外伝Ⅰ
最低の人生。
そんなことを口にするヤツがいる。不幸比べなんて興味ないけど、そういうんなら、あたしの人生も、かなり最低の部類に入ると思うね。
11歳の時両親が死んだ。横断歩道を渡ってて、酔っ払いの車に轢かれたんだ。
で、突然のことでわけがわかんないうちに、親戚のうちに引き取られ…って、なんだかドラマみたいな展開に放り込まれた。そうなると、その後もお決まりのパターンだ。何ヶ月かごとにたらい回しってヤツ。もちろん、多少血がつながってるとはいえ、喜んで他人のガキを育てる物好きなんていやしない。まあ、それ以上にあたし自身に問題があった、って言っちまえば、それまでなんだけど。
中学生になってからのあたしは、絵に描いたようなやさぐれぶりで、ケンカ、万引き、カツアゲ…悪いことは一通りこなしてた。だから、親戚連中も、警察にしょっちゅう呼び出されるわけで、そりゃたまったもんじゃないよね。
それに、なんていうか、タチが悪いことに、あたしは、そんな生活を正当化してた。世の中のぬるま湯につかってるヤツらなんか、どうなったっていいだろ、なんて。
そう。それで、そんなあたしを待ってたのは、これまたお決まりの展開だった。親戚全員が持てあまして、施設送り。
実際、完全に見捨てられると,少しはこたえたよ。でも,ケンカをやめたりしなかった。強くなりたかったのには、他にも理由があったから。
忘れはしない。裁判で、両親を殺した男の判決が出たとき、真っ暗な気分になった。だって、人を2人殺しておいて、懲役7年はないだろ?だから、決めたんだ。犯人が出所したら、あたしの手で始末してやるって。まあ、そうしたところで、あたしはまだ未成年だから、それほどの罪にはならない。世間に法律の甘さを印象づけることもできるし、一石二鳥ってヤツだ、なんて思ってた。
目標を持つことが大事だ、って大人たちは言う。正直どうでもいいって思ってたけど、そう決めたら、そんなこともあるかも、って思うようになった。あたしにも目標らしきものができた。なんだかケンカするにも、それまで以上に気合いが入ったし、生きてるって実感らしきものも感じないこともなかった。
それから、なんとか中学を卒業すると、あたしは、施設を出て、住み込みのバイトを始めた。学歴も、コネもなかったから、時給も安いし、生活するだけでいっぱいいっぱいだったけど、目標があったから、そんな生活も我慢できた。ケンカもやめた。だって、有職少年、いや少女?だから、職場にバレたら困るだろ。そのうち自分なりにやりがいみたいなものも出てきて、上の人にも意外とかわいがられたりして。でも、犯人に対する憎しみは、簡単に消せるもんじゃない。そりゃ考えたよ。あたしが人を殺したら、職場の人も悲しむだろうって。だけどさ、申しわけないけど、復讐をやめるなんて考えられなかった。
犯人を殺したって、良心の呵責?なんて感じない。ただ、職場の人へのつぐないって意味で少年院に入るんだって思うことにしてた。
それなのに…。
犯人が出所したと思われた頃、あたしは必死に居場所を探そうとした。もちろん、何のツテもないガキが簡単に手に入れられるような情報じゃない。時間だけがムダに過ぎて行った。そんなある日、たまたまテレビを見てて、流れたニュースに、あたしは茫然となった。
犯人が死んだ。
ふざけたことに、道路に飛び出した子どもをかばって、車にはねられたって。ありえないだろ。てめえは自分の罪を償ったつもりで、心おきなくあの世に行けるだろうが、残されたあたしはどうなるんだ?それまでの毎日は、なんのためだったんだ?あたしは頭を抱え込んだ。
しかも、もっと許せないことに、マスコミのヤツらが、それを美談としてでっち上げやがった。まったく「感動」なんて言葉ほどうさん臭いモノはない。「成年の主張」?みたいな番組で、よく賞をもらうのが、更正した元ヤンだったりするけど、あれってどうよ?だってそうだろ?最初からグレなかったヤツのほうがほめられるべきだ、なんて、あたしの悪いアタマでもわかるからね。
もう仕事も手につかなくなった。ある日、あたしは、バイトをやめて、あてもなく電車に乗った。そして、気づいたら、東京に来てた。
あたしは、19歳になってた。
〜『めいせん』外伝Ⅰ 『マーヴェリック』〜
「わあ。すっごく似合ってるよ,カレンさん。」
