ひよこ夫婦3
目の前でうずくまってしまった仮夫リクに、アナは「リクさん?」と恐る恐る声を掛けた。
まさか、悪い病気で体が辛いのではないかと心配しながら。
「リルさん、気分が……」
「えっ? アナさんは具合が悪かったんですか⁈」
あなたは具合が悪いのでは? と心配しようとした結果、自分の気分が悪いと誤解され、アナは寝なさいというように寝台へ促された。
結婚してから一度も使われていない、夫婦の部屋の寝台は、アナの手により掃除やシーツ交換はされている。
しかし、それを知らないリクは慌てて「これは全然使っていないからアナさんの部屋に運びます」と口にした。
アナはここで少し迷った。運びますということは、支えて歩いてくれたりするのだろう。
それならまだリクとくっついていられる。自室の部屋に入った頃に「良くなってきました」と言って、またお喋りに誘う。
どうやらリクは、今の私には興味があると自信がついてきたのでアナはそう決意した。
「お願いします」
結果、アナの予想は外れて、彼女はリクの腕で持ち上げられた。子どもを抱っこのように抱えて歩き出した夫の逞しさと頼もしさにアナは心の中できゃあきゃあはしゃいで感無量。
表面的には大人しいそのアナを、リクは「医者も必要か? とりあえず休息か?」と心配。
アナの部屋、屋根裏部屋へ到着すると、リクはこの部屋に入るのは初だとつい内装確認。
殺風景で何もないような部屋なのに、寝台にだけは装飾がしてある。
その寝台装飾はアナとマリナが引っ越し時に持ってきたカーテンを利用してあり、あまり大きくない屋根裏部屋の窓には、リクがマリナにせがまれて買ったカーテン。
「ああ、そういえばマリナがお姫様の寝台って言っていましたね」
「リク、リクさん。少しめまいがしただけで、もう元気なので大丈夫です」
降りますというように体を動かされたのでリクはアナを床に立たせた。
「めまい? めまいは心配です」
「き、緊張です。リクさんが、わた、私を、満月亭の頃から口説きたかったなんて嬉しくて」
正直で素直なアナははにかみ笑いでこう告げた。
(嬉しい……のか……可愛い)
ちょこちょこリクの反応を盗み見するアナの視線は、リクの視界では誘うような上目遣い。
「お休み、アナ」
理性が決壊するとリクは逃亡を選択。ただ、少し親密度が増しますようにと砕けた口調にして、挨拶の頬にキスをしてから部屋から飛び出した。
こうしてアナは夢見心地で眠りにつき、夢の中でリクといちゃいちゃして朝早く目を覚まし、現実ではなかったとガッカリ。
しかし、頬にキスは夢ではなかったはずだと昨夜の記憶をたどり、朝食作り中に現れたリクが「アナ、おはよう」と近づいてきたので決心。
「おはよう、リクさん」
近寄ってきたリクに近づいて、彼の袖を軽く掴んで、そこを支点に少し背伸びをして頬にキス。
されたことはしても許される、照れたり望み無しだとガッカリして遠巻きにしていないで、もっと勇気を出していたら、もっと前にデート出来ていたという事実がアナにこのような行動力を与えた。
リクからしたら朝から愛しの妻に襲われたという展開。
ぶちっ。
理性の糸が切れたリクはアナを抱き寄せて、抱きしめて、すかさず頬にキスして、耳元で「おはよう」と一言。
本物の新婚夫婦ならここからキス三昧で、さらにしはじめたりするのだが、まだ体の関係は全然ないひよこ夫婦の二人はそのまま寄り添い続けた。
目玉焼きの裏は真っ黒である。
☆ ★
目玉焼きから焦げた匂いがする! と二人は慌てて離れて、あたふたしながら朝食を用意して、机に向かい合って座っていただきますと挨拶。
その後は、これまでと変わらない時間を過ごし、お互いよく働き、夕暮れ時に二人で大衆浴場へ向かった。
リクはすかさずアナの手を取って握りしめ、アナは非常にご機嫌。もちろんリクもスキップしそうな勢いだ。
