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ひよこ夫婦2

 さて、リクという男は女性経験ゼロの男であり、ビビリでもある。衝動に任せて妻を抱きしめてみたものの、ここからどうして良いのかが分からない。

 だがしかし、上げ膳据え膳、あなたが好きなのという想い人から逃げる根性無しでもない。

 なにせ、自信がなくて上手く口説かなかった結果、相手を傷つけていたので。

 キスして夫婦の部屋へ連れ込もうと考えたものの、それは違うと腕の力を緩める。


「あの……。俺、前に教えたようにデートもしたことがなくて……」

「……私もです」


 アナの胸の中は期待でいっぱい。今夜私はついに彼の本当の妻になる……と考えて、身体の手入れはしたし、肌着も悪いものではないけれど、いきなりは恥ずかし過ぎると身を捩った。

 今夜はせっかく手を繋いでもらえた記念すべき日なので、可能なら次はデートで、憧れのエレイン湖の湖畔でキスが良いなぁと贅沢な願望を抱いた。


(私って欲張り……)


 ずーっとこの逞しい腕の中にいたいなぁと、アナはリクの服に添えている手に少し力を入れた。ギュッと握りしめる。


「近々、カイリとマリナに会いに行きませんか?」

「ええ。二人とも元気か心配ですものね」

「近くはないので、向こうの安宿に泊まりましょう。安いけど、古くも汚くもないところで。空き時間に二人でエレイン湖観光はどうかと。部屋は一部屋で良いですか?」

「……はい」


 泊まり付きデートに誘われた! とアナは夢見心地。


「一部屋なので、その日に……。心の準備をしてもらえたら嬉しいです。その……俺のこと、チーズより大好きらしいので……。うん。せっかくなので、非日常的な方がより思い出になるかと」


 このままガッツキたい衝動を抑え、リクはアナからそっと離れた。

 照れて顔を見られないのでそっぽを向いて、手持ち無沙汰で首の後ろに手を当てる。


「……嬉しいです」


 もっと触られていたかったな、とアナはリクの空いている手を両手でそっと取って包んだ。


「明日も仕事ですから、もう寝ますか?」

「いえ」


 今夜は我慢でロマンチックな初夜にする! と考えたリクの理性は早速崩壊気味。

 そんなに可愛い上目遣いでおねだりみたいに見ないでくれ、と途方に暮れつつ、可愛いとガン見。


「……」

「……」


 どちらともなく手を繋いで、二階へ上がり、無言で夫婦の部屋へ。


「あの。さっきのずっとって、いつからですか?」

「えっ?」


 アナに問われたリクは、何の話だと困惑。彼の悪癖「分からないと考え込んでしまう」が発動しかけ、質問をしないと解決しないという、最近学んだことを思い出す。


「あの、今のずっとって何の話ですか?」

「……あれっ。あの。私のことを……ごにょごにょ。口説けなかったと……。空耳というか願望でした?」


 アナとしては普通の会話の流れなのだが、リクとしては「その話がさっきになるのか⁈」と衝撃である。

 一般的に、女性はは物事と物事の間を連合させる「連合記憶」という能力が男性より高めなので、話が飛んでいるように感じさせてしまうことがある。

 話が逸れていくとか、関連が低そうな話へ転換してしまうという、欠点になることも。


 口説けなかったというのはいつからですか? と問われたと理解したリクは、情けない話はしたくないと唇を結んだ。

 しかし、アナは知りたいという眼差しでリクを見上げている。

 格好悪くない、情けなくない期間は……。


「最近ですよね。最近、私と歩み寄って良いと考えたり……。カイリが半分独り立ちしたから。うん。そうですね。そうですよね」


 リクから手を離したアナは、ここへ連れてきてしまったけどどうしようと窓辺へ移動。

 外を眺めて、マリナもがカイリも寂しくしていないかしら、ご飯は食べられているかしらとリクのことは頭から追い出すことに。

 必ずすぐに手紙を書くのよ、すぐに返事を書くから。寂しかったらすぐに言うこと。すぐに飛んでいくから。

 アナは二人にそう言ってあるのたが、まだ二人からの手紙はきていない。


 最近ですよね、と口にしたアナは寂しげに見えたけど勘違いだろうか? とリクは彼女に近寄った。

 もっと手を繋いでいたかったのに、離されてしまった。おまけに逃げるように距離も取られた。


「……最近じゃなかったらどう思いますか?」


 リクはこのように小狡い言い方を思いついた。


「最近じゃなかったら?」


 振り返ったアナが首を傾げる。


「ええ」


 はて、何の話? というようにアナがきょとんとしているので、リクは慎重に、言葉を選ぶことにした。


「例えばほら。まだ満月亭で働いている時に、酔って他の人達みたいに軽く酔い任せに誘っていたら、あしらわれて、今の生活はなかったのかなぁと」

「何を言っているんですか。リクさんは私に全く興味がなかったから、そんなこと一度も無かったじゃないですか」


 来店のたびに今夜こそ褒められるくらいないかな、と期待しても無駄だったと、アナは苦笑い。

 リクはこの苦笑いを、あの店に通う者達に絡まれていたという接客の苦労を思い出したのだと判断。


「いやあ、そうですよね。うん。酔っ払いの相手は大変だから、変なことをしてなくて良かったです」


 こう口にしたから、リクは「ん?」と自分の発言や会話の流れに引っかかった。

 アナが期待外れみたいな、そう見えるような、叱りに叱った後のカイリみたいな表情に変化したので。

 そこで、まさか……と喉を鳴らして声を出した。


「気にはなるけど子持ちみたいだし、父親は見当たらないけど……。俺も子持ちだし……。そのうち叔母と姪だと分かったけど……。綺麗で優しい人は、俺なんかを相手にしないなって。男はほら、わりと好みの相手はとりあえず口説きたいけど……接客の邪魔です俺は子持ちだし……」


