87. 用事があります
「今日もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「はい、始めましょう。ところで皇女殿下、受け流しは身についていると思いますか?」
皇女殿下に教え始めてから数日が経った。今はまだ基礎の受け流しを鍛えているところだ。
ふと、僕は彼女に尋ねてみた。
「いえ……まだ、こう……深淵に闇の炎が燻っているような感覚で、身についているとは思えません。何か、私を高みへと導く運命の導がある気がしてなりません……私はまだソレを掴めていないのです」
なんとなく分かる感覚だ。彼女の様に痛々しく形容する事はなくとも、誰もが経験する感覚だろう。
知らないうちにその苦悩は通り過ぎていて、また新たな苦悩にぶつかるのだ。
「そうですね……では、今日の訓練はいつもと違うものにしましょう」
「……というと?」
「普通に戦ってみましょう。その中で、受け流しがモノにできているのかある程度分かるはずです。結局、自然と動作が繰り出せなければ訓練は意味ないですからね」
「分かりました。普段の動作の中で流れるように動けてはじめて、身についたと言えるのですね」
お互いに距離を取る。そういえば、こうして真剣な勝負をした事は一度もないな。いつも僕が何かを教えるばかりで、彼女が得意とする技も分析していない。僕もまた彼女から学べるものはあるに違いない。
セーフティ装置を装着し合い、試合を開始する。
「あ、そうです……異能や魔術の使用は可能でしょうか?」
「ええ、全力でお願いします」
「では……リンヴァルス神よ、我に力を。【半神降臨】」
リンヴァルス皇族の一部に稀に発現すると言われる異能、『半神降臨』。リンヴァルス神から力を授かり、力を大幅に引き上げる異能だ。
なぜ架空の神であるリンヴァルス神から力を授かれるのかと言えば、正直僕もよく分からない。神には実在の神族と、人々の思念が概念化して存在はしないが影響を及ぼす神の二種類があるとされる。リンヴァルス神は後者であり、リンヴァルス帝国の人々の思念で形成された概念神だそうだ。
……いやしかし、近くで見ると凄まじい異能だ。遠くから見た時に比べて覇気が段違いで、能力は数倍にも跳ね上がっていることだろう。
「なんだか今日は異能の調子がすごく良いです! リンヴァルス神様が我が力を覚醒に導かんとしているのでしょうか……!」
「きっとリンヴァルス神も皇女殿下を応援しているのですよ」
「あっ……! こ、この異能は、その……リンヴァルス皇族のものではなく、違うやつなのです。私は皇女ではありませんからね」
この期に及んでまだ否定するみたいだ。僕の前ではもう身分を隠さなくてもいいと思います。
「では、いきますよ」
氷剣を作り出し、いつも通り脚を運ぶ。もちろん、魔力での身体と神経強化はいつもよりも強めだ。
さて、強化を増幅したのは良いものの、相手の強化は僕を遥かに上回る訳で。
速っ!?
「チッ……!」
一瞬で複数の斬撃が飛んできた。アリキソンの方が数段速いが、それでも追うのに精一杯だ。
限界……人の領域の限界まで反射神経を強化、身体も動きの負荷に耐えられるように調整。それから反撃に転じる。
「飛雪の撃、『月明』」
炎を宿した一閃を振り抜く。純粋に攻撃力と速度を追求した中・遠距離攻撃。
受け流した攻撃の威力を乗せ、破壊力は上昇する。が……これも避けられたか。
……あれ?
皇女殿下僕より強くね?
いや、マズいな。実にマズい。負けたら教える側としての立場が無いぞ?
仮にも僕は彼女の兄弟子だというのに。
繰り出し続ける技の悉くが躱されてしまう。
「さすがアルス様です……! 絶好調の私でも捌くので精いっぱいです……!」
煽りか!?
煽りなのか!?
僕は攻撃を当てるつもりで攻撃しているんですが!
……こうなったら、奥の手というズルを使うしかない。
すみません、皇女殿下。心の中で土下座するので許してください。
僕はそっと……そーっと神転した。
まあ、これなら流石に圧勝できるだろう。
「あ、あれっ!? なんか力がものすごく溢れて……! アルス様、不甲斐ない私を強化してくださったのですね! 私が弱いばかりに……申し訳ありません……」
は?
「??????」
……え、ええ? どういうことだ?
僕は確かに、確かに神転した。だというのに彼女の動きはまるで遅く見えないというか、むしろ若干速くなっている。
バグか? いや、ゲームじゃないんだし。もしかして神転できていない? いや、できてる。
彼女が更に強化された? でも、いくら神から力を授かる異能でも人の領域を超えた力を得ることはできない。神族の僕と普通に戦ってるんだけどこの人。
「……と、アルス様? 動きを止めていかがしましたか?」
ここは一つ、更なるズルをするしかないな。
神というものは大体クズなのだ。神話や伝承でもそうさ。真偽はともかく、彼の龍神ジャイルも地神ルーリーと喧嘩した腹いせに人里の美女を誘拐したというクズ話がある。加えてあまりに外道な神々がアテルに誅されたという神話もある。
何が言いたいかというと、僕もまたクズなのだ。
「……いけない! そういえば大切な用事があるんでした……行かないと!」
「あら、そうなのですか……残念です。アルス様に強化までかけていただいたのに……私が弱いあまりにつまらない勝負になってしまいましたね……申し訳ないです。まだまだアルス様に挑むのは早かったみたいです」
やめて……傷を抉るのはやめて下さい皇女殿下。ごめんなさい……
「で、でも……ほら、受け流しは戦いの中でできていたじゃないですか。それを確認できただけでも十分ですよ」
「……! そういえばそうでしたね! これで我が破滅の力はより高みへと……力が暴走しつつあるのが分かります」
もう嫌というほど力が暴走してますよ皇女殿下。
クソ、僕は武人失格だ……
「はあ……それでは、失礼します」
世界は広い、な。
明日からどんな顔をして彼女と向き合えば良いのやら……。




