15話
衝撃的な告白をされた日の翌朝、話があると言われたので、レアに呼び出された場所に彩花と二人で向かう。あんなことがあった為、どういう顔で会ったらよいか分からなかったので、一緒に呼び出されたのはある意味幸運だったのかもしれない。時間が経てば経つほど、顔を合わせ辛くなるのは分かっている。だが、なかなか行動に移せない、というのは人間の常なのだ。無言で呼び出された場所に向かう。彩花は今何を考えているのだろう。
呼び出された場所は、俺達がこの館に来て、一番最初に入った場所である。すなわち召喚された部屋だ。ここは、レアが趣味の召喚魔法を試す部屋らしいのだが、俺達を召喚した後は、それも止めたらしい。掃除はしてあるのか、埃っぽさはなく、閑散としている。石造りの為、冷たい印象があり、日の光が入らないのでオイルランプで部屋を照らしているが、その事が余計にこの部屋の冷たさを際立たせている。部屋にはレアのほか、エルナさんとマーシャさんも居た。
「懐かしいな」
レアが真顔で呟く様に言った。『懐かしい』か、そうかもしれない。1年前にこの世界に来て、色々な事があった。
「回りくどい事は嫌いなのでな、単刀直入に言う。お前たちを元の世界に返す方法が見つかった。」
レアは抑揚のない声で事務的にそれだけを言った。エルナさんもマーシャさんも真顔のまま表情は変わらない。事前に聞いていたのだろう。俺の方は心臓が『ドクリ』と打つ音が聞こえた気がした。
「この魔法は少し特殊でな、召喚されてから1年以内に、空に浮かぶ2つの”月”が同時に満ちるときに行う必要がある。次に同時に満ちるのは明日だ、それが、お前達が戻ることが出来る最後のチャンスでもある。」
「明日。。。」
悄然と俺が呟く、また、心臓が『ドクリ』と打つ音が聞こえた気がした。
「そうだ、ギリギリになってしまった事、そして、私の趣味のせいで二人には迷惑をかけた。その事を詫びたい。」
レアが頭を下げる。貴族の人間が使用人に頭を下げる。軽い事ではないはずだ。
「儀式は明日の夜に行う。準備は私達がする。お前達、いや、シューイチ殿とアヤカ殿は心積もりだけはしておいてくれ。」
レアは能面の表情のまま、淡々と事実だけを述べる。その姿に別れの気配を感じる。
「あの、一度、元の世界に戻った後、再びこの世界に来ることはできないのでしょうか?」
俺にとってここでの一年は簡単に切って切り離せるものではない。もし二つの世界を行き来するような方法があれば、レア達とも、また会う事が出来る。
「残念だがないな。というかその気も失せるだろう。」
「その気も失せる?」
「さっき、特殊な魔法だと言ったな。私が行おうとしてる魔法は、因果律の”因”の部分を断ち切る魔法だ。"原因"を取り除けば、お前たちがこの世界に召喚されたという"結果"は生じ得ない。つまり、元の世界に戻れるという事だ。もっと簡単に言うと、魔法陣の中にあるもの全ての時間を戻す魔法と考えてもらっても構わない。色々前提条件はあるがな。」
レアは続ける。
「そして、シューイチ殿とアヤカ殿は召喚前の状態に戻る。ここでの事は全て忘れるだろう。」
召喚前の状態に戻る?つまり地震が起きたあの瞬間に戻るという事か、体も、心も、そして、記憶も。
「レアお嬢様達はどうなるのですか?」
俺は絞り出すような声で言った。
「どうもしないぞ、影響を受けるのは魔法陣の中にあるものだけだ、お前たちが還った後、いつも通りの生活に戻るだけだな。」
レア達は俺たちの事を覚えたままという事か、そしていつもの日常に戻る。俺達は地球で地震が起きた地点から、いつもの退屈な日常を再会させる。なんだ、なんの問題もないじゃないか、勝手に召喚されて迷惑してたんだ、それが正常な状態に戻るだけだ。なのになんでこんなに苦しい。ドクリ、ドクリ、と動いていた心臓は早鐘を打つような速度まで上がっていた。
