5. アンチスフィス
それは、僕が父と訓練を始めて少し経ったころのこと。ちょうど走り込みや素振りといった基礎訓練がルーチン化してきたところだ。
その日、訓練を終えた僕は午睡を貪っていた。
いつもはすんなりと深い眠りに入っていくのだが、この時は奇妙な違和感があった。ザラザラとした砂の上に寝ているような……
「おっはようございまーーす!」
「ん゛!?」
耳元で響いたでっかい声に思わず飛び起きる。辺りを見回すと、そこは本当に灰の砂漠だった。見覚えのある光景だ。どうやら精神世界に呼び出されたらしく、体も成長している。
「耳鳴りがする……」
「駄目ですよ、アテル。人を起こす時はもっと優しくしてください」
僕を大声で叩き起こしたアテルを諫める者がいた。
純白の髪と翼を持つ女性、ゼニアだ。
この精神世界には僕とアテルを除き、四人の者が時たま訪問してくる。龍神ジャイルに、ゼニア、ルーリー、ケウベイン。一人が龍神だったということは、もしかして他の三人も神なんだろうか……?
「アルス君、元気だった?」
アテルが顔をずいと近づけて迫ってきた。なんか怖い。
時折、彼女から得体の知れぬ恐怖を感じることがあるのだ。
「まさに今心臓麻痺で死にそう」
「えっ!? 大丈夫!? やっぱり叫んだのがダメだったかな……」
ゼニアが微笑ましいものを見るようにこっちを眺めていた。そういえば、なんで呼ばれたんだろう。
「今日はどんなご用件で?」
「共鳴の練習だそうです。私はその見学に来ただけですので」
「あんちすふぃす?」
言いにくいな、なんだそれは。
「スフィスとは『壊世主』の名前の一部らしいです。つまり災厄を生み出す【壊世主】を許すまじという意思が籠められているのですね。私もよくわかりませんけど。アテルが考案した単語なので詳しくは彼女に聞いてください」
ゼニアは親切にも丁寧な解説をしてくれる。
壊世主……っていうのは創世主のアテルと真逆の存在なのかな?
はじめて聞いたけど。
「以前、アルス君には創世主の力を行使できると説明したよね?」
「ああ、制限つきでね」
たしか災厄以外に行使すると僕は死ぬ。まあ、とんでもない力らしいし妥当だ。
「その力の行使を共鳴と命名したんだよ。ちなみに、誰と共鳴してるかって言うと……もちろん私だよ! ここは私の管理下にあるから気軽に共鳴できるのだ。共鳴の練習をしてみようと思って君を呼んだのさ」
なんだか規模の大きすぎる話だな。
いまいち創世主の力の行使がどんなものかわかってない。怪物と戦うロボに乗るみたいな感じなのか?
まさか僕の体が化け物に変身したりしないだろうな。
「で、練習とはいかにして」
「よし、それじゃあ目をつぶって?」
アテルに指示された通り目を閉じる。
「私をイメージしてね」
暗闇の中に美少女の姿が現れた。いったいどうしろと言うんだ?
「そこに自分のイメージを重ねるんだ」
……!?
どうやって重ねればいいんだ!?
「ええっと……アテルを水色の髪にすればいいのか?」
「あ、私の姿そのものをイメージしてた? そうじゃなくて……私の魂というか……わかる?」
あー、分わらなくもない。なんかこう、アテル独特の『色』というか、空気というか。
「わかるけど……まだ、イメージはできないな。でも、いずれできるようになる。間違いない」
「ん……そっか。まあ、私もまだ共鳴できるとは思ってなかったからね。気長に待とうか」
いつ災厄が降臨するかわかったものではないのに、呑気にしている暇はない。これからはこのイメージも練習だな。
「さて、これでやりたいことはおしまい。あとは……そうだね、新しいボードゲームがあるんだ! みんなを呼んでやろう!」
「あ、それはいいですね。アルスさんも構いませんか?」
「またアテルの突発ボードゲームが始まったね……」
こうしてアテルの呼びかけで遊ぶということはよくある。どこからゲームを持ってくるのかはわからないけど……ボードゲーム、カードゲームなど、様々だ。
脈略なくボードゲームを持ち出す性質がアテルにはある。彼女はよく僕を勝負に誘ってくるのだが、僕が勝てたことは一度もない。
ところで、ボードゲームとは世界の構想に似る。
混沌が白い駒だとすれば、秩序を黒い駒としよう。勝利するのはどちらだろうか。
混沌が人間や神々、秩序が魔物や災厄ということだ。
勝負はつかず、千日手のまま終わるかもしれない。
世界は盤上で今も回り続けている。
故に。この世界はこう呼ばれているらしい。
【盤上世界】――アテルトキアと。
僕はまだ知らなかった。
この世界の残酷さを。創世主と壊世主の気分によって、いともたやすく壊される世界の悲哀を。
僕らの命は駒で、使い捨て。残酷な真実を知るのはずっと先のこと。




