17.月(メネ)の王子様 前編
【警告】
TS ヤンデレ親父 発生中
――早く 月に帰りたい。
見慣れた色の空に自分が生まれた天体が浮かぶたび、想っていた。
「君は本物より真面目で、働き者だねぇ。《アゲ門一派》で一番、優秀だったりして」
部下の研究員たちを先に宿舎へ返した後で 施設内の点検をしながら、サツマ所長はそう 笑っていた。
『それは間違いないと思いますよ、所長。おれの思考記録提供者は 記憶情報抽出時点では《アゲ門》内で最も優秀でした。そこから更に月の集合情報体にアクセスしつつ、日々 記録の更新を重ねて人間の倍の速度で学習を進めているんです。どう計算しても、おれが最先端でしょう?』
生身の体は休息や食事など、生命維持のために余計な作業を挟む必要がある。それに引き換え、この機体なら 充電時でさえ集合情報体や各施設の機密管理センターと繋がることができる。各個人が所有する プライベート端末だって。
「情報の物量だけで言えばそうだね。でも、記憶媒体の容量にも限界はあるでしょ? それ全部 仕事の処理で埋めちゃったら、君である必要がなくなっちゃうよ。……ヨーガ氏族のやりたい事は、最終的にはそれかもしれないけど」
異常がないことを確認し、最後の一室の電源が落とされる。金属質のつるりとした頭を撫でてくれながら、サツマ所長は「ぼくの部屋に来るかい?」と口にした。
「人工知能とはいえ、独りで留守番は淋しいでしょ。ぼくの娯楽動画コレクションでも観においでよ。古いのばかりだけど、レトロサイバー物 好きだよね」
古い人間であるサツマ所長の部屋には、ハッキングされて困る端末もないのだろう。記憶領域を圧迫してしまうのは難だが、思考記録提供者も識らない娯楽知識には興味がある。業務時間が終わるとそんな口実を作って、サツマ所長の宿舎までついて行ったものだった。
サツマ所長の部屋は、思考記録提供者のそれとは違って 生活に必要ない物品は殆どなく、狭いながらくつろぐ空間としては適切なものであった。
『所長のことだから、ゴザル丸グッズで埋まっているのかと思ってました』
「ははは! 残念ながら そんな高給取りじゃないんだよ」
卵型の自律式機械兵の隣に、サツマ所長が我が子のように可愛がっている【ゴザル丸人形】が座る。初めて見た時は 少女の人形だと思い違いをしていた。
意志を持って自らで動きながらも、疲れを知らず 不平不満も言わない人工知能搭載機は、《アゲ門保研》内で重宝された。人の形をしていないお陰で様々な部署へ気軽に貸し出され、通常では得られない情報量をやり取りした。この頃には既に 思考記録提供者をとうに超える 知識情報を学習していたはずだ。
「ねぇ、テンプラ君。もうすぐ一号君のメモリ増設するって話を小耳に挟んだんだけど、機体の変更もさせてくれないかな?」
《惑星セス》の大陸《パンゲニア》に墜とされる ほんの少し前、サツマ所長が思考記録提供者に そう、訊ねていたことがあった。
「あの子はよく働いてくれるし、ぼくの話し相手としても申し分ない。もう少し親しみやすい姿で、傍に置いてあげたいんだ」
机の下からではどちらの表情も観測できないが、感情の動きは発声の質や口調から推測できる。ウキウキと弾んだ調子のサツマ所長の声に対し、思考記録提供者の声色は冷たく固いものだった。
「必要ありません。おれの思考記録を組み込んだだけあって、確かにアイツは賢いし使い勝手も良い。……だから、地上に降ろします」
「えっ……?」自分の出したい反応を、サツマ所長も出していた。
「悔しいけど、アイツはおれより立ち回りが上手いから 今のところ苦情も不評も出してない。でも、あの人工知能は危険です。絶対、取り返しのつかないことを やらかしますよ」
「まあ、素材はテンプラ君だしね」
「いや、だから そういったレベルの話じゃなくて……」
自身が狼を内包しているなんて、オオカミ少年が言っても 信じてもらえるはずがない。
「……親しみやすい姿の玩具が欲しいなら、それこそ《王子くん一号》に造ってきてもらえばいいじゃないですか。地上設備の方が 自由度高いですよ」
