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めいせん  作者: KEY-D
5/10

第5回

「痛いよっ。放してってば…。」

ほんとありえなかった。

わたしは,真っ昼間の大通りを,引きずられていた。目の前で,人混みがぱっかりと分かれる。前にテレビでやってたなんとかっていう昔の映画みたいだった。

誰も助けてくれない。みんな物珍しそうにながめてるだけ。ガイジンさんとか,カメラ構えたりして。見せ物じゃないんだってば。外人はみんな紳士だなんて,あれウソだ。

つかまれた手首が痛いのと、恥ずかしいのとで、涙がにじんできた。

限界だった。力任せに背中に体当たりして,逃げだそう。そう思ったときだった。

「やめてください。おじさん。」

よく知ってる声が聞こえた。

振り向いたら,洋司が立ってた。全力で走って追いついたみたいだった。思い切り息が乱れてたから。

「洋司…。」

「洋司君,君,なぜ…。」

足が止まって,わたしをつかんでた力も弱くなった。ちょっとほっとして,大きく息を吐いた。

こんなの一ヶ月前なら想像もできなかった。メイド服着て,アキバの街を父親に引きずられて歩くなんて。



「へえ。こんなとこあるんだ。知らなかったな。」

「ああ。意外と人少なくて,まったりするのにいいんだよ。」

 わたしと洋司は,UDXの建物裏のテラスに立ってた。風が気持ちよかった。電車が,駅に着いたり,駅から出てきたりするのを見てたら,やっと息の乱れがおさまってきた。

あの後,洋司は,父親に頭を下げると,わたしの手を取った。そして,ここまで走って連れてきたんだ。

「でも,びっくりしたよ。いきなり現れるんだもん。おかげで助かったけど。」

「僕だって驚いたよ。知り合いからメールが来たんだ。莉沙がたいへんなことになってるって。」

「知り合い?」

「あ,ああ。アキバって,意外と狭いからさ。とにかく事情を説明してくれよ。なんでメイド服なんか着て,おじさんに…。」

目の前を電車が通り過ぎた。一瞬,風が生暖かくなる。

「えーと。どこから話せばいいのかな。」 

わたしは,フェンスにもたれて,言葉を探した。



そう。ことの始まりは,洋司だったんだ。

わたしと洋司は,幼なじみってやつだ。幼稚園から高校までずっと一緒。それが,いつからかって聞かれたら困るんだけど,気づいたら,洋司のこと好きになってた。

洋司は,草食系?っていうの?そういう感じだから,わたしのほうから誘わないとダメだって思って,それなりに頑張った。

でも,運悪く,って言ってはいけないんだけど,同じように幼なじみの彰が,わたしのこと好きになったみたいで。やっぱり,やりにくいよね,そうなると。でも,それって,言い訳かな。ふられたら元に戻れないから,こわいっていうことが大きかった。そんなわけで,いまいち踏みこめないままで時間が過ぎた。

で,半年くらい前。なんか洋司の様子がおかしくなった。つきあいが悪くなって,学校が終わると,すぐどこかに行っちゃう。彰や他の友達に聞いてもわからなかった。だから,悪いとは思ったけど,気になりすぎて,洋司の後をつけてみたんだ。

そしたら…。驚いた。洋司は,アキバのメイド・カフェに入っていった。しかも,それだけじゃなくて,バイトが終わったメイドの後をつけて…。悪い夢だ,と思った。

 それから洋司は,どんどんアキバにハマっていった。とりあえず,ストーカーじゃなかったみたいだけど,そのメイドに夢中みたいで,今じゃ,学校でも,オタクで有名な藤村君といいコンビになってる。

もうダメだ,って思った。でも,ずっと好きだったんだ。だから,あきらめる前に,洋司が好きになった相手を,一目見ておこうと思った。


 失敗した,と思った。

洋司と藤村君の会話を盗み聞きして,名前が出てきたメイド・カフェに来た。つもりだったんだけど,違ったみたいだった。系列店だって。まぎらわしいよね。

 がっかりして,ちょっとふてくされた感じで,ジュースを飲んでた。そしたら,カウンターにいたメイドが,常連らしきオヤジに,しつこくされてるのが見えた。明らかにメイドはいやがってるし,他の客もひいてるのに,オヤジは全然空気読めてない。

「すいません。いいですか?」

あまりにむかついたから,わたしは,手を挙げて,そのメイドを呼んだ。

飲みたくもない水を注いでもらってるあいだ,わたしは,メイドを観察してみた。ネームプレートには,「ルリ」って書いてあった。年は,わたしより少し上くらい。色白で,黒い髪で,「萌え系」とか言われる感じ。洋司も,こんな子が好きなんだろうな,って思った。

