75. はじめまして、アルス
エルムから作戦終了の通信を聞き、集会所へと帰還する。
采配のおかげもあってグットラックの死人はゼロ。初期の目標である首相の暗殺もマスターの手によって遂行された。流石に僕らが一気に製薬会社に大挙してはルイム国のグットラックの拠点がバレてしまうので、今回集会したのは予備の基地だ。
「さて、お疲れさん。とりあえずリフォル教の排斥は完了し、暗殺にも成功した。今回の騒動はリンヴァルスとディオネ、ルイムも拡散防止に協力してくれるらしいから、そこまでの大騒ぎにはならないだろう。ひとまず作戦は終了し、帰還してくれ。ただ……念のためにボクと『波濤』、『翻倒』……それと『無限龍』には残ってもらう」
団員達はみな疲れ切った表情をしている。最初はここまで大規模な抗争があるとは聞いていなかったのだから当然の疲労だ。
エルムに終了を告げられると、皆一様帰路に就く支度を始めた。
「またな、変態」
「轟音さん、お疲れ」
同じ任に就いた『轟音』のフリンと別れの挨拶を交わす。彼はルイムの人だからこのまま歩いて家に帰るみたいだ。
「変態クン、キミってディオネの人だっけ? 一緒に帰ろ!」
『白舞台』のシトリーはディオネで活動している。でも、一緒に帰ると僕がアルスだとバレてしまう恐れがある……どう回避したものか。
……と、悩んでいる最中にエルムから声が掛かった。
「おい変態。この書状、皇帝に頼みたいんだが」
「あー……リンヴァルスに戻らなきゃいけないみたいだ。白舞台さん、また今度」
「はーい。またねー」
彼女はひらひらと手を振って去っていった。
……それにしても、変態と呼ばれるのに慣れてしまっている。これはいけない傾向だ。いや、そっちの意味の『変態』の意味を含有しているのはエルムが呼ぶ『変態』だけなんだけど。
気付けば、辺りに人の姿は殆ど無くなっていた。さすがは秘密結社グットラックと言ったところか、動くのが早い。僕もさっさとリンヴァルスに帰るとしよう。
「ルチカ、居る?」
「はっ、ここに」
前々から思ってたんだけど、彼女はどうやって姿を消しているんだろう。理論上、魔族や神族はどんな姿にも変化できるから気体に変化してるとか? いや、その理論は無理があるよな。
僕も人間以外の姿に変身できるように練習した方がいいかな。でも、自分の意識まで完全に変えないと変身できるようにならないからなあ……。
「鉄道に乗ってリンヴァルスまで行こうと思うんだけど、ルチカはどうする? ディオネに帰っとく?」
「いえ、ご主人様にお供させていただきます。お嬢様はまだお帰りにならないようですので」
そういえば、マリーはリンヴァルスとディオネの間に位置するワルド王国の観光もすると言ってたな。今ホワイト家には誰も居ないのか。……いや、タナンが居たから防犯も問題ないな。
彼は今頃ひたすら食べて訓練しているだろう。
ーーーーーーーーーー
彼方の朝焼けから初夏の風が吹き抜ける。
鉄道上のテラス席で何とはなしに景色を眺めていた。
「……そういえばルチカ、リフォル教はなんで都市を襲撃したんだろう?」
向かい席に座るルチカに尋ねてみる。
「はい、こちらの宝珠に『混沌』を溜める事が目的だったようです」
彼女が鞄から取り出したのは白い光を放つ玉。なんかゲームの重要アイテムにありそうな玉だ。
「???」
よく分かっていない僕を見て、彼女は説明を続ける。
「生物の争いは文明の礎となり、営みの根幹を成す行為です。つまり……」
「ああ、分かった。争いから生まれる死は「混沌」の因果に深く関わっているということだね。……かなり抽象的な知識だけど、よく知ってたね」
「はい、始祖様から教えていただきました」
始祖様……一体何者なんだ。僕ですら混沌と秩序の因果がうんぬんかんぬんの話はよく理解していないというのに……
「というか、その玉……エルムに渡してないの?」
「はい、ご命令であればエルム様にお渡しいたします」
うーん、どうなんだろう?
