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第1話:あ、結城 海斗います。

 冷房がついてるはずなのに、お尻の割れ目と股下が湿ってる。ベタつく首筋に襟足が張りつき、脇の下から噴き出す汗が、皮膚を伝ってブラジャーに染み込んだ。厚みのあるブレザーをハタハタ揺らすと、生ぬるい風があごに当たる。みさきは、スクールバッグからスマホとイヤホンを取り出し、扉付近の外気で身を清めながら電車に揺られていた。 

 連続でコピペしたようなマンションと戸建てが、広告のステッカーの向こう側を通過していく。無理やり埋め込まれたような小さな公園に、淡いピンクの絨毯が敷かれていた。それを演出した一本の桜が、はかなく散る花びらと、したたかな新芽を同時に見せ、どちらを選ぶか、人々を試すようにしてたたずんでいる。みさきは、おもむろに、流れる景色に透き通って映る自分に焦点を当てた。家の洗面所にいるかのように、前髪をチェックし、肩まで下りたストレートの黒髪を耳にかける。シワひとつない、薄茶色で焦茶と赤のラインが入ったチェックのスカート。ふくらはぎを包む紺色の靴下と、ツヤのある黒のローファーがピカッと光る。ふわっとした濃い赤色のリボンと、エンブレムのついたベージュのブレザーが、よく似合っていた。

 停車駅のホームには、仕立て下しの学生服やスーツに身を包んだ人が目立ち、4月独特の緊張と不安、やる気と希望が入り混じった空気を充満させている。徐々に、ねばっとした人間の脂の匂いが鼻にまとわりつくほど混み合い、みさきは、車内の中央付近まで押しやられていった。


 今日は、高校の入学式。本来ならば、はじめての電車通学に胸を踊らせるはずだったのだが・・・。


(いま、わたし・・・痴漢にあってるよね)


 みさきは、からだを硬直させたまま、ゴクリと唾をのみ込んだ。指先から血の気が引き、からだが小刻みに震え出す。四方は、スーツを着た男性の背中しか見えないのに、知らない分厚い手のひらが、自分のお尻をつかみ、手形がはっきりわかるほどまさぐられている。


(ど・・・どうしよう。やだ・・・怖い)


 心臓が、サイレンを鳴らすように、心拍数を上げてくるが、のどが締めつけてきて声が出ない。とうとう、沼に沈んでいくかのように、涙目になって息ができなくなった。


(だれか・・・助けて!)


 みさきは、肩から下げたスクールバッグをにぎり締め、真っ暗になった視界から、祈るように心の中で大声を上げた。



「やめろ」



 男性の声がしたと思った瞬間、分厚い手がお尻から離れた。そして、微動だにしなかったスーツの背中に亀裂が入る。


「いてててて・・・っ! す、すいません!」


 そこに、手首をひねり上げながら、中年の男に、にらみをきかす青年の姿があった。


(お、同じ制服・・・)


 軽くウェーブのかかった前髪が、キリッとした眉に刺さるようにして流れている。耳元と襟足は短く、頭頂部のくせっ毛のあるボリュームが、頭の形をきれいに魅せていた。みさきは、彼の美しい目鼻立ちと、引き締まった口元、きれいなあごのラインを横目に、開いた扉から人波にのまれるようにして、駅のホームに流される。そして、引き返すチャンスも与えられず、そのまま改札を出てしまった。



 星ヶ丘高等学校・1年7組―――。

 

「あ、みさき。おはよ」


 みさきが教室に入ると、中学からの親友・りさの、しとやかな声が聞こえた。真ん中でわかれた前髪から広いおでこが見える。大人っぽい瞳と、左耳のうしろでひとつにまとめられた髪の毛が、みさきの心を落ち着かせた。そして、一気に視界がぼやけ、ダムが崩壊したように涙がほおを伝う。