「ありがとうございます。お嬢様は,私を助けてくれたんですよね?」 

そう言って,ルリさんは頭を下げた。ちゃんと気づいてくれてたんだ。『お嬢様』って呼び方は,やめてほしかったけどね。

それから,わたしたちは,いろんな話をした。アキバのおすすめスポットとか,趣味のこととか。同性で年が近くて,たまたま好きなバンドが同じだったから,けっこう話がはずんだ。平日で,店がすいてたこともあったと思う。思い出したように,カウンターを見たら,キモい常連は,別のメイドにたしなめられて,気まずそうに帰って行くところだった。

わたしは,聞いてみた。なぜ,いやな目にあっても,メイドを続けてるのか,って。時給だって,別に高くないのに。

 すると,ルリさんは,答えたんだ。

「うまく言えないんですが,やっぱり好きなんですよ。このお店も,制服も,それから,こんなふうにみなさんとお話しするのも。」

 なんだかまぶしくて,わたしは,彼女からちょっと目をそらしちゃった。



「へえ。それで,メイドさんになったんだ。」

「うん。あんなまっすぐな目で好きだって言える仕事が,どんなものか知りたくなったんだ。わたしのまわりで,あそこまで自分の仕事にプライド持ってる人知らないし。」

わたしは,大まかなことだけを話した。もちろん,わたしが洋司を好きだってことは言ってない。なんとなく友達と行って,ルリさんに会ったことにした。

「でも,バカだよね,わたし。遅刻しそうになったからって,机の上に,店でお客さんに配るカード忘れてきちゃうなんて。」

「そうか。それでバレちゃったんだ。おじさん厳しい人とは知ってたけど,まさかお店に連れ戻しにくるとは…。」

「ほんとありえないって。」

「うん。それにしても,莉沙がメイドさんとはねえ…。」

そう言って,洋司は,わたしの全身をながめ回した。

「ちょっと,やめてよ。変な目で見るの。」

恥ずかしくなって,わたしは両手で顔をかくした。でも,洋司は,マジメな声で言った。

「意外だと思ったけど,でも,すごく似合ってるよ。」

正直うれしかった。メイドという仕事を知りたい。それは,本当だ。でも,それだけじゃなくて,もし人気メイドになれたりしたら,洋司も…。なんて,よこしまな気持ち?もあったから。

 すると,ふと思った。

『でも,洋司が好きな子にはかなわないんだよね?』

そう聞きたかったけど,聞かなかった。というより聞けなかった。わたしは,さみしくなって,うつむいた。洋司は,それに気づかず,置いていたカバンを肩に掛けて言った。

「そろそろ行くよ。莉沙も店に戻って,着替えて帰れよ。」



その次の日の朝。

すごく眠かった。結局,家に帰ってから,両親と言い合いになって,ムシャクシャして,ほとんど眠れなかった。

でも,学校の玄関に入ったら,ありえない光景に,眠気も吹っ飛んだ。

藤村君が,理事長の頭に手をつっこんで,何かゴソゴソやってた。もちろん,理事長ってのは,銅像なんだけど,それにしても,めったにあることじゃないから。

「おはよう。藤村君。何やってるの?」

「あ。笹本さん。おはよう。ちょっと事情があって,この像壊れちゃったんだよ。こうして破片を集めて,修復しようと思ってるんだけど。」

呼びかけたわたしに,藤村君は,いつものさわやかな笑顔で答えた。確かに,これなら『オタクでもイケメンだから問題ない』って言う女の子が多いのも,うなずける。

「藤村君っ。ありましたぁ,接着剤!」

パタパタと足音がして,振り向くと,龍ヶ峰先生が駆け寄ってきた。

先生は,わたしたちのクラス担任で,教師になってまだ数ヶ月だけど,自他ともに認める「ダメダメな先生」だ。

先生は,涙目になってて,不器用な手つきで接着剤のフタを開けようと必死だった。

「先生。やめてください。」

 また後ろから声がした。洋司だった。

「気が早すぎますよ。まだカケラ集まってないのに。それに,また自転車にしか乗れない身体になりたいんですか?」

意味不明なことを言った洋司に,藤村君が吹き出した。

「おい。お前ら,何やってる!?」

 怒鳴り声がした。今度は,学年主任の永田だった。

 永田は,銅像の台座にのぼっていた藤村君を怪訝そうに見上げた。それから,洋司とわたしを見て,近くにいた龍ヶ峰先生に気づいた。永田の口からため息がもれる。

「龍ヶ峰先生。またあなたのクラスですか?」

「ほんとにすみませんっ。」

 先生が,これ以上ないってくらい頭を下げた。すると,洋司が,あわててあいだに入った。

「違うんです。先生も,藤村も悪くないんです。」

洋司の説明は,こんな感じだった。

先生には,毎朝登校すると,理事長の銅像にあいさつする習慣があるんだって。この日も「おはようございます」って言いながら,頭を下げようとしたみたいだ。その時,先生を驚かそうとして,後ろから音を立てずに近づいた彰が背中を押した。で,前のめりになった先生が銅像に頭をぶつけて,理事長は「ザビエル状態」に…。

