ひよこ夫婦4
世の中に沢山爆誕するひよこ夫婦の中でも、リクとアナはもう年である。
なので、一度キスしたら、恥ずかしくて胸がいっぱいでそれ以上なにも出来ずではなく、ついにしたぞと夢中になった。
がっついたのはリクで、アナはどちらかというとされるがまま。
次の鐘が鳴るまで、リクはアナを抱きしめて離さず、唇もほぼ離さなかった。
ただ、重ねるばかりでそれ以上には進まず。
カララン、カラランと鐘が鳴ったので、リクはそっとアナから離れて手を取って握り、帰る時間ですねと小さな声を出した。
「……は、はい」
「フレッドにお礼を言って帰りましょう」
無言で大衆浴場へ行き、お互いそれぞれぼけーっとして過ごして、いつものように出入り口前の広場で待ち合わせて帰宅。
どちらともなくそれぞれ自室へ行ってから、アナはハッとした。
(むしろ夫婦の寝室へ行けば良かったわ)
恥ずかしいし憧れもあるので順番という気持ちは、初めての情熱的なキスで吹き飛んでいる。
あの逞しい腕にまた抱きしめられて、彼に好き放題されたら、とろけてしまうだろう。それを是非知りたいと、アナは室内をうろうろし始めた。
そうして意を決して部屋を出て、屋根裏部屋からリクの部屋を目指そうとして、緊張で喉が渇いたから先に一階へ。
間の悪いリクも似たような心理で自室を出て、彼は真っ直ぐアナの部屋を目指した。
屋根裏部屋へ続く扉の前で深呼吸をして、アナの名前を呼んだが、部屋主は不在なので返事は無い。
(もう寝たのか……)
仕方がないとリクは退散。高揚して眠れなそうなので、仕事でもするかと彼は自分の部屋ではなくて、一階へ向かった。なので、アナと遭遇。
「……アナさん。ここにいたんですか」
「ここに? 探していました?」
「……探すというか、まだ眠くないので話しでもどうかなぁと」
「……」
それは嬉しいお知らせだと、アナはリクに何か飲み物を用意するか質問。
二人はハーブティーを飲むことにして、アナが準備をするので、リクは椅子で待った。
(何か会話……)
リクはアナの後ろ姿を眺めながらソワソワしている。
「あっ、あの。アナさん」
「はい」
振り返ったアナはにこやかに笑った。途端にリクは恥ずかしくなり、俯いて自分の太腿を眺めた。
眉間にしわを作って下を向いたリクに、アナは何か悪い話しだろうかと不安を抱いた。
「前から思っていたんですが、アナさんに靴を作りますか? 妻になってくれたので、色々贈りたいと考えています。もちろん、カイリとマリナの為に散財はしませんが」
「私に靴を? それはとても嬉しいです」
リクはチラッとアナの表情を確認して、やはり笑顔だったので照れて俯き、ゆっくりと立ち上がった。
「新作考案も兼ねて、いくつか案があるのでスケッチ本を持ってきます」
「もう夜で暗いので、明日以降にしましょう。ゆっくり休んで下さい。もうすぐお湯が沸きますので」
「……そうですか」
落ち着かない、落ち着かないけどスケッチ本を持ってこなくて良いと言われた。そうリクはソワソワしながら再び着席。
ハーブティーを淹れたアナは少し悩みつつ、もしかしたらまた良いことが起こるかもしれないと、リクの隣の席を選択。
ドキドキしながらハーブティーをリクに差し出して、彼の横顔を眺め、中身も好きだけど、この顔がそもそも大好きだと心の中で惚気た。
凛と背筋を伸ばして、伏せ目がちにハーブティーを飲む姿は実に絵になると、アナはジッとリクを見つめている。
(なんか見られている。なんだ? 俺、何もしていないよな?)
視線を感じるので、チラッと見ただけでパチリと目が合う。
すると、アナは慌てたように視線を彷徨わせるのだが、少しするとまたリクを見るので、彼がまたアナの顔を確認すると再度視線が交錯する。
「あの、何か?」
「えっ?」
「その、何か言いたげなので」
「いえ、特に何もです。美味しいですね。フレッドさんがくれたこのハーブティーブレンド」
「ああ、美味しいって話しをしようと思っていたんですね」
違うけど、特に何もリクに言いたいことのないアナは、そういうことにしようと考えて頷いた。
その後は無言で似たような事の繰り返し。お互いにハーブティーを飲み終えると、リクは「片付けは俺が」と告げた。
「ありがとうございます」
このまま一人で部屋へ行っても何も起こらない。なので、アナは椅子に座ったまま、リクの背中を眺めることにした。
(あのうなじすら好みな気がするわ)
キスをしたからますます好きかもしれないと、アナは食い入るようにリクの背中を見つめ、にやにやし始めた。
(両想いなんて初めて。しかももう結婚しているのよ! 好きだって、私のこと、好きだって!)
