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満月亭へやってきたリクとカイリは、待っていましたと言わんばかりにすぐ声を掛けてきたマリナに促されて、空いている席に着席。
「こんばんは、ハベルさん。一昨日は靴を探してくださりありがとうございます」
「ああ、一昨日の。君がマリナさんですか。息子がお世話になっています」
少女と話す分にはまるで緊張しないリクはすらすら声を出したものの、娘がすみませんと謝りにきたアナに対しては「……いえ」と小さな返事しかしないくらい大緊張。
「おい、親父。もっと何か言え」
「何かってなんだ」
カイリに肘で小突かれて耳打ちされたリクは、ヒソヒソ声を返した。
「マリナさんのお母さん、親父とデートしてくれませんか?」
おいこら、とリクはカイリの背中を、アナから見えないように軽く叩いた。
「娘から聞きました。親役が欲しかったなんて当然なのに気がつかなくて。ハベルさん、両親が揃っていた方が自然な場所ではお互い協力するというのはどうでしょうか」
「……自然な場所……ですか」
アナに笑いかけられたリクは「今夜も美しく、可愛らしい。直視出来ない」とますます俯いた。
「一番近いのは収穫祭でしょうか」
「それよ、お母さん。収穫祭のバザーで、ルルーシュさんの家はまた準備にこないみたいに言われるわ」
「こちらも言われます。屋台係は居ないのかって」
「肩身が狭い思いをさせていたのに気がつかなくてすまないな」
リクはカイリに向けて非常に申し訳ない顔をした。カイリは「そういう事を言いたいんじゃないのに」と心の中で呟いて意気消沈。
「そうよ。私達は我慢してきたの。だからちょっとデートするくらい良くないですか? カイリ君のお父さんはモテないんでしょう? カイリ君がそう言っていました」
マリナ・ルルーシュはアナに強くあれと育てられた結果、このようにわりとズケズケ言う性格である。
「こらっ。マリナ。そのような言い方はやめなさい」
「お母さんはモテるけど変な人ばっかり。静かめでもここは酒場だし、深夜には終わるけど夜の仕事ってなめられているからです。靴屋さんなら素敵。美人で優しくて料理上手で掃除も裁縫も完璧で、このようにグラマーよ。是非、どうぞ」
「もうっ、マリナ。やめなさい」
リクは困り顔で娘をたしなめるアナを眺めて、娘にあれこれ言われて困り果てている、自分なんかを勧められて嫌だと感じていると考えた。
リク・ハベルという男は、三十三才独身童貞を拗らせているので、男としての自信が無い。
「親父だって金目当ての女にはモテてきた。そうじゃない女とのお見合い話は、俺が甘ったれの幼子だった時に、継母は実の子ども以外をいびるって泣いたせいで断った」
「お母さんだってそうよ。お父さんがクズなら新しいお父さんもきっとクズだから嫌、二人が良いって騒いでお見合いさせなかった」
リクもアナも、そんなこともあったなぁ、あの子がこんなに大きくなったんだなぁと微笑んだ。
「私のお母さんのどこが嫌なのよ! ちょっと太ってきてるけど、デートくらいしてくれたって良いじゃない!」
「それはこっちの台詞だ! 俺の親父のどこが嫌なんだ! ダサいのは俺が直すから!」
カイリとマリナは二人とも、机を軽く叩いて椅子から立ち上がった。
褒められているのか貶されているのか分からないと、リクとアナが頭を抱える。
「落ち着きなさいマリナ。何度も注意しているように、短気さは貴女の悪いところよ。嫌なんて言われていないわ」
「カイリ、座れ。女の子に向かって怒鳴るな。すみません」
なんだなんだと始まって、常連客達がアナとマリナに話しかけて、マリナが「お父さんにして欲しい人を見つけたからデートしてって頼んでいます」と伝えた。
「誰なんだ? マリナちゃん」
「近くの靴屋の店主で、カイリ君のお父さん。カイリ君は最近出来た友達よ」
「近くの靴屋?」
「アザイパン屋の隣のラベンダーさん」
「あー、ラベンダー。店員ばっかり見るから店主さんを初めて見た」