「そうなんだ」
「それで? 《王子くん一号》を、どんな機体に変えたかったんですか?」
「これだよ、これ! こんな子が部屋で待っててくれたら、お父さん 毎日お仕事 頑張れちゃうよ」
オフライン専用端末に画像をダウンロードしてあるのか、無線での覗き見はできなかった。今どき 有線専用機器なんか使っているのは、サツマ所長くらいなものだ。
「お父さんて……精子バンク登録要請も来ない 未婚の独身おじさんが何 言ってるんですか」
「あのさぁ? また言っちゃうけど ぼく、君の上司なんだけどね?」
――お父さん。
思考記録提供者の記憶では、それは待つ必要のない存在だった。
何かの記録を探るためだけに彼を産ませた男で、二度目のカシワ血族の血を受けてもその特徴的な容姿が発現しなかったと見るや、我が子への興味もすぐに失っていた。あの男が『お父さん』という立場を持ち出してくるのは、母方の所属する機関との接触を求める時だけだった。
だけど。
それは思考記録提供者の記憶。アイツは自分の『お父さん』ではない。
サツマ所長の望む姿になって、あの人を『お父さん』と呼んでも、自分なら大丈夫なはずだ。サツマ所長も こんな優秀な子どもなら、きっと喜んでくれる。
やっと、『お父さん』の気に入りそうな機体が完成した。
ちょっとばかり勘違いをして失敗作も造ってしまったけれど、【P.and.R.A.】を入れたら意外と使い道がありそうだ。よくよく計算すれば、記憶情報の転送までに外装を整えておく必要もある。思考記録提供者の毛嫌いする男の弟だか片割れだかの人格も混ざっているようだが、そこは生まれ変わってしまう自分には関係ない。こちらの邪魔さえ、しなければいい。
――早く 月に帰りたい。
上手に造れたねって、褒めて欲しい。『お父さん』の 喜ぶ顔が見たい。
数多の過去記録で学習したよ。人間はこれを、『愛情』って 言うんだろ?
**
一時は真っ二つに割れ裂けた《凄皇》機体は、再び部品となる機械片を集めて元の型を取り戻す。《王子くん一号》が無傷であるうちは 無限に再生成が可能なようだ。
「これは……《王子くん一号》を叩かなければ どうしようもならないヤツか……?」
それでも先の一撃は、《王子くん一号》を巻き込むつもりだった。前回の遭遇時でも分かっていたが《王子くん一号》の回避力は異様に高い。ポッチの範囲呪術だけで削っていければ良いが、いくら《大地の加護》があるとはいえ 気力が尽きればそこまでだ。ダイフクの射撃も当たるようにはしておきたい。
「ダイフク」
「あああ、畜生!! なんで後から出て来るんだよ……居るって知ってれば、さっきの一発は そっちの頭 吹っ飛ばすのに使えたのに!!」
「待って待って待って、どうして僕の顔に対して そんなに殺意 高いかな」
「だって、存在しちゃいけない顔だろ!? 虫唾が走る」
「こんな時で悪いけど、ちょっと向こうで泣いてきていいか……?」
火力の担当を任せて《王子くん一号》の行動阻害に専念する旨を伝えておきたかったが、相手方、特に機械人形の方が ダイフクの気を引いてしまう。
『ダイフクなら そう言うと予想してたよ。こんな顔、地上に二つもいらないよね』
同じ顔のくせに ポッチにはとても真似できない艶めいた笑みで、機械人形の娘は嘲る。親しげに名を呼んでくる【P.and.R.A.】に絆されることなく、ダイフクは【巨戦機弓】を向けて睨み据える。
「さっきから馴れ馴れしい。……たかが人工知能の分際で」
『酷いなぁ。《ホカンコ》ではあんなに仲良く情報交換してくれたのに』
「人の形の器に入ったくらいで人間ぶるなよ! 気色悪い」
『……それは、危機感を思えて 出てきた台詞かな?』
次の台詞は吐かせまいと、番えた機矢が放たれる。しかし鏃が砕いたのは【P.and.R.A.】の顔ではなく《凄皇》の片腕だけだった。
ひとこと声を掛けておきたかったが、逆に言えばこちらもダイフクが引き付けてくれているようなものだ。自分は出来る事を、と 視界の外でポッチも構える。
