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死の聖女  作者: モブ子
1/2

ある戦争孤児の話



死にたくない。


手や足の末端の感覚はもうない。瞼を必死に開けていても、視界がだんだんと狭くなる。


死にたくない死にたくない。


ヒューヒューと必死に呼吸をして口内が乾き、舌が喉に張り付く。

身体中の傷の痛みに身を捩り、僅かな摩擦で痛みが増加する。


脈打つような痛みが遠くなるのが怖かった。


死にたくない。死んだらどうなるのか。暗くなる視界が恐ろしい。このまま闇に沈んでしまうのか。


どうしようもない孤独感と恐怖からの絶叫は、喉に絡まり掠れたうめき声にしかならなかった。


ああ、このまま1人で死ぬのか。


「だいじょうぶ。」


ふいに、優しい声がした。


幼さすら感じる少女の声だ。


感覚のない手を握ってくれたような気がする。


「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」


あやすように優しい声は続く。


ほぼ見えない視界の中で、その声だけがやけに鮮明に響いた。


荒い呼吸が落ち着いてゆく。


不思議な安心感に満たされていた。


ああ、大丈夫なのか。


必死に開いていた瞼を閉じる。


あんなに恐れていた暗闇が、穏やかな眠りを誘っているように思えた。


「おやすみ。」


優しい声は、どこか母親か神様に似ていた。


◽︎◽︎◽︎◽︎◽︎◽︎◽︎


この国で戦争が始まってどれくらい経ったろうか。

日々を生き抜くのに必死で、過去を振り返る余裕はない。


平凡な街は戦場になった。


子供達が駆けていた道は瓦礫が散乱し、女達が姦しく噂話をしていた井戸には毒が投げられた。


男達が酒を飲んでいた酒場には死体が転がり腐臭を放っている。


どこからか断末魔が聞こえる。


どこからかすすり泣く声が聞こえる。


どこからか怒声が聞こえる。


駆ける子供達も、噂話をする女達も、酒を飲む男達も。


平凡な日常の平凡な笑顔はもうここにはない。


死線で命をすり減らして戦う軍人達と、行き場のない取り残された人々だけがいる。


この街にいるほとんどが軍人だ。大多数は余所の街に逃げてしまった。


いるのは逃げられないほどの怪我や障害を負った者や、身寄りのない年寄りや孤児ばかり。


そういたった者達は身を寄せ合い、いくつかのグループを作りながら、息をひそめるようにして軍人からの配給でかろうじて生活していた。



キアはそんな街で、古い教会で生活する孤児だ。


教会といってもここには神父もシスターもいない。


敵軍が初めてこの街への攻撃を開始した日。


腹を貫かれながら敵軍の足を握り逃げろと叫んだ父。


キアを突き飛ばして敵軍の魔術師の放った光に焼かれて焦げ付いて死んだ母。


嘔吐しながら走り続け、たどり着いたのがこの教会だった。


街の外れにあり、人々から忘れられるような古ぼけた教会だが、比較的被害が少ない建物というだけで住み着いたのが始まりだ。


生きるために街にでて、少量の食料や物資を手に入れる。


キアは平凡な家庭で生まれた無力な少女だったが、平凡でない秘密があった。


生まれる前の記憶があった。


軍人も魔術師もいない平和な別な世界で生きる女の記憶だ。


その世界では魔法の代わりに科学という技術が発達していた。才能や素質の有無で発動率や威力が大きく変化する魔法とちがい、原理を追求し、誰にでも活用できる科学の技術は、大きく人々の生活を向上させていた。


しかし、記憶の私は、その科学をもった治療によっても、延命措置しかできない難病に生まれながらかかっていた。


沢山の管につながれ、白い部屋の白いベットで人生の大半を過ごした。


苦痛に身をよじり、清潔な部屋で汚物を撒き散らす自分は芋虫のようだと思っていた。


常に死を感じていた。


どこか無理をして笑う両親に笑いかえすときも。


幼い妹におねぇちゃんはパパとママを独占してずるいと詰め寄られたときも。


いつかくる終わりをぼんやりと待っていた。


そうして蜘蛛の糸に縋り付いて永らえたような人生は、それでも18回目の誕生日を迎えておわった。


ああ、その時の気持ちをなんと言えばいいのだろう。


苦痛から逃れたかった。


迷惑をかけてまで生かされることに罪悪感もあった。


私を羨む妹の、その健康な身体と選択肢のある未来こそ羨ましかった。


でも、死ぬ直前に苦痛や罪悪感からの解放の歓喜はなかった。


あれはきっと"安心"だ。


日曜日の茶の間で昼寝をするような、きっと誰もが享受している安心だった。


私は生まれて初めて、死ぬ間際に心の底から安心して幸福な微睡みに身を委ねることができたのだ。


キアは死を知っている。

それは恐ろしくものではないと知っている。


そして2度目の人生で生きる尊さも知った。


胸いっぱいに息を吸うこと。

風を切り走ること。

吐き気に怯えない食事。

色んなものをみて、色んな人と話すこと。


どれも前の記憶では体験できていなかったことだ。


そして、たった1つの命を、父も母も私にかけてくれた。


死を恐れないから、いつでも死んでよい訳ではない。


かけがえのない人生の営みの先にあるものが、穏やかな眠りであるということを知っているだけなのだ。


だからキアは今日も必死に生きる。


これは、そんな無力な少女と、彼女を取り巻く人々が、死に溢れた世界で懸命に生きた物語。



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