鏡に映ったあたしの後ろに、いつのまにかマナがいた。
「別に似合ってねえし。」
振り向いて吐き捨てたあたしに、マナが口をとがらせて言う。
「またそんなこと言って。カレンさん、きれいなんだから、もうちょっと…」
東京に来てから、あたしはバイトを転々として、なんとなく神田にあるダーツバーで働き始めた。特にダーツの経験があったわけじゃないけど、ちょっと面白そう、ってのがあったし、資格とか必要ないし、まあとりあえずやってみることにした。
マナは、大学生で、自分のことをオタクだって言ってた。なんの共通点もないあたしにつきまとって、いろいろと世話を焼いたりして、うざいんだけど、なんか憎めないヤツだった。
「ちょっと入ってもいいかな。」
ドアの外から声がした。
マナがドアを開けると、人のよさそうな中年男が目を輝かせて言った。
「うん。すごくいい。バッチリだよ、2人とも。」
「店長。これ、あまりに安易じゃないすかね。」
あたしは、ちょっとイライラして、軽く抗議した。
店長は、ある日突然、店を「メイド・ダーツバー」にすると言い出した。確かに、当時はテレビの影響もあって、メイド・カフェが大人気で、店に入れるまで2時間待ちも珍しくない、って状況だった。でも、それにしても…
「カレンちゃん。これからは、コラボの時代だよ。何にだって、プラスαが求められるようになるんだ。」
店長は、自信満々な表情で答えた。言われてみれば、そんな気がしないでもなかった。メイドが足ツボのマッサージをする「メイド・リフレ」の店も増えてるみたいだったから。でも、問題は、あたしが、メイドなんてガラじゃない、ってことだ。
「まあ別にいいっすけどぉ。ピンクのフリフリとかだったら、絶対拒否だけど、モノトーンだし…」
「それより、カレンちゃん。ご指名だよ。よろしくね。」
「はい。はい。」
思い出したように言った店長を押しのけるようにして、あたしは控え室を出た。わざとめんどくさそうな足取りでホールに向かった。
「おお。カレンさん。久しぶり。」
待っていたのは、常連客のじいさんだった。あたしは、そっけなく答える。
「なんだ。源さんか。」
「カレンさん。相変わらず冷たいのう。久しぶりに会えたというのに、そんな…」
「あっ。お帰りなさいませ,師匠。」
あたしを追いかけてきたマナがあいさつした。
「師匠」。源さんは、他の常連や店の女の子からそう呼ばれてた。若い頃どんな仕事をしてたのかわからないけど、やたらと金払いがよくて、アキバに関してかなりの情報通みたいだから、けっこうリスペクトされてるらしい。
「おお。マナちゃん。2人ともよく似合ってるよ。すっかりメイドさんになって…」
「さっさと始めようよ。きゅうくつなんだよね、この服。」
あたしは、ケースからダーツを出して、フライトを取り付けた。
店では、女の子をダーツの相手として指名することができた。もちろん、追加料金はかかるけど、それ目当てで来る客も多かった。
「うん。でも、お手柔らかに頼むよ。ここのところ、四十肩がひどくて…」
「は?三十も歳ごまかしてんじゃないよ。」
そう言うと、周りにいた客たちが,思わず吹き出した。
「三十は言いすぎだよ。ええと、まだ二十…」
「いいから。始めるよ。先は長くないんだから、急がなきゃ。」
笑いが大きくなった。見回してみると、みんな笑顔だった。
店にいると、時々そんなことがあって、ほんとガラにもなく思ったりしたんだ。こんな生活も悪くないかも、なんてね。
「これはこれは。お帰りなさいませ、お嬢さまがた。」
店の奥から出てきた金髪が、テーブルまでやって来て、大げさに頭を下げてあいさつした。
「こんにちは。シャールさん。」
そう言ったマナは、なんだかとろけそうな表情になってた。
その日、あたしは、マナに連れられて、「フリージア」っていうギャルソン・カフェに来ていた。女が男装して給仕するっていうコンセプトの店で、あたし的には、何がおもしろいんだ、って感じだったけど、店は満席になってた。シャールは、そこの店長兼いちばん人気のギャルソンだった。
「マナさん。いつもありがとうございます。こちらは、お友達ですか。」
「はい。同じお店で働いてるカレンさんです。」
「カレンさん。お目にかかれて光栄です。シャールと申します。以後お見知りおきを。」
