口説きたい二人
ここはファチュンハーブ園にある、経営者家族の一人フレッドが暮らす家の応接室。
娘が入寮して、心配で寂しいアナはすっかり暗いので、元気付けたいと考えたリクは、一人で悶々と悩んでもこれ! というものを思いつかないので友人に助けを求めに来た。
アナがやけ酒した日からおおよそ一週間、アナとリクはロの形をした廊下と本人達の動きのせいで、すれ違いまくっている。
アナは「私、またリクさんの友人が働いているレストランへ行きたいです」と言えずにいる。
リクはリクで「何をすると気晴らしになりますか?」と、とても簡単なことを質問出来ずにいる。
友人リクが訪ねてきて、神妙な面持ちだったので、何を話すかと思えば妻を誘えない——要約——だったので、フレッドは呆れた。
「友人が観劇券をくれたんだ。一緒にどう? 友人が新作のスープは自信たっぷりっていうから食べに行かない? それで良いのに何をしているんだ」
「観劇券なんてもらってないし、ネッドも新作スープの話なんてしていないだろう」
あー、とフレッドは額に味方を当てた。
「嘘も方便ってやつだ。真面目なのは君の取り柄だけど、その真面目過ぎる性格が災いして最近まで独り身だったんじゃないか。ようやく少し狡賢くなってアナさんと結婚したのに」
「嘘も方便……。ああ。自分で買って、そう誘えば良いのか」
「そう。ネッドに事前に頼んでおくとか。俺だって何か出来るぞ」
二人だけでは関係が進まないなら、夫婦同士の交流の中ではどうだ。
自分達の妻達にそれとなくアナの気持ちを探ってもらって、何か良い気配があれば勇気を出せるだろう。
そう言われたリクは、もっと早く相談すれば良かったと後悔。
「でもマリナちゃん的にはどうなんだろう。義理の娘の前で母親に突撃しなかったのは正しい気がする。幼い子達ならともかく、カイリ君もマリナちゃんもお年頃だから」
「子どもがいない隙に、っていうのもどうなんだろうって悩んでいる」
「うーん。難しい問題だな。正解はなさそう。帰ったら喧嘩別れしていたより、親しくなっていたの方が良くないか?」
結婚して、結婚してと騒いだそれなりの年の二人だから、そこには親が増える以外の意味があると理解してそう。
フレッドもリクが考えているような結論を出したので、リクはやはり妻を口説くぞと改めて決意した。
★ ☆
その頃、今夜は友人のところへ行くとリクが不在なので、アナも友人のところへ。
子育て中の友人ケミーは、前から「たまには息抜きしたい!」と夫に頼んでいる。そのことを思い出したアナは「奥さんに相談があるので二人で出掛けたいです」とケミーの夫に頼んだ。
元気溌剌な息子三人に囲まれて、毎日、毎日騒がしい生活のケミーは、満月亭でしっとり飲めて大満足。
アナは、常連客に「おかえりアナちゃん」と話しかけられるので、お店選びを間違えたと思いつつ、普通のお店だと見知らぬ他人が話しかけてくるかもしれないし、ここには店主夫婦がいるから安心だから、やっぱり正解だと微笑んだ。
「それで、どうしたの? アナから誘ってくれるなんて、これまでで片手の指の数しかないわ」
「そうだったかしら」
「そうよ。私が家出みたいにここに飲みにきた時に慰めて励ましてくれてから、ずーっと私から」
だから誘ってくれて嬉しいと笑いかけられたアナは、子育て仲間が出来て嬉しくて助かっていたと笑顔を返した。
「それでね、その……今夜は相談があって」
「うんうん。どうしたの?」
恥ずかしがり屋のアナは、ごにょごにょと「好きな人にアプローチしたいけど、難しくて」と口にした。
「えっ。ちょっと待って。それは待って。不倫はやめなさい。それならまず離婚してからにしなさい。マリナちゃんこと引き取ってくれて、上げ膳据え膳みたいなリクさんに失礼よ」
「……ふ、ふ、不倫なんてしないわよ! リ、リク、リクさんのこと。片想いはもう……何年かしら。そろそろ四年よ」
「……片想い? あんた、リクさんと結婚してるじゃない。四年前からリクさんに目をつけていたなんて知らなかった」
「結婚出来たのはカイリの為に母親が欲しかったからよ。あと家政婦がいるのも助かるから」
「……ちょっと待って、それがきっかけであっという間に意気投合したのよね? 四年前って何よ!」
ケミーに圧倒されたアナは、彼との出会いとその後の関わりを説明。
全然相手にされていなかったのに、天使マリナが愛の天使になってリクと結婚させてくれたと語る。
「でも全然。私ってそこそこ魅力的よね? でもリクさんの好みではないみたい」
アナは遠い目をした。
わりと男性に好まれる容姿のはずなのに、なぜ毎回片想いなのかと。性格も最悪ではないはずなのにと嘆く。
