近づいた二人
旅行客と楽しい時間を過ごしたリクとアナは、彼らがロウソク作り体験を始めると、それとなくフレッドに促されて帰宅。
歩き出した二人は緊張で無言。先程まではお互い、同性の異国人と和やかに、楽しげに会話していたというのに。
「……疲労は大丈夫ですか? 楽しいと忘れるから大丈夫でした?」
あなたの旦那さんは照れ屋なうちの旦那と似た雰囲気だから大変そう。
沢山話しかけて、返事を待たないといけないのは疲れるけど、慣れたら自然になる。
今日会ったばかりの女性にそう助言されて、リクが照れ屋という発想はなかったとアナは目から鱗。
なので、彼女はこうして頑張って雰囲気が固いリクに話しかけた。
「疲れていません」
リクはこう告げてから、自分が思っている二から三倍話した方が良いというルイスの助言を思い出して言葉を続けた。
褒める、感謝する。それを忘れると誤解が生じたりすれ違う。
人が言葉を手に入れたのは、相手と意思疎通を取るためで、中々自分の気持ちは察してもらえないもの。
「仕事にだけ集中出来るからいつも疲れてないです」
「仕事にだけですか……」
恋愛に関しては性格が後ろ向き傾向のアナは、リクは仕事だけしていたいと誤解。
自分を妻にするとか、妻と恋愛を楽しむとか、いつかは二人の子を育てるという人生は欲しくないようだと。
アナはとにかく話しかけるという勇気を失ってしまったので俯いた。
「家のことをいつもありがとうございます。お店の手伝いまで。なのでその……。前からお礼をしたくて……。なのにどこへ行ったら喜ぶか悩んで全然で、最初から聞けば良かったです」
ぺちゃんこに潰れたアナの勇気はこれで少々復活。
「そんな。私の方こそ、得意ではない酒場仕事から抜け出せました。早寝早起きが好きなのに遅寝でしたし。でも生活費を稼ぐのに、親切な満月亭で働くのは合理的で」
「早寝早起き……なんですね」
「ええ」
会話終了。
このくらいのことは入籍前にしろ、と二人の友人がいたらツッコミたくなるだろう。
「カフェ……まだやっていますかね。俺、楽しみにしていて。男同士ではまず入れない雰囲気って聞いて、どんなかなぁって」
「楽しみ……でした?」
期待外ればかりのアナは、ついに期待しない精神を身につけつつある。
彼女は歓喜の笑顔ではなくて、リクの様子を恐る恐るという表情でうかがった。
このアナの態度に対して、リクは「なぜ怯えられている」とわりと正しい推測をした。
楽しみでした? と怯えるということは、楽しみではないと思われていたのではと気がつく。
リクはこれに気がつかないほどバカではない。意思疎通が難しい赤子や幼児としっかり向き合って育ててきたので、冷静さを保てれば考察力は人並みにある。
「たの、楽しみでした! 楽しみでした。とても。なのでその、なぜあの、帰りたくなったのか教えて欲しいです」
「……帰りたくなったのはリクさんですよね? 帰りたくなったというか、行きたくなかったというか……」
アナの気持ちはまたしても沈んでしまった。自分と二人でお手掛け——というかデート——には気乗りしなくて仕事優先。
異国人と話したり友人フレッドがいるなら仕事よりもそちら優先。そのことに思い至ってしまったからである。
行きたくなかったと思われていたなんて、とリクは衝撃を受けた。
それで、突然のことだったので咀嚼できていなかった、突然話しかけてきたセレナの言葉が蘇る。
『二時間近く楽しそうに人を待っていたのに、仕事で忘れていたなんて言われたらそりゃあ悲しいですよ』
仕事で忘れていたなんて言ったか?
