195. サーラライト国
明くる日、アルスはナリアのアーティファクトに同乗してマリーベル大陸の西部を目指していた。ジークニンドも一緒だ。
これまでは飛空艇レヴィーで空を移動していたが、レヴィーは創造神の神気により稼働していた代物。仮にもう一度動かすとしても、大幅な再設計が必要となるため起動の目途は立っていない。
ジークニンドは地上を見下ろしてうっすらと目を細めた。
「お、見えてきたな。……しかし結界がなくなったってのは本当だったのか」
目指す先はサーラライト国。
萌神の加護も潰え、黎触の団の脅威に晒されることもなくなった国だが、民の反対により結界は除去されないままだった。
事態が大きく動いたのは厄滅から五年後のこと。結界が突如として除去されたのだ。
「まもなく王城付近に降下するぞ。衝撃に備えろ」
ナリアはアーティファクトを旋回させ、機体をゆるやかに下ろしていく。
大霊の森内のサーラライト国へ接近するにつれ、三人は大きな変化を視覚的に感じ取ることになる。
「これは……すごいな」
「なんだこりゃ……俺が前に来た時は、もっと……」
立ち並ぶ天廊、高層ビル、街中を埋め尽くす魔鋼。
まばゆい魔導光が溢れる都市。かつて見られた長閑な自然と木造建築は一片も見受けられない。まるで大国ルフィアの技術をそのまま模倣したかのよう。たった二十年でここまで成長するなど、いったい何があったのだろうか。
アルスとジークニンドは筆舌にしがたい何かを覚えたものの、呆然とサーラライト国の様子を眺めるしかなかった。
黒鉄に染まった城の正面に降りた三人。彼らの姿を見かけた兵士が駆け寄ってくる。
「そのお姿……イージア様、ナリア様、ジークニンド様とお見受けします。こちらへどうぞ」
事前に三人がサーラライト国へ訪問する旨は伝えてある。特にこれといった用件はないが、久しぶりに行こうかと入国申請をしたところ、女王が彼らを招致したのだ。
兵士はどこか緊迫した体の動きで三人を導く。みな兵士のぎこちなさには気が付いていたが、特に言及することはない。
一行はサーラライト王城へ入り、玉座の間へ向かう。
~・~・~
「よくぞおいでくださいました、楽園の皆々様」
玉座に座するはサーラライト国女王、シレーネ・ル・ラフィリース。
十五年前のサーラライト国内の政変により即位した女王である。
「よお久しぶり! 元気してたか?」
ジークニンドは笑顔で彼女に挨拶する。
彼女もまた笑顔で答えた。
「クロイムさん、お久しぶりですね! 師匠もイージアさんも元気そうで何よりですよ」
しかし、ナリアとアルスの表情はどこか優れない。シレーネの笑顔の裏にある感情。それは久方ぶりの知己との再会への喜び、などといった代物ではなく……ナリアは少し強引に話題を切り替えた。
「ふむ、シレーネ。お前の即位からこの国はかなり発展したな。国の政策方針を転換したのか?」
「です。結界を除去して、先進諸国の魔導科学を大量に取り入れました。国王である私が魔導科学に明るいので、私主導かつ急ピッチで。いやー大変でしたねー……あっそうだ。師匠、魔道具の研究をこの国で行う気はありませんか? わが国は優秀な科学者を世界中から集めてるですよ。師匠も楽園ではなくここで研究されては?」
「いや、人の多い場所は苦手なのでな。遠慮しておこう」
「さいですか。まあ、ゆっくりしていってください。個性も何もない国ですが、快適さは保証しますよ」
アルスはなんともいえず、黙ってその場を後にした。
ジークニンドは相も変わらず気さくにシレーネへ話しかけているが、とてもそんな気にはなれない。二人とは後々落ち合う約束を交わし、魔鋼聳える街中へ飛び出した。
~・~・~
二十年前。
因果消滅と共に、サーラライト国を覆う結界は払われた。同時に露呈したのは周囲の国の豊かさ。繁栄した文明。
これまで牧歌的な生活を大自然と共に送ってきたサーラライトの民に対して、外界の文化は大きなカルチャーショックを齎した。
同時に彼らの胸中には遣り場のない喪失感──そして怒りが渦巻いた。これまで自分たちはなんと愚かな暮らしを送ってきたのだろう。