シャールは、またバカ丁寧に頭を下げる。あたしは、会釈だけ返した。嫌いなタイプだと思った。爽やかで、育ちがよさそうで、あたしとは真逆な人生を歩んできたみたいな。
「おや。カレンさんは、ロックがお好きなんですね。」
そう言ったシャールの視線は、あたしの着ていたTシャツのロゴに注がれてた。
「ああ。まあ普通に。」
あたしは、早く会話を終わらせたくて、無愛想をとおそうと決めた。のどが渇いてただけで、喫茶店ならどこでもよかったわけで、男装なんてどうでもよかったし。
「ごめんなさいね。シャールさん。カレンさんも悪気はないんです。ただ、こういうお店に慣れてない、ってゆうか…」
マナがとりなすように間に入った。すると、シャールは、大きく横に首を振って笑みを見せた。それはもう完璧なスマイルで、あたしをよけいにいらつかせた。
「それに、格闘技もたしなまれている。」
空気を読めないのか、シャールは、あたしを観察し続けた。あたしは、思わずテーブルの下に両手をひっこめた。数え切れないほど人を殴ってきた手を。
「そうですね。ロックと格闘技のファンは、よくかぶっていたりしますね。どういうわけかわかりませんが、私の友人にも…」
「は?どういうわけか、だって?」
とうとう我慢できなくなった。シャールの落ち着き払った表情を崩してやりたい、そんなことを思ってた。
「もうやめってったら。カレンさん、今日はどうかしてるよ。」
マナは、青ざめた顔で立ち上がって、あたしの肩に手を置いた。でも、もうひっこみがつかないところにいた。
「ロックも、格闘技も、まあ総合格闘技とかだけどさ、憎しみから始めてかまわないものなんだよ。『みんなブッ殺してやる!』って気持ちでやったっていいんだ。『疑似暴力』ってヤツさ。その点、クラシックや柔道とかは、そうはいかないからね。」
にらむようにしてそう言ったけど、シャールの表情は変わらなかった。
「ということは…」
あたしの瞳の奥をのぞき込むようにして、シャールは静かに言った。
「あなたの心は、大きな憎しみに支配されている、ということですか?」
何もかもわかってるみたいな顔しやがって。 怒鳴りつけたい、そんな衝動をなんとか押しとどめた。身体を震わせているマナの頬を、涙がこぼれ落ちるのが視界に入ったからだった。
「少なくとも、あんたよりはね。」
あたしは、2人と視線を合わせないようにして、席を立った。
「もう。あれから何度もメールしたのに、どうして返信してくれなかったの?」
次の日、店に行くと、いきなりマナに責められた。
「ああ。悪いけど、メールしたい気分じゃなかったんでね。」
あたしは、何もなかったような顔で着替えを始めた。
「ほんとにどうしちゃったの?『フリージア』でも、あんなこと言って…」
マナは、簡単に引き下がらないようだった。あたしは、背中を向けたまま、突き放すように答えた。
「なんでもないって。あたしは、おナベ?とか苦手なんだよ。」
「ひどーい。そんな言い方しなくても…」
横目で見ると、マナは、うつむいて唇をかんでた。また泣かれる前に終わらせよう。あたしは、頭にカチューシャをのせてから、笑みを作った。
「さあ。ほら。仕事。仕事。」
そう言って、ドアを開けようとした。客がいるホールに行けば、マナはそれ以上何も言わないだろうって、経験でわかってたから。
「ねえ。」
「なんだよ。もういいだろ?」
あたしは、あきれたように言って、振り向いた。マナは、視線を合わせず、意外なことを言い出した。
「また新しいの、買ったんだね。」
マナが見ていたのは、あたしの左手首だとわかった。
「ああ。これか。まあな。」
あたしは、右手でブレスレットをなでながら答えた。マナの表情が曇る。
「あのね。前から気になってて、訊こうと思ってたんだけど…」
そうだった。あたしが新しいアクセサリーを買うたび、マナは複雑な表情で、物言いたげにしてた。
考えてみれば、無理もないことだった。ダーツバーのバイト代だけじゃ、東京で暮らしてくのに精一杯で、服なんかに使う金は限られてる。それも、職人にオーダーして作ってもらってるとなれば、なおさらだった。
でも、マナは、あたしの予想を上回ることを口にした。
「師匠の…その…ええと…愛人、とかしてないよね?」
「はあ?」