「だから,これは不幸な事故なんです。」

 洋司は,なんども不可抗力だって強調した。でも,頭で銅像が割れるって…。騒ぎを聞きつけて集まってきた人たちも,みんな半笑いだった。

「おい。いいもんあったぞ。」

人混みをかきわけて現れたのは,「容疑者」の彰だった。彰は,永田がいるのに気づかないで,もったいぶった感じで,ポケットから何か取り出した。

「演劇部からパクってきたんだけど。これで,しばらくごまかせるぞ。」

そう言って,彰は,銅像にカツラをかぶせた。

「ま,実物もヅラみたいだし,ちょうどいいってことで。わははは。」



その後すぐ,彰は,永田に引きずられるようにして,職員室に連れて行かれた。先生も後を追いかけようとしたけど,洋司たちが代わりに行くことになった。で,その場には,先生とわたしだけが残された。

先生が行くと余計ややこしくなるから,って。確かにそうなんだけど,それで納得するのもどうかな,って思った。そんな心の声に気づかず,先生がわたしの顔をのぞき込んで言った。

「笹本さん。どうかしましたか?目がウサギさんみたいですよぉ。」

 ちょっとイラっとした。だって,自分が泣いてるくせに,人の心配なんて。

「別に。少し寝不足なだけです。」

「それだけならいいんですが,もし悩みとかあるんだったら,話してくれませんかぁ?ほら。これでも,いちおう担任だし。ねっ。」

 先生は,顔をかしげて微笑んだ。なんだかほっとするような笑顔だった。驚いた。こんなふうに笑える人って,わたしが知ってるなかでは,そう,ルリさんだけだ。

「実は…。」

気づいたら,語り始めてた。もちろん,メイドだって言うのは,抵抗があったから,バイトの内容はぼかしたんだけど。

「そうなんですかぁ。でも,よかったじゃないですか。そんなにやりがいのあるアルバイトが見つかるなんて。」

「でも,両親に反対されて…。」

しまった,と思った。ごまかした意味ないじゃん。だって,親が反対するバイト,なんて言ったら,教師は,根ほり葉ほり聞いてくるに決まってる。

でも,先生は違った。ちょっとさみしそうな顔になって,こう聞いたんだ。

「アルバイトの内容はよくわかりませんがぁ,ご両親が反対するのには,もっともな理由があるんですかぁ?」

困ってしまった。もっともな理由?と言えなくもないような…。ふつう高校生がメイドとして働くって言ったら,親は反対すると思う。別にやましいことしてるわけじゃないけど,世間にはゆがめられたイメージがあるし。

だから,先生には,別の理由を答えることにした。

「もっともな理由っていうか,うちの親,勉強しろってうるさいんですよ。バイトなんてしてる余裕ないだろ,って。」

これは本当だ。

うちの両親は,二人とも高卒で,仕事でずいぶん苦労してきたみたいだ。「大卒の後輩に先を越された」なんて,父親がぼやいてるのを聞いたことがある。だから,いつもわたしに,「いい大学」に入って,収入のいい仕事につくように言ってる。

「そうですかぁ。でも,笹本さんは,十分勉強も頑張ってると思いますよ。他に何か理由が…。あっ。」

先生は,言葉を切ってから,ぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさいっ。詳しくは訊かないつもりだったのに。ほんと,わたし,ダメダメですねっ。」

