【落語】うらめしや
前から夏にあげようと思っていた幽霊噺です。
でも怪談ではありません。
全く肝の冷えない噺をお楽しみください。
え〜、幽霊というものは、お化けとはやはり違うものでございます。
お化けというと「ばぁっ!」と大きな声でびっくりさせるものですが、幽霊はこう消え入りそうな声で
「う~ら~め~し~や~」
とぞくぞくっとさせるものですね。
またお化けは、ものが化けるからお化けですが、幽霊というものは大抵恨みを残した人がなるものでして……。
「さてそろそろ暖簾をしまうかね」
『あの~』
店じまいの支度をしていた男の背に、か細い声がかけられました。
「お、何だい? もう店じまいだけど、簡単なもんなら作れるよ」
『いえ、あの、ご飯を食べにきたわけじゃなくて……』
「じゃあ何だい?」
『あの、あたし、幽霊なんです』
「は? 幽霊?」
『えぇ、幽霊です』
男は言われて声の主の上から下まで眺めます。
「へぇ、言われて見りゃ足がねぇや」
『驚かれませんね』
「当ったり前ェよぉ! こちとらお稲荷さんを背中にしょって商いしてるんでぇ! 幽霊一人にびびって商いが勤まるかぃ!」
『おぉ、これは心強い』
「んで何の用だ」
『あたし、未練があってこのように幽霊になったんですが……』
「おいおい、俺はお前さんに恨まれる覚えなんかねぇぞ? なんてたって見たことねぇんだから」
慌てて手を振る男に、幽霊も慌てて手を振りました。
『いえいえ、旦那にじゃないんです。あたし、先日夜道を歩いていた時に、追剥に遭いまして……』
「あー、あれか。『金を出せ!』『出さねぇ!』ってもめてるうちに光もんでざくっと……」
『いえ、後ろから急に、金を出せ!と言われてびっくりして心の臓がきゅーっと……』
「それで死んじまったのかい? 情けねぇ野郎だなぁおい」
『で、死んじまったものはどうしようもないんですが、せめて一回脅かして恨みを晴らしたいと幽霊になってみたんですが、どうもうまくいかなくて……』
「幽霊って言えば夜中に枕元に立って『うらめしや~』でおしめぇだろ? 何が難しいんだ」
『何度やっても起きてくれないんですよ』
幽霊の話に、男は首を傾げました。
「わからねぇな。夜中の静かなとこに声出しゃ誰だって飛び起きるだろうが」
『あたしもそう思うんですがね』
「ちょっとやって見せろ」
『あ、はい。ぅ……ぃぁ……』
「あ?」
『ぅら…しぁ……』
「何?」
『ぅらめぃや……』
「しゃきっと話せこの野郎!」
『ひぃぃっ!』
男の一喝は凄まじく、幽霊は驚いて小さく跳ねます。
「お前さんがびびってどうすんだよ」
『旦那が急に大声を出すから、びっくりして死ぬところでしたよ。あたし心の臓が弱いんですから』
「あぁ悪い悪い……って、幽霊ってのは死ぬのかい?」
『あ、そうでした。大丈夫みたいです』
「あぁ良かった。幽霊が死んだらどうやって葬式出したらいいかわかりゃしねぇ」
頭をかく男に、幽霊はおずおずと声をかけます。
『……で、旦那。あたしの脅かし方、どうでしょう?』
「どうも何も声が聞こえねぇんじゃしょうがねぇだろうが」
『はぁ、でも私生きてる時からあまり声が大きくなくて……』
「恨み晴らしてぇんだろ? 気合入れろ!」
『はぁ……』
面倒見のいい性分と見えて、男は幽霊に声の出し方を教えだしました。
「いいか! 声ってのは腹から出すんだよ!」
『幽霊なもので腹ってぇもんが無いんですが』
「気分だ気分!」
『は、はい。ぅらめしや……』
「だめだもっと!」
『ぅらめしや……』
「全然小せぇぞ!」
『ぅらめしゃ……』
「小さくなってんじゃねぇか!」
『だ、旦那が怖いんですよぅ』
怯える幽霊に、男は頭をかきます。
「幽霊が怖がってちゃしょうがねぇじゃねぇか。……まず声を張るところから始めねぇとな」
『声を張る、ですか?』
「こちとら客商売だ。声を張るのはお手のもんよ。いらっしゃいませ!」
『わぁ!』
「こいつが一番声が張るんでな。どうでぇ一回やってみな」
『えっと、ぃらっしゃい、ませ……?』
「小せぇがさっきよりはいいな。もっと張ってみろ」
『ぃいらっしゃいませ……!』
「おお、いいじゃねぇか」
『いらっしゃいませ!』
「それだ! その意気だよ!」
『わ、私にも大きい声が出せた……!』
嬉しそうに言う幽霊に、男も満足そうに頷きました。
「おう! それじゃあ今から早速行って来な」
『……あのぅ、厚かましいお願いなんですが、心細いので、旦那、付いて来てくれませんかね……』
「幽霊の付き添いなんて聞いたことねぇや。第一付いていってどうすんだ?」
『あたしが緊張しちゃった時に、代わりに脅かしてほしいんで……』
「冗談言っちゃいけねぇ。お前が頑張るんだよ! さ、行って来い!」
『は、はい~』
「行ったか。大丈夫かねぇあいつ」
さて翌日の晩。
「店じまい店じまいっと」
『あの~』
「おお、昨日の幽霊じゃねぇか。どうだい、うまくいったかい?」
『はい、あの、何とか脅かすのはできたんですが……』
「何だいずいぶん歯切れが悪いな」
『いえ、あの、あたし緊張しちゃいまして、うらめしやって大きい声で言おうとしたらつい、いらっしゃいませ!って言っちゃったんですよ……』
「おいおい」
『そしたら相手さん布団から飛び上がって、連れてくのは勘弁してくれ!って泣き出しちゃって……』
「はー、何はともあれ本懐は果たした訳だな。よかったじゃねぇか」
『良かったんですかね?』
「おう! これでお前さんも立派な幽霊だな!」
『あ、ありがとうございます。これも偏に旦那のおかげです』
「しかしお前さん、何だって俺のところに来たんでぇ? 俺とは何の所縁もねぇじゃねぇか」
『いえ、お稲荷さんの裏で、飯屋の看板を見たものですから』
読了ありがとうございます。
幽霊とて元は人。
こんな幽霊がいてもおかしくないと思うのです。
『応挙の幽霊』とか『皿屋敷』とか大好きです。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。