思わず吹き出した。言うにこと欠いて愛人、って…
「バカ言うな。なんであんなじいさんと。それに、あたしは、恋愛感情とかないんだよ。」
今度源さんが来たら、笑い話にしてやろう。ネタが増えた、なんて余裕かましてたら、またマナが訊いた。
「じゃあ、他に…危ないこととか…ないよね?」
今度は笑い飛ばせなかった。
東京に来てしばらく経ってからのことだ。あたしは、バイトで遅くなって、アパートに帰る途中だった。その頃住んでたのは、東京でもわりと静かなところで、駅とのあいだにちょっとした公園があった。
その入り口に差しかかったあたりで、いきなり手首をつかまれた。驚いて、何も言えないでいると、通りから死角になってる植え込みの向こうに連れ込まれた。相手は、全身黒っぽい格好の男だった。
そのとき思い出した。何日か前だったか、少し離れた場所で、若い女が乱暴されて、金をとられたって聞いた。恐怖で声が出せないと思ったんだろう。その男は、あたしを押し倒そうと身体を近づけてきた。
あっけなかった。油断しきってた男は、股間に膝を叩き込まれて、芝生の上で悶絶した。あとは、もう力任せに男を蹴り続けた。
正義感、なんてもんじゃない。あったのは、憎しみと…ボコっても罪悪感のない相手に出会えた。そんな一種の喜びだった。
これ以上やったら死ぬ。あたしは、そこで蹴るのを止めた。それから、男を全裸にして、そのまま放置した。服は公園の池に捨てた。とりあえず財布は…もらっておいた。
その後も、夜遅くなったりしたとき、あたしにちょっかいを出そうとした男から、いくらか稼がせてもらってた。アクセサリーもだけど、バンド始めたりして、スタジオ代とかいろいろ出費が増えたから。
もちろん、黙って金持ってくのも、なんだったんで、「ストリート・ファイト」ってことで、いちおう先に言っておいた。「あたしが勝ったら、手持ちの金はもらうよ。」って。
気づくと、目の前にマナの不安そうな顔があった。
「なんもないよ。あたしは、あんたと違って体力が有り余ってるからさ。夜中に、肉体労働とか、やってんだよ。」
あたしは、笑って、右腕に力こぶを作って見せた。それでも、マナの表情は変わらなかった。とりあえず場を和ませたくて、付け加えた。
「誤解すんなよ。工事現場とかだよ。肉体って言っても、男関係じゃないからな。」
「カレンさん。」
何度も呼びかけられたけど、答える気力がなかった。あたしは、ベンチで頭を抱え込んでた。後ろには、病院の白い建物があった。
マナとシフトがかぶってから、3日後のことだった。
その前の晩、深夜までスタジオで練習してたら、終電がなくなった。歩いて帰れない距離でもなかったから、あたしは、バンド仲間と別れて歩き始めた。そしたら、すぐに誰かに後をつけられてるような気がした。いつもなら、「カモが来た」なんて、振り向いてケンカをふっかけたところだ。でも、そのときは、そんな気分じゃなかった。マナの心配顔が浮かんできたから。
駆け出したあたしは、そこらを適当に走り回った。そしたら、意外なほどあっさりまくことに成功して、無事アパートに着いた。
そして…その日の朝、あたしは電話で起こされた。マナとルームシェアしてる友達からだった。
マナが襲われて、入院した。
皮肉にもほどがある。その場所を聞いたとき、あたしは言葉を失った。あたしの後をつけてきたのは、マナだったんだ。マナは、あたしが危ないことに手を出してないか確かめようとしてた。それで、あたしを見失った後、その辺りをうろついてた男たちに…。
そのときの気持ちを、どう表現したらいいのか。今でもわからない。憎しみと、後悔がせめぎ合うような…
「カレンさん。私でよろしければ、お話を聞かせてください。」
あたしは、ようやく顔を上げた。違和感があると思ったら、目の前にいたのは、マナの友達じゃなくて…
「シャール…あんたどうして…?」
「今回の被害者は、大事なお客様で、そのうえメイドさんですから。」
シャールのもうひとつの顔。それは、自称アキバの自警団「秋葉原マーヴェリクス」のリーダーだった。
その頃、アキバも人が増えて、「メイド狩り」みたいな物騒な事件が起こるようになった。それで、シャールは、時々執事服を着た集団を束ねて街を練り歩いたりしてた。カラーギャングに間違われることもあったみたいだけど、アキバのことだから、コスプレした人たちがいる、って感じにスルーされるのがほとんどだった。
