END. アルス
不浄の大地。
かつて豊穣の大地と呼ばれた恵みの地。今や生命が芽吹くことは許されず、邪気に染まった風だけが吹く。生物が大気を吸えばたちまちに魂は腐り果てるだろう。
すべての生命が立ち入りを禁じられた死地に、ただ一人歩く者がいた。
「…………」
世界を巡り、三つの災厄を屠り、因果を消滅させ。
己が意志によって進んでいる。
ゆく先は明確に分かっていた。
魂が呼んでいるのだ──滅するべき最後の災厄はこの先に在ると。これまでに味わった邪悪の中でも最も濃密で、最も悲しい気配だ。
邪剣の魔人エンドの封印。かつて神々ですらも倒すことができず、創世主の手によって封じられた最強の災厄だ。
「もうすぐ……」
もうすぐ彼の封印は解ける。
創世主なき今、彼に太刀打ちできる者はアルスしか残されていない。自分にしか、できないことだから。ここでアルスが邪剣の魔人を滅ぼさなければ、世界は一瞬で灰塵と化すだろう。
勝てる確証はない。
いや、勝てる可能性の方が低い。共鳴をつないだばかりのアルスならば、確実に一瞬で屠られていたに違いない。
だが、負けるわけにはいかないのだ。自分はもう人ですらなく、神からも逸脱してしまった『何か』。アルスが旅路で遂げたすべての変貌は、この瞬間のためにあったのだ。
世界を安寧に導く共鳴者、立ち向かう英雄。
「あの時──」
大昔も大昔、もしも自分がアテルの頼みを引き受けて共鳴者になっていなければ……この世界はどうなっていたのだろう。そもそも厄滅すら超えられずに滅んでいただろう。
だから彼の選択は正しかった。
数多の希望と絶望が積層した果てに創り出された英雄。
あの時の選択に、一切の後悔などない。
「……見つけた」
邪剣の魔人エンド。
灰色の茨に縛られた一人の男。あまりに濃密な邪気に、彼の姿は黒い靄で覆い尽くされていた。おそらく理性など欠片も残っていないのだろう。
晴天の試練や安息世界で力を貸してくれたエンドの面影はない。ただの暴威。
ただ存在しているだけ。それだけで、世界に邪気を撒き散らす。
因果の対消滅すらも退けた絶対強者。
「やっぱり……怖いなぁ……」
強がっても怖いものは怖い。
彼を倒せばアルスもまた死ぬのだから。何よりも、彼を倒せずに世界を護りきれないことが一番怖かった。
エンドに罪はない。罪ありきは秩序の因果。
邪剣の魔人という災厄は、因果が渦巻く世界に対して生まれた【粛清】なのだ。
「すまない。君にも……私にだって罪はないが。共に私たちは世界から消えねばならないようだ」
己が魂に触れる。
深く、深く、どこまでも深く。
人間の表層はあっさりと破り。
神の中層を歯を食いしばって砕き。
共鳴者としての深層すらも突き破り。
「『共鳴』──臨界」
意志、赫炎。
世界、融合。
情意、完遂。
はらり、はらりと。
アルスが共鳴を解放すると共に、エンドを縛る茨が解けていく。怨嗟を湛えて力が沸騰する。共鳴者……自らの終わりを告げる者の登場を悟り、彼の災厄もまた動き出した。
「僕はアルス・ホワイト。君と共に因果を抹消する者。いざ──」
聖槍ティアハートを構え、彼は動き出す。
対するエンドもまた、邪剣を手に共鳴者を見据えた。
「っ……!」
アルスの魂を焼き焦がす自らの意志力。あまりに世界を守護する意志が強く、共鳴を解放した肉体すらも意志に追随することができていないのだ。
意志力は彼の全神経、因果、存在概念を強引に昇華させていく。意識も肉体も瓦解するが、だから何だと言うのか。
走る痛苦をものともせず、エンドの懐へと飛び込んだ。
「はぁああああっ!」
『──!』
退くな。
聖槍と邪剣が衝突。
共鳴者の一撃、世界を穿つ。災厄の一撃、世界を割る。