うーん、とケミーは考察。結婚式の日に、新郎リクは友人達にもみくちゃにされて、ようやくだなとか、照れ屋なのに良く口説いたというような会話をしていたのを聞いている。
そして、新郎リクは心底嬉しそうな笑顔で「ありがとう」と友人達と握手していた。
「あんたに隙がないんじゃなくて?」
「……好き? 私には好きがあるわよ。一緒に暮らして、ますます大好きだもの」
若干酔っ払っているな、とケミーはアナのおでこを軽くペチンと叩いた。
「その好きじゃなくて隙よ隙。どうせ、マリナちゃんやカイリ君がいる前では完璧な母親みたいに振る舞っていたんでしょう」
「ええ。そうなれるように努力していたわ」
「同じ家で暮らしているんだから、隣に座ってみるとか、ちょっと触ってみるとかしなさい。今は特に子どもの目がないんだから。誠実な男は、ガチガチ守備の女にちょっかいを出さないわよ」
「そのくらいしようとしているわよ!」
アナは二人になってからの生活を語った。部屋に突撃して晩酌と思ったけど失敗しているとか、隣に座ろうとしたら優しいリクは美味しい飲み物を作ってくれるなど。
「一緒に作るとか言って、隣に立てば良いじゃない」
「……あっ」
「晩酌も夕食の時に誘えば良いでしょう。まさか別々に食べているの?」
「二人で食べて、マリナやカイリは元気かしらって会話をしているわ」
「それなら晩酌に誘いなさいよ。そもそもよ。気晴らしに出掛けようって言ってくれたなら、私はここに行きたいのって言いなさいよ。今頃悩ませているんじゃない? だってあんた、マリナちゃん以外の趣味がないでしょう」
こう言われたアナは、目から鱗だと驚き顔。ケミーはとぼけ気味の友人に若干呆れた。
アナはケミーに、街を散歩やカフェでお茶かピクニックにでも行きなさいと言われた。
「ピクニックは寒くないかしら」
「何年もぐずぐずしていたアナなら、誘うのは春になってそうって意味」
「ちゃんと頑張るわよ」
「っていうか結婚しているんだから、悪印象はないはずよ。だから寂しいの、添い寝してとか言いなさい。それで見つめれば解決するわ」
「そ、そ、添い寝なんて言えないわよ!」
「それなら手紙を書くことね。寂しいから添い寝して欲しいけど難しいですか? って」
そういう会話をしていたら、ケミーの夫が迎えに来たので一緒に帰宅。
ちょうどリクも帰ってきたところだったので、気を利かせたケミーはリクに軽いジャブ。
挨拶をした後に「アナは最近寂しくて眠れないそうです。ほら、ずっとマリナと二人寝が多かったから」と一言。
「そうらしいです。最近浮かない顔をしているので。何か気晴らしと思いつつ、気が利かないから何ってすぐには思いつかなくて。せめてこれを」
人がいると恥ずかしいと思いつつも、リクは勇気を出して紙袋をアナへ差し出した。
「それではお休みなさい。今度二人で我が家に遊びに来て下さいね」
気を利かせたケミーは夫とそそくさと去った。
アナはそっと紙袋を受け取り、この場で中身を確認して良いのかと悩んだ。
そして、リクに促されたので中身を見ずに家の中へ。
「大衆浴場へ寄ってないので湯浴みしますけど、アナさんはどうしますか?」
「私もそうします」
お湯を沸かすと言ったリクに、優しいと胸をときめかせていたアナは、この調子だから何も始まらないと慌てて紙袋の中身を確認。
そこにあったのは、薔薇の花で作られたリースだった。
「素敵……」
しかし、こんな夜になぜこのような物を買えたと首を捻る。彼女はリクを追いかけて、その疑問を彼にぶつけた。
「それはフレッドのところの薔薇です。何か花を持ち帰って良いかと彼に聞いたら、奥さんがせっかくならと作ってくれて」
「こんなに素敵なものをありがとうございます。二人にもお礼をしないと」
「たまには夫婦同士で食事でもどうか、我が家へ来たいって言っていたので、もてなしてくれたら嬉しいです。ほら、アナさんは料理上手だから、同じようなシルフィードさんと気が合うかと」
ええ、是非とアナはにこりと笑った。
ここのところかなり暗い顔ばかりだった彼女のこの笑顔に、リクの心の底から勇気が出てくる。
とにかく褒めて、懐や家計が許す限り貢げとフレッドに言われたので、リクは深呼吸をして言葉を発した。
「何を作っても美味しいし、綺麗だし、とても優しい妻だとつい友人夫婦に自慢してしまいました。予定は皆で決めましょう。任せっきりにはしないので、お願いします」
「……」
予想外の出来事に、アナの頭は沸騰。
彼女は掠れ声で「まだ妻ではないですよね?」と発した。ケミーがここにいたら、アナのおでこをスパーンッと叩いて、余計なことは言わずにありがとうで、見つめなさいと叱っただろう。
リクはアナのこの発言に凍りついた。