だから、シャールは、アキバのことには詳しいはずだ。でも、普通に考えたら、そんなに早く噂が広まるなんて考えられない。もちろん、そのときのあたしにそんなこと考える余裕なんかなかったけど。
シャールが、まっすぐにあたしを見て言った。
「カレンさん。あなた、犯人に復讐しようと思ってますね。」
「だったらどうなんだ?」
こんな状況でも変わらない落ち着き払った態度が気にくわなかった。あたしは、立ち上がって、シャールをにらみつけた。
「止めたってムダだからな。」
「止めませんよ。」
シャールは、あっさりと言った。手のひらを胸に当て、頭を下げると、探るような目であたしを見た。
「よろしければ、お手伝いしたいと思いまして。」
「は?」
一瞬憎しみが後悔を押しつぶした。あたしは、シャールの胸ぐらをつかんでた。群れなければ、何もできない人間。シャールを気に入らなかったもうひとつの理由だ。そんなヤツに助けてもらうなんて、プライドが許さない。
「あんたの手は借りないよ。あたしは、いつだって1人でやってきたんだ。」
「そうですか。それは、残念です。」
シャールは、ちょっとさみしそうな表情を見せて、あたしの手をシャツから引き離した。丁寧な手つきだったけど、驚くほど強い力だった。
やりあったら、きっと負ける。ケンカを繰り返すうち磨かれた勘でわかった。あたしは、やり場がなくなった右手を背中に回して握りしめた。
「でも…」
いつもの笑顔に戻ったシャールは、ためるようにして,ゆっくりと言った。
「覚えていてくださいね。私は,あなたの敵ではありません。」
目の前に封筒が差し出された。
「何だよ?」
あたしは、精一杯強がって、それをひったくった。裏返すと、そこには、源さんの名前があった。
らしくない姿だった。あたしは、目の前のビルに向かって深々と頭を下げてた。
建物の2階には、あたしが働いてたダーツバーがあった。あたしは、バイトを終えて、外に出てきたところだった。
マナが入院してから1週間が過ぎてた。
あの日受け取った源さんからの手紙には、どこかの住所だけが書いてあった。それは、あのスタジオからそんなに遠くない場所だった。あたしは、すぐそれにどんな意味があるかわかった。
急いで行ってみると、そこは、普段は使われてない倉庫のような建物だった。近所の人の話では、夜になると地元のヤンキーのたまり場になってるということだった。集団のリーダーは、成本というヤツで、その辺りじゃ有名なワルらしい。
間違いなかった。マナは、ここに連れこまれて、夜明け前に少し離れた公園に捨てられたんだ。
もちろん、疑問は残った。なぜ源さんが数時間のうちに事件の現場を見つけ出せたのか、とか。でも、気にしてる場合じゃなかった。怒りを新たにしたあたしは、やるべきことをやるだけだった。
あたしは、その日の夜、倉庫に乗り込もうと決めていた。だから、最後に、バイト先のみんなやお客にお別れをしようと思った。だけど、辛気くさいのはごめんだったし、普通にシフトに入って、帰り際店長の机にメモを置いてきた。
それにしても…らしくないにもほどがある。気づくと、涙がこぼれてた。
思い返せば、両親を殺した男に復讐すると決めた日、もう泣かないと誓ったんだった。実際、それ以来泣いたことなんかなかった。それがなぜ…
いや。理由ならわかってた。両親がいなくなってから、初めて見つけた心が落ち着く場所。それが、このダーツバーだった。店の人やお客とたあいないことで笑い合ったり、店長が次々と思いついたしょーもないイベントにかり出されたり…
楽しいことしか思い出さなかった。でも、きっとマナがここに戻ることはもうない。
あたしは、ビルに背を向けて、感傷を振り払うみたいに、足早に歩き出した。
最低の人生。
生きてるうちは、最低にキリなんかなくて、本当の最低を迎えたとき死ぬんだろう。うずくまったあたしは、ふとそんなことを思った。
うかつだった。
ヤツらが一度に集まるのはせいぜい5人くらい。近所の人の話からそう判断した。そのくらいならなんとかなる、とたかをくくってたら、20人近い男たちが待ちかまえてた。
「俺たちのことかぎ回ってるヤツがいるって聞いたんでな。」
