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第5話:そんなこと、おれにはできない。

(ここは・・・? セレインは・・・・いない)


 船の甲板から果てしなく広がる青空。大量の魚が波の揺れとともにキラキラ光る。ぽっかり浮いた雲の前には、海鳥が群れをなし、水面へ降下するタイミングをはかっていた。


(古い船だな・・・。でも、木でできてるわりには、デッキも、手すりもちゃんと手入れされてある)


 海斗は、自分の置かれている状況を確かめるように、落ち着いてあたりを見まわした。何本ものロープが目の前を交差し、マストが、3階建ての学校よりも高くそびえ立つ。長方形や三角形をした、少し黄ばんだ帆が、それぞれ風を受けて重なり合ってなびいていた。


(げっ・・・。あれって大砲か・・・?)


 海斗が甲板の両脇に目をやると、ずっしりとした鈍く光る黒い鉄の砲口が、外を向いて整列している。手すりから身を乗り出し、船体の腹の部分をのぞくと、大量の小窓から同じようなものが突き出ていた。そのまま船尾まで目をやると、いつも泳いでいるプールの50メートルほどの長さが確認できた。


(でっかい船・・・。てか、夢の中なんだろうけど、なんて格好してるんだ、おれ・・・)


 海斗は、濃い藍色の分厚いスーツのようなものを着て、その下には、襟のついた白いシャツと、綿の長ズボンをはき、黒いブーツを履いている。革のベルトには、短剣と銃が差されていた。


「カイ! そこにいたのか! メシとってきた!」


 すると、ひとりの同じような格好をした者が、両手にボウルを持って走ってきた。


「カイ?」

「はい! ちょっとしかないけど、無いよりマシだ!」

「みっ、みさき⁉︎」


 海斗は、ボウルを受け取りながら、その人物の姿をまじまじと見た。自分より、少し背が低い。髪の毛は短いが、特徴的なクリッとした目と、雰囲気は、海斗の直感がみさきだと伝えてくる。


「ミサキ? なに言ってるんだ、カイ」

「へ? あ、いや・・・なんでもない」

(なんで、みさきがこんなところに・・・っ!)

「変なの」


 そう言って、その人物は、ボウルに入った、ふやけて潰れた豆をスプーンですくった。


「み・・・みさき、なんで、男みたいな格好して、そんな喋り方をしてるの?」


 海斗の注意は、渡されたボウルよりも、途切れることなくその者に注がれている。


「ミシェル」

「へ?」

「わたしの名前、忘れたの?」


 そう言ってミシェルは、スプーンを口に入れると、豆をスープのように飲み込んだ。


「あ、ごめん。じゃあ・・・ミシェル」

「ここでは、男のように振る舞えって言ってくれたの、おまえだろ? この服を調達してくれたのも、髪を切ってくれたのも」

「え? おれが?」

「なに? もっと感謝しろって言ってる?」

「あ、え?」


 海斗は、まるでミシェルのひとり劇場に放り込まれたかのように、圧倒される。


「じゃあ、ちゃんと言う。あのときは、ありがとう。暴力の絶えない父親から逃げて、積荷にまぎれてたところをかくまってくれた。本当に感謝してる。これでいい?」

「・・・・・・」

(へぇ、おれがそんなことを・・・。妙にわかりやすく話してくれるのは、セレインが送信してるからか?)


 海斗は、ミシェルの短い髪の毛が潮風でなびく様子を、静かに見つめる。


(だ、だったら、もっと聞かないと!)

「えっと、ミシェル。おれたちは、この船でなにをしてるの?」

「・・・カイ? 本当にさっきから変だよ。大丈夫?」


 ミシェルは、スプーンを置き、海斗の顔をのぞき込んでじっと見つめた。


「・・・っ!」

(その目・・・っ! や、やっぱり、みさきにしか見えない!)