「ん? どした?」


 みさきは、髪の毛で顔を隠すように下を向き、肩を震わせた。


「はぁ? 電車で痴漢にあった⁉︎」


 りさは、みさきをのぞき込むようにして叫んだ。


「ええ〜ん、怖かったよ〜!」


 みさきは、りさのふくよかな胸に飛び込み、安堵とともに、涙と感情をダダ漏らす。


「よしよし」


 そう言ってりさは、小柄なみさきを包み込んで、やさしく頭と背中をなでた。


「おっす、みさき! おれも一緒のクラス・・・って、なんで泣いてんだ⁉︎」


 中学からの同級生・亮太が、しっぽを振る犬のように近づき、猫のようにうしろに飛び跳ねた。りさは、虫ケラを見るような目で亮太の前を通り、中央付近のみさきの席に座らせる。


「そいつ、絶対に許さねー。みさきを泣かしやがって」


 話を聞いた亮太は、刈り上げた短い髪の毛を逆立たせ、眉間にシワを寄せて言った。そして、一重の目を尖らせ、熱いこぶしをパチンと手のひらに当てる。


「はぁ・・・あんたに、なにができるってのよ」

「るせー。おれは、友達を傷つけるやつは許さねーんだよ!」


 亮太は、奥歯まで見えるほど口を大きく開け、冷ややかな目をするりさに物申す。


「亮太、ありがと。その気持ちだけで嬉しいよ」


 みさきは、濡れたまつ毛と上目遣いで、亮太に精一杯の笑顔を見せた。


「おっ、おう!」


 途端に、亮太の顔が、ゆでダコのように赤くなった。まるで、単車のエンジンのような鼓動が、からだ中を駆けめぐる。


「みさき・・・あんたは、すぐそうやって・・・」


 そう言ってりさは、亮太を見つめ続けるみさきに頭を抱え、灰色のため息をついた。



「よーし。いまから出欠をとって、体育館に移動するぞー」



 すると、担任の須藤が教室に入ってきた。タブレットに目を落としながら、淡々と生徒の名前を読み上げていく。保健・体育の教師になって12年。ワックスをつけた七三のショートヘアには、銀色のラインが目立ってきていた。学生時代に鍛えた逆三角形の筋肉がバランスよく残り、手入れされたヒゲは清潔感を漂わす。それは、男子生徒には到底追いつけない、大人の男のフェロモンをかもし出していた。普段、ポロシャツにスウェット、スニーカー姿だが、今日だけはスーツを着て革靴を履いている。


 心地よく、安定した親しみやすい声―――。


 女子生徒の肌は明るく透き通り、瞳をキラキラ輝かせながら、須藤の所作を見つめていた。一方、男子生徒は、無意識に構えていたこぶしを、丁寧にしまうようにして敵対心を解く。