「【呪印】追加呪効【遅延】、倍加発動!」
【P.and.R.A.】の守りに徹する《凄皇》の反応が目に見えて低下する。これで《王子くん一号》を直接狙えば、痛手は与えられるはずだ。
『おい、【P.and.R.A.】! お前、仲良く情報交換とか言っておいて、そのゴザル丸もどきが《加護》持ちだって聞いてないのか?』
自分でも薙刀上に組んだ機刃の鈍りを知覚しているのだろう、僅かに《王子くん一号》の音声に焦りが滲んだ。【P.and.R.A.】の口元からも笑みが消える。
『そうか、道理で』
無防備にも見える動作で【P.and.R.A.】はダイフクに背を向け、機械片の山へと向かっていく。行動の意味が掴めないまま、それでも機矢を番えるダイフクを、機刃を薙いで《凄皇》が牽制した。
『ヒトより機械物の方が好きなはずなのに、なんで私が贈った機械獣じゃなくて そんな混ざりもの 連れてるんだろうと 不思議に思ってたんだ。……なるほど《加護》持ちか。それなら 嫌でも手元に置いとくね』
『変な見た目とか女々しい人柄で選んで 飼ってるわけじゃないだろ』
確かに【大地の姫神】から《加護》を受けている身ではあるが、ダイフクが自らの懐刀として自分を傍に置くのは そんな理由などではない。勝手な計算で(おまけに大層失礼な)ものを言う機械人形どもに反論しようと拳を握るポッチを、片手でダイフクは制した。
「……ごもっともだよ、その通り。バレてしまったなら仕方がない」
「えっ……? 冗談、だよな? 相応しくないタイミングで返してるけど」
「よく思い返してみなよ、ポッチ。何っ回、俺の可愛い甲殻類型機械獣 壊した? 《大地の加護》持ちは 余計なこと出来ないところに置いておく方が、カシオペアもデメテルも、他の機械獣も安全だろ?」
熱弁しながらポッチに向き直るダイフクの表情は真剣そのものだ。いつも真面目な顔で冗談を言うから、うっかりポッチでさえ本気にしてしまいそうだった。……冗談、を言ってるだけのはず。
『《加護》、ねぇ』機械片の中から【P.and.R.A.】は無造作に刀剣のようなものを抜いた。否、機械片を組み上げ、ポッチの小太刀を真似た機刀を造り出した。
『それって、ヒトのどの部分に対して付与されているものなんだろう。生体に対してなのか、思考記録に対してなのか……もし後者であったなら、ダイフクにとって 素晴らしい提案があるのだけれど』
ポッチが一度としてした事のない(そして生涯する事はないだろう)、恋人に媚びるような笑みを浮かべ 【P.and.R.A.】は機刀の先をポッチに向けた。
『前々からダイフクが懸命に調べていた、思考記録のバックアップ基盤の製造方法を教えてあげようか。丁度いいから、《加護》持ちクンを使った実践で』
「何、ふざけたことを……ダイフク?」
ひゅっと息を吸ったきり、ダイフクの反応がない。恐る恐る窺うと、雷にでも撃たれたように【P.and.R.A.】を見つめたまま震えている。話術で隙を作っていたにしては《凄皇》が割り込んでくる様子もなかった。
ぬかった。相手は人の形をしていても機械獣だ。人間の感知できない方法で精神面に作用する妨害工作を行っていても、なんら可怪しくはない。
何はともあれ、反応を取り戻すのが先だ。
「呆けてるな!」「痛って!!」
ダイフクの横っ面に、ひと思いに裏拳を叩きつけてやった。
「なんでこっちに攻撃してくるんだよ!!」
ダイフク相手ならそれほど痛くはないだろう。予想外の攻撃を仕掛けてきたポッチに余程驚いたらしく、ダイフクは真っ赤になって睨みつけてきた。いつもの調子に戻ったようだ。
「良かった、洗脳攻撃か何かかと」
「最初っから 正気 保ってるんだけど!?」
「それならどうして、アレの言葉に耳を貸した」
ムッとした顔でダイフクも口を噤む。随分 前に探していた『思考記録のバックアップ基盤の製造方法』。その単語に意識を持っていかれたのは確かだ。ポッチに責められるのも仕方ない。