 恐る恐る、リクは「前からとにかく口説きたかった」という感じは控えめになる言葉を選択。

 リクさんは私に全く興味がなかったという発言を肯定してはいけない予感がしたので。

 すると、アナの表情は明るくなり、彼女は少し微笑んだ。


「そうなんですか。そうですよね。好みでもない相手と一つ屋根の下はあまりですよね。そうですね。私は皆がそう言ってくれるので、そこそこ美人のはずだから、目に毒ではないはずです」

「皆の目の保養でしたよ。満月亭のアナさんは」


 奪い合いの取り合いで、勝ち目が無さそうだし自分は子持ちだと傍観。

 なのに、カイリとマリナのおかげで一つ屋根の下。満月亭の店主夫婦に挨拶へ行った時に、リクは常連客達の一部に罵詈雑言を浴びせられた。それは、黙っておく。


「おかげで良い待遇でしたので助かりました。女手一つのせいで、マリナに辛い思いをさせなくて済んで。裁縫工場では工場長に色目を使っているとか、旦那に色目をとか、言いがかりをされた時は大変でした」

「裁縫工場で働いていたことがあるんですか」

「言ってなかったでしたっけ? なので縫い物は任せて下さい。靴も教われば出来る気がしています」


 アナが胸を張り、靴作りを手伝いたいとは嬉しいとリクは唇を綻ばせた。しかし、話が逸れたなと慌てる。


「満月亭の私は目の保養かぁ。また勤務服を着たら、リクさんも、今なら目の保養って思ってくれそう」


 今なら、という言葉で「リクさんは私に全く興味がなかった」という台詞がますます引っかかる。


「あの。前から目の保養でしたよ」

「前から? 最近の私は気になる存在で、ごにょごにょらしいので……ありがとうございます」


 どう見てもアナは急に照れた。ごにょごにょしていて聞こえなかった言葉はなんだ? とリクは彼女に近寄ることにした。


「なにらしいんですか? 聞こえなくて」

「へっ? いえあの、チーズよりはす……きって、好きらしいので……」

「……」


 ここでようやく、リクはこの質問を思いついた。今更である。


「アナさんはいつから俺のことを? 俺も気になるから、教えて欲しいです」


 部屋は暗いが、窓辺にいるアナの顔は月明かりでよく見える。その顔は明らかに羞恥で変化したと、リクはしっかり気がついた。


「……呆れないで下さいね。だいぶ前です。三年前にソニアさんがリクさんを口説いてくれない? って言うものだから……意識してしまって……」


 事実は言われたから意識してしまったのではなくて、あまりにも好みだと一目惚れであるが、アナはそのことは黙っておいた。

 一目惚れして、おまけに似たような境遇だから運命の人と舞い上がり、特に何も起こらないのでガッカリする日々を送ってきた。つい最近までは。


「ソニアってまさかソニア叔母さん?」

「ええ。甥とお見合いしないって、リクさんを紹介してくれました」

「さん、三年前⁈」

「マリナが大きくなってからかなぁとか、どんな人なのかなぁって……そうしたら、ソニアさんは関係無く、カイリが……あっ! ソニアさんはカイリに引き継ぎしたんですね!」


 突然、子供達が親が欲しいと騒ぐのはおかしいので、アナはそういうことだったのかと納得。

 こうなると、ソニアがカイリへ引き継ぎして、気乗りしないリクを乗せ、一つ屋根の下になったら、見た目は悪くないけど他のことは興味の無かった自分を、少しずつ意識してくれるようになったと連想していく。

 酒場の給仕はあまり印象が良くないけれど、一つ屋根の下で家政婦仕事や子育ては、わりと印象が良かっただろうと。


 三年前、ソニア叔母さんとリクは記憶を辿った。


『あんたは女っ気が無さすぎるし、男にだって売れ時がある。カイリだって母親が欲しいかもしれないわ』


『とりあえず近所の美人給仕で練習してきなさい。あそこなら誰も彼も声を掛けるから、非常識なことをしなければ口説く練習やデート練習くらい出来るわよ』


 叔母に満月亭を勧められていたし、しかも口説けと言われていた。

 ふーん、美人……と飲みに行ってみて、わりと好きな酒が高くないし、この店員さんはあまりにも好みだと通うようになり……。

 それは三年前のことだ。


「良かった。そろそろもっと頑張って、デートに誘おうかなって考えていたら家族になりましょうって話が出て、今は試しに夫婦になってみませんかって」


 今は「試しに」夫婦になってって、試しにってなんだ! 

 カチカチカチカチとリクの中でアナのこれまでの色々な言葉が連結していく。


「……俺。その。カイリが一人前になったら満月亭のアナさんを口説きたいなと、どうか他の男に取られませんようにって……。たまに、六年後は先過ぎるって悩んだり……」

「えっ?」


 うわあああああああ!

 とっとと口説いていたら、カイリはもっと早く素敵な母親を手に入れていて、俺もとっくの昔にデートをしたり素晴らしい夫婦生活を送り、可愛くて楽しい娘まで出来ていたのに!

 

 あまりにも衝撃的事実に、リクは膝をついて体を丸めて、軽く床を叩いた。

 アナとしては、リクのこの動作は実に意味不明な行動で、彼女は途方に暮れた。

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