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普段は同級生と比べて大人っぽいカイリとマリナだが、親の前では実に子ども。二人とも大好きな親と手を繋いで、歌いながら歩いている。
リクもアナも癒される、と我が子を眺めて微笑んでおり、何も知らない他人の目から見たら、彼らは仲の良い四人家族に見えるだろう。
ファチュンハーブ園に到着すると、経営者でありリクの昔からの友人フレッドがすぐ四人に気がついて、駆け寄ってきた。
フレッドはリクが初めて女性を連れてきたので興味深々、早く相手を紹介してくれと言わんばかりの態度を示した。リクとアナを交互に見て、リクに対して満面の笑顔である。
「アナさん、マリナさん。こちらが友人のフレッドです」
「初めましてアナさん、マリナさん。フレッドです。あっ、丁度良いところに。シルフィ! シルフィ! リクとカイリ君が遊びに来てくれた!」
フレッドは右手を挙げて大きく手を振った。詰んだハーブが沢山入ったカゴを抱えて歩いていたフレッドの妻シルフィードが気がつく。
シルフィードが到着するとフレッドは「リクがついに恋人を連れてきた。まだ予定を聞いてないけど、四人の都合が大丈夫なら今夜はパーティしない?」と妻に笑いかけた。
シルフィードが頷いて、自己紹介をした後に「リクさん、アナさん、おめでとうございます」と二人に笑いかける。
「いや、あの。恋人じゃなくて……」
「子ども達が親が欲しいと意気投合していまして……」
ほぼ同時に言い訳の台詞を口にしたリクとアナは顔を見合わせて、やっぱり渋々前向きなのだとまた誤解。
渋々なのに前向きとはなんなのかと突っ込みを入れたくなるが、二人の心の中を読める者はいないので誰も突っ込めない。
「子ども達?」
「フレッドおじさん。マリナさんのお母さんは、親父と同じで妹に娘を押し付けられたんだって。つまりさ、分かる? アナさんはめちゃくちゃ良い人ってこと。この健やかで幸せそうなマリナを見れば分かる」
「へぇ。そりゃあ良い人を見つけたな。カイリ君とマリナちゃん、家で遊んでいかないか? ジョージもマルローネもきっと喜ぶ」
フレッドは、友人リクには確か気になる女性がいたはずと考えたので、彼と話が出来るように子ども達を離す作戦に出た。
「マリナ。ジョージは凄い絵が上手いんだ。マルローネちゃんはまだ小さくて可愛い」
「ハーブ園内も案内するわ。昼食後にレモンタルトを作って、母が今焼き加減を見てくれているの。そろそろ焼き上がるから食べていかない?」
「レモンタルト? 良いんですか?」
「もちろんよ」
「いやった! シルフィさんが作るものは何でも美味いぜ」
「そうそう。カイリの言う通り、シルフィは国一番の料理上手。料理人は別として」
この会話の隙に、フレッドはリクに「例の女性はどうした?」と質問。
リクが「その、彼女だ。偶然カイリが紹介してくれた……」と囁き返す。
フレッドとシルフィードは目と目で通じ合い、カイリとマリナを誘いに乗せて、リクに「デートしてこい」というように目配せ。フレッドはさらにリクの背中を軽く叩いた。
「あーっ! そうだった。シルフィ。ちょっと納品を忘れていた。ネッドに特注ハーブ塩を頼まれていたのに忘れていた!」
リクはフレッドに「ネッドに頼んでくるから、あの素敵レストランでお茶だ」と耳打ちして、素早く工房の方へ移動。
ここまでお膳立てされたので、リクは意を決して「話し合いをしませんか? 散歩とお茶でもしながら」とアナを誘った。
「はい」
うわぁ、あのアナさんが照れているように見える、笑ってくれているとリクに自信が湧いて、彼は背筋を伸ばしてこう口にした。
「友人が働いているレストランは落ち着いていて内装も良いのでそこはどうですか? さっき、フレッドが言ったネッドがその友人です」
「ありがとうございます」
こうしてリクとアナは、人生初のデートを開始。歩き始めてしばらくは無言。最初に話しかけたのはリクである。
「俺はその、カイリを実の子だと思っていて、あんなに乗り気で嬉しそうだからあまり突っぱねたくないです。子ども達の為に、交流していくということでよろしいでしょうか」
「……はい。ありがとうございます」
はにかみ笑いを浮かべているアナを眺めて、こういう時に友人達はどうしていたと思案し、飲み会の席などで聞いてきた惚気話や報告話を思い出し、花と褒め言葉だ! とさり気なく花屋の前を通り、足を止めた。
「……アナさんは花は好きですか?」
「ええ」
もしかして、花を買ってくれるの? と期待に胸を膨らませたアナは、リクが「どれか家に飾りますか?」と言ってくれたので喜んだ。
「それなら、その。こちらの、そのうち咲きそうなこのラベンダーでも良いですか?」