「あ、わかった。今度は、わたしがちゃんと仕事内容を理解してるか、試してるんだろ」

「へ? あ、うん!」


 海斗は、不安定なささ舟を、なんとか川の流れに乗せるように答えた。


「じゃあ、言うけど、国王から預かった荷物を、この海峡を超えた陸に運んでいる。あと、お役人や商人たちを安全に目的地に送り届けるのも、わたしたちの仕事だ」

「へ、へぇ・・・」

「なに? からかってる?」

「い、いや! そんなわけじゃないけど・・・っ!」

(そんな船に乗ってるんだ・・・。じゃあ、おれとみさきは同僚ってことか。よし、次の質問は・・・)


 海斗が、まっすぐみさきを見たときだった。



「からかいたきゃ、からかっていいよ」



 そう言ったミシェルが、こちらを見て、おだやかな顔で微笑んでいる。


「へ?」


 海斗のささ舟は、川べりでクルクルまわるように、方向感覚を失った。


「わたしは、ずっと奴隷みたいなもんだったから。物心ついたころから、心もからだも、すべて相手の思うままで生きてきた。だから、いまさら、どうってことない」

「ミシェル・・・?」


 ミシェルは、空を見上げ、太陽が分厚い灰色の雲に隠れていく様子を見つめる。


「カイは、わたしを道具とか、欲のはけ口とかじゃなく、ひとりの人間として扱ってくれた。それだけで十分。だから、もし気が変わったんなら、それでもいい」

「みさ・・・じゃなくてミシェル! おれは、そんなつもりで声をかけてない!」


 海斗は、ミシェルの両肩をつかみ、ミシェルの視界に自分を入れる。豆のボウルは、デッキで跳ね上がり、中身を飛び散らせた。


「カイ・・・?」

「へ? あ、ごめん!」

(おっ、おれはなにを言ってるんだ・・・っ!)


 海斗は、慌ててミシェルの肩から手を離し、一歩下がった。ミシェルは、ほおを赤く染め、胸のあたりを押さえている。


「カイ・・・。なんだかわからないけど・・・このあたりがジリジリする。走ってもないのに、心臓がドクドクして、熱い・・・」


 ミシェルは、瞳を潤わせながら、海斗をまっすぐ見て言った。


「ミシェル・・・」



 ピカッ―――。



 そのとき、稲妻が水平線に向かって、空を真っ二つにした。続いて、重く鉛のような灰色の雲が、大泣きするように雨水を落としてくる。そして、からだの核を砕くような音を立てて、雷が落ちた。海斗とミシェルは、身をかがめ、反射的に両手で頭を押さえる。


「・・・っ! カイ! 帆をたたむぞ! 嵐が来る!」

「あ、ああ!」


 そう言ってミシェルは、食べかけのボウルを放り投げ、マストに向かって走り出した。海斗は、意識よりも先に動くからだに身を任せ、ミシェルのあとに続く。大砲が顔を出していた小窓からは、積荷が投げ出され、船底から湧くように出てきた他の船員も、慌ただしくデッキを駆けまわる。水が船内に入らないように、開口部という開口部を閉め、手すりを超えてデッキに打ちつけてくる高波に抵抗した。


(なんだ、この嵐! こんなの、振り落とされたら、ひとたまりもない・・・っ!)


 海斗は、ミシェルといっしょにマストにしがみつきながら、矢のように降ってくる雨と、からだを破壊するような風圧に耐える。加えて、数メートルの高さに船を持ち上げ、繰り返し落としてくる切り立った崖のような波は、容赦なく船にダメージを与えていた。まるで、目の前にいるミシェルとはぐれたかのように、彼女の声はかき消され、目を開けていられない状態になった。


 メキメキメキメキッ・・・。


 船がボロ雑巾のようにねじられ、あちらこちらから、いまにも断裂しそうな音が耳に入ってくる。波に対して垂直になるたびに、船員が海に投げ出され、海斗は、はかなく消えていく声に、恐怖で狂わされそうになっていた。


 ついに、船艇の背骨が折れ、ふたりは海に引きずり込まれた―――。


 海斗は、薄暗い海中で、手足をばたつかせながらミシェルに手を伸ばす。からだを押さえつけてくる海水のうねりと、飛び交う鋭い木材に邪魔をされ、海斗は、ミシェルに目を合わせたまま、どんどん遠ざかってしまう。


(冗談じゃないっ! ミシェル!)


