198. さよならの前に
アルスがアビスハイムと会話している最中、レアは外壁に出た。この建物は旧ソレイユ王城を改築したものらしい。
ノアティルスの街並みが見渡せるが、人の数はかなり少ない。厄滅によりソレイユの人口の大半が死滅したと聞いている。かつてのような人にあふれた栄光を取り戻すには、数百年の歳月を要するだろう。
一際目を惹くのは、中央に聳えるノアの塔。
彼女は傍らに歩くノアへ尋ねた。
「あの塔、壊さないのかい? ゼーレフロンティアの『大地壊尖塔』を引っこ抜いたとアルスから聞いた時は驚いたけれど」
「いやあ……自分で建てた塔ですが、手に余ってるんですよね。急いでルミナに壊された箇所を修繕して、とりあえず中身の闇が漏れてこないようにしました。どう処理すればいいものか……ノアの塔の中にはまだ壊世主から吸い込んだ秩序の力が残っていますし、安易に壊すのは危険なのです。経年劣化はしない概念的な塔なので、別に放置していても問題はないのですが」
アビスハイムも建造者のノアですらも、例の塔をどうしたものか迷っていた。「めんどくさいし放置でいっか!」というのが現状の結論。
「なるほどね。まだ秩序の因果は外界にも残っているけど……ノアティルスにも神代の名残、すなわち秩序の因果が残っているのか」
「外界に残っている秩序といえば……ああ、エンドさん。邪剣の魔人ですね?」
「ご明察。因果消滅によっても漂白しきれなかった最強の災厄。アレをどうにかして滅ぼす方法はないものかな? 博識なノアなら知っていそうだが」
レアの問いには一縷の希望が籠められていた。アルスと対消滅させずに邪剣の魔人を世界から消滅させることができれば……という望みが。
ノアは彼女の本音を察する。その上でなお、彼女が言うとすれば。
「……わかりません。邪剣の魔人は世界に残されたただ一つの災厄──秩序の因果。彼を払うことができるとすれば、世界に残された唯一の混沌の因果……アルスさんだけ。彼が邪剣の魔人と対消滅することはレアさんもご存知でしょう。できることなら、私も彼の結末を変えたいと思っています。でも……」
アルスは自分の使命を、結末をどう思っているだろうか。
彼の本心を考えれば考えるほど、一つの結論に収束してしまうのだ。
「でも、彼はきっとその結末を望んでいます。どうしてもあの人は世界を護ろうとしてしまう。災厄を払わなければ気が済まない。……そんな人なんです。レアさんも分かっているでしょう?」
「……いじわるな質問だね。私が彼を大切に想っていることを知っていながら、彼の消滅を認めさせようとするとは」
「ごめんなさい。でも、アルスさんは世界に対して一種の疎外感を味わっていたのでしょう。『自分はこの世界に存在するべきではない』と」
「それなら私だって同じさ。本当は存在しないはずの始祖レイアカーツという人物は、今や立派な歴史の一つとして刻まれている。鳴帝イージアという存在もまた同様に。分岐した世界線の一つに根付くことを私は認めた。しかしアルスにはその許容ができないと?」
「おそらくは。レアさんとアルスさんを決定的に分ける点は……元の世界に残してきたモノがあるか、ないか。彼の故郷は滅びましたが、どうしても残してしまった想いがある。だから彼は罪悪感から目を背けられず、自分がこの世界に存在してはならないと自責しているのです」
滅んだ故郷の世界。
そこに捨て置いた大切な人、黄泉へ渡ってしまった友人たち。世界のすべてが滅びているにも拘わらず、自分だけが別の世界線でのうのうと生きることがアルスには認められなかった。
世界がラウンアクロードに壊された瞬間、とっくに彼の心は死んでいたのだ。
「やれやれ……逆に私たちが取り残されるということも考慮してほしいけどね。まあ、彼はそういう人だから仕方ないか」
「……さて。そろそろ戻りますか? このノアティルス……特にまだ観光地もありませんので。私が見せたかったのはこの寂しい景色です。文明が滅び、人々が死滅しても。また僅かな希望を糧に立ち上がった力強い国を」
「ああ、すばらしい国だね。ノアティルスの民は……ああ、わがリンヴァルスに勝るとも劣らない頑健さを持っているよ。アルスから話を聞いた時、とてもじゃないが信じられないと思った。まさか世界から因果が消えるなんて。…………そう、だね。終わらぬものなど存在しない。きっと彼もまた──」
レアは心中で区切りをつけ、建物の中へ戻った。
~・~・~