因果がどうとかアイツに話しても理解されないだろうし、そもそもグットラックには関係ない話だ。
「とりあえず、僕が持っておくよ」
彼女から白い玉を受け取り、自分の鞄にしまう。
混沌の力が込められてるってことは、災厄に投げたら効く……かもしれない。
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「お疲れ様でした、アルスさん。ルチカさんもお久しぶりです」
「お久しゅうございます、陛下」
ルチカは恭しく陛下に礼をする。彼女はリンヴァルス出身であり、始祖様に仕えていた身だ。陛下とも面識がある。
「これ、エルムから預かった書類です。中は見てないですよ」
「ああ、色々と大変だったみたいですね。グットラックの皆さんのおかげで我が国の平和は守られました。統治者として、アルスさんにも改めてお礼を申し上げます」
相変わらず地位の割には腰が低い人だ。思慮深く、相手のことをよく見ている。皇帝だからといって仰々しく玉座に座っている必要はない……というのが陛下の口癖だ。
ふと、陛下が思い出したかのように切り出す。
「さて、アルスさん。会っていただきたい方が居るのですが」
「はあ、構いませんが……一体誰に?」
陛下はパン、と手を叩く。胸元の皇位を示す黄金の徽章が揺れた。
面会室の窓が開き、入って来たのは……鴉? 魔族の方だろうか。
「この鴉が案内します。もちろん、ルチカさんもついて行って構わないそうですよ」
……なんで伝聞系なんだろうか。
というか、この鴉は何者なのだろうか。心なしかただの鴉じゃない気がする。
「まあ、行ってみようか」
「承知いたしました」
陛下に別れを告げ、皇宮を歩く。鴉がバサバサと室内を飛んでいるのも奇妙な光景だが、出会う使用人は皆鴉の為に道を開けている。
階を降り、歩いて行くと目の前に大きな両開きの扉が見えてきた。扉の前では兵士が警備をしている。
彼らは僕たち……と言うよりは僕たちの前を飛んでいる鴉を見てその場を退いた。
そして、鴉は傍にある宿り木に止まった。
「うん? この扉の先に行けばいいの?」
僕がそう尋ねると、鴉は首を縦に振る。
ルチカが前に進み出て、その扉を開く。
その先には──
「これ、は……!?」
陽光が視界に入る、外だ。
だけど僕の驚愕の原因はそれじゃなくて。
「始祖の宮殿……」
天に宮殿が浮かび、そこへ光の階段が伸びている。周囲は高い壁で覆われ、外からは見ることもできない宮殿だ。
未だかつてあそこへ入った者は数える程しか居ないと言われる。他国からも存在すら疑われる始祖が住まうとされる宮殿だ。
僕が今、そこへ立ち入ろうとしている。
「ここからは、私がご案内いたします」
「う、うん。ルチカは始祖様が僕を招いたことを知ってたの?」
「いいえ、存じ上げておりませんでした。しかし、私はかつてこの地に勤めておりましたので、ご案内できます」
光の階段を上り、正門をくぐる。
綺麗に整えられた中庭を通り、やがて宮殿に至った。宮殿といっても大きさはホワイト家の屋敷より一回り大きい程度で、華美な装飾も殆ど見られない。
中へと入る。先程から他の人の気配は一切感じられない。
「誰か住んでる人とか、始祖様以外に居ないの?」
「現在、ここに居られる方は始祖様のみです。以前は私が仕えていたので二人でしたが」
二階へと上がり、ルチカはとある部屋の前で立ち止まる。
「こちらに始祖様がいらっしゃいます」
──ここに、目の前の部屋に始祖が居る。
なぜ僕が招かれたのか、なぜ幼い頃から贈り物を寄越すのか、なぜ……聞きたいことは山ほどあった。
だから、今からたしかめよう。なぜだか分からないけど、こんな瞬間が訪れる気はしていたんだ。
扉を開く。
そこには──
「……はじめまして、アルス・ホワイト」
光を編み込んだような金色の髪に、青緑の瞳の少女。
それが始祖の姿だった。