「結城 海斗・・・だけ来てないか。まいったな。新入生代表の挨拶を頼んでいるのに」


 そう言って須藤は、プチッと画面を暗くした。


「あ、先生〜。海斗のやつ、いま駅を出たそうでーす」


 うしろの方から、ひとりの生徒が、スマホを片手にポップな声を届けた。


「おお、そうか。え〜っと、田辺 潤。じゃあ、全力ダッシュで、直接、体育館に来いと伝えてくれ」

「うっす」


 そう言って田辺は、クラス全員の視線を浴びながら、スマホに親指を滑らす。はっきりした目鼻立ちをしていて、斜めに流れる短髪の前髪が、ヘアワックスで光っていた。


「大丈夫だとは思うが・・・もし、結城が間に合わなかった場合、斉藤 りさ、君が代役だ」


 須藤は、教卓の前に座るりさに向かって言った。


「わたし・・・ですか?」


 りさは、少し眉をゆがませ、須藤を見上げて言った。


「ああ。入試で、トップの成績だったからな」


 須藤は、歯切れよく言った。


「おお〜。すげーな」

「じゃあ、結城ってやつは、なんだ?」


 教室の空気が、どよめく。


「結城は、スポーツの特待だ。じゃ、体育館に移動するぞー」


 須藤は、ざわめいた中から巧みに質問を拾い上げ、端的に答えて廊下に出た。


 その高校は、最寄駅から十分ほど歩いたところの、小高い丘にあった。学校の塀から歩道に顔を出す桜が、やわらかい花びらのシャワーを歩行者に浴びせ、まるで、青い空を見上げるように促している。『星ヶ丘高等学校』と彫られた校門。今日は、『入学式』という看板も建てられ、両脇の花壇が、色鮮やかなパンジーを乗せて、生徒や保護者たちを迎えていた。整備されたきめ細かいアスファルトを歩き、三階建ての白い校舎が、ドミノのように重なり合って整列している。渡り廊下からアクセスできる中庭には、明るい茶色のレンガ道に沿って、いくつものベンチと、緑の広葉樹、散髪したての植木が憩いの場を作り上げていた。コンクリートの階段を大股で10段ほど下りると、線路や町を一望できるグラウンドがあった。斜面には寝転びたくなるような青緑色の芝生が植えられ、心地よい風が流れ込んでいる。



 体育館―――。


 ドーム型の高い天井に、白い鉄パイプが張り巡らされている。2階部分の両サイドに連なる窓から、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、碁盤の目のようにきっちり並べられたパイプ椅子がキラリと光る。その数は、ゆうに800脚を超え、出入り口から舞台に向かって、まっすぐ突き抜ける、一本の通路を作り上げていた。後方には、同じような背格好をした保護者が、遠慮気味に席を詰めていく。母親の出席率が高いせいか、まるで、おかめしか置いていないお面屋のように、真っ白な顔のキャンバスに、お絵かきをしたような眉と、真っ赤な口紅が妙に目立っていた。鼻がもげそうになる香水の匂いが、体育館全体を包んだころ、校長や来賓が舞台上に着席する。そして、緊迫する空気の中、新入生一同を待っていた。



 教頭のざらついた声の開式の辞で、入学式がはじまった―――。



 1年7組は、体育館に続く廊下で、入場の合図があるまで待機していた。田辺は、コソッとスマホをのぞき、海斗からのメッセージを確認する。すぐに、前方にいる須藤と目が合い、身振りで、まだ来てないことを伝えた。10組分の新入生が入場して全員着席するころには、さすがの須藤も、焦りの陰が見え隠れしていた。



 式は滞りなく進み、海斗が不在のまま、新入生代表挨拶の項に移る―――。


 

「新入生挨拶。新入生代表、1年7組・結城 海斗」



 深い海の底のように静まる会場―――。



 須藤は、姿勢を低くして教頭の方に向かい、耳打ちをした。それまで、碁石のように動かなかった参列者の頭は、海に浮かぶワカメのように揺らぎはじめる。教頭は冷静にうなずき、改めてマイクに口を近づけた。


「失礼いたしました。え〜、結城 海斗は、本日欠席のため―――」

「あ、結城 海斗います」


 すると、教頭の言葉を遮って、保護者のうしろの扉から、ひとりの生徒が入ってきた。みさきは、その声を聞くなり、勢いよくからだをひねらせる。そして、通路の真ん中を歩く人物を見た瞬間、首筋の細胞がビリビリ騒ぎ、のどの筋肉がギュウッと収縮した。


「・・・あいつ、絶対、全力ダッシュしなかったよな」

「ああ。ちょっとでも走ったら、こんな遅れてないだろ」


 事情を知っている7組の男子は、会場のざわめきに便乗して静かにツッコミを入れる。田辺は、ひとり涼しい顔をして、その場をやり過ごしていた。須藤は顔を引きつらせながら、田辺に視線を送る。


 海斗は、さざ波のように揺れる体育館の中を、さっそうと歩いて舞台に向かった。


「にしても、背、デカくね?」

「確かに。180はあるんじゃねーか?」

「ほんとに高一かよ」


 7組男子は、ここぞとばかりにおしゃべりを続けた。保護者たちは、海斗の長い手足と、男性教師よりも広い肩幅に目と心を奪われる。美しい骨格にブレない体幹、さらに、キュッと引き締まった腰まわりは、ブレザーの上からでも垣間見えた。濃いグレーのズボンは、ヘコんだお腹からまっすぐ伸び、モデルがランウェイを歩くような、堂々とした立ち振る舞いは、年齢と性別を超えて魅了した。


