76. 災厄の御子
「……はじめまして、アルス・ホワイト」
目前の少女はそう言って微笑んだ。
窓から柔らかい光と風が差し込み、彼女の髪を柔らかく撫でていた。想像とはずっと違った人物像。
でも、どうしてだろう。
「……どこかで、会ったことがありますか?」
彼女の瞳を見たとき、僕はどこか既視感を覚えた。
その青緑の瞳を見続けていると、少し揺れたのが分かる。
「いいや、会ったことはないよ。はじめまして、だよ。……座って」
言われた通り、彼女の向かい側に座る。
緊張のようなものはなかった。きっと、威圧しないように気を遣ってくれているのだろう。
「私はリンヴァルス帝国始祖、レイアカーツ。一応、この国では二番目に偉いことになる」
「霓天の家系、アルス・ホワイトです。日頃から贈り物など、お気遣いいただきありがとうございます」
「ああ、いいよ。どうせ使わない物だし。……それよりも、敬語で話すのはやめてほしいな。あまりよそよそしくされても困るし、敬語は嫌いなんだ」
本当に穏やかな人だ。こちらとしても安心できるけど……敬語なし、か。
流石に神話にも出てくる存在にそんな無礼は……と思ったのだけど。
「はは……うん、分かった」
自然とそう切り出すことが出来た。
さっきからどうも調子が狂う気がするな……
ルチカがお茶を出し、部屋の外へと出て行った。
「あの子……ルチカは迷惑かけてないかい? 有能過ぎて空回りすることがたまにあるんだ」
「いや、とても助かっていま……助かってるよ。彼女のおかげで生活リズムも規則正しくなったし、何から何までやってくれて。本当に彼女には感謝してる」
「そうか、それは良かった」
始祖……レイアカーツはまるで自分の事みたいに嬉しそうに笑った。
「でも、どうしてここまでしてくれるのかな。毎年贈り物をしてくれて、リンヴァルス祭にも招待してくれて……僕からは何もしてないのに」
「何も、か……」
彼女は窓の外を見つめた。
二羽の鳥が空を飛び、一方が次第にもう一方と距離を離していった。
「これからお世話になるから、前払いだよ」
「これから……」
居住まいを正し、彼女はこちらを見つめる。
僕もまた、向き合う。
そして始祖の口から紡がれた言葉は、
「冥世の深淵より天を穿つ魔性、方舟に永劫の焔を乗せ大地を睥睨す。
彼の者の名は──ランフェルノ」
ルアの石板に刻まれた、災厄の予言。
この文章を知る者は、創世主、創世主の共鳴者、そして、
「……【災厄の御子】を知っているかな」
「うん、災厄をこの世界に召喚する権利を持つ者。君が……そうなのかな」
災厄の御子を殺せば、その世紀に出現が予言されている災厄は召喚されない。
でも、災厄の御子にはなりたくてなるんじゃない。生まれた瞬間から定められている。
「そう、この私が災厄の御子。共鳴者たる君が殺すべき相手だ」
彼女は尚も微笑んだ。少しだけ、寂しそうに。
「どこまで、僕のことを知っているんだ?」
「創世主と力を共鳴できること。君が四つ目の災厄を倒した時、対消滅すること。これだけだよ。壊世主から聞いたんだ」
僕が精神世界でアテルと会うように、彼女もまた秩序の因果を持つ主と会えるということか。
でも、聞かなくちゃならない……いいや、正さなくちゃならない言葉がある。
「僕が君を殺す、とは?」
「……そのままの意味だとも。私が混沌の力、すなわち君の手によって死ねば災厄は召喚されない。そして、君が消滅することもなくなる」
「……それで?」
「はは、分かるだろう? ──私を、殺してくれないかな」
「嫌だ。殺せないよ。君はなりたくて災厄の御子になったんじゃないから……この話は創世主にも伝えないし、ここで終わりだ」
当たり前だ、当たり前過ぎて嫌になるよな、こんなの。
たとえ世界の為でも殺せる訳がない。僕が四つの災厄を全て倒せばそれで済む話なんだから。
彼女は目を少し見開いてから、呆れたように言った。
「……やっぱり馬鹿だね。でも、そのままの君でいてほしいよ……アルス」
「うん、僕はずっと馬鹿で良い。もっと馬鹿らしく、楽しい話をしよう。そして友達になろうよ、レイアカーツ。君とはなんだか気が合うんだ」
僕が生まれた瞬間から共鳴者だったように。彼女だって生まれた瞬間から災厄の御子なんだ。
混沌だとか、秩序だとか……創世主と壊世主の争いに付き合うのは疲れるよね。
「うん、今はまだ……これでいいのかな」
最初の微笑みとは違う、花咲くような笑みを彼女は見せてくれた。
それからした話は、他愛もない話だったり、この国についてだったり……恐らく始祖は僕に災厄の話をする為に招待したのだろう。でも、それはもう済んだ話。
「さて、そろそろ終わりにしようか。まだまだ話したい事はあるけど、君は私と違って暇じゃないだろうし……ルチカをよろしくね」
「僕も結構暇なんだけどね……因果だとかに振り回された者同士、良かったらまた会おう」
立ち上がり、その場を後にしようとすると、彼女は最後に言いたい事があると僕を引き留めた。
「私は一週間後の夜に、第一の災厄……ランフェルノを召喚するつもりだ。君が私を殺さないというのならば、四つの災厄と向き合わなければならない。……もちろん、こちらとしても協力手段は考えているよ。この世界が滅んでほしい訳じゃないからね」
……一週間後。その時、僕は生まれてきた役割を果たす事になる。
これまでは果たすべき目的を目の前にぶら下げられて、食いつけない状態でいた。その現状が、変わる。その変化は恐ろしくもあり、待ち遠しくもある。
「……分かった。心の準備をしておこう」
「災厄は君の想像以上の化け物だよ。地を浮かせ、海を割り、星を砕く。たとえ創世主の力を行使できたとしても、勝利は容易なことではない。仮に災厄を倒せたとしても、大切なものを全て喪うかもしれない。どうか心に留めておいて」
帰り際、夕暮れの空を見上げる。
何かが瞬き、燃え上がった気がした。




