不発
わいわい一緒に夕食を作り、これはマリナが好むとか、これはカイリが好むとか子どもの話で盛り上がった二人は、そこからあの幼かった子が半自立したと少ししんみり。
それでリクが飲み始めて、アナもあまり飲んだことがないので飲みたいと言って二人で晩酌。
あまり飲んだことがない故に、自分は飲むと眠くなると把握していなかったアナはわりと早めにうとうと。
まだ話したいです、という彼女に若干悶え気味のリクは、凛々しい顔を保とうと努め、寝るから歯を磨く、きちんと部屋に行くと言いつつふらふらするアナについて回った。
夕食前に風呂屋へ行ったし、歯も磨いたので、後は寝巻きに着替えて寝るだけ。
アナはふわふわする頭で寝るだけ、寝るだけ、寝るだけと考えながら、一階から二階へ移動。
落ちたり足を踏み外さないか心配するリクがその後ろに続く。
まだ話したいとは可愛いなぁ、こんなに無防備で信頼されているなぁとデレデレしているリクの胸に、ふらついたアナの体がぶつかる。
デレててもアナを見守ることをしっかり意識していたリクは、彼女の腕を掴んで受け止めた。
「すみません」
「いえ。あっ。屋根裏までだとまた階段があるので、夫婦の寝室を使いますか?」
夫婦の寝室はいつ出番があるか分からないので、とリクは掃除をこまめにしている。
洗濯や空気の入れ替えは、空き部屋も気をつけないとと言うアナがしてくれていることも知っている。
「……ええ」
酔っ払っているアナの思考回路は、夫婦の部屋ですって、夫婦よ夫婦♡ である。
長年の片想いはどうやら望み薄ではなさそうだと感じている彼女はわりと浮かれ気味。
なので、夫婦の部屋まで送られて、扉のところでリクに「お休みなさい」と告げられて傷心。
体は清いままでも、それなりの年でおまけに元酒場の店員のアナは耳年増だし知識も結構ある。
リクに迫られる妄想で自分で自分を慰めることもあるので、過激めな恋愛小説のように迫られるんだわ! と期待していたのに肩透かし。
彼女は思わず背中を向けたリクの服を掴んでいた。
呼び止められた! と心臓をドキリとさせたリクは停止。アナが何か言うのを待つ。
「お休みなさい……」
気の利いた台詞が出てこないアナはそう口にしたものの、名残惜しくて手は離さず。
デートも二人で料理も晩酌も全部夢で、目が覚めたら二人には何も起こっていないかもしれないと怯える。
しかし、酔って脳が変になっているアナはこうも考えた。夢なら変なことをしても言ってもそれは現実では無いから平気だと。
「……私はいつリクさんの妻になれますか?」
「えっ?」
そういえばこの話題についてはまだ解決していなかったとリクは振り返って、悲しそうに俯いているアナを眺めた。
妻ではないから悲しいのなら、妻なら嬉しいのだろうかという前向きな思考を展開。
「かなり前に入籍したので……妻だと思っていましたけど、違いますか?」
リクのこの発言に、アナは目を見開いて、瞬きを繰り返した。
「そう……ですか……」
随分前から自分はリクの妻。
そうか、これが噂の夫婦生活というもので、自分が想像していた夫婦生活はいわゆる恋人生活だったのかと、アナは変な結論に至った。
家のことをして、子育てをして、仕事を少し手伝って、節約する。
そうだな、それは確かによく知る妻の仕事なので自分はリクの妻だなとしょぼくれ顔。
随分前から自分を妻だと認識しているのに、まるで手を出されていなかったということは、恋愛結婚妻しかそういう対象ではないのかと落胆。
そんな話は聞いたことないけどな。自分はわりと狙われる体持ちだし、顔もそこそこ綺麗なはずなのに、まるで興味無かったとは……またその事実を突きつけられたと絶望。
あなたは自分の妻だと告げた結果、めちゃくちゃ落ち込んだ顔をされたので、リクの前向きさはポキリと折れた。
同時に彼は混乱。悲しげな顔で妻になれますか? と問われたのでもう妻ですと伝えたら。それもそれで悲しいという表情。
まるで意味が分からない、アナさんは難しいと途方に暮れる。
本日日中、とにかく喋った方が良いと助言されたので言葉を探す。
「えっと……。俺の妻なのは嫌ですか?」
そうだと言われたら最悪だけど、うじうじ悩んでもアナの頭の中は覗けないので、リクは賭けに出た。
嫌では無いです。そう言われたら勇気が出せると唾を飲む。
「まさか。役得です!」
役得? 役得ってなんだとリクが疑問符を浮かべていると、酔っ払いアナは惚気始めた。
毎日見られるし、毎日喋れるし、料理や掃除をしただけで褒められる。