「いいんです。気にしないでください。」

「でも,ひとつだけ答えてくれませんか?」

ハッとさせられた。そのときの先生の声の感じが,いつもと違ってたから。わたしは,とまどいながらうなずいた。先生は,まっすぐにわたしを見て言った。

「そのアルバイトは,笹本さんにとって,ご両親に反対されても続ける価値のあるものなんですよね?」

もう一度うなずいた。すると,先生は,また笑顔を見せた。

「それなら,話は簡単ですよぉ。ご両親に,その仕事の魅力を伝えるしかないじゃないですかぁ。そうですねぇ,実際に笹本さんの仕事ぶりを見てもらうとか。」

「ええっ!?それはちょっと…。」

冗談じゃない,と思った。父さんが店に連れ戻しに来たときも,「萌えポーズ」とかしてなかったのが,せめてもの救いだったから。

そんなことを考えてたわたしの胸に,先生の次の言葉が突き刺さった。

「ということは,そのアルバイトは,ご両親の前で胸を張れないようなものなんですか?」

違う。わたしだって,プライドを感じてた。アキバでビラ配りしてるとき,ジロジロ見られたって,平気だった。他の店のメイドが近くで配ってても,自信を持って通行人にビラを渡してた。それに,何より,喜びとやりがいがあった。会計のとき,お客さんが「楽しかったから,また来るよ。」って言ってくれると,ほんとうれしかった。必要とされてるんだって実感がわいた。

でも,なぜか先生の前で首を横に振れないわたしがいた。

そしたら,ふと思った。きっとルリさんなら,ここでためらわずに否定できるはずだ,って。

自分の小ささが情けなくて,泣きたくなった。それに気づいたのか,先生が優しい声で言った。

「事情はいろいろとあると思いますが,実際に自分の目で見ないと,わからないことが多いんですよ。」

きっと正論だ。でも,わたしには余裕がなかった。それ以上話したら,先生に当たり散らしちゃいそうだった。

「すいません。今は,これ以上話せません。」

それだけ言うのが精一杯で,わたしは教室に向かった。



その日の午後。

 学年集会が終わって,わたしたちは移動中だった。

 緊急の集会があるって聞いて,もしかしたら,なんて思ったけど,悪い予感にかぎって当たるんだ。

集会の内容は,新型インフルエンザの影響で,沖縄への修学旅行が中止ってことだった。

みんなも予想してたみたいで,それほどの騒ぎにはならなかった。他の学校でも中止になった,ってニュースでも言ってたし。でも,修学旅行って,高校生活でいちばん大きなイベントだからね。青い空と青い海を返してくれ。みんなの顔にそう書いてあった。

各ホームルームで,改めて担任から話があるっていうけど,なんだかなあって感じだった。校長と学年主任から説明があったわけだし,それ以上の説明なんて言われたって,先生にはムリだって思ったから。あたふたしてるあいだにチャイムが鳴る,ってパターンだ。

でも,予想外に先生は,落ち着いてた。

「じゃあ,うちのクラスのみなさんはぁ,視聴覚教室に移動してくださいねっ。」

沖縄のビデオ見て,気分だけでも,ってことだと思った。ビデオでごまかす,ってベタだけど,まあ無難だし,朝のことといい,先生も,それなりに先生らしくなってきたかも,なんて気がした。

カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で,先生がビデオのスイッチを入れたとき,ちょっとざわついた。

 スクリーンに映ったのは,確かに海だった。でも,海は海なんだけど,沖縄の青い海じゃなくて…。

すぐに,「軍艦島」という文字が浮かんできた。聞いたことのある名前だった。確か,ずっと廃墟になってて,最近テレビで上陸が許可されるようになった,とか言ってたような。

画面上で少しずつ島が大きくなる。名前の通り,その姿は,軍艦によく似ていた。

教室の中を見回してみた。ざわめきは収まっていて,なかには,もう机に突っ伏してる人もいた。

 他のクラスだったら,誰か質問してたと思う。「このビデオと修学旅行と,どういう関係があるんですか?」って。でも,うちのクラスは違う。みんな先生の「電波な行動」には免疫ができてる。

とりあえず画面に目を戻すと,島の中の風景だった。次々と建物が映し出されていく。団地とか,学校とか,工場?とか。先生が意図的にやってるのか,音声が聞こえなかったから,よくわからなかったけど,建物はどれも窓にガラスがなくて,壁が崩れて木材がむき出しのものもあった。

次に,カメラは建物の内部に入っていった。団地の部屋には,持ち主が残していったものが,たくさんあった。電気製品とか,本とか,子供のおもちゃとか。酒のビンや使い古した歯ブラシまであった。錆びた器具が散らかってる病院の跡は,やっぱりちょっと気味が悪いと思った。

そして,撮影は地下へ。正直やだなと思った。もっと気持ち悪そうだったから。でも,そこには,別の意味で,わたしの印象に残る光景があった。地上から射す太陽の光が,床を照らしてたんだけど,その光が優しく見えて,なぜだかわからないけど,ちょっときれいだと思った。どこかさみしいような懐かしいような不思議な感覚があって,わたしは,ぼんやりとスクリーンを見てた。