「すみません、こちらを一つ下さい」
花を一輪や花束ではなくて、鉢植えが良いのかと思いつつ、リクはラベンダーの小さな鉢植えを購入。
ラベンダーはもしかして自分の店の名前だから? と思ったものの、恥ずかしさが先行して何も聞けず。
アナは両手でラベンダーの小さな鉢を包んで、ニコニコしながら歩き出した。
「あら、嫌だわ。これからお茶をするのについ鉢植えにしてしまいました。長く育てられる方が良いとつい」
「お店の人に預かってもらいましょう」
「はい」
歩き出した二人はまた無言。リクは「話題、話題、話題……」と悩んでいるが、アナは「あのリクさんに贈り物を貰った」とラベンダーの小鉢に夢中。
この後、大緊張していた二人はレストランの美味しいケーキで気持ちが緩み、和やかな会話をして、どちらともなく結婚したらどうするかという話しを開始。
お互い、我が子だと思って育ててきた甥——姪——が大切なので、成人するまでは子どもを優先したい。
なので父親役、母親役に挑戦しながら二人で協力して子育てをしていく。夫婦でも恋人でもなく、家族になってみようという話に落ち着いた。
口説く、好きになってもらう為に頑張ると考えると途端に言葉が出てこなくなる二人が、この好機を逃すか、と考えて言葉を発した結果である。
二人ははしゃぐカイリとマリナに後押しされるように、一ヶ月後の良く晴れた日に入籍。同日、リクの友人達がファチュンハーブ園で人前式を開催。
家族になりましょうという結婚なので、人前式でお互いの頬に挨拶のキスをしただけ。その日の夜も、心底嬉しそうな我が子と睡眠。
アナは仕事を辞めて、靴屋ラベンダーの店員兼雑用係として雇用され、マリナの姓はハベルとなり、誕生日が二ヶ月早いカイリが兄扱いへ。
四人の新生活は順風満帆。ただ、当然のように夫婦の部屋は全然使用されず。
親が増えて嬉しいカイリとマリナはとにかく四人で過ごしたがるし、リクとアナも「まずは家族として親しくなる」と相手を口説く事を放棄しているからである。
夏が訪れて終わり、秋が始まって過ぎ去り、冬を迎えた時にこの新しい生活は早速崩れた。
まず、秋の収穫祭で行われたのど自慢大会で準優勝したマリナに「国立ブラムス音楽院の推薦試験を受けませんか?」という誘いが来たのである。
国立ブラムス音楽院はいくつかの科に分かれている。歌劇科は男女別の全寮制で太陽組が男性、月組が女性。卒業生の大半は三年後に国立白銀歌劇団もしくは国立アルテミス歌劇団へ入団となる。
大体はまず国立歌劇団へ入団して、実力と知名度がある者が国立白銀歌劇団へ移籍となることが多い。
国立アルテミス歌劇団は、国内で唯一未婚女性達のみで構成されていて、その門は非常に狭い。なにせまず国立ブラムス音楽院歌劇科の月組へ入学しないとならない。
雲の上の世界の話をされたアナとマリナは放心。その後、アナとリクはあれこれ調べて、音楽院にも説明を聞きに行き、マリナが「挑戦したい」というので背中を押すことにした。
アナとリクがマリナに提示した条件は、学費半分免除以上の評価を得た場合のみ入学を許すというもの。
入学後もそれ未満の評価になったら退学。なにせ、そこまでがリクとアナが出せる金額の限界だからだ。
それなら俺も協力したいと、カイリは出稼ぎに行くと決意。父親のリクがかつて修行したお店へ行きたい気持ちが前からあったので、最初の頃の稼ぎは住み込み代で終わってしまうだろうけど、そのうち少しずつ稼げるようになり、腕も身につく。
父親の下という狭い世界で腕を磨くよりも、広い世界で色々学んだ方が父親が引退した後も靴屋ラベンダーを潰さない。むしろもっとお店を大きくするか、評判を更に良くする。そうなりたいから外に修行に出たいとカイリはそう、両親に熱心に語った。
「それにさ。ブラムス音楽院と靴工房ロイスは近かった。マリナが落ち込んだ時に、すぐ慰めてやれる。マリナは気が強いけど弱虫泣き虫だろう?」
「そんなことないわよ。でもまぁ。ちょっとした休みだと、遠いこの家までは帰って来られないから、助かるかもしれないわ」
こうして、マリナは国立ブラムス音楽院を推薦受験し、見事に学費半額補助を手に入れて、カイリも靴工房ロイスの住み込み職人見習いの面接と試験に合格。
年始に若者二人は親元から巣立った。社会人、成人になる為の、そして夢への第一歩である。
子ども達の進学準備に集中していたリクとアナは、二人をそれぞれの新しい生活拠点へ送り届けて帰宅してから、重大なことに気がついた。
家に入って「ただいま」と告げて、返事をする相手がいませんねと寂しがってから、無言で見つめ合って、これは……と瞬きを繰り返す。
こうして、予想よりも早く二人だけの生活が始まった。