 海斗は、競泳モードに切り替え、沈んでいくミシェルに向かって泳いでいった。砕かれた細かい船のパーツが、散乱銃のようになって海斗のほおや耳をかすめる。とうとう、限界になった息と体力は、手を伸ばすミシェルの姿をかすませ、海斗の意識を霧の向こうに追いやっていった。


 そこへ、ミシェルの背後から、ものすごいスピードで、なにかが突貫してくるのが見えた。


(・・・っ! セ、セレイン⁉︎)


 海斗は、それがセレインだと認識するやいなや、セレインに腕をつかまれた。そして、筋肉と関節が引きちぎられるような負荷とともに、海面に浮上していく。


(ミッ、ミシェルーーーーッ!)


 海斗の心の叫びもむなしく、ミシェルの姿は藻屑と化し、海底の暗闇に消えていった。その直後、海斗の視界は回転し、全身の血が抜かれていくように意識を失う。



 数時間後―――。


「は・・・っ!」


 海斗が目を覚ますと、地肌がむき出しになった陸で、うつ伏せになっていた。太陽の光で虹色に輝く漆黒のウロコ。そこに、セレインが長いプラチナの赤髪に指をからませながら、腰をくねらせて座っている。


「セ・・・セレイン」


 そう言って海斗は、四つん這いになり、ゆっくり地面からからだを起こした。すると、セレインは、海斗と目を合わせるなり、頭から海に飛び込んで姿を消した。


「お、おい! 待て、セレイン!」


 海斗は、体勢を崩して地面で胸を打つ。とっさに手を伸ばすも、水平線といっしょに視界がぼやけていった。



 次に、海斗が意識を取り戻すと、からだの重さを全く感じなかった。


(こ、ここは・・・?)


 目の前を小魚が行き交い、見上げると、太陽の光を遮りながら、海ガメがゆったりと横切っている。


(う、海の中・・・? でも、息ができる・・・)


 海斗が、ふと目線を下すと、白くて丸い柱が力強く並ぶ、神殿のような建物が見えた。意識だけが浮遊する海斗は、まるで天地の理に逆らうように、壁をすり抜け、内部に潜入する。


(セレイン? あんなところで、なにしてるんだ?)


 石が敷き詰められた、だだっ広いスペース。六人の長老らしき者が、セレインを中心に、雪の結晶を描くように、等間隔に立って取り囲んでいた。それぞれ、うねりのある白髪をオールバックにしている。顔の半分は、長いひげで覆われ、表情がよく見えない。さらに、足元を隠す布切れは、それらが一体、人魚なのか人間なのかさえ、海斗には判断できなかった。



「セレイン。汝は、先日の狩りにおいて、大きな過ちを犯した。我々の大事な食糧である人肉を持ち帰らず、あろうことか、それを助ける行為に出た。人魚界の掟を破ったものが、どうなるかわかった上での行いか?」


 セレインは、下を向いたまま、微動だにしない。


(なんか責められてる・・・? セレイン、なにも答えないのか・・・?)


 海斗は、セレインらしくない、しとやかな態度に困惑する。


「神から与えられた我々の存在意義と役割を忘れ、己のエゴに誘惑された愚かなセレインよ。これから、神による処分が下される。最後に言い残すことは?」


 すると、セレインは、ゆっくり顔を上げた。


「わたしは・・・どうなりますか?」

「知ってのとおり、汝の魂は、肉体と切り離され、再び神のゆるしを得るその日まで、暗闇をさまようことになるだろう」

「・・・・・・」


 セレインは、首を垂らし、横に流れる赤髪で顔を隠して黙り込んだ。


(セレイン・・・・)



 カァァァァァァァァ―――。



 すると、六人の長老たちは、それぞれ自分の場所から、右の手のひらをセレインにかざし、光を照射しはじめた。目を開けていられないほどの光は、セレインを包み、筒状になって、まっすぐ天に向かって伸びていく。その光の柱は、セレインをゆっくり浮かび上がらせ、彼女の肉体を削いで分解していくように、跡形もなく消し去った。


(・・・っ! セレイン!)