そうして二人して、次の段階は素敵なデートの後に、という考えを消し去った。
アナはお気に入りの小説内の台詞を使おうと意気込んで、リクは「帰宅したら攻める」と燃えている。
(いや、帰宅したらじゃないな)
リクはアナに「ちょっと用事で、大衆浴場の前に友人に会いに行きたいです」と言うことにした。目的は友人フレッドではなくて花と景色である。
アナは何も察していないので「そうですか。行きましょう」と了承。
ハーブ園に到着したリクは、そのままフレッドの自宅へ行き、友人に「料理に使うハーブが少し欲しい」と伝えた。
当然、アナは首を傾げる。それならまだ色々家にあると。しかし、家にないハーブが欲しいのかもしれないと様子見。
「それから、いつも良くしてくれるアナさんに花をいくつか買いたい」
えっ? 私? とアナはリクを見据えた。
おどおどして自信なさげな友人リクが、今夜は堂々としていて、女性のために花が欲しいと言うなんてとフレッドは感激。
「大量じゃなきゃ、常識的なら好きに持っていってくれ。いや、あの領域は困るからその辺りの花で。お礼は今度夫婦で遊びにくること」
ウィンクをしたフレッドは、緊張して見えるリクの様子であっと察して、向こうにガゼボがあると教えた。
「アナさんは、前にシルフィーが作ったリースを気に入ってくれたって言っていたから、作ってくる。小一時間待っててくれ。次の鐘が鳴るまで絶対誰も近寄らないから!」
健闘を祈ると心の中で手を振りながら、フレッドはリクやアナが何か言う前に、リクに灯りを渡して玄関扉を閉めた。
「……らしいので、待ちますか。フレッドは昔から親切です」
「……素敵なハーブ園のガゼボは気になります」
こうして二人は雰囲気のあるガゼボへ移動。
最初はリクが持っている灯りしかなかったが、徐々に少し離れたところの灯りがついていくので、リクはフレッドが何かしてくれたと察した。
「綺麗……」
景色を眺めて感嘆の声を出したアナはガゼボの中には入らず、周りを見渡している。
「綺麗ですね」
違うな、とリクは深呼吸。この国で最も基本的な口説きは「君の方が〇〇」だったはずだと、胸を張る。
「アナさ——……」
「フレッドさんは親切ですね」
手鼻を挫かれたリクは、アナのこの台詞に小さく頷いた。
「ええ。昔からそうです。少し身分が違うのに、気さくで親切です」
友人を褒められて嬉しいけれど、ほんのわずかに嫉妬してしまうとリクはアナから視線を逸らした。
しかし、これでは友人フレッドのお膳立てを無碍にしてしまうと、アナに近寄り、座りますか? とエスコート。
手を取られたアナは照れてはにかみ笑いと小さな返事をした。
ガゼボ内に入り、二人で並んで座ったものの、どちらも背筋をピンっと伸ばして無言。
しばらくその時間が続き、鐘が鳴ってしまい、フレッドが現れてリクに花で作ったリースを渡す。
「……リクだから、もう少しいて良いから、次の鐘が鳴ったら帰るって教えてくれ」
なんとなく、この二人は何もしていなかったと察したフレッドはそう告げて撤収。
彼は去り際に、リクの背中を軽く叩いて「頑張れよ」と耳打ち。
ここまでされれば、奥手で緊張しいで照れ屋のリクも奮起する。
フレッドがいなくなり、アナにリースを渡すと、すかさず「この花も美しいけど、アナさんはもっとです」と褒め言葉を喉から絞り出した。
「……嬉しいです。ありがとうございます」
これはお世辞よ! と心の中で叫びつつ、アナはそういったことは言わずに、確か小説では素直に感謝だったと思案してこの言葉を選択。
薄灯りのガゼボにいて、周りは季節の花とハーブとなれば雰囲気抜群。
隣同士に座っていて、期待心が最大になったアナがリクにそっと近寄って彼を見上げる。
こうして二人はようやく唇と唇を重ねた。