成本は、勝ち誇ったみたいにそう言った。
ケンカ慣れしてても、これだけの数、しかも武器を持った連中を相手にできるわけがない。1人でも多く倒そうと決めたあたしだったけど、すぐに後ろから木刀で殴られ、動けなくなった。
「おい。そのくらいにしとけよ。あまりに血まみれだと、後で楽しめなくなるぞ。」
「確かに。ここシャワーとかないからな。」
男たちが下品な笑い声を上げた。あたしは、歯を食いしばって立ち上がろうとした。まだ終わるわけにはいかない。でも、すぐに気持ちが折れた。倉庫のドアが開いて、誰かが中に入ってきた。また仲間が来た。あたしは、覚悟を決めた。こんなヤツらに好きにされるくらいなら…そう思って舌を噛もうとした。
無駄死にだ。結局何も残らない人生だった。クズみたいな野郎1人道連れにできないなんて…
あたしは、目を閉じて、歯の間に舌をはさんだ。そして…
なんだか様子がおかしかった。ちょっと沈黙があって、男たちがざわめき始めた。
「誰だ。お前。」
成本の声がした。それに答えたのは、聞いたことがある声だった。
「名のるほどの者ではありません。通りすがりの執事です。」
「ふざけるな。お前…」
「おい。こいつ女だよな。」
「へえ。なら、お楽しみが増えたってわけ…ぐあっ…」
鈍い音がした。近づいて行った男の1人が殴り倒されたようだった。
「てめえ。ふざけやがって。」
「おい。こいつから先に…」
あたしから離れて、男たちが入り口のほうに歩いていく。あたしは、力をふりしぼって、なんとか立ち上がった。背中がズキズキ痛んで、ひざもガクガクだったけど。
男たちの向こうに執事服のシャールが見えた。袖には、銀の逆さ十字の刺繍。「マーヴェリクス」のシンボルだった。
「あなたたちの相手は、私ではありませんよ。ね。カレンさん。」
シャールが微笑むと、男たちがいっせいに振り返った。
くやしいけど、あたしはほっとしてた。だって、あたしがそのまま倒れても、「マーヴェリクス」のメンバーたちが、なんとかしてくれる、と思ったから。でも、シャールは、あたしを突き落とすようなことを言い出した。
「私も今日は1人で来ました。実を言うと、群れるのは好きじゃないんですよ。」
無駄死に。それが、おナベと一緒、に変わっただけ。あたしは、力が抜けた身体をどうにか支え続けようとした。
「ほら。『マーヴェリック』というのは、『一匹狼』という意味なんです。だからもともと…」
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねよ。この…」
男の1人がつかみかかろうとして、動きを止めた。いや。止めたんじゃない。シャールににらまれて動けなくなったんだ。すごい威圧感だった。
「カレンさん。あなたは,言いましたね。憎しみから始められることだってある、って。だったら、憎しみを叩きつけて、ここを切り抜けることで、証明していただけませんか。」
シャールは、まっすぐにあたしを見た。
あたしは、視線を落として、右手を握ってみた。動いた。でも、左手に力が入らなかった。それで、肩を脱臼してることに気づいた。
絶望的な状況だった。
それでも、あたしの心が、身体が反応してた、憎しみって言葉に。あたしは、力いっぱい叫んだ。
「うるせえ。言われなくても、やってやるよ。」
すると、シャールは、満足そうに笑って、あたしのほうに行くように成本たちにうながしやがった。
「ということです。どうぞ。」
男たちがにじり寄ってきた。
どうする?あたしは考えた。
頭は悪い。格闘技のセンスが特別あるわけじゃない。そう。頼れるのは経験だけだった。それまでにしてきたケンカの積み重ね。それだけだ。
ふいに頭の中でフラッシュバックが起こった。
夕陽。土手。ぬかるみ。鮮血。叫び声。
「なあ。成本。タイマン張らないか。」
あたしは、体中の痛みをこらえて、笑って見せた。成本が、鼻で笑って答える。
「かまわねえよ。どっからでもかかってこいよ。」
どうせ危なくなったら、仲間が加勢に入る。そんなことはわかってた。
「でもさ、ふつうのケンカじゃ、芸がないな。ダーツで勝負ってのはどう?」
あたしは、ケースからダーツを2本取り出した。
「ダーツ?」
「ああ。でも、ヤンキーはダーツなんてしゃれたことやらないか。」