 そうして海斗は、薄目を開けながら、事のてん末をしっかり見届けた。 



「・・・・・・」


 海斗は、からだの重さを感じるとともに、ぼんやりと、薄暗い部屋の天井を眺める。



「おかえり! 海斗!」



 セレインのみなぎる声が、容赦なく鼓膜を破った。海斗は、綿のようにふわふわしている頭を支えるように、右手を額に当て、ゆっくり起き上がる。


「・・・なんだよ、あれ」

「・・・? わたしの記憶を見せるって言った」

「そうじゃなくて、なんで・・・おれを助けた」


 海斗は、直球をぶつけるように言った。セレインは、静かにベッドのそばでS字を描いて立ち上がる。


「わからない」

「自分が・・・どうなるかわからなかったのか? それに、なんでミシェルじゃなくて、おれなんだよ」


 海斗は、目覚めの悪さにイラ立ちを隠せず、横目でセレインをにらみつけた。


「たまたまだよ。理由なんて、ない」

「た、たまたま・・・って」


 海斗は、即答するセレインを前に、言葉をのみ込んでしまう。


「海斗。わたしは、自分のからだを取り返したい」

「は・・・?」


 海斗がまばたきをして顔を上げると、セレインは、閉められた窓のカーテンからこぼれる光を背に浴びて、海斗をまっすぐ見ていた。いつになく真剣な眼差しに、海斗の心がグッと引き込まれる。


「取り返す・・・って、どうやって・・・?」

「あのとき、わたしが海斗を助けなかったことにしてほしい。そうしたら、過ち、犯さなかったことになるから、からだを取られる理由もなくなる」

「じゃあ、いまの、そのからだはなんだよ。ハリボテ?」

「ハリボテ?」

「偽物かって聞いてるの」

「このからだはコピー」

「・・・コピーっていう言葉は知ってるのか」


 海斗は、眉間にシワを寄せ、再度、右手を額に当てた。


「でも、どうやっておれを助けなかったことにするんだ? そんなこと、できるのか?」


 海斗は、足を床に下ろし、からだをセレインの正面に向けて言った。 


「できる。海斗が、自力で助かればいい」

「・・・そんなの、おまえがおれを無視して、陸に上がればいいだけの話じゃないか」

「海斗を死なせることはできない。それは決まっていることだから」

「・・・? ・・・?」


 海斗は、セレインの話の理解が後手にまわり、頭を抱える。


「ちょっと待て。そんなことより、おれは、ミシェルを助けたい」

「無理。ミシェルは死んで、海斗は生き残る。これは変えられない」

「・・・っ!」


 海斗は、勢いよく立ち上がり、セレインの赤髪が、カーテンに触れるところまで詰め寄った。


「おれにあんなの見せといて、ミシェルを見捨てろって言うのか⁉︎」


 セレインは、海斗を見上げ、氷のように表情を変えず続ける。


「ミシェルを助けようとしなければ、海斗は水面まで浮上できたはず」

「・・・っ! そんなこと、おれにはできない!」

「できるまで、わたしは海斗を、あの場面に何度も連れていく」


 海斗は、からだをナイフで切られるような思いにかられ、髪の毛を逆立たせた。


「おまえは、おれに、ミシェルが沈んでいくところを、何度も見ろっていうのか⁉︎」

「関係ない。500年待った」

「か、関係ないって、なんてやつだ・・・っ!」


 そう言って海斗は、会話を投げ捨てるように、セレインに背を向けた。


「でも、海斗もわたしを呼んだんだよ」

「は? そんな覚えは、一切ない」


 海斗は、一線を引くように冷たく突き放した。


「海斗とわたしの魂に、共鳴と共振が起こったから、こうやって会えてる」

「共鳴・・・? 共振・・・?」

「うん。海斗が、あの場面を構成する要素に触れたとき、魂がなんらかの反応を示したはず」

「・・・おまえ、なんか難しい言葉知ってるな」

(こいつ、ばかなフリしてるけど、ほんとは・・・)