怒りの矛先は王族へ向いた。シレーネの父母へ向けられた民の反感は肥大化。先進国のような法律もないサーラライト国。暴動は一気に激化し……父母は処刑された。
対して、結界の除去ならびに外界との融和を説いていたシレーネへ焦点が充てられる。彼女をルフィアから招致したサーラライト国は、新たなる王の下に先進的な文明開発を一気に押し進めたという。
「……」
これがアルスが情報収集して聞いた顛末だ。
端的に言えば胸糞が悪い。シレーネの笑顔の裏に、どうしようもない憎悪があったのも頷ける。
国の体制を見れば分かる。国民は気が付いていないようだが、シレーネはサーラライトの一族を駆逐する腹積もりだ。
周囲の先進諸国の支配を進んで受け入れ、サーラライト国の文化を抹消し……自分の都合がいいように、かつ先進的な体制に見えるように法律を定めている。異を唱える者は放逐。兵士が緊迫していたのも頷ける支配体制だ。
事実、次々と流入する外国の人材によってサーラライト族の地位は低くなっていく一方だという。
しかしアルスはシレーネを糾弾する気にはなれない。
両親を奪い、アリスの尊厳を踏みにじられ……サーラライトの民を彼女が許すはずもなかったから。やがて恣意的な支配の報いを受けるにしても、それはシレーネが選んだ道。
幸福な道へ進む者はアルスの周りにたくさんいたが、その反対……不幸を歩む者も当然存在する。
「む、イージア。ここにいたか」
ナリアはフラフラと情報を集めながら歩き回る彼を発見した。
「ナリア。君は……これでいいと思うのか?」
「……? よく分からんが、この国の在り方は正しいと思うか……という質問か? それならば答えようはない。国の在り方など正解は存在しないからな。正当な王権がシレーネにあり、あいつがこの政治方針を定めたのならば文句はない。……まあ、私的な感情は別としてな」
ナリアは視線を逸らす。
彼女も本音としては現状のサーラライト国に好感を抱いていない。しかし国の統制機構として、シレーネの選択はすばらしく正しいものであったのも事実。かつてのロマンを追求していた少女の影は消え、名君としての王女が誕生した。ただそれだけのこと。
「まあ、あいつの面倒はできるだけ私が見る。腐っても弟子だからな。ジークニンドも色々と複雑な事情を感じ取ってくれているだろうし、シレーネに寄り添える者はまだ存在する。お前の心配はもっともだが、杞憂に終わる可能性も高いと言っておこう」
彼女の言葉はただアルスを安心させるためだけの気遣いに過ぎなかった。
それでも彼は仲間の言葉を聴いて落ち着くことができたのだ。なんだかんだで、ナリアはアルスよりもずっと大人で落ち着いた精神を持っている。
「明日には楽園へ帰ろうと思う。君はどうする?」
「……私はジークニンドと相談してみる。もう少しシレーネの話を聞いてみてもいいかもしれん。私も研究があって暇ではないからな。すぐに楽園に帰るとは思うが」
最近はナリアとフェルンネが何度も研究室を往来し、共同研究を進めていることは知っていた。しかしアルスには彼女らが何を追求しているのか分からない。
知る必要もない、と言うべきか。
二人は夕暮れまで変わり果てたサーラライト国を巡り、ジークニンドを待った。
シレーネ・ル・ラフィリース〔神代5080/後212〕
サーラライト国女王。父母の処刑を契機に戴冠し(後6), 国の大改革を推し進めた。国を無機的に急伸させた彼女の姿から, 「鋼鉄の女王」と呼ばれる。錬象術に造詣が深く, シレーネ自身が主導する形で発展は押し進められた。治世の結果として純血のサーラライト族はほとんどが途絶し, 一時は騒動となったものの, 彼女が対策を取ることはなかったという。
ナリア〔神代1233-〕
錬象術の始祖。彼女が発明した錬象術は後年の魔導論理に大きな影響を与え, 今なおアーティファクトの生成は受け継がれている。長らく楽園で研究を進めていたが, 破壊神の騒乱(5215)によって外界へ脱出, 以後はほとんど人前に姿を現すことはなかった。シレーネ女王の在位中, サーラライト国に姿を現すことはあったようだが, 活動内容は残されていない。