娘マリナという足枷が同じ屋根の下にいないので、今のアナは「母親」から「女」に偏り気味。
(いけない、マリナに手紙で教えないと。お母さんはリクさんに惚れました。前からって言わなくて良いか)
マリナは妹か弟を欲しがるだろうか。自分と血の繋がりが濃い人間が出来るのは嫌と言われたら……そこはマリナが成人するまではそうしてあげたい。
そうなると……とアナは思案して、確か友人が「気をつけていてもまた出来た」と五人目を妊娠中なので……。……。
「リクさん! 大事な話がありました」
「なんですか?」
洗い物をほぼ終えたリクは、手を拭きながら振り返った。
「マリナとカイリに、弟か妹はいて良いのか聞かないと。嫌だって言われたら、本物の子どもが出来るのは嫌って言われたら、私はそうしてあげたいです」
リクはアナのこの発言に、それはつまり、俺とそういうことをするとかしないとか考えていたのか? と驚いてゲホゲホッとむせた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
「血の濃い、正式な子ならともかく、二人とも姪っ子と甥っ子でしょう? 多感な時期だし、気を遣わないと。いきなり、アナお母さんは妊婦になりましたも、自分ならなんだかモヤモヤ……するのかしら」
「どうでしょう。まぁ、普通に結婚したんで、嫌なら結婚するなって言われたかと」
「普通にって、私達は二人に親が欲しいからお願いって頼まれたんですよ? 夫婦になって、お母さんにも恋人が欲しいでしょう? なんてマリナに言われていません」
「父親役と母親役を引き受けることにした、とも言っていません」
「あっ、夫婦かつ恋人になりたいけど嫌? って聞けば良いですね。残念だけど恋人は保留です保留」
アナは二人でマリナとカイリそれぞれへの手紙を書こうと提案。
こう言われたら報告は必要だと考えたリクは賛成して、それは明るくて文字が書きやすい朝にしようと決定。
「……待った」
「どうしました?」
「保留ってことは……一緒には寝ませんよね?」
寝たい。熱が下がらなくて、アナの唇につい目がいくので、とにかく彼女にまた手を出したいとリクの下心は燃えている。
「……」
おねだりしているようなリクの表情に、アナの理性はどこかへ飛んでいった。
寝たい。ぜひ寝たい。私をまた抱きしめて、朝まで一緒にいて欲しい。
「間を取って……添い寝しますか?」
「……」
添い寝? 添い寝って横に並ぶだけ? そんなの拷問だろうとリクは首を横に振りかけて、ここで拒否したら添い寝すらなくなると瞬時に判断。
「アナさん。夫婦の部屋があるから、今夜から夫婦の部屋で寝ましょう」
「……ええ」
どちらともなく手を繋いで二階へ上がり、夫婦の部屋へ入り、寝台の横に立ってどちらも動かず。
「ね、寝ましょう。うん、寝よう。右側と左側、向こうとこっち。どっちが良いですか?」
「えっと……起きるのが早い方が手前でしょうか」
それなら自分だと、リクは掛け布団を持ち上げて、アナを促した。
「失礼します」
横になろうとしたアナは、背中を向けるのは違うけど、リクの方を向くのも恥ずかしいと仰向けを選択。
両手を胸の前で合わせて、天井を見つめ、何が違うと考え始めた。
自分の読んだ恋愛小説では、楽しそうに会話しながら布団に入るとか、いちゃいちゃしながら布団へ、である。
リクが寝台に上がったので少し軋む音が静かな部屋に響いた。
アナと並んで仰向けになったリクは、やっぱりこれは拷問な気がすると心の中で項垂れた。
(カイリは怒るか? アナさんと二人が良いと追い出した訳じゃない。カイリが自分で進路を決めて、皆みたいに大人に向かって頑張るって言った……)
リクのリクは、この状況なのでどんどん元気になっている。脳も覚醒して、眠気は全くない。
(マリナは? そういえば年頃の女の子はいつあれこれ知るんだ? 家を出るということは寮とはいえ危ないから、アナさんが教育したのか? アナさんが? アナさんって恋人がいなかったなら……)
リクは「アナさん」と彼女の名前を告げた。
「は、はい」
「その……。デート未経験って、子育て前にも何もなかったんですか? こんなに……美人だし……性格だって良いのに……」
「私、リクさんの目で美人ですか?」
「もちろんです」
変だな、自分の容姿はリクに響かないからこんなに長く片想いだったのにとアナは不思議がった。
「もちろん、ですか。それは良かったです。性格も褒められて嬉しいです」
「ええ」
「……」
「……」
俺の質問に対する答えは⁈ とリクは動揺。
「子育て前も何もないです。妹に横取りというか、妹が良いって」
「好きな人が、そう言ったんですか?」
「言ってないけど、狭い路地で妹といちゃいちゃしていました」
「……そうなんですか」
「だからデートに誘うなんて出来ませんでした」
アナはかつて、妹の恋人になった男に惚れていた。それは片想いで破れ……。
「その初恋の人の子なんですか? マリナは」
「いえ。私の初恋の人を飽きた、貧乏じゃんってすぐ捨てました。その後、妹の恋人は何人か変わって、いつの間にか恋人が何人もいて、誰の子か分からずです」
「……破天荒な妹さんですね。俺の弟も似ていますけど」
「可愛い赤ちゃんを要らないだなんて妹はおかしいです。返せって言われても絶対に返さない。なんなのもう、あのバカ妹は。初恋の人は別に良いけど、マリナは絶対に渡さないわ」
リクと一緒の布団の中にいる緊張よりも、妹に対する怒りが勝ったアナは、ごく自然に、マリナと眠る時のように右側を向いた。それはリクに背を向ける格好。
もぞっと動いたアナのお尻が、ぽよんとリクの腰にぶつかる。アナは特に何も気にしなかったが、リクの無くなりそうな理性が、ガリガリっと削られた。