200. 本音
荒涼とした大地を歩いていた。
一面の岩肌、北方より吹き抜けるは邪気を孕んだ冷たい風。
魔国ディアを抜け、私は『不浄の大地』を目指す。
ただ一つ世界に取り残された災厄──邪剣の魔人エンド。彼を討つために私は在る。因果が消滅した世界において、互いに取り残された因果。私と彼は消えなければならない。
「……こわいなぁ」
ひとり呟いた音は風に消えいった。
告白しよう。私……アルス・ホワイトは大それた者ではない。英雄と呼ばれるにはいささか心が脆くて、神と呼ばれるには人間性を帯びすぎていた。
そして、あろうことが死ぬのが怖いのだ。
とんだ屑だと自嘲する。君たちは私の罪過を知っているかな。
私は世界を滅ぼしたのだ。故郷の世界を災厄から守れず、そこに暮らしていたすべての命を見殺しにした。自らの妹をこの手で殺し、愛する人に永遠の孤独を科した罪人が私。
罪に染まった我が身が異世界に張り付いて、いつまでも因果となって残存していることが……ひどく不快だった。私が在るべき場所は黄泉。彼らと同じ場所へ行ってあげなくてはならない。
「…………」
幽鬼のように虚しい心持で進み続ける。
北へ向かうほど邪気は強くなっていく。大地がどす黒く染まっていく。やがて辿り着くは生命の一つも存在できぬ邪悪なる大地。エンドが眠っている場所だ。
彼もまた因果の被害者。邪剣に支配され災厄と成り果てた哀れな男。私が終わらせてやらねば。
雲に太陽が隠れ、一気に光を奪い去る。
……と同時、誰かが私を待ち受けているのを感じた。誰だろうか。
岩陰にその人はいる。声をかけるべきか躊躇ったが、こんな場所にいるなど私を待っているに違いない。未練はすべて断ち切り、未来へ残すべきモノは残してきたはずだが……
「ああ」
君か。
光を帯びたような美しい白い髪に、翡翠の瞳のような宝石。彼女はひらりと岩陰から姿を現し、言いようのない感情を湛えた視線で私を射抜いた。
まるで蛇に睨まれた蛙のように身体が動かない。きっと私は彼女を恐れているのだ。……なんだ、私は怖いものばかりじゃないか。情けない。
「君は……アテルではないな。レーシャだ」
見た目は同じだが、はっきりと魂の性質が異なる。
レーシャは澄み渡っていて、なおかつ激しい感情が核に渦巻く魂を持っているのだ。今もなお彼女は私に形容しがたい激情を抱えて前に立っている。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。私に何か用か?」
「君は今から死にに行くんだね」
あまりに直球に物を言ってくれる。ああ、彼女はそういう人間だ。
歯に衣着せぬ物言いが懐かしい。
「そうだな。私はこれより共鳴者としての使命を全うする。邪剣の魔人を滅ぼし、この世界から私もまた消え去ろう。そうすることで初めて……世界は完全な因果消滅を迎えることができる」
きっと彼女は私を止めに来たのではない。
問いを。真実を見抜きに来たのだろう。
「それがイージア……いや、アルスの望み?」
「そうだよ。正直、私はこの世界にいるのが気持ち悪いんだ。イージアとして過去に飛んできた頃からずっと、世界にとっての余所者だと自覚していた。同じ盤上世界でも、私の故郷はここではないと。未来へ戻っても同じだった。このマリーは私の妹ではない、この友人たちは私の友人ではない……と。だって私が絆を紡いだ彼らはとっくに死んでいるのだから」
「…………」
悲しそうな瞳だ。
私のことなどほとんど知らないだろうに、どうしてレーシャはここまで他人に同情できるのか。
「別の世界線のレーシャは……私のXugeは、君の恋人だった。彼女のことを想うと……とてもいたたまれないよ」
「…………私だって、故郷のレーシャには申し訳ないと思っている。誰よりも。しかし、この生き方は私が望み、彼女が望んだもの。他者に口出しをされる余地はない。悪いね」
「……」
「話は終わりだろうか。きっと今の短い問答でも、私の本心は分かっただろう? レーシャ、君もどうか幸せに」
もうアテルは彼女を縛っていない。
一人の自由な人間として、彼女は彼女の生を歩んでいく。
レーシャの横を過ぎ去って、前へ。
不浄の大地はもうすぐだ。
「ねえ」
「何か?」
「たとえアルスが別の世界線の人だったとしても……この世界で生きた日々は……楽しかった?」
当たり前のことを聞くのだな。
答えるまでもないが、一応返答しておくか。
「──もちろん。この世界で紡いだ絆、歴史、奇跡……そのすべてが私にとっての宝物だった。そうでなければ、この世界を救おうなどと思うものか」
「うん、よかった。……いってらっしゃい」
「いってきます」
私が生まれた意味も、存在する意義も。
誰かに定められたものではない。
自らの意志で決めたのだ。
自らの意志で世界の為に消えることを望むのだ。
右手の指にはみんなから貰った指輪がある。だからきっと大丈夫。
──さあ、立ち向かおう。




