1.みにくいカラスの子
前作【ようこそ、滅びを滅ぼす都へ】のその後の《アヴェクス》での話になります。
今作では全編を通して『陰の民』のポッチを中心に、話を進めていきます。
あまり顔は出しませんが、《討伐者》のみんなも元気にやってます。
からりと乾いた青空の下に、端の方から赤い荒野へと還りはじめた人里の亡骸が横たわる。十年前には《ディオツ》という名でまだ生きていたというその集落跡は、未だ廃墟を残しながらも かつての住民たちが眠る合同墓地としてそこに在った。
白を中心として淡い色を集めた花束を抱え、青年はひとり、《ディオツ跡》合同墓地の外れに佇んでいた。
色の白い肌に、肩の辺りで切り揃えた 指通りの軽やかな黒髪が映える。男の割に細身で華奢に見えるが、濃いめの眉と切れの長い目元は凛々しく、寄らば斬られそうな近寄り難さを思える。陽の民であったなら絶世の美男子とでも評されそうな彼の足元は 夜の民、カラス部族のそれであり、どちらの民にも手放しで受け入れてはもらえないだろう。総称として『陰の民』との呼び名はあるが、たとえ血を分けた兄弟でも 彼の全くの同族はいないのだから。
そんな彼、ポッチが一人 ここに立っているのは――ただ荷物持ちをしているだけである。
《ディオツ跡》合同墓地を背にして荒野を眺めていると、銃声に似た音と砂塵が 時折上がる。相方の腕なら、そろそろ終わる頃なのだが……。
止めの爆発音を確認した後に、《ディオツ跡》に向かって巨きな金属質の物体が飛ぶように迫り来る。所有者曰く スナガニ巨大化型という種類の使役機械獣で、デメテル号と名付けられている。デメテルはポッチの真横を通り過ぎ、自身の勢いを自分では止められずに 地面にめり込むような格好で突っ転んだ。照れ隠しなのか、そのまま砂の中に潜っていく。
数歩遅れて、デメテルを駆っていた所有者が到着した。
「お待ち遠さま! 待たせっ放しで悪かったから、今日は一緒に連れてくよ」
「デメテルはここで留守番頼むね」盛り上がった砂の小山に声をかけると、花束を受け取り デメテルの主人は《ディオツ跡》合同墓地の中へと歩き出した。
《ディオツ跡地》より北東に荒野を進むと、《アヴェクス》という先進的で大きな都がある。その都の一大事業である《討伐者協会》の会長補佐や受付管理、遭難時の救助などを一手に引き受けている重鎮が 現在のポッチの相方、ダイフクである。
陽の民では滅多にいない浅黒い肌と銀灰の髪の組み合わせは 『陽の民』として珍しい訳ではなく、ダイフク自身が『堕天の民』という珍しい種族であると示している。柔和で人好きのする顔立ちは整っていると言えるが、風に前髪が舞い上がれば右の眉が生えていない事が分かってしまう。以前、冗談のつもりでポッチがそれを指摘したら「目上の男性にその二文字を言うなら 死を覚悟しろ」と とても怒られたので、もう二度と口にすまいと心に誓ったのだった。
「しかし、何であんな碌でもないプログラム 搭載するんだろうね」
つい先刻 討伐してきた野良機械獣【デビルマンモス】に対して、かなりダイフクはお怒りのようだ。彼の背丈ほどもある対巨獣・大型機械獣用機械弓を担ぎ直しながら 口を尖らせている。
「行動パターン見るに、発情期の若い雄象の思考プログラムだよ。目に付いた 自分より弱そうな相手を、快楽的に踏み潰すなんていうのはさ」
「もしかしたら、野良機械獣の全体数の調整用に作られた物かもしれないぞ。ある程度 野良の数が減ったら、今度は人里に向かって行くよう仕向けて 現地で討伐させようと想定されてるとか……」
「それ自体はありそうだけど、そうじゃなくてさ。俺が許せないのは、甲殻類型機械獣を長鼻類型機械獣ごときが格下弱小認定してるってことなんだよ‼」
また始まった。
「そもそも甲殻類っていうのは強靭さと機能美と多様性と可愛らしさセクシーさ、ついでに美味しさを全て兼ね備えた生命の最高傑作なんだよ! それをメンテするだけで半永久的に愛で続けられる機械獣に再構築するとか、ホント天啓だよね! カニも良し、エビも良し、ヤドカリも素敵、フジツボも良し、ミジンコも堪んないね、ワレカラ……ん? ワレカラ型機械獣はまだ見たこと無いな、造らなきゃ。あああ、ダメだ足りない、まだ全っ然 足りない」