戸惑う成本を思い切り挑発してやった。
「いいぜ。ダーツくらい何度もやってるからよ。」
のってきた。もちろん、ダーツの結果に関係なく、襲いかかってくるつもりなのは、見え見えだった。
あたしは、口にくわえたダーツに、チップとフライトを取りつけた。
「で、的はどうする?」
ダーツを受け取ろうと成本が近づいてきた。
一瞬ためらった。でも、チャンスは一度だけ。迷いは文字通り死を招く。あたしは、シャールの言うように憎しみに身を任せようと決めた。
「的?そうだな、的は…」
距離が縮まる。あたしは、右手を上げて、ひじを直角に曲げた。
「そこだ!」
押し出すようにダーツを放った。それを追いかけるように駆け出す。
「ぐああああああああああっ!!!!」
成本の悲鳴を聞きながら、あたしは、その股間を力まかせに蹴り上げた。
「くたばれ、ゲス野郎!」
「ああああああああああっ!!!」
もんどり打ってわめく成本以外、声を出す者も、動く者もいなかった。見下ろすと、薔薇が描かれたダーツが、成本の左目に刺さってた。
中学の頃だった。
近くの河原に呼び出されたあたしは、大勢に囲まれた状況で、そいつらのアタマとタイマンを張ることになった。
勝ち目はなかった。あたしは、どうやって切り抜けるか、悪い頭をフル回転させようとしてた。
相手が近づいてきた。なるようになれ。開き直ったとき、思いがけないことが起きた。いきなりそいつが前のめりに倒れ込んできた。前の日に降った雨で、足下が悪かったからだった。
自然と身体が動いてた。あたしは、反射的にそいつの頭をつかんで思い切りひざを突き上げた。気づいたら、ひん曲がったそいつの鼻から血がダラダラこぼれ落ちてた。
群れてるヤツらに勝つために必要なこと。それは、最初に相手のリーダーをつぶすことだ。それもできるだけショッキングなやり方で。
インパクトは十分だった。
あとは簡単だ。戦意喪失して逃げ回る男たちを、奪い取った木刀で叩きのめして回るだけ。でも、そんなことじゃ、怒りは収まらなかった。
あたしは、倒れた男たちの股間にかかとを落として、グリグリと踏みにじった。弾力性のある物体が弾ける感触が靴底から伝わってきた。
「終わったな…」
見回すと、男たちは、床に転がって全員失神していた。なかには、泡を吹いたり、よだれをたらしているヤツもいた。
「うわあ。痛そうですね。」
シャールを見ると、股間を押さえて、顔をしかめてた。あたしは、木刀を投げ捨てて壁にもたれた。顔にかかる髪をかき上げ、大きく息を吐き出してから言った。
「お前、ついてないだろ。」
「心は少年ですよ。」
本当に少年みたいな笑顔だった。オタク女をメロメロにさせるスマイルだ。
「シャール…」
あたしは、視線をそらして、わざと乱暴に言った。
「世話になったな。じゃあ。」
「どこに行かれるんです?」
足を引きずって歩き始めたあたしを、シャールが引き止めた。あたしは、振り向いて、辺りを指差しながら言った。
「決まってんだろ。自首すんだよ。過剰防衛?ってことになるんだよな。それに、少子化にかなり貢献しちまったみたいだし。」
「少子化ですか…」
シャールは、男たちを見回して、ため息をついた。
「いいんじゃないですか。この人たちに子どもができても、どうせ幼児虐待で死なせてしまうか、大きくなって犯罪者になるように育てるか、というところです。気にしなくていいですよ。」
「気にすんな、って、お前、まさかバックレるつもりじゃ…?」
「はい。」
あっさりと答えやがった。あたしは、ちょっといらついて言った。
「ふざけんな。このままってわけには…」
「いいんです。」
気持ちいいくらいの言い切りだった。あきれて、力が抜けてしまった。
「お前なあ…」
「ギャルソンも私のレベルになると妖精さんがついていて、いろいろ便宜をはかってくれるんです。さ、行きましょう。」
シャールは、あたしの後ろに回って、背中に手をあて押してきた。電波なセリフに似合わない強い力だった。あたしは、仕方なく2、3歩前に進んだ。
「は?妙なこと言い出して…え?」
驚いた。どこから湧いて出たんだろう。確かに後ろで人の気配がした。振り返ろうとしたら、シャールが肩をつかんで言った。
「振り向いてはいけません。」
ひどく真剣な声だった。あたしはふと思いついたことを口にした。