「りさ、あの人だ」

「へ?」


 みさきは、隣にいるりさの袖口を引っ張り、小声で話しかけた。りさは、ちょうど横を通り過ぎる海斗から、みさきに視線を移す。


「今朝、電車で助けてくれた人。いっしょのクラスだったんだ。あとで、お礼言わなきゃ」

「そだね」


 握ってきたみさきの手が汗ばんでいる。りさは、みさきの緊張をゆるめるように、やさしく返事をした。


 海斗は、舞台に上がり、何事もなかったように挨拶文を読み始める。



 聞きやすく、落ち着いた低音の声―――。



 女子生徒は、その心地よい声に酔いしれ、海斗の整った顔立ちを見つめる。そして、保護者たちの胸は久しぶりに躍り、若返ったように肌のツヤを取り戻していた。須藤は、人知れず安堵のため息をつき、男子生徒は、奇しくも海斗の世界に引きずり込まれ、脱帽するように姿勢を正した。



 教頭の閉式の言葉で、新入生が退場し、入学式が終わった。



 1年7組・教室―――。


「挨拶、よかったぜ、海斗」


 田辺は、いたずらっ子の顔をして言った。


「ゆっくり来いって言うから、コンビニ寄ってたけど、あれでよかったのか?」


 海斗は、教室を見渡し、自分の席を探しながら言った。


「いいんだよ。最高だった」

「そっか」


 田辺は、窓際中央の席に指をさしながら、海斗を誘導する。

 みさきは、自分の席から、田辺と会話しながら横切っていく海斗を、じっと目で追っていた。


(いまがチャンス!)


 みさきは、海斗が席に座ったのを確認して、腹をくくったように立ち上がる。そして、机と椅子の隙間を縫いながら近づいていった。


「あ、あの―――」

「ねえねえ! 都立中にいた結城 海斗くんよね⁉︎」


 すると、オレンジサイダーの泡のように、明るく弾ける女子の声と共に、上半身に衝撃が走る。


「・・・っ! あいたたた・・・っ!」


 みさきは、机の角で腰を打ち、一瞬にして暗礁に乗り上げた。女子は、みさきを障害物のように突き飛ばし、これから写真でも撮るかのように、われ先に海斗の瞳のレンズに入るポジションを確保する。


「・・・・・・」


 肩を寄せ合い、からだをくねらせる女子たちに、海斗は、冷凍された魚のように固まった。

 みさきは、打った腰を手で押さえながら、自分といっしょに吹き飛んだ机を元に戻す。


「中学の水泳で日本チャンピオンになったんだよね! 雑誌で見たことある!」

「え〜っ! うそ〜! ほんとに〜⁉︎」

「すご〜い!」

「今度、水泳部の練習、観に行っていい?」

「あっ、わたしも!」


 女子は、まるで、桜をカラフルな色でライトアップするように、会話を盛り上げる。


「あー、ごめん。海斗のやつ、試合続きで疲れててさ。今日のところは、そっとしといてやってくれない?」


 田辺は、さわやかな笑顔で海斗の机に身を乗り出し、女子の視線を遮った。


「じゃあ、ちょっと連絡先だけでも交換しよ!」

「休みの日とか教えて。いっしょに遊ぼ〜!」


 そう言いながら女子たちは、スマホに目を落とし、海斗の名前を入力しはじめる。

 海斗は、ふぅっと息を吐き、おもむろに椅子を引いた。


「海斗?」


 そう言って田辺は、めずらしく動いた海斗を見上げた。


「え、どうしたの? 結城くん」


 女子たちは、スマホの画面に影ができて、海斗が立ち上がったことに気づく。


「ごめん、ちょっと通らせて」


 その一言で、女子たちは、自動ドアのように道を開けてしまう。



「腰、大丈夫?」



 海斗は、机と椅子に絡まっていたみさきに近づいて言った。


「へ⁉︎」


 みさきは、海斗と目が合うなり、勢いよく教壇の方に飛び退いた。


「ははっ。それだけ動けるなら、大丈夫だな」


 そう言って海斗は、やわらかい笑顔を見せた。


「え⁉︎ あ、うん! だ、大丈夫!」


 みさきは、海斗から距離をとったまま、声をひっくり返して答えた。澄んだ笑顔を見せる海斗と、その後方からねっとりした視線を浴びせてくる女子。みさきは、腰を打ったことを忘れるほど、状況把握に追われていた。