それから…。

まぶしかった。気がつくと,カーテンが開いていた。どうやら,寝不足のせいで眠ってしまったみたいだった。

先生は,ファイティング・ポーズみたいに両手のこぶしを握って,話し始めた。

「でもぉ,修学旅行がなくなるなんて,さみしいじゃないですかぁ。みなさんも楽しみにしてましたよねっ?当然ですよぉ。だって,高校生活最大の行事で,思い出をいっぱい作るチャンスなんですから。やっぱり,このままというのは,よくないと思うんです。みんなでどこか行くべきだと思うんですよぉ。だから,ほら,クラスで卒業旅行に行きませんかぁ?軍艦島に。」

誰も何も言わなかった。先生の言いたいことはわかる。でも,そういうことじゃなくて,問題は場所なんだってば。

先生は,いつものテンションに戻って,続けた。

「あっ。もちろん今すぐ返事をしてください,なんて言いませんよ。でも,意外と好評なんですよぉ。もう3人も参加者がいますし。」

いるのかよ。わたしは、教室の中を見回す。そうだ。洋司と,藤村君と,それから…。

「もしかして,俺ぇ?」

いきなり立ち上がった彰が,自分を指さして言った。彰の声は,完全に裏返ってた。それで教室の中がちょっとなごんだ。



そして,放課後。

わたしは,バイト先のカフェに向かっていた。この日は,いつもよりバイトするのが楽しみだった。だって,ルリさんと話したら,嫌な気分もどっかへ行っちゃうって思えたから。

だけど…。

着替えてホールに出ると,なんか雰囲気がおかしかった。先輩たちも,お客さんも,なんか表情が暗い。オーダーを取り終えたルリさんが,カウンターのほうに来たから,聞いてみようとした。そしたら,近くにいたお客さんの話し声が耳に入ってきた。

「でも,急な話だよね。ここなくなっちゃうなんて。」

なくなる?

信じられなくて,ルリさんを見た。ルリさんは,さみしそうに笑って,うなずいた。

経営規模縮小。閉店の理由は,売り上げの少ない店を系列店に吸収する,ってことだった。確かに,週末以外は,けっこう店はすいてた。考えてみたら,初めてルリさんと会ったときも,お客さんが少なかったから,いろいろ話せたんだ。もし店が混んでたら,わたしは,メイドとして働き始めることもなかった。

 ほんとに皮肉だった。やりきれない気持ちだった。

その後は,もうひどかった。自分の接客が最悪だったってことしか記憶に残ってない。お客さんに何か話をふられても,あいまいに笑うだけ。つまらないミスも連発した。もう心ここにあらず,って感じ。

「すいませんでした。」

閉店時間になって,わたしは先輩たちに謝った。みんな口々に「いいよ」と言って,控え室に戻っていった。

ホールには,ルリさんとわたしだけになった。

「ほんとにごめんなさい。不慣れなうえに,こんな…。」

「大丈夫だよ。」

泣き出しそうなわたしの肩を,ルリさんは優しく抱きしめてくれた。それから,店の中をしばらくながめ回してから,こう言ったんだ。

「働き始めてまだ一ヶ月少しだよね。でも,今日みたいになるってことは…それは,自分が思ってた以上にこのお店を好きになってたってことなんだよ。」

そうかもしれない。でも,それなら先輩たちのほうがもっとつらかったはずだ。そう思ったら,もう我慢できなかった。涙がこぼれてきた。

ルリさんは,わたしの頭をなでながら,今まで聞いたことのなかった話をしてくれた。

メイドになったきっかけは,高校生のとき,今はもうない店のメイドさんに憧れてたからだってこと。「りあさん」っていうそのメイドさんは,すごく人気があって,彼女について都市伝説まであるってこと。メイドを引退した後も,時々アキバに現れて,オタクやメイドが困ってると助けてくれるとか,って。そして,「りあさん」がメイドに復帰したとき,恥ずかしくないようなメイドになっていられるように頑張ってきたこと。

「りあさんは,お店がなくなるその日まで,ずっと笑顔だった。お客さんのほうが,泣いちゃったりして。悲しくないのか,って訊いたお客さんがいたんだけど,りあさんはね,こう言ったの。お店には,閉店のこととか知らない初めてのお客さんも来るかもしれない。そういうお客さん相手に,悲しい顔見せるわけにいかない,って。」

ルリさんは,大きく息をはき出した。そして,店のイベントの写真がたくさん貼られた壁を見ながら,静かに言った。

「どんなことにも終わりはあるんだよ。だって,10年後もメイド服を着ていられるかっていうと,難しいでしょ。だから,悲しんでる時間はないと思うの。最後の瞬間まで,お客さんに楽しんでもらって,私たちも楽しまないと。」