一人で身振り手振りを交えて熱く語っているダイフクにてきとうな相槌を返しつつ、自分たち以外に人の気配が全くない廃墟の里を見回す。
爆発、大きな火災、重機のようなものによる破壊活動。今でも残る住居跡からは そんな災害の影が読み取れる。
とある一軒の店舗跡の前で、ダイフクは熱い甲殻類型機械獣談義と足を止めた。そのまま、外れた引き戸をくぐって中へと入っていく。
人がいた頃は店内だった場所を真っ直ぐ通り抜けると、小さな庭のような場所へ出た。盛られた土に鈍い光沢を放つ金属製のプレートが乗っている。
プレートの前に供えられていた枯れて萎びた花束を周囲の土で埋めてから、ダイフクは抱えてきた花束を 同じ場所にそっと置いた。
「今月は遅くなってごめんよ、オジちゃん」
立ち上がり、ようやくダイフクはついて来たポッチに振り返る。
「誰かに聞いてるとは思うけど、ここが俺の実家。……今は育ての親のお墓があるだけ、なんだけどさ」
墓標代わりのプレートには〈敬愛する父、ギール ここに眠る〉と、見慣れた筆跡で刻まれている。
「俺の寿命は長いから、看取ってくれる人が誰になるかは分からないけど……いつかは俺も、ここに入るつもりでいる」
ダイフクのような『堕天の民』は成長も老化も緩やかで、一般的な地上の民よりずっと長生きだと伝えられている。現に《アヴェクス》の前長老も享年は百五十歳を超えていたという。眼の前にいるダイフクだって二十一歳のポッチより多少 若く見えるが、実年齢は一回り以上も年上だ。
「もし、ポッチが生きてる間に俺が死んだら、オジちゃんの名前の下に“ダイフク”って入れといて」
「縁起でもないこと、言ってるなよ」
「そこは“ハイ”って答えるのが社交辞令だろ」
眉をひそめるポッチを冗談で笑い飛ばした後で、ふい とダイフクは真顔に戻る「ラグ隊の人たちも、何か遺しておけば良かったのにね」。
「いや」ふるふると黒髪を揺らし、ポッチは呟く。
「背負わされるものなんて、無い方が楽だ」
ラグ隊というパーティに所属していた新米討伐者時代は、それはそれは過酷なものだったが、何も遺されていないからこそ 無理に思い返さなくて良い今がある。
「楽しい時もあったけど、今ほどじゃない」
目を閉じ、風の音を聴く。赤い荒野に吹く風は、いつでも、どこに居ても 同じ音で流れていく。小さく息を吐き、瞼を上げた。
い な い 。
「……っ‼ 帰る時は、ひとこと 声を掛けてくれないか!?」
「放っておいても勝手について来るから、別にいいかなって」
「いや、ここまで来たの初めてだから! 絶対、《ディオツ跡地》出るまでに途中で迷うから‼」
「そうだね。ポッチの帰巣本能、死んでるもんね」
理解っているなら配慮してくれ、との言葉を飲み込み、既に店舗跡を出ようとしているダイフクを小走りに追いかける。ポッチの その姿を確かめると、
「だから、ダイフク‼ 何で全力で走り出すんだよ!?」
デメテルの待つ《ディオツ跡》合同墓地の外れまで、フルスロットルの追いかけっこは続いたのだった。
**
天空の民がパンゲニア大陸に遺していった、災害巨人兵器《アーカディウス》。その発見と破壊もしくは機能停止によって《大破滅》を阻止することを目的として活動しているのが《討伐者協会》という組織だ。ダイフクだけではなく、ポッチも《討伐者協会》に所属してはいるのだが、今 現在《討伐者》の登録は外され、【遭難者救助班】と【新規機械獣観測班】という括りに入れられている。《討伐者協会》の従業員として扱われるため、協会公認宿酒場『ファズおじさんのおうち』ではなく 別棟の従業員宿舎を与えられ 寝泊まりしている毎日だ。
「取り敢えず【デビルマンモス】は片付けちゃったから、脅威はナシ、と」
「討伐は依頼に回すって言ってたのは誰だっけ?」
本日の宿酒場での業務が終わり、ポッチの宿舎で書類作業を手分けして行っていた。日によってはダイフクの使役機械獣用ガレージで作業することもある。
「可愛いデメテルに喧嘩ふっかけてくる、身の程を知らないプログラムが悪い」
悪怯れる様子もなくダイフクは回収した【デビルマンモス】の部品を精査している。散らかすのはともかく、そのまま帰ったりはしないで欲しい。
「うーん、今までのと ちょっと組み方が違う気がする。前はもっと精密だったというか……なーんか、雑に造られてる感があるなぁ」
