「《ホカンコ》及び、周辺の天空遺跡の電子機構に関わるパスワードを聞き出し、勝手に変更した理由を突き止めること」
なんという お安い御用なのでしょう!
二人の間に秘め事を作らない、永劫の愛を育めば良いだけなんて。赤子の手をひねるほうが はるかに難しいのではなくて?
ああ、この上なく晴れやかな気分ですわ。これよりワタクシの時代がはじまりましてよ。
【月紀 7994年 8月の手記より】
カガミ氏族の女に子どもが産まれた。男だった。確か祖先に 初代カシワ氏の血が入っていたはずだ。
カシワ血族の血が混ざるのは二度目だが、やはり外見の要素は発現しない。カガミ氏族に置いて様子を見よう。