久方ぶりに一緒にゲームをして楽しむアルスとアビスハイム。外界から閉ざされているゆえ、二人が遊んでいるのは二十年以上前のゲームだった。
「今度は外界の最新ゲームを持ってきますよ。陛下が好きそうなシミュレーションを見つけたので」
「うむ、いったい最新鋭のゲーム機がどれくらい進歩しているのか見物だな! ノアティルスの復興に追われて、今までは娯楽文化を育てる余裕がなかったが……そろそろ考えてみてもいいかもしれん」
色々と話してみたが、アビスハイムは何一つとして変わりない。
変わった点と言えば、彼の魔力量が激減していることくらいか。ノアティルスの文明を築くにあたって、ほとんどの魔力は彼が負担したらしい。それでも常人の数百倍の魔力は保持しているし、持続可能な回復手段も用意しているのだから大したものだ。
「ただいま戻りました」
夕暮れ時、ノアが帰還。彼女の後方ではレアが相変わらずアビスハイムに怪訝な視線を送っている。
旧交を温めていたアルスだが、そういえば彼女に呼び出されたのだった。いったんゲームを中断して彼はノアへ尋ねる。
「ノア。そういえば僕に話があるとのことだったけど」
「……ああ、そういえば。これを渡そうと思ってたんです。えーっと、どこにやったかな……」
彼女は自分の服を叩いて、ポケットをまさぐる。
そして左胸のポケットから白い箱を取り出した。
「あった! どうぞ」
──箱の内側に埋め込まれていたのは、灰色の指輪。
どこか見覚えがある。かつてアルスを救済へ導いた指輪と酷似しており、現代へ彼を呼び戻した奇跡でもある。
そう、これは……
「……ATの指輪?」
「ええ、正しくは彼の指輪に使われた技術を参考に改良したものですが。彼の指輪は二つの因果の誘引を利用したものでしたが、私たちが作ったこの指輪は因果の乖離を利用したもので……」
長々とノアが説明を始める前に、アビスハイムが待てと口を挟む。
「ノアよ。その指輪、お前だけが作ったものではあるまい? 協賛者を忘れるな」
「その通りです。こちら、『ノアの指輪』と銘がつけられましたが作成に携わった方は数知れず。アビスハイムさん、ATだけではありません。フェルンネさん、ナリアさん、ジークニンドさん、サーラさんなど……多くの方々の叡智を結集して作成した至宝なのです」
アルスは思わず面食らった。
では、このノアティルスに友人たちも一足先に入っていたということか。一向に興味を示さなかったアルスも悪いが、友人たちはまるでその話をしてくれなかった。
呆けるアルスを前にして、レアが代わりに尋ねる。
「……で、その指輪はどんな意味を持つのかな? まさか求婚の指輪じゃないだろうね?」
「気休めです」
「……ん?」
「なんかこう、奇跡が起こればいいなー……程度の気休めに過ぎません。この『ノアの指輪』は、所有者の意志に応えて奇跡を起こすかも……です。Tの指輪は確実に奇跡を引き起こすものでしたが、因果が消滅したこの世界では確実に望む結果へと結びつける機構は存在しません。ですが、アルスさんの内側に介在する因果によってもしかしたら奇跡が起こるかもしれないのです」
「つまり、僕が持っていなければ意味のない代物だと?」
ノアはこくりと頷いた。
とはいえ、もうアルスに望むことなどない。世界で未だに因果を持つアルスにしか使えないと言われれば、受け取らざるを得ないのだが。
「……うん、ありがとう。大切にするよ」
ノアの指輪は彼の友人たちが叡智を集めて作ってくれたもの。無碍にはできない。
灰色に光る指輪を右手の中指に嵌めた。不可思議な感覚が身を包み込む。
一連の様子を見届けたアビスハイムは満足そうに首肯。これで彼の役目は終わったも同然だ。魔導王としての役目を終え、ノアティルスの文明の礎を築くことにも成功した。
「さて、アルスにレア。今宵はノアティルスに泊まっていくがよい。国を救った英雄とあれば、盛大にもてなそう!」
「……だそうだ。アルスはどうする? 私は君の意向に従うけど」
「もちろん歓待を受けよう。せっかく再会できたんだから、まだまだ陛下やノアと話したいこともあるし。レアもノアティルスをもっと見て回るといい」
レアに向けられたアルスの笑顔。
彼の笑顔を見た瞬間、レアはどことなく懐かしい感覚を覚える。
──彼がこんなに笑うことなどあっただろうか。
もしかしたら彼女がロールとして過ごしていた時代以来に見た景色かもしれない。たとえ明確に命の終わりを認識していたとしても、彼はたしかに幸福へ向かっているのだと……レアは感じ取る。
そして彼女もまた、友に微笑み返すのだった。