 彼女の異様なまでの口調の変化は、心臓のまわりに壁を築かせ、海斗を身構えさせた。


「確かに、林間学校で溺れそうになったときと、みさきと手を合わせたとき、変な音が聞こえた」

「わたしは、それに導かれた」

「でも! おまえが姿を現すまで、おれは、おまえのことなんて、知りもしなかっただろ⁉︎」

「わたしと500年前に会ったこと、海斗の血が覚えてる」

「・・・っ!」


 海斗は、無意識に手のひらと甲の血管を見て、ゴクリと生唾をのみ込んだ。


「それに、ミシェルを見たとき、すぐに、それがみさきだとわかったはず。みさきは、ミシェルの生まれ変わりだから」

「うっ、生まれ変わり・・・⁉︎」


 セレインは、コクッとうなずいた。


「話がそれた。つまり、海斗の魂もわたしを必要としてるってこと。わたしを助けることで、海斗の目的が果たせるから」

「お、おれの目的? なんだそれ」

「それは、海斗にしかわからない」

「・・・・・・っ!」


 海斗は、とうとう脳みその回路がショートし、頭の中が煙でいっぱいになった。そして、糸が切れた人形のように、ドサッとベッドに腰を下ろした。


「・・・もういい」

「海斗?」


 海斗は、息を吐き出して背中を丸める。


「過去を変えられるんなら、おれは、ミシェルもおれも助かる方法を考える」

「さっきも言った。それは不可能。ミシェルが死ぬことは、変えられない」

「だったら、おれは、なんの目的を果たしたいって言うんだ! それに、おまえも変えようとしてるだろ⁉︎ なにが違う!」


 海斗は、頭を上げて、のどが潰れそうな声を出して言った。


「そこで死ぬ人を無理やり生かすのと、結果を変えずにプロセスを修正するのとでは、全然違う」

「・・・っ! そんなの、屁理屈だ・・・っ!」

「関係ない。本当のことだから」

「・・・・・・っ!」



 海斗は、ふうっと息を吐き出し、しばらくの間、黙って下を向いた。



(だめだ・・・一旦、落ち着こう。おれだけが感情的になってる。セレインは、合理的に話をしているだけ。余計な感情なんて持ち合わせていないんだ。そんなやつに、取り乱してどうする。ミシェルを助ける方法は、あとで考えよう)



