185. そして世界が始まった
世界全体が虚脱に満ちた。
大地に、天に、海に、宙に染み込んだ二つの因果が抜け落ちて……灰色に混ざって──漂白される。
混沌と秩序に閉ざされた世界は終わり。
何者にも縛られぬ因果なき世界が生まれ。
そして、かつての壊世主は……
『おのれ……おのれ、おのれッ! 我が身から因果を奪ったか、アテル! 我が身を只人へ堕としたか!?』
次々と纏う闇を剥がされ、力を失っていく。
ルミナだけではない。創世主アテルも、調停者ノアも、また力を失っていた。
瞬間、私は確信した。
世界は生まれ変わったのだと。ここから先は……新しい時代だ。
『認めぬ、あり得ぬ! 許さんぞ……もうよい、疾く失せよ! すべて消えてしまえッ!』
最後の抵抗か、ルミナは魂に眠る秩序を全開で引き出した。
消滅しつつある周囲の眷属も一時的に力を取り戻し、ルミナの異形もまた動き出した。
しかし……彼は忘れてはいないだろうか。
この世界においてただひとつ、未だに因果に縛られた愚者がいることを。
「共鳴──解放」
私──共鳴者だ。
共鳴の力は、この世界に由来するものではない。かつて滅ぼされた世界に眠る少女……レーシャとつないだ混沌の力。
もう一度、共に鳴らしてくれ。手を差しのべてくれ。
灰色に魂を染め、世界を守る意志を束ね、新しい時代の始まりを告げるために。
『第三因果……いや、アルス。力を……貸して欲しい』
アテルは私へ頼み込んだ。
無論、最初からそのつもりだ。彼女の意志を、決断を叶えよう。
疾走する。世界の未来を定める戦いへ身を投じるのだ。
一瞬の後にエムティングを斬り捨て、メロアを滅ぼす。造作もない。
『救世者ッ! お前だ、お前が根源だ! お前さえいなければ……あの世界線を滅ぼしていなければ、ラウンアクロードを利用さえしていなければッ……!』
「……君を責める気はないよ。ただし、新しい世界を受け入れないのならば……私は君を断つ」
抵抗と言わんばかりに、眼前に無数の眷属が群がる。
そんなものでは私を止められない。それに……私には仲間もいる。
「皆の者、立ち上がれ! ここで永き争いに終止符を打つ!」
アビスハイムの号令により、英雄たちが次々と立ち上がった。
もう世界には主という概念が存在しない。だから、彼ら人間も、ルミナもアテルも同じ土俵に立っているのだ。互角に争うことだってできるだろう。
背後から巻き上がった魔術が、迫る眷属を撃ち落とす。
戦え、未来を掴め。私は未来への導となる。
「アルスさん」
「ノア。君は……」
「ありがとうございます。私、ようやく決められました。アテルのおかげでもありますが……調停者という枷から逃げることができたのです。だから後は……まだ駄々をこねているルミナを懲らしめてやりましょう」
「……ああ」
よかった。
彼女はもう自分の意志を決められたのだ。私が口を出す必要もない。
ノアの強化を受け、さらに眷属の殲滅速度を上げていく。黒き波濤を打ち破り、ルミナの本体……異形が見えた。
『アルス・ホワイトッ! 今からでも過去の輪廻へ戻り、お前と言う存在を抹消してくれる! お前は存在してはならない!』
「……! 待て!」
異形が咆哮し、中空に神力を籠める。
虚空から裂け目が生じた。今の言葉から推察するに、過去か別の世界線へと飛ぶ可能性がある。
逃げられてはならない。
全力で加速し、迫る黒茨を打ち払い……
『クハハハハッ! では、さらばだ! 必ずお前を滅ぼし……ぐぎっ!?』
虚空へと異形が消える刹那、動きが停止。白き茨が異形へと絡みついていた。
アテルがルミナの逃亡を阻止してくれたようだ。
『アテルッ!!!』
『お願い。アルス』
任された。
別の世界線の君からではあるが、授かった共鳴を振るわせてもらおう。
守りたい。この世界は私たちのものだ。
悪しき意志になど、穢させてなるものか。
「共鳴──臨界」
今、私と共につながる者。
かつて滅ぼされた故郷の君も、私と同じ景色を見ているだろうか。
ありがとう。君がずっと私の魂に寄り添ってくれていたから……ここまで来ることができた。
因果の幕を閉じよう。
「──『因果消滅世界』」
ただ一振り。
一撃でルミナの本体は瓦解し、根源を断たれた。
……ああ、因果のない彼はここまで脆いのか。
あれほど怯えるのも無理はなかったのだな。
『──ァァァ──ァァァアアッッ!!! ヤ、メロ──オォォォッ──!』
……苦しそうに絶叫して。
彼は茨の触手を天へ伸ばす。だが何も掴むことはできない。
飛翔、触手を掴む。
きっと彼は……手を握ってくれるひとが欲しかったのだろう。
「…………終わりなんだよ、ルミナ」
『………………そう、か』
ずっと孤独に盤面で遊んでいた。
彼の生涯もまた虚しく、寂しかったはずだ。
塵となって彼は消えてゆく。
天の暗黒が払われ、まばゆい光が射した。新しい世界の光だ。
「安らかに」
かつて在った盤上世界。
かつて見守った二つの主。
かつて見届けた調停者。
すべては過去の神話。
神代が終わり、歴史が幕を開けるのだ。
今、この瞬間から。
20章完結