【新規機械獣観測班】とは名ばかりで、ポッチには何が雑に見えるのか さっぱり分からない。ポッチに対するダイフクの扱いは 間違いなく雑だと断言できる。
「ダイフクちゃん製の甲殻類型機械獣に比べたら、みんな雑じゃないの?」
「そうでもないよ。デメテル世代の機械獣なんかはホント、芸術的で……え?」
「会長! この宿舎、セキュリティに難がありますよ!?」
作業内容には機密事項もあるため、戸締まりを怠ることはない。
それなのに、ダイフクの隣には 狐の耳と尻尾を持った妖艶な赤毛の女性が、気配もなく座っていた。彼女こそが《討伐者協会》を立ち上げ、今もトップとして協会を取りまとめる 会長のサナである。
「よう、ポッチン。お邪魔してるぜぃ」
この宿舎を所有しているのもサナであるから邪険には出来ないが、せめて入って来る前に呼び鈴を鳴らしてはくれないだろうか。一応はお偉い人なのだし。
「サナさん、急ぎの用? そうじゃないなら ファズさんのとこでタダ酒でも呷って待っててよ」
またか、といった表情を向けるダイフクに、サナは眉間を狭めて難しい顔を作る。
「急ぎ、とはまた違うんだけど……その時になってからだと手遅れかもしれないから、忘れないうちにね。明日の昼過ぎ頃、ウチの娼館の裏事務室に ポッチン連れて来てくれないかな。ポッチン、まだカンナギ技能 使えるでしょ?」
「はい、あまり上手くはありませんが」
「癒術なら モーラさんのほうが優秀だよ」
「それにすごい可愛いですし!」
「ポッチ、二回もフられたなら諦めなよ」
「へぇ、こんな美人お兄ちゃんでもフられるんだ。それも二回も。同じ人に」
傷口に塩を擦り込むサナを嗜めるように、さすがのダイフクも睨んでみせる。ぺろっと舌を出して目線を逸らすと、サナも本題に戻してきた。
「まぁ、上手くないほうがいいんだよ。全快されると困る」
サナの言葉に何か感付き、ダイフクの残っている方の眉がぴくりと跳ねる。
「……あんまり そういう話、こっちに持って来ないで欲しいな」
「たまにこんな話でもしないと、ダイフクちゃん コッチ、遊びに来ないだろ」
「興味ないし」
厭なことを思い出したとでも言いたげに、ダイフクは苦々しい顔をしている。ふぅん、と困った音の溜め息を洩らすと、今度はポッチに向き直ってにっこりと笑う。
「モーラちゃんみたいなのが好み? 猛禽類部族の夜の民がタイプってコトかな?」
「サナさん、いい加減に」
「あーあ、怒られちった。それじゃ 明日の昼過ぎ、汚れても良い格好でね」
音もなく立ち上がり、サナの後ろ姿が玄関口の暗がりに消えていく。それきり気配は消え、扉の開閉音も足音も残さず 帰っていってしまった。
苛ついた様子で書類を引っ掴み、ダイフクも席を立つ。
「……続きは明日やろう。俺も もう帰る」
何に怒ったのか ポッチには見当もつかない。それでも、これだけは言っておかなければ。切実な思いで、ポッチはダイフクを引き留めた。
「待った、ダイフク。出したものはちゃんと片付けて、散らかした持ち込み部品も残さず持って帰ってくれ!」
ぶすくれた顔で、ちら、と後ろをうかがう。【デビルマンモス】そのものが大きな機械獣であったため、それぞれに大振りな部品が ポッチの部屋の中をところ狭しと埋め尽くしていた。
「おやすみ! また明日‼」
「逃げるな、卑怯者ォ‼」
サナとは対照に、猛然と足音を残してダイフクは宿酒場へと帰り去っていった。
ポッチが《討伐者協会》に登録したばかりの頃は いつも 作ったような同じ笑みを張り付けていたダイフクは、本性を見せてきたというか いろいろな表情を見せるようになった気がする。
「……でも、まだ何か、腹に持ってそうなんだよな……」
明かり採りの窓から半分になった月が覗いている。
月を通して誰かが見ているのかと思うと、ぞっと背筋を伝うものを感じる。つい、と目を背け、隠れるつもりでカーテンを引いた。これで、もう見えない。
【月紀 7988年 4月の手記より】
カシワ血族 人工知能搭載機械獣 研究製造所に、正式に研究員として登録された。カシワ血族として生まれたゆえに、他所に移籍することはできないらしい。クソなシステムだ。
いつか無能な上層部を、どうにかしてやらねば。