 海斗は、テレビの画面をバチッと消すように、気持ちを切り替えた。


「おまえの目的はわかった。最初に言ったとおり、おれは、おまえに協力する」

「きゃは! ありがとう! 海斗!」


 そう言ってセレインは、海斗を抱きしめた。


「その代わり、おまえも、おれに協力しろ」

「うん! なにをすればいい?」


 セレインは、海斗の股の間に尾ひれをおさめ、顔の近くで目を輝かせて言った。


「どれくらいの間、連続しておれのからだの外に出ていられる?」


 海斗は、セレインを座らせたまま、会話を続けた。


「う〜ん、お日様が顔を出してるくらいの長さだったら、大丈夫だと思う」

「・・・日照時間ってこと?」


 そう言って海斗は、ベッドに転がるスマホに手を伸ばし、都内の日照時間を検索した。


「一日五〜六時間ってとこか・・・そこまで長くないな。学校だけだったらいいけど、部活があるし、通学の時間も考えると、家には置いとけない・・・か」

「海斗?」


 セレインは、スマホで青く照らされる海斗をのぞき込んだ。


「わかった。学校には連れて行く。部活のときは・・・おまえ、ロッカーにいろ」

「え〜、つまんなーい!」

「おれは、二度と、50メートルを3秒なんかで泳ぎたくない。思い出しただけでも吐き気がする」

「わかったよ〜」


 セレインは、フグのようにほっぺを膨らませ、返事をした。


「あと、なんにもないとこから、どうやって水を出した?」

「テレポートのプログラミングをしてきた」

「テ、テレ・・・ポート・・・? まあ・・・いいや。水以外は出せるのか?」

「ううん、水だけ」

「そうか。じゃあ、二度と人の顔を覆って、息ができなくなるようなことはするな。絶対だ」

「なんで?」


 セレインは、空から石が降って来たように、呆気にとられた顔をして言った。


「おまえにとって、人を殺すことなんて日常茶飯事だったんだろうけど、人間界ではやっちゃだめなの」


 そう言いながら海斗は、そっとセレインを自分から剥がすようにして、立ち上がった。


「ん? ちょっと待てよ・・・。おまえ、もしかして長老たちと話してるとき、自分のからだにもプログラミングしてた?」

「きゃはっ! バレた⁉︎ プログラムに集中しすぎて、長老たちがなにしゃべってたか、全然覚えてなーい」

「やっぱそうか。黙ってるおまえの姿、違和感だらけだったから、おかしいと思ったんだ」


 海斗は、胸のつっかえが取れ、声のトーンを上げて言った。


「ほかに、話してないことは?」

「・・・ない」

「そうか。じゃ、話はこれで終わり。おれはなんか食べて、体力を戻す!」


 海斗は、手を打つようにして、キッチンの方へ向かった。部屋に残ったセレインは、遠のいていく海斗の足音に耳を傾けながら、取り澄ました顔で目を伏せた。



 次の日・1年7組―――。


「あ、結城くんだ」

「結城くん、おはよー」

「なんだよ、結城〜。昼休みに登校なんて、部活だけしに来たのか〜?」


 海斗は、教室中にお弁当の匂いが広がる時間に登校した。うしろの扉から入り、窓際の自分の席に向かいながら、みんなに小さく手を上げて返事をしていく。


「おっす、海斗。もういいのか?」


 海斗が席に着くと、いつものように田辺が話しかけてきた。


「おっす、潤。うん、大丈夫。放課後の部活には出る。昨日はごめん」

「それはいいけどさ。なんかあった?」

「ん?」

「なんか、昨日のおまえ、らしくないっつーか・・・困ってることがあったら、言えよな」


 田辺は、海斗の前の机に腰かけ、海斗を見下ろすようにして言った。


「・・・じゃあ、言うけど。500年前からきた人魚が、おれの中に住み着いて、過去の過ちを無かったことにしたいと、助けを求められてる。でも、おれは、どうやって助けたらいいのかわからない」


 海斗は、田辺を直視して、流がれるように話した。


「・・・・・・おまえらしいごまかし方だけど。ま、本当のこと、しゃべりたくなったら、いつでも聞くからな〜」


 そう言って田辺は、顔色ひとつ変えず、自分の席に戻っていった。海斗は、田辺の背中にふっと笑みをこぼす。


(そう・・・セレインは、きっと、すべては話していない。都合の悪いことは隠しているはずだ)


 海斗は、遠くを見つめ、机の上で組んだ手に力を入れた。


(あいつは無理って言ったけど、おれはミシェルと助かってみせる。どうせ、夢の中で起きてることなんだ。何度だってトライしてやる)



 放課後・更衣室―――。


「じゃ、泳いでくるから、ここでおとなしくしてろよ」


 そう言って海斗は、縦長のロッカーに顔を突っ込み、セレインに念を押した。


「つまんない」


 セレインは、フグのようにほっぺたを膨らまして言った。


「そんな顔すんなよ。おれは、今晩からおまえに協力するって言ったろ? 閉めるぞ」


 そして、セレインは、蛍光灯が差し込む小さな通気口から、更衣室から去っていく海斗の姿を見届けた。



 数時間後―――。


 部員が帰ったあと、海斗と田辺は、感情をどこかにしまい込んだように、数十キロを無心で泳いでいた。体内に流れこむ大量の酸素は、ふたりのからだを鉛のように重くさせ、心臓と肺の機能を限界まで高めている。そして、ふたりは、水の膜を破るようにしてプールサイドに上がり、更衣室に着くまでに体力の回復につとめた。


 海斗がロッカーを開けると、セレインが、スクールカバンをベッドにするように、小さく丸まって寝ていた。


(我慢しろとは言ったものの・・・なんか、牢屋に閉じ込めているようで、いい気はしないもんだな)


 海斗は、小さくため息をついた。


「海斗! すまん、りさが待ってるんだ。今日も鍵閉め頼むな!」

「おう、わかった、潤」


 海斗は、ロッカーの扉を半分閉めて返事をした。田辺は、海斗を拝むようにして、更衣室の扉にぶつかりながら出ていった。


「海斗〜?」


 セレインは、シャープに差し込んでくる蛍光灯の光を、手のひらで遮りながら言った。


「待たせたな。練習、いま終わった」

「きゃはっ!」


 セレインは、まるで甘いハチミツの中に飛び込むように、海斗の中に入っていった。そのまま喜びを増幅させるように、海斗のからだを数往復して、あり余った活力を発散させる。そして、海斗のほおが、ふっとゆるまった。



「雨が止んでる・・・」



 海斗が更衣室を出ると、校舎の間を占める濃い灰色の雲から、久しぶりに小さな星が顔を出していた。



 海斗は、いつもどおり、鍵の返却で職員室を経由し、薄暗いアスファルトを歩いて校門に向かう。すると、足元に、まるでマッチ棒のような三つの人影が出現し、海斗の行く手をはばんだ。


「・・・?」


 海斗は、立ち止まって顔を上げ、外灯で逆光になる三人に目を移す。


「よう、結城 海斗。待たせやがって」


 じっとり湿った声が、海斗の耳にまとわりついた。


(・・・だれだっけ)