「然りと伝えたぞ、明日の夜にこの場所だ。」
レアの表情は動かない、まるで石仏と話しているような気分になる。俺達と別れるのがつらくないのだろうか。いや違う。それくらい俺だってわかる。俺たちが未練を残さない様に、あえて無表情を装っているのだ。レアもエルナさんもマーシャさんも、心配をかけまいと無表情を装う。俺なら同じことが出来るだろうか?いっそ帰らないでくれと泣きついてくれた方がどんなに楽だろう。
レアは話が終わったとばかりに部屋を出て行った。
夜。俺は自室のベッドで呆然と考えていた。頭の中では妄想と現実が入り乱れ思考が出口のない迷路を彷徨っていた。『キィ』とドアが開く音がする。気が付くと扉の傍に彩花が立っていた。
ノックをしたが返事がないので勝手に開けたと言われた。自分の事が手一杯で彩花の事まで考えれていなかった。胸が張り裂けそうなのは彩花も一緒の筈なのに。兄、失格だな。兄か・・・・・。
昨日の事があったのでためらったが、「入るか?」と聞くと。彩花は「ううん」と言って首を振った。一言だけ言いたくてと、彩花が静かに話した。
「還るの迷っているのでしょう?」
「ああ・・・」
そうだ、迷っている。地球での16年とこちらでの1年どちらが重いかなんて明らかだ。それでもいつの間にかこの世界が好きになっていた。エルナさんが、レアが、マーシャさんが。
「私はね、どんな選択をしてもお兄ちゃんについていくから、戻るにしても、残るにしても、それだけ言いたくて。」
いっそ、彩花が決めてくれと言いそうになったが、抑える。
「いいのか?」
彩花にとって昨日の告白はそこまで軽い物ではないだろう。地球に戻るとするなら、全てなかったことになる。
「いい、一度言えたのだから、二度目もきっと言えるよ。」
彩花は『フフッ』と笑い、部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、再び、ベッドに寝ころび考える。どう考えたって、還る方が良いに決まっている。両親の事、ちょっと気になっていたクラスメイトのあの娘、部活やクラスの友達、医者になると言う夢、食事だって向こうの方が美味しい、娯楽も、気になるドラマや漫画の続き、お気に入りのTV番組、好きな動画チャンネル・・・・戻りたい理由を考えれば、きりがない。
彩花はどう思ってるのだろう。何となくだが、還りたくないと思ってるんじゃないかと思う。10年以上も兄妹をやってきたのだ。それに、この世界に来てから柵なく生きているように見える。男女の価値観が違うこの世界に来たから分かる。この世界の男は窮屈な生き方を強いられる。ということは逆に彩花にとっては生きやすいのかもしれない。だが、"還りたくない"と"還った方が良い"は違う。
逆に俺の場合について考える。この世界でも出来る事は沢山ある。オセロを作る、プリンを作る。医者だってそうだ、偶然とはいえ治癒の力を手に入れた、この世界でも人を救う事は出来る。男にとっては窮屈な世界かも知れないが、それは不能の理由にはならない。前に考えたように、自作の小説を作るのもいいかもしれないし、サッカーを広める事だって出来るかもしれない。
還る理由、還らない理由、還らない方が良い理由、還った方が良い理由、還るべき理由、還らないべき理由、還れば記憶が消えてしまう事、エルナさん達と別れる事。俺の将来、彩花の将来、色んな思考が泡のように湧き出ては消えていく、最初はポツリポツリと浮いていた泡がいつの間にか沸騰した水の表面の様に一面に広がる。俺はその泡を必死に掬おうとしている。そんな事が出来るはずがないのに。
駄目だ、ぐるぐると永久に思考がループする。考えても答えは出ない。
天井を見上げる。瞼を閉じる。一番大切な人の顔を思い浮かべる。
それで、答えを決めた。俺は・・・。