「よく考えたら贅沢な願いよ。たまにしか会えなくて、全然喋ってくれなかったリクさんと毎日一緒。今日なんてついにデートしてしまったわ。気が合うですって! きゃあ〜! ケミー、聞いた?」
右手を頬に当てて、反対側の手で自分の腕をペチペチ叩くアナはどう見ても酔っ払い。そしてリク視点だと可愛い。
「……」
「私達、またデートするのよ」
軽く歌って踊ったアナはそのまま倒れるように寝台へ倒れ込み、すやすやと寝息を立てた。
「……」
掛け布団の上に寝っ転がったアナを心配しつつ、自分の妻なのは嬉しいようなので、布団の中に彼女を入れるくらいは許されるよな? そのくらいなら触っても大丈夫だよな? と心臓をバクバクさせながら近寄る。
「んん……」
アナがみじろぎしたのでリクは停止。
「マリナ……今夜も寒いわね……」
むにゃむにゃ言いながらアナは布団の中へ入った。
これなら彼女が風邪を引くことはないとリクは撤収。
酔っ払った彼女は可愛かったし、なんだか良さそうな事を言ってくれたので幸先良し。
頑張って口説いたら、片想いを終わらせられるかもしれないと廊下でバンザイ。
★ 数日後 ☆
仕事後、友人フレッドに呼び出されたリクは、彼の家の応接間でこの間のデートの後は上手く行ったか? と問われたので、多分と返答。
それでこういう感じだったと話した結果、フレッドに呆れられた。
「それってつまり、アナさんは前からリクを気にかけていたってことじゃないか?」
「……前から?」
「満月亭で飲んでた頃から。それで娘に頼んで接近しようとして、上手く君と結婚した」
「……えっ?」
「っていうか、いつ妻になれますかって、手を出されたいのにまだ? っておねだりじゃないか?」
「……はぁああああああ⁈」
勢い良く立ち上がったリクは机に足をぶつけた。
「っ痛」
「良かった、良かった。早く帰って好き放題してくれ。これ。ぼんくら気味のリクへ少し早い誕生日祝い。結構大変だったんだからな」
そう言ってフレッドがリクに渡したのは最近では話題で人気の歌劇の観劇券。
絶対に妻が喜ぶから二人で行きたいけど、リクは大事な友人だから、どんどん幸せになれよと背中を叩いて観劇券を渡して、こういうことでも言えと助言して、帰れ帰れと家から追い出した。
フレッドに観劇券だけではなくて、薔薇も渡されたリクは頭の真っ白状態で帰宅。
エプロン姿で、おたま片手に「お帰りなさい」と出迎えてくれたアナに見惚れる。
ついこの間までこのお迎えはなかったのに、ここ数日はこうである。
それだけで幸せなのに、手を出してっておねだりされた? とリクはジロジロとアナを観察。
残念人間リクは照れて薔薇を後ろに隠した。
「何かついていますか?」
「いえ」
「こんなに早いとは思わずすみません。もう少しで出来ます」
友人のところへ行くけど夕食は要りますと伝えていたので、アナはいつものように夕食を用意している。
自分に背を向けて台所へ消えていくアナを見つめながら、手を出すってどうやって? フレッドの勘違いだったらこの幸せ生活が終わるのか? とリクは途方に暮れた。
リクは自尊心が低くて(待ち合わせで服を選んでくれたことを自尊心が強くて言えなかったとあるので矛盾してる?)、恋愛ごとでは後ろ向き傾向。人は簡単には変われない。
しかし、リクは行動することでしかアナの気持ちを確かめられないと学んだので、台所へ顔を出して、意を決して薔薇をアナへ差し出した。
「フレッドが、綺麗に咲いたからってくれました」
「綺麗ですね」
フレッドから薔薇のお裾分けをされても、普通に嬉しいくらいのアナは、しれっと薔薇を受け取り、花瓶に刺して水を注いで机に飾った。
「もうすぐ誕生日だからと、歌劇の観劇券もくれました。一緒に行きませんか?」
彼女は次もデートしてくれるらしいので、とリクは緊張しながら誘った。
瞬間、アナはおたまを両手で握りしめて満面の笑顔。
「連れに私を選んでくれるんですか?」
「……ええ」
うわぁああああ!
アナさんは俺と出掛けたいってことだとリクは感激。
一方、もう次のデートに誘われたとアナも上機嫌。
「今日フレッドに教わったんですけど……薔薇が一本だと、あなたしかいませんという意味らしいです。今度の歌劇で出るかも……。青薔薇のお姫様の話らしいので……」
思わせをして、反応が良ければ手を出せと助言されたフレッドは、意を決して声を出した。
「フレッドさんとシルフィードさんはおしどり夫婦ですよね。私達にまで、自分の妻はシルフィードさんだけだなんて盛大な惚気ですね」
ここまででお分かりのように、アナは曲者だった。