更に人が増えてきて、満月亭の店主夫婦もやってきて、店主夫人が「あら、アナさん。いつの間に。前から頑張っていたものねぇ」と嬉しそうに彼女に耳打ち。
「ラベンダーさんが顔を出す火曜になるといそいそと髪型を変えたり、服を変えたり、忙しかったでしょう?」
「エ、エマさん。気がついていたんですね」
アナは店主夫人のエマの耳元で囁いた。
「親父! モテない親父に最初で最後の好機だ。絶対そう。普通にだと無理なんだから、父親役くらいなら出来ますって、デートしてもらえ!」
カイリは両手でリクの腕を掴んで軽く揺らした。息子に尊敬されているのか、バカにされているか分からないとリクは心の中で嘆いた。
しかし、確かにこれは好機である。普通になら難しいが、子供達がこう言うのでと申し込める。
「……て下さい」
おおーと拍手が巻き起こる。
少し離れた所では、アナ狙いの若めの客が、邪魔しようとか、横入りしようと様子見している。立ち上がって、臨戦体制という者も現れた。
「はい……ありがとうございます」
「えっ? 本当ですか! 本当に結婚してくれるんですか!」
デートして下さいと言われたと思っていたアナは、リクのこの発言にびっくり仰天。
デートして下さいと結婚して下さいを間違えて発したリクは、流石にいきなり結婚して下さいは断られると、自分の間抜けさに慄いたのに、返事が「はい」だったので有頂天。
浮かれたリクは、それはもう嬉しくて満面の笑み。その笑顔にズキューンと胸を打たれたアナはぽーっとした顔で再度「はい」と口にしていた。
「なぁ、マリナ。結婚ってどうやったら出来るんだ?」
「紙に書いて役所に提出するのよ。あと挙式よ。皆で集まって私達は夫婦ですって皆に宣誓。私はこのお店で三回結婚式に参加したわ」
「俺は一回も参加したことがないし、見たこともない」
正確にはカイリの記憶にはないだけ。なにせリクの友人達は、カイリが幼い頃に結婚している。
「それなら楽しみね。来週の月曜が良いわ。祝日で学校が休みだもの。日曜は普段通り稼いで月曜も稼ぎたいけどちょっとお休み」
「結婚記念特別セールって言って集客して、古い売れてない靴を売ろう」
「美人の私に任せて。私、売り子は得意よ!」
あのアナさんが俺と結婚してくれるって言った!
あのハベルさんが私と結婚してくれると言ったわ!
と放心している両親を無視して、アナとカイリは結婚の段取りを計画開始。
満月亭の店主夫婦や常連客達に相談しながら、二人の結婚式は来週の月曜だと決定。
「マリナちゃんは大きくなってきたから、酒場に住み込みはそろそろあまりって話していたけど、ハベルさんの所で暮らせるなら安心ね」と満月亭の店主夫婦が笑い合う。
「じいさんとばあさんの部屋が余ってる。俺の秘密基地、屋根裏も空けられる」
「秘密基地の屋根裏って楽しそう!」
「広いし景色も良いぜ」
マリナは新居の下見に行こうとアナと手を繋いで引っ張り、カイリは家を案内しようぜとリクの腕を掴んで引っ張った。
「結婚はちょっとあれだけど、来週なんてさらに。でもああ、まぁ……。とりあえずお茶くらい……」
「おほほほほ。そうですよね。いきなり打算結婚しましょうなんて変ですもの。でもほら、二人がそう言うのなら……。お話しくらい……」
卑怯だけど、子どもをだしにしたら意中の相手と交流出来るかもしれないと、リクもアナも曖昧な笑みを浮かべて、戸惑っていると装いつつ、食い気味で肯定の返事をして動き出した。
ありゃあ両想いだな、と店内にいた誰もが分かるくらい二人はニヤニヤ浮かれた様子。
こうして四人は靴屋「ラベンダー」へ行き、カイリが張り切って家の中を案内。
「あんまり整頓されていないのは、俺も親父も掃除がそこまで得意じゃないからです」
「お恥ずかしいです」
「そうですか? 埃だらけではないし、そこまでぐちゃぐちゃではありませんよ。ねぇ、カイリ。屋根裏はどんな感じ?」
屋根裏部屋を案内されたマリナは、窓からの景色が良いととても気に入った。