「昨日は、ふざけたマネしてくれやがって」

「昨日?」


 海斗は、記憶の糸をたぐり寄せ、ゆっくりと、目の前のシルエットを思い出した。


「あ・・・」

(セレインの餌食になった・・・)

「あ・・・じゃねーよ! 三年の佐竹さんを忘れるな!」

「なめんじゃねーぞ、一年!」


 佐竹の両脇を固める木下と奥野は、たまらず身を乗り出し、牙を向けた。


「ちょっと、おれたちと付き合えよ」


 佐竹は、まわりの空気を圧迫するような、ドス黒い気を放ちながら言った。


「・・・やだ」


 海斗は、一滴の雨粒のような水が、佐竹たちの背後で、徐々に大きくなっていく様子を見ながら答えた。


「この・・・っ! どこまでもなめやがって!」


 佐竹は、地面を蹴り、海斗の顔に向かってこぶしを振り上げた。その瞬間、海斗は躊躇なく佐竹に向かって走り出し、体勢を低くして両脇のふたりを縫うように校門を駆け抜けた。


「あっ! 逃げやがった!」

「佐竹さん、あいつ、逃げましたよ!」


 佐竹のこぶしは見事に空を切る。ついで、その場で踊るようにして二、三歩進み、左足で踏みとどまった。


「のやろ・・・っ!」


 佐竹のこめかみに、血管が浮かび上がり、ミミズのように波打った。そして、車を急発進させるように、海斗のあとを追いはじめる。



「おれたち水泳部に、なんか用か? 佐竹」



 校門を出た瞬間、阿修羅のような形相をした男に遮られ、佐竹は、急ブレーキをかけた。


「げっ! 茂木・・・っ!」

「うわっ! 佐竹さん!」


 木下と奥野は、つま先で全体重を支え、佐竹に追突する寸前で止まった。


「結城がなにかしたのなら、主将のおれが、責任者として話を聞くが」

「ご丁寧に、練習が終わるまで待ってたくらいだ。それなりの理由があるんだろ? 佐竹」


 そう言って三浦は、茂木の背後から姿を見せ、メガネの奥から鋭い眼光を放った。


「み、三浦、おまえまで・・・っ!」


 佐竹は、頭の回転が間に合わず、言葉がのどをつっかえる。茂木は、佐竹を自分の影で覆いかぶさるまで近づき、ゆっくり口を開いた。


「理由がないのなら、結城に手を出すことはゆるさない。今度、もし、同じようなことをしたら、おれたちを敵にまわしたとみる。いいな」

「ぐ・・・っ!」


 佐竹は、心臓がにぎり潰されるかのように、恐怖でおののいた。


「いくぞ、三浦」

「ああ」


 茂木は、静かに背を向け、三浦とともに丘を下っていった。


「さ、佐竹さん・・・」


 佐竹のうしろに身を隠すようにしていた木下は、様子をうかがうように言った。


「くっそ・・・っ!」


 佐竹の腹の中で、ひとつの山を内側から砕き上げるほどの怒りが、ぐらぐらと煮えたぎる。それは、耳と鼻の穴から蒸気を発し、彼の顔をゆでだこのように真っ赤にさせた。



 電車内―――。


「海斗、なんで逃げた?」


 セレインは、電車内に広がる音振にまぎれながら、海斗の胸元から話しかけた。


「あいつらの目的がわからない」


 海斗は、窓に流れていく煌々とした明かりを放つ住宅街を眺めながら言った。


「やっつけちゃえばいいのに」

「だから、それをする意味がわからないって言ってるだろ。おまえは血の気が多すぎ。攻撃しようとしてたの、わかってたからな」

「きゃはっ! バレてた!」

「ったく・・・」


 そう言って海斗は、セレインから夜景に目を移す。カーテンが開けっぱなしにされた団地の一角から、風呂上がりの子供がおもちゃを持って、走りまわるのが見えた。河川敷に沿って立ち並ぶ工場は、一日の仕事を終え、赤やオレンジの光を点滅させながら、真っ暗闇に浮かぶ孤島のように、静かにたたずんでいる。それは、いつの間にか、海斗の中で、昨夜の薄暗い嵐の海の映像に変わっていたのだった。

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