とリクは自問自答。言っていないと結論付けたものの、アナのこの様子だと自分が言ったか誤解させることを言ったということ。
俺はなんて言った、なんて言ったと記憶を掘り起こす。
それで、あれ? 俺はむしろ何も言ってない? と事実に辿り着く。
仕事のせいで遅刻したと告げて、その後は混乱で返事をしていない。
「仕事は沢山だけど急いでないから立て込んでなくて、楽しみにしてました!」
慌てたリクはかなり大きめの声を出した。驚いたアナは何も言えず。
「待たせてすみません。仕事じゃなくてフレッドに相談とか、あいつ、気を利かせて家に来てくれて。俺のことだからお店の下見をしてないだろうとか、変な服を選ぶだろうって」
恥よりも喋ることを優先、とルイスに言われたのでリクはとにかく喋ることにした。
ろくでもない女性は素直な真っ直ぐな気持ちを時に「気持ち悪ーい」みたいに遠ざかっていく。それは指標の一つになるし、気が合う合わないも知れるから、とにかく喋った方が良い。寡黙で得することは少ないと言葉はリクの心に沁みている。
「フレッドさんはもしかして、わざと私の前に現れました?」
「多分。聞いてないけど多分。心配してくれて。俺、デートなんてしたことがないから……喋れなくなったら助け舟とか、多分、フレッドは親切だから……」
フレッドは親切な人間ではあるが、リクを気にかけたのは友人だからで、その友人という認識はリクが積み上げてきた実績や信頼によるもの。
かつて、彼が困った時になんてことのない顔で助けたからとかそういうこと。
「デート……したことがないんですか……」
うわぁあああ、めちゃくちゃ惨めだとリクは項垂れた。これは言わなくて良い事だったと俯く。
「私もないです。私達、ずっと子育てでしたものね。私は子どもを置いてデートしようなんて人は嫌いだから誰ともデートしませんでした」
「……」
ん? その前は? マリナを育て始める前は? とリクは顔を上げてアナの顔を覗き込んだ。
このめちゃくちゃ美人で体つきもかなり良さそうな優しい女性が、三十才過ぎまでデート未経験ってなんだ? と驚愕する。
「お揃いですね、私達」
にこっと笑いかけられたリクは惚けた。彼の頭から疑問が吹っ飛んでいく。
「お揃いですね……」
「子どもを押し付けられて、幸せいっぱいなのもお揃いです。私達、気が合いますね」
基本的には楽観主義の前向き人間アナは、本来の輝きを取り戻した。
恋愛だと後ろ向きになる傾向があるが、自信を持てればその欠点は消えていく。
「そうですね。そうです。俺達は気が合います」
そうか、アナさんは俺が仕事優先で帰りたいと誤解したから悲しげだったけど、逆なら嬉しいのか。
つまり、脈ありだとリクも前向きになった。そもそも入籍してくれた時点で脈ありだろうと言う者はここにはいない。
「まだやっていますかね、あのカフェ」
「どうでしょう。夜はレストランで予約制らしいんです。それに間に合うようにカフェ待ち列を切ってしまうと」
「それならあそこは次回の楽しみにして、今日は別の店で少し早い夕食にしますか?」
「次回……はい。でもそれならその分節約で、家で食べましょう。夕食は何を食べたいですか?」
家にあるものはこの食材とアナが説明を始めて、リクは「アナさんの手を煩わせないもので」と告げた。
「いや、たまには俺が作ります」
「そうだ。私達はこれからゆっくり夫婦になるんですから、親しくなれるように一緒に作りませんか?」
私はカイリとそうやって仲良くなりましたと笑ってから、アナはこれでは自分はリクと親しくなりたいとバレバレだと照れて沈黙。
困り顔で俯いたアナを眺めて、この困り顔は気になるけれど、言われたことは「親しくなりたい」だから、弱気は良くないとリクは心の中で、前向き、前向きと呟いた。
「そうですね。一緒に作りましょう」
こうなれば、元々お互いに気持ちのある男女の仲は早い。
しかも二人はもう一つ屋根の下で暮らしていて、更には入籍済み。
二人はその後、仲良く楽しい時間を過ごし、あれよあれよという間に夫婦の寝室にいた。