「アナさんと二人で家事をしてくれるなら譲っても良いぜ。丸投げする気は無いけどさ」
「生活費を多めに出してくれるなら、家のことを沢山するわよ。主にお母さんがだけど、私ももちろん協力するわ」
「クズな実の父親が作った借金はとっくにないし、俺の為に貯金してくれているから大丈夫なはず。店の売り上げも問題無い。なぁ、親父」
「ん? ああ……まぁ……」
カイリは歯切れの悪い、不服そうなリクの顔を覗き込んだ。
「まぁってなんだ。アナさんに稼いで欲しいのか? 生活は苦しくないって、俺に嘘をついていたのか?」
「えっ? いや、まさか」
「それなら屋根裏はマリナの部屋に決定。俺には俺の部屋があって、親父にもあるから……。残りの二部屋がアナさんの部屋?」
「何言っているのよ。夫婦は同じ部屋でしょう」
「それもそうだな。友人の家はそうなってる」
「新しい生活に慣れるまでは、私とお母さんは二人で屋根裏。でもお母さんには夫婦の部屋もある。それが良いわ」
「じゃあそれで。親父も自分の部屋と夫婦の部屋で二部屋になる」
まだまだ母親と寝たい娘と、父親と寝なくても良いけど扉を開けて「親父」とすぐ話しかけられる部屋を手放したくない息子は、これで部屋割りも決まりだと握手を交わした。
「親父の友人がハーブ園を経営してて、頼めばガーデンウェディングをさせてくれるかもしれない。凄い綺麗で楽しいハーブ園なんだぜ」
「私達の親をバカにした人達を見返す素敵な式をしないとね」
リクもアナも、この二人を放置したら自分にとって都合の良いことになると考えて、口を挟まずに眺めている。
「あの、ルルーシュさん」
「は、はい」
険しい表情のリクに、アナは「断られるかもしれない」とビクビクしながら俯いた。
その態度をリクは「嫌なのに断れなくて困っている」と誤解する悪循環。
「親父、フレッドさんならきっと良いよって言ってくれるよな?」
「えっ? まぁ、多分。だけどな、カイリ」
「明日行こう! 明日、学校が終わったらすぐに行こう!
「ガーデンパーティだなんて素敵。私がお母さんの髪を結うわ」
「マリナ、あのね」
カイリとマリナは、子どもあるある、思い込んだら一直線と頭の中がそればかりを発動中。親の話を聞かない状態。
今日はもう遅いから、話はまた明日とリクがカイリとマリナを宥め、夜道は危ないからアナとマリナを送ると告げた。
リクもアナも「結婚するのは嬉しいという雰囲気だったけど、自分の勘違いのようだ」と、行きのウキウキ、ドキドキした気持ちとは真逆の心境。
満月亭に到着すると、リクは意を決して、結婚は飛躍し過ぎだけど、子ども達がこんなに意気投合しているので、四人で出掛けてみませんか? とアナに申し込もうとした。
しかし、カイリとマリナの「明日、十五時にここで待ち合わせ」という会話に邪魔されて発言出来ず。
「じいじとばあばに頼んで来よう〜」とマリナは元気良く、満月亭の店主夫婦のところへ。
そこに常連客達が「結婚話はどうなった?」と集まってきて、カイリが「親父の親友が経営しているファチュンハーブ園でガーデンウェディングの予定です」と返事をした。
「明日契約話をしてくるんで、日付が決まったらお祝いに来て欲しいです! 月曜は無理かも」
めでたいけど腹が立つ、飲め飲め、腕相撲が弱い男にアナちゃんはやれないなどと酔っ払い常連客達の野次が飛び交い、リクとカイリはあれよあれよという間に人の輪の中。
アナは仕事に戻り、給仕仕事を開始。時折リクを眺めて、自分なんてとか、まず出掛けるだけですと言いつつ、彼が嬉しそうな笑みを浮かべているので、子連れデートは出来そうだと胸を踊らせた。
リクはリクで、アナが客に「結婚しちゃうのかぁ。辞めずに酒を出して笑いかけてくれ。癒しが無くなっちまう」みたいに話しかけられて、結婚は分からないです、お出掛けするだけですと嬉しそうな笑顔を返したところを見て、デートなら許された、前向きのようなのは奇跡! と心の中でガッツポーズ。
翌日、ハベル親子とルルーシュ親子は四人でファチュンハーブ園へ出掛けた。