たった一手にて不浄の大地が滅茶苦茶に破裂した。
両者の力は拮抗、完全に互角。
だが──
「っ……はっ……!」
届かない。
拮抗では届かないのだ。無尽なるエンドの剣閃に押し返されるだけ。共鳴を臨界させた一撃でも、邪剣の魔人を討つには不足している。
「僕が……僕が弱いだけっ! まだ僕は、強くなれる!」
魂はすでに使い物にならない。ボロボロで、燃え上がっていて、今にも燃え尽きてしまいそう。
それでも立ち上がる。彼は自らの弱さを知っていた。心が弱いのだ。自分ではエンドに敵わないのではないか……薄弱な意志が魂に残っていて、それが完全燃焼を妨げていた。
魂をすべて焼べて、自らの力へと昇華させなければならない。
同時に彼は自分の弱さを克服する方法を知っていた。
守りたいものを願うこと。まだ世界を守りたいという意志が欠如している。この最終局面、命を賭した聖戦にて……まだ彼は迷いを捨て切れていなかった。
「この不孝者……! あれだけ、あれだけみんなに幸せをもらっておいて……世界を守らないなんてナシだ!」
長い旅路があった。
本当なら別の世界線で死んでいた自分。そんな自分を送り出したのは、立ち直らせたのは、幸福へと引き戻してくれたのは──
「──この世界の、みんなだ。僕は別の世界から張り付けられたテクスチャなんかじゃない! 鳴帝イージア、またの名をアルス・ホワイト!」
意志力が爆発し、共鳴は超過。
エンドを邪剣と共に吹き飛ばす。
自分は立派なこの世界の一員だ。
みんなが自分を認めてくれたのだから。だから、世界を守る。異世界からの来訪者ではなく、この世界の住人として。
異世界の共鳴者ではなく、この世界の共鳴者として。
ならば彼が取るべき手段は──
「──旧盤上世界の残存因果をすべて我が身に。リンヴァルス神の魂を薪に。イージアの存在概念を燃料に。この世界のアルス・ホワイトへと収斂せよ。『共鳴者』から『救世主』へと魂を変容」
未だ世界に残存する因果をかき集め、己が偉業を疑似的な英霊の力として組み込み、滅んだ故郷の魔力すらも引き寄せる。
二つの世界をつなぎ、救いを齎すための力を。
魂はとうに焼け切れている。
ここで力を少しでも緩めれば、彼は即座に消滅するだろう。痛みとすら呼べないほどに激しい痛みが止まらない。
エンドが凄まじい速度で迫って来ている。
彼の邪剣が不気味に輝く。
「……レーシャ。もう届かない世界で、君は待っているのだろう」
過去を振り返れば、彼女に呆れられてしまいそうな醜態を何度も晒した。
だが、その度に彼は立ち上がり……諦めることはなく。
瑕疵を糧へと変えてきたのだ。
……彼女の笑顔をもう一度見たかった。
「僕は使命を果たす。約束は果たせない。最後まで戦い抜いた。強い心も持たず、立派な生き方もできなかったけど……」
けれど、世界を守ることができる。
生まれ、出会い、歩んだすべての意味をこれから証明する。
『アルス君、行ってらっしゃい! ……あなたに祝福を。その意思が何者にも屈さぬように、共鳴を』
「……ありがとう。僕は君の理想の人になれたかな。まあ、答えは聞けないから……ここで証明するよ。共鳴者を塗り替えた、救世者としての僕。アルス・ホワイトの生涯を完結させるために──」
目は逸らさない。邪剣の魔人は真正面。
アルスという概念に宿されたすべての力を一つにして。
「──『因果消滅槍』!」
強烈な灰色の光が爆ぜる。
やがて光は消え、邪気が天へと舞い上がった。
後に残るものは何もない。
ただひとつ、美しい槍が地面に横たわる。
アルス・ホワイト〔神代5301/後?〕
彼は決して立ち止まらずに進み続けた。
最後の頁はこのように。