わたしは,子供の頃のことを思い出した。

近所に,駄菓子屋?があった。そこのおばあちゃんのことだ。ある日,いつものように学校帰りに寄ろうとしたら,お店がなくなってた。前の日までふつうにやってたのに。おばあちゃんも,楽しそうに笑ってたのに。

おばあちゃんは,あの時,今のルリさんのような気持ちだったんだろうか,なんて思った。そうだ。わたしは,それまで店の人の気持ちなんて考えたことなかった。他にも,近所には,なくなった店がある。学校の近くにも。その店のひとつひとつに,店の人たちの思いと,たくさんのエピソードがあったはずだ。

すると,今度は,頭にあの島の映像が浮かんできた。きっと,あそこに写っていた建物にも…。あのさみしさと懐かしさの理由が,ちょっとだけわかった気がした。

わたしは,涙を拭いた。

 もう1秒だってムダにできない。半人前のメイドなりに,自分にできる限りのことをやってみよう。そう思った。



それから,2,3日後のこと。

 わたしは,部屋の時計を見た。11時半近く。そろそろ父さんも眠る時間だ。わたしは,用意していたカバンを肩に掛けて,ドアを開けた。

もう我慢できなかった。

夕方,学校から帰って,着替えて,バイトに行こうとした。すると,珍しく早く帰ってた父さんが,こわい顔をして言った。 

「バイトなら,行く必要はない。さっき店長に辞めると伝えておいた。」

 信じられなかった。わたしの抗議なんか完全無視で,父さんは,外出禁止を宣言して,携帯を取り上げた。

家出するしかないと思った。

部屋で,こっそり荷物をまとめたわたしは,夜を待った。割と遅くまで起きてる母さんが,法事とかで実家に帰ってるのは,ある意味ラッキーだった。

 足音をしのばせて,階段を降りて,スニーカーを履いた。そして,音がしないようにドアの鍵を回したときだった。

 外側からドアが開いた!!

わたしは,思わず悲鳴をあげて,玄関にへたりこんだ。

「莉沙。」

「笹本さん。」

聞き覚えのある声に,おそるおそる顔を上げた。そしたら,そこには,洋司と,彰と,藤村君と,龍ヶ峰先生が立ってた。

「驚かせてしまって,ごめんなさいですぅ。」

先生は,一歩進み出て,わたしに手を差し出した。

 でも,わたしは,手を伸ばすことができなかった。夢でも見てるのか,なんて思った。だって,先生が着ていたのは…メイド服だったから。



      めいせん  第5話「バイトと,廃墟と,家庭訪問」



フリーズしてたわたしを助け起こしたのは,彰だった。

「ちょっとこれどういうことなの?」

「いや。なんていうか…あの…。」

彰には,うまく答えられなかった。代わりに洋司が答えようとしたときだ。騒ぎを聞きつけた父さんが,2階から降りてきた。

怒鳴るのかと思ったら,父さんは,気が抜けたような声で言った。

「何だね,君たちは?」

当然だった。だって,あのときの光景は,誰が見ても,理解不可能だったはずだ。父さんは,動揺をかくすようにして聞いた。

「洋司君。また君か。説明してくれないか,これは,いったい…。」

「は,はい。すみません,驚かせてしまって。でも,緊急の家庭訪問が必要というか…。」

家庭訪問?確かにそう言えなくもなかった。なかったんだけどね…。

「初めまして。わたし,笹本さんの担任の龍ヶ峰アリスと申します。ご迷惑おかけしていますっ。」

先生は,父さんの前に進み出て,いつものように,ぺこりと頭を下げた。父さんは,ため息をついて,首を横に振った。

「なるほど。問題教師だという噂は本当だったようですね。こんな非常識な時間に,そんな格好で…。」

「それは申し訳ないと思ってます。教師失格だと言われても仕方ないですよね。だから,今日は…。」

ちょっと間をとってから,先生は,ゆっくりと言った。

「元メイドとしてお話しさせてください。」

わたしは,先生のエプロンに付いてた名札を見た。その色あせた紙には…。

『わたしのこと,りあって呼んでくれませんか?』

最初のホームルームの自己紹介を思い出した。びっくりしすぎて,声が出なかった。ルリさんの憧れる伝説のメイドさんが,先生だったなんて。

「お願いです。笹本さんのアルバイトを許してあげてください。」

「アルバイト?バカなことを言わないでほしいですね。娘をメイド喫茶なんかで働かせるわけにいかないですから。」

「どうしてですか?」

先生にそう聞かれた父さんは,メイド・カフェの悪口を並べ立てた。

 メイド服のスカートが短いこと。恥ずかしいポーズを取ったりすること。それを男の人が,変な目で見たりすること。悪くすると,ネットに個人情報が書き込まれたり,客がストーカーになったりすること…。