 りさは、一部始終をじい〜っと観察し、斜めうしろで突っ立っている亮太に注意を向ける。亮太は、まるで、胸の中で雨雲を生成しているかのように、晴れない顔をしていた。


「どうやら、あのルックスに加え、スポーツもできる王子様のようね」


 りさは、重鎮のように総括して、亮太に直球を投げた。


「うるせーよ」


 そう言って亮太は、静かに背中を向けて去っていった。


「ふふっ。今回ばかりは、相手が悪いみたいね」


 りさは、いつもより大人しい亮太を目で追い、小さな笑みを浮かべる。


「た、ただいま」


 すると、みさきが悪天候で引き返してきた船のように、疲れ切って帰ってきた。


「よしよし。ご苦労さん。またの機会だね」


 そう言ってりさは、みさきの頭をなでながら、労をねぎらった。



「みんな、席につけー」



 須藤が、保護者を引き連れて戻ってきた。一瞬にして、教室は例の香水の匂いに支配され、入り乱れていた生徒が、自分の席に着く。体育教師には似合わない、須藤の堅苦しい自己紹介と挨拶、学校の規則や規定の共有、配布物の確認など、まるで儀式のような時間が粛々と過ぎていく。



 太陽が真上を通り過ぎるころ、校門が河口になったように、生徒と保護者が流れ出した。



 みさきは、母親とりさの三人で学校を出た。


「りさちゃん、高校でも、みさきをよろしくお願いしますね〜」


 みさきの母親は、猫が甘えるような声を出して言った。高いヒールを履き、早朝から美容院で施したメイクとヘアセットは、一ミリも崩れていない。


「・・・はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 りさは、みさきを挟んで、目だけ合わせるようにして答えた。


「今日は、ご両親は来られてないのかしら?」


 母親は、腰をかがめ、みさきの前に身を乗り出すようにして聞いた。りさの瞳に、中身が空洞の紙細工のような笑顔が入ってくる。


「はい。どうしても仕事の都合がつかなかったみたいで」


 りさは、冷たい鉄仮面をかぶったよう顔で答えた。


「あらまあ。相変わらずお忙しいのね。それに比べて、うちのなんて、ろくに仕事もしてないのに、式にも出席しないんだから。ほんと、いやになっちゃうわ〜。ねえ、みさき」

「・・・うん。でも、学校の手紙に、出席する場合は、両親のどちらかだけって書いてあっ―――」

「じゃあ、りさちゃん、わたしたちは駅のカフェでお茶して帰るから、ここで」


 母親は、みさきの前に立ちはだかるようにして、お辞儀をした。


「はい。じゃあ・・・またね、みさき」


 そう言ってりさは、小さな息を鼻から出し、改札口に歩を進めた。


「うん、また明日」


 みさきは、小動物のような目をして、遠ざかるりさの背中に手を振った。



 次の日―――。


「先生〜。今日、結城くんって学校お休みですか〜?」


 ひとりの女子が、朝礼が終わって教室から出ていく須藤の背中に向かって言った。


「ああ。全日本選手権で遠征だ。田辺もな。一週間ほど来ないぞー」

「ええ〜っ!」


 須藤は、海のようにしょっぱい対応をして、職員室に戻っていく。女子たちのテンションは、花がしおれるように急降下した。


「やべーな、田辺もかよ。かっけ〜」

「そういえば、あいつもガタイよかったよな。結城と並んでると、わかりにくかったけど」

「普通に、テレビに映るんじゃね? 特に結城のやつ、中学チャンプなんだろ?」

「だな! 応援しようぜ!」


 男子たちは、我らがクラスメイトの勇姿に胸が熱くなる。



「みさき、どうやら、王子様とは、しばらく会えないようね」


 りさは、暗礁に乗り上げたままのみさきの顔を見て言った。


「あ〜、完全にチャンス逃した・・・」


 みさきは、ふてくされて机に顔を埋める。


「ふん。みんな、あいつのなにがいいっていうんだよ」


 そう言って亮太は、鉛のような雨雲を胸に抱えたまま、静かに自分の席で殻に閉じこもっていた。

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