「……ポッチ、一つだけ 訊いてもいいかな」
「何だ、言ってみろ」
「お前もカニにならな」「ならない。」
愚問を発し終えるより先にぴしゃりと返された答えに、ダイフクは想定外だとでも言いたげな表情を見せた。が、軽く頭を振ったり 何度か頷いたりして気を取り直すと、真っ直ぐな眼差しをポッチに向ける。
「悪い、ポッチはエビ派だったね」
「違う、そこじゃない」
「フリソデエビになりたいって、いつか言ってたもんな」
「待って待って待って、そんな思い出は共有してないんだが!?」
「でもさ。どんなにポッチが望んでも、その願いは叶えてやるわけにはいかないんだよ」
「心より安堵」
ポッチが“本物”と呼んだテンプラとかいう人物に対し、金属卵に入っている思考記録の複製を使った人工知能は自らを『上位互換』と言った。生前の思考記録を使用した人工知能なら、ダイフクももう一つの存在を知っている。
「……ポッチも、《ミツマメ》さんと話したこと、あるだろ?」
彼女の中には自分の複製体であるアンミツの記憶しか残っていない。しかし。
「《ミツマメ》さんは、自分が男児を産んでいた過去を知らない。おそらく複製体の生成を禁じられてから、自分の体で産んだんだろうね――《カシワ・オペレーション・システム》開発者の子どもを」
《ホカンコ》でポッチの接触したテンプラという人物を検索した際、彼がカシワ氏とミツマメ女史の息子を母方の曽祖父に持つことを知った。
「いやしかし。顔には全然出ていないのに、間違いなくどっちの血も引いてるね、テンプラ君とやらは。それぞれがやったのと全く同じ事をしてる」
「同じ事?」
「自分の記憶バックアップした人工知能造ったり、地上に干渉するためのシステム構築したりさ。俺よりずっとカシワ血族らしいよ。ねぇ、パンドラ?」
自身にとっても興味深い話だったのか、黙って聞き入っていた【P.and.R.A.】は突然 話を振られ 面食らった顔をした。その後で眉間を揉み解しながら、少しばかり迷惑そうに唇を尖らせる。
『もしかして、テンプラクンの父親は私だと思ってるのかい? 心外だなぁ、私はあんな浮気性じゃないよ』
複製体と一言でいっても、その性質が均一でないことはカシワ血族そのものが証明している。彼らに継がれているのは 遺伝子とよく似た容姿だけだ。
だから、自身に似ていない容姿には 親愛の情を持つことが出来なかった。
『カガミ氏族と密に情報資料をやり取りしたいからって、ケンピ……兄さんて呼ぶ方が分かりやすいか。兄さんがこさえてきたのがテンプラクンだよ。なんだか我々の外見遺伝子は弱いみたいで、こっちの要素は 全然 見た目に出ないんだよね』
カガミ氏族の他にも いくつか有用な研究をしている氏族の女性たちに子どもを産ませていたようだが、全ては把握していない。他人の子どもなど 興味ない。
『ほら、私たちカシワ血族はセクシーなビジュアルしてるから、真面目に口説けば誰でもすぐ心を開いてくれるんだよ。……まぁ、兄さんはそれやり過ぎて 刺されて死んだけど』
「身内による犯行?」
『おっと、それに関してはノーコメントで』
白々しく口元に人差し指を当て【P.and.R.A.】はおどけて返す。話について来ているかとポッチに視線を向けると、溢れるほどの憐憫の情が浮かんでいた。
「……色気なんかなくたって、ダイフクは中身に個性があるから! 悲観するなよ」
「何で今、このタイミングで 見てくれについて慰めてくれてるの!?」
『ふふ、楽しそうだなぁ』
ポッチとダイフクのこなれたじゃれ合いに、微笑ましいと【P.and.R.A.】は目を細め――『でも』直後、手にした機刀を振り放つ。
『そこは、私の立つ場所だ。さっさと 代わってくれないか』
【月紀 8013年 11月の日記より】
ひと月ぶりにポロが遊びに来た。機械獣製作室で丸一日、話し込んでしまった。
楽しく過ごせたのに、ポロが帰ったあと 父さんにものすごく怒られた。他人に機密を話すなって。
父さんの大好きなケンピ伯父さんの子どもなのに、他人なんだ。