「ひとつお聞きします。お父様は,メイド・カフェにお客様として行かれたことがありますか?」

わたしは気づいた。先生は,あの朝と同じ,迷いのない話し方だった。めんどくさそうに,父さんが答える。

「別に行く必要ないでしょう。行かなくたってわかる。高校生は,高校生らしく,放課後は部活でもしてればいいんですよ。」

「部活ですか。わたしは,部活もアルバイトも,そんなに違いはないと思うんです。集団の中で,人間関係を学んだり,その場その場に必要な行動を身につけて行くんです。もちろん,お父様が心配されるような危険もないとは言い切れません。でも,部活をしていたって,危険な目にあうことはあります。」

「屁理屈ですね。でも,そんなことじゃ誰も納得しませんよ。」

父さんは,突き放すように言った。わたしは,突然の「家庭訪問」で忘れていた怒りが,よみがえるのを感じていた。

「どうして部活はよくて,アキバでアルバイトはいけないんですか?」

先生も,ひこうとしなかった。そのとき,藤村君と目配せした洋司が,先生の肩をつかんで,ちょっと後ろに引き戻した。

「先生,あまり前のめりにならないでくださいね。」

「そうですよ。頭がぶつかったりしたら,大惨事になりますよ。生徒に体罰って話は聞きますが,教師が保護者にケガをさせるなんて,聞いたことありませんからね。」

藤村君が,肩をすくめて見せた。彰も,その後ろから会話に加わった。

「そう。そう。自分の頭の硬さを自覚しないと。」

わたしは思った。頭がかたいのは,わたしの父さんだ。意味が違うけど。

「体罰?そんなことまで…。あきれたものですね。」

父さんは,軽蔑したように,先生を見下ろした。洋司が,あわててフォローする。

「違いますよ。ただちょっと,『保険』というか。ねっ。先生。」

先生は,軽く苦笑いしてから,真顔になって父さんを見上げた。

「確かに,部活動,特にスポーツとかって,世間一般にいいイメージがあります。さわやかだとか,健康的とか。その点,メイド・カフェは違います。でも,スポーツでいいプレイをして観客を感動させるのと,メイド・カフェでお客様の心を癒すことに,それほど違いがあるんでしょうか。ところで,お父様。軍艦島をご存じですか?」

ここで軍艦島?あのビデオには,「卒業旅行」以外にも意味があったんだとわかった。

 でも,父さんは,当然だけど,意図が分からないまま答える。

「ニュースで見てますよ。それがどうかしましたか?」

「それはありがたいです。あの島は…。」

先生は,笑みを浮かべて,わたしを見た。それから,洋司たち一人一人に視線を送った。

「あの島は,廃墟が好きな人のあいだでは,長い間一番人気の廃墟だったんです。その頃は,廃墟って聞くと,気持ち悪いって毛嫌いする人が多かったんですよね。それが,状況は大きく変わりました。あの島が,世界遺産の候補になったからです。でも,廃墟でも,世界遺産でも,あの島はあの島なんです。 多くの人が,自分の目で見ようとしないで,他人の価値観で判断してるんです。メイド・カフェだって同じことです。少し前,『国立のマンガ喫茶』について議論がありましたが,もし国営のメイド・カフェができたとしたら,きっと態度を変える人が多いと思います。」

「ますます屁理屈だ。」

そう言って,父さんは,手を口に当てて,あくびをかみ殺して続けた。

「メイド喫茶について議論するのは無駄のようですね。もっとわかりやすくいきましょう。単純に時間のことだけ考えたって,バイトは勉強の妨げになるんですよ。まさか,教師が,勉強とメイド喫茶が同じ価値だなんて言わないでしょうね。いくら問題のある先生でも。」

父さんは,勝ち誇ったように言った。本当に腹が立った。それでも,先生は冷静なままだった。

「失礼ですが,お父様は,大学に行かれていないと聞いています。」

あ。言っちゃった。気にしてることを言われて,父さんの表情が変わった。眠気も吹き飛んだみたいだった。

「そ,それがどうした?」

「メイド・カフェも,大学も,ご自分の目でまだ見ていないわけですから,実際にもっと調べてから判断することをお勧めしているんです。」

それから先生は,こんな話をした。

やりたいことを我慢して,目的もなく詰め込みの勉強をしてると,精神的なダメージが大きくなって,大人になってから影響が出たりする。そういうダメージは簡単に消えなくて、一生続く場合だってある。世間で一流といわれる大学を出ても,「ダメ人間」になる人は少なくない。有名企業に就職してもすぐに辞めてしまったり,結婚も子育てもできなかったり…。