「『マーヴェリクス』じゃ…ないんだな?」
「はい。『マーヴェリクス』は、ストリートのルールと言いましょうか、あくまでその範囲で動いています。」
じゃあ、今はどんな範囲だ?とは聞かなかった。答えは、なんとなくだけど、わかってた。だから、あたしは、ゆっくりとつぶやいた。
「なるほど。で、妖精か。」
「はい。でも…」
そのときのシャールの声の感じは、どう言ったらいいんだろう。よく覚えてるけど、今になっても適当な言葉が見つからない。後悔。悲しみ。共感。さみしさ。それが混ざったような、いや、そのどれでもないような。
「あなたにも見えるようになるかもしれません。」
「本当は、残りたいんじゃないですか。」
倉庫で乱闘してから1週間経っていた。
あたしは、中央通りを一歩入った路地で立ち止まった。シャールも足を止めて、まっすぐこっちを見た。
その頃、あたしは、東京を離れようと決めて、最後にアキバの街を見ておこうと思った。あたしが働いてたのは神田で、目と鼻の先って感じだけど、ちゃんとアキバを見たことがなかった。
一緒にアキバを歩く相手なんて、マナにあんなことがあった後だし、誰も思いつかなかった。そしたら、シャールのほうから、案内役を申し出てきた。気にくわないヤツだけど、世話になったのは事実だし、誘いにのってやることにした。
「ちげえよ。」
なんでもお見通し的な態度が気にさわった。実際、あの店を去るのはつらかったし、店長にも引き留められたりしてた。でも、他人に言われたくなかった。
「それに、お店に迷惑をかけたと思うなら、これから今まで以上に一生懸命働くことのほうが、建設的な責任の取り方だとは思いませんか?」
そんなこと、あたしも考えた。でも、あたしだけ残って、今までどおり店の人やお客に大事にされる、なんて許されないと思った。
あたしは黙り込んだ。でも、シャールは、容赦なく追い打ちをかけた。
「カレンさん。今アキバはいろいろな意味で注目されています。でも、このブームがずっと続くとは思えません。マナさんのことで責任を感じてるなら、彼女が愛するオタク文化のために、あなたができることをするのが、彼女のためになることだと思います。」
そんなことはわかってた。わかりすぎるくらいだ。
それまでのあたしだったら、間違いなくここでキレてた。でも、そうやって言われたくないことを言われることさえ、自分への罰だと思って、何も言わなかった。
「もう少し歩きましょう。」
シャールは、そう言って先に歩き出した。あたしは、仕方なく後に続いた。
「カレンさん。お店に戻るのがどうしてもつらいなら、アキバに来ませんか?楽しいですよ。」
狭い路地は、歩くのも苦労するほど、人があふれてた。チラシ配りのメイド、コスプレした集団、地図片手の一見客、電気屋の呼び込み…みんなその場にいることをめいっぱい楽しもうとしてるみたいだった。なんだか喧噪が心地よかった。街が持ってるパワーのようなものを感じて、ちょっと重苦しさがやわらいだ気がした。
でも、ふと我に返って、街の空気に飲まれそうな自分に罪悪感を感じた。
あたしは、わざと毒づいた。
「ふん。思ったよりたいしたことないな。狭い場所に、人がゴチャゴチャいるだけだろ。」
「そうでしょうか。まだまだこの街にも、あなたの知らないすごいメイドさんがいたりするんですがね。」
シャールは、首をかしげて、意味ありげに笑った。あたしも、負けずに意地悪く返した。
「へえ。そんなヤツがいるなら、お目にかかりたいもんだね。」
「ほら。案外、こんなところとか。」
シャールは、立ち止まって、カフェの順番待ちの列に目をやった。メイド・カフェはどこも満席が当たり前って状況だったけど、その店の列は、異常なくらい長かった。
「笑わせないでほしいね。ここって、観光地みたいなもんだろ。」
目が合った客の一人が珍しそうにあたしたちを見た。ギャルソンとやさぐれロッカー風って組み合わせは、けっこう目を引く。シャールは、笑みを見せて、そいつに軽く頭を下げて言った。
「なかなかどうして侮れないものがありますよ。」
「どうだかな。でも、そこまで言うんなら、覚えといてやるよ。」
あたしは、店の看板を横目で見て言った。
「すいーと・はあと、だな。」
〜『めいせん』外伝Ⅰ 『マーヴェリック』 完〜