8. レッドサイト
訓練場を後にし、ヤコウさんと長い廊下を歩く。王城の煌びやかな装飾と灯りが彼の背を照らしだしていた。
「悪いな、ウチのが迷惑かけちまって」
迷惑……か。むしろ迷惑をかけたのは僕の方だと思う。結果として皆さんの訓練の邪魔にもなってしまっただろう。
「いえ……僕はまだ父以外と訓練をしたことがなかったので。他の人と戦えて良かったですし、父が訓練場に行けと言った理由もわかりました。ただ、迷惑はかけてしまいましたよね……」
真剣な勝負を最後まで続けられなかったのは残念だが、それも自身の実力が推し量れなかったせいだ。あのままでは相手の腕を切るという罪も犯していたかもしれないのだから。そう考えると、ヤコウさんが止めに入ったのも当然と言える。
「情けない話だが、チョウの奴はガキに負けんのが嫌で本気出しただけだぞ。お前に技を教えるためでもなんでもなく、な」
「……」
それはなんとなく勘づいてはいた。でも、今までそういった負けず嫌いな性格の人には出会わなかったので実感が持てなかった。
まあ……良い経験になったのは事実。それにチョウさんのあの一撃を受けたとしても死にはしないだろう。確信も証拠もないけれど。
「ウチの連中、弱かったろ? 聖騎士相手ならお前もいい訓練できるだろうがな。なんせ、毎日ヘクサムにぶっ飛ばされてんだからな……」
「いえ、決して弱くなどは……それより、聖騎士とは?」
聖騎士……騎士の階級のひとつだろうか。
騎士の階級は実績に応じて引き上げられる。まあ、色々と利権が絡んで大した実績もない騎士が上がってくると父が嘆いていたのだが……。
「あー……ヘクサム、自分の立場も息子に教えてねえのか。今回の件といい、息子に武術以外何も教えないのはどうなんかね……」
それはたぶん、僕が同年代の子供よりも大人びているからだと思う。自分で世間のことを調べていると思われているに違いない。実際、精神年齢は十年は進んでいるのだけれど。
ヤコウさんは嘆息し、それから僕の疑問に答えて説明を始める。
「聖騎士ってのはこの国における騎士の最高位だ。全部で九人いて、一位に近づくほど権力を持つ。かの有名な『剣豪』イベンさんが一位な」
『剣豪』イベン。この国に住む者ならば知らぬ者はいないほどの有名人だ。ただ剣を一振りするだけで、あらゆる物を断つと言われている。
「ちなみに……」
ヤコウさんが足を止めて急に振り返る。
そしてニヤリと笑うと、
「俺は第八位、ヘクサムは第二位だ」
……そんな衝撃の事実を告げたのだった。
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その後、ヤコウさんに連れられて城の様々な場所を見学させてもらった。ディオネはリーブ大陸の最大級の国家だけあって、設備も最新鋭のものが揃っていた。
「……ところで、ヤコウさんって暇なんですか? いや、案内してくれるのはありがたいのですが」
「おう? ……ま、暇っつうか、やる気がねえな。聖騎士に回されんのは書類にサイン出す仕事ばっかだし。強くなるほど安全な仕事になるのさ、つまんねえだろ?」
「そうですね……」
まあ、そこら辺の事情に子供が首を突っ込むのは野暮というものだろう。
「それで、この後はどこへ?」
「んー、特にねえな。帰るか? ヘクサムからは好きな時間に帰していいって言われてるし」
「え」
帰るとは言っても……僕は家から王城までの道のりは知らない。魔導車に乗って来る時も景色をぼんやりと眺めているだけで、道を覚えていない。
「うん、そうだな。そうしよう。んじゃアルス、俺は寝るから……出口はあっちだ」
「え、ちょ……」
彼は勝手に話を進め、この場から立ち去ろうとする。背中からは気怠そうな気配がひしひしと感じられる。
「あの、道がわからないんですが」
「まあ、誰かに聞けばなんとかなる。じゃあな」
そう言うと彼は今までのゆったりとした態度からは想像できないほどの速さで、その場を去って行った。
……逃げ足が早いとはまさにこのことだ。これが聖騎士クオリティ。
僕自身もまた、どうにかなると楽観視していたのだが。
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「……どこだ、ここ」
街を歩いている内に知らない場所にたどり着いた。いわゆる迷子である。まだ子供だからという理由で魔眼携帯も装備していないし、道がわからない。
雪解けして湿った舗装道を歩く。雪を溶かすためのヒートパイプと魔導舗装が足下から暖かさをじんわりと与える。かじかんだ手をポケットに入れてぼんやりと周囲を眺めた。
……それにしても、人影がないな。ここまで人通りがないと、本当にこの国が大国なのか疑問を持ってしまう。
途方に暮れていると、目の前に建物が見えた。
「あれは……詰所か」
民主主義国では交番と呼ばれている施設。まあディオネも民主制だけど。
道を尋ねられそうな場所を発見してほっと胸を撫で下ろす。詰所の前まで歩みを進め、入口の扉からディオネの国章を確認する。
「すいません、少しよろしいでしょう……か……」
扉を開けたその直後。
視界に飛び込んで来たのは赤、紅、緋。壁や床に塗りたくられた赤は、前衛的な芸術でも、壁紙の色でもない。
人の体内を流れる、あたたかな液体。鉄の匂いが鼻をついて、思わず顔をしかめる。
「し、死体……?」
数人の兵士が、胸や腹、手足を切り裂かれて屍を晒していた。
初めて見る死体に頭の中が真っ白にショートする。しかし、やるべきことはただひとつ。
「通報しないと……!」
この詰所に設置してある通信からディオネ王城に報告しようとする。悪戯だと思われたら父やヤコウさんに代わって貰えばいい。
そう考え、連絡しようとした刹那、
「──ッ!!」
風切音。
殺人現場に立っているという状況の中、精神を尖らせていたおかげか。
その投擲された暗器を回避することができた。
「あァ!? このガキ、何者だァ!?」
物陰から全身を返り血で染めた男が一人。
敵意を向けて現れた。