わたしにも,なんとなくわかった。アキバの街にも,そういう人がいるような気がした。

「そんなことはわかってる。こちらが言いたいのは,確率の話だよ。」

父さんも,いらだってた。少しでも早く話を終わらせたいのが明らかだった。

「昔ほどは学歴社会じゃない,なんて言っても,偏差値の高い大学を卒業すれば,高い収入を得られる確率は,まだ高いんだ。そうなれば,結婚相手だって,いい条件の人が選べる。老後の心配もなくなるだろう。人間は,確率で行動するんだ。天気予報を例に挙げるとわかりやすいはずだ。それなのに,先生は,降水確率90パーセントの日に,晴れる可能性もないわけじゃないなどと言って,あえて傘を持たずに…。」

「もういいよぉ!!」

思わず叫んでた。今までこらえていたものが,涙と一緒にあふれ出てきたみたいだった。

「ねえ。父さん。一度でいいから,わたしが働いてるところ見に来てよ。そしたら…。」

「その必要はない。」

 打ちのめされた気分だった。わたしは,全身の力が抜けて,その場に座り込んだ。彰と藤村君が,倒れないように両側から支えてくれた。

 すると,さらに追い打ちをかけるように,父さんの声が,重く響いてきた。

「もう帰ってくれないか。明日学校に電話して,校長先生に君たちのことを報告する。こんなことをしたんだ。それなりの処分はあるはずだ。」

「校長先生ですか?それなら…。」

先生が,洋司の手をふりほどいて,父さんに近づこうとした。何か覚悟を決めたような,そんな表情だった。洋司が,あわててその腕をつかむ。

「ダメですよ。手を出したら。」

先生は,ポケットを探りながら,きっぱりと答えた。

「手なんて出しません。」

取り出したのは,携帯だった。先生は,電話番号を検索して言った。

「管理職のお話なら聞いていただけるんですね。」

「それは…。」

とまどいながら父さんがうなずくと,先生は壁際に移動して,誰かに電話をかけた。そして,小声で何かささやいて,父さんに携帯を渡した。

 電話で話している父さんの表情は,先生と話しているときと全然違った。しばらくすると,相手には見えないのに,丁寧に頭を下げて電話を切った。

「また明日お話ししましょう。今日はお引き取りください。」

 父さんは,それだけ言うと,自分の部屋に戻っていった。

「校長に電話したんですか?」

洋司が聞くと,先生は,ちょっと笑って首を横に振った。

「銅像のおじさまですよ。」

理事長だった。わたしは,恥ずかしくなって,先生に言った。

「ほんとすいません。あんなに失礼なこと言っておいて,偉い人が相手だと,あんなふうに態度を変えるなんて。」

「いいえ。」

先生は,また大きく首を振った。

「誰にでも,目指してるものがあって,何かするとき,そうなれそうかどうかが基準になりますよね。お父様の場合,それが,高収入の人とか地位のある人なのかもしれません。それなら,そういう人にお手伝いしてもらおうかな,って思ったんです。大丈夫ですよ。もう心配ないですからねっ。」

一瞬その場が明るくなった気がした。あのときと同じ笑顔だった。



その後,父さんが先生や理事長とどんな話をしたのかはわからない。でも,もう反対されることはなくなった。

店は,もうすぐ最後の日を迎える。系列店の面接を受けるかどうかは,まだ決めてない。ルリさんと一緒に働きたいのは当然なんだけど,洋司の好きな人と一緒に仕事するって考えちゃうと,ちょっとね。

ルリさんには「りあさん」と会ったことは話してない。でも,「都市伝説」は本当かもしれないとだけ言った。意外そうな顔をしたルリさんに,わたしはこう答えたんだ。りあさんが,メイドやオタクを助けてるところを見たことはないけど,逆にそうしてないっていう確証もないんだから,って。

最後に。軍艦島には,行ってもいいかなって思う。洋司たちは,先生のこと知ってたのに,わたしには教えてくれなかった。そういうのって,なんかくやしいよ。だから,旅行のあいだ,いろいろおごらせてやるんだ。それに,「伝説のメイドさん」に教えてほしいことがたくさんあるからね。


 

       〜 めいせん 第5話「バイトと,廃墟と,家庭訪問」〜


   

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