175. 心を嗚咽し、もがきながら
蜂の巣をつついたような紛糾に包まれた城内。
アビスハイムは毅然として指揮を続ける。
「ナリア、救済の力の備蓄はどれくらいだ!?」
「増産を急いでいる……が、間に合わん。あと一日も持つ気がしないな」
ソレイユ王城は予め備蓄していた救済の力によって守られている。混沌も秩序も跳ね除ける比類なき力が、かろうじて壊世主の闇を防いでいた。
しかし……もう耐久は不可能に近い。救済の力を自主的に生成可能なアルスとジークニンドは存在せず、アビスハイムの力も限りがある。疑似的な神気と邪気を複合したもので何とか凌いでいる現状。
王城の外では黒化したエムティングとメロアが何度も光へ突撃し、確実に救済の力を擦り減らしている。反撃の目途は立っていない。
「陛下。国民が不満の声を上げています。自力で王城の外に出て行こうとする者も……」
「……このような非常事態に、馬鹿者どもに取り合っている余裕はないのだがな。王城を出れば死ぬというに、なぜそれが分からんのか。……仕方あるまい」
アビスハイムは玉座を立ち、国民を避難させている庭園へ向かう。
どれほど逼迫した状況であろうとも王は王。民を諭すが役目である。
「リリス、我はしばし席を離れる。代わりを頼む」
「承知しました」
~・~・~
蒙昧とは罪である。
今、この瞬間が世界の命運を左右するものであっても……いち生命にとっては普遍的な環境変化に過ぎない。ソレイユ国民の視点では、何も分からないまま世界が闇へと満ちていた。
家族は無事だろうか、この王城から出ることはできるのだろうか。
──答えは否だ。国民の大半は死に、家族は無事ではない。王城から出ることは不可能。このまま耐えて、やがて限界が来て……外部より押し寄せる暗黒が全てを呑む。
アビスハイムは真実を知りながらもなお、民へ宣告することができなかった。自らが王として民を守り切れなかったことを認めた時、それすなわち敗北を認める時。
しかし一方で彼の選択は傲慢でもあった。民を無知に陥れ、やがて来たる滅びから目を背けさせることは無責任に違いない。
王は民の声に耳を澄ます。
「…………」
ざわめく声が聞こえる。
不安、焦燥、畏怖。庭園から暗黒の空を見上げながら国民が泣いている。飛翔するエムティングとメロアを仰いで子供が泣いている。
声の中に希望は一片たりとも見つからなかった。
何度繰り返しても、彼らを救ってあげることはできなかった。励ますべきか、真実を伝えるべきか、謝罪するべきか。王は答えを見つけられない。
些事だ。民に誤魔化しは効かない。ならば本心を伝えるべきではないか。
「──傾聴せよ!」
静まりかえる。庭園の誰もがテラスに立つ王を見上げた。
信頼ゆえの静寂が王には重かった。重い信頼をぶつけられたのならば、同等の責務を以て言葉を返す必要があるから。
震えを抑えて言葉を紡ぐ。
「今、ソレイユは滅亡の危機にある。国土の大半が暗黒に呑まれ、王城の外に一歩でも出れば邪なる眷属に殺されてしまう。……民よ。きっと、この王城にいない家族や友人は既に死んでいる」
薄々誰もが勘付いていたことだ。
故にまだ声は上がらなかった。
「我は……ずっと前からこの状況を予測していた。しかし防げなかった。偏に我が力不足によるものだ。……深謝しよう。愚王を許してくれ」
深々と頭を下げる。
王は頭を下げてはならないと、ソレイユには鉄の掟があった。
民とて掟を理解している。眼前の魔導王の謝罪は異常な光景だ。
もはや王と仰がれる資格はないと……自分の価値の程を弁えていたアビスハイム。だが、民と王の意識は乖離していた。
決して彼を愚王などと民は思っていないのだ。言うなれば賢王。先代国王であれば、間違いなく初期の段階でソレイユは滅んでいただろう。ここまでソレイユを維持できたのはアビスハイムの采配があってこそ。
「……そんなことねえよ! 魔導王陛下、あなたは大した人だ! 何もできない俺たちをここまで守ってくれて、助けてくれる!」
「私たちは何も分からないけど……でも! 陛下を最後まで信じます!」
「こくおうさま、ぼくはこくおうさまはかっこいいとおもいます!」
民からの激励が次々と飛ぶ。沸き上がる。
アビスハイムにとっては初めて聞く激励ではなかった。今までの輪廻で何度も何度も、同じような言葉を並べられてきた。
しかし、陳腐には聞こえない。彼ら国民の声には心が籠っている。
期待に応えるが王の責務。
「……うむ。ああ、そうだ。民を守れなかった我はかっこ悪いが、最後まで諦めぬ我はかっこいいぞ。──まだ我は、ソレイユは希望を捨てていない! しかして待つがよい! この魔導王アビスハイムが必ずやソレイユに光を取り戻す!」
カリスマではない。誠実さだ。
国王としての高邁ではなく、人としての堅実を追い求めた結果。今、アビスハイムは民からの信頼を得ている。もちろん中には彼を快く思わない者もいるだろう。しかし彼は叛意を含めて王としての存在を証明し続ける。
~・~・~
玉座に戻ると、思いがけぬ影が見えた。
「む。お前ら、戻って来たか!」
ユリーチ、デルフィ、ロンドの三名が帰還。曰く、地上から結界に穴を空けて降ってきたらしい。自らが展開した結界を破られたことに悔しさを覚えながらも、アビスハイムは三人の帰還に安堵した。
あのまま壊世主の眷属たちに殺されていては申し訳がたたないというものだ。
三人は満身創痍。今にも倒れてしまいそうだ。
「いやはや、ユリーチさんがいなければ詰んでましたね。結界を破ることができたのが救いでした」
「それに、エムティング同士の仲間割れみたいなのにも助けられたな。アレは何だったのか……」
「…………」
話す気力がある英霊二人に比べ、ユリーチは疲労の色が濃い。背負った役割を考慮すれば無理もない疲労だ。
アビスハイムの眼が視る限り……肉体的な疲労だけが原因ではなさそうだが。
「ユリーチよ、お前はしばし休め。次の会議には出てもらうゆえ、それまで寝ておけ」
「はい。ありがとうございます」
戦力は人間の尺度からすれば大きく増加したが、壊世主側にとっては取るに足らない変化だ。
問題は救世者の所在。アルスならばこの災禍の中でも無事だとは思うが……未だに帰還しない。ソレイユ離島まで遠征していたことを考えても、王城への到着が遅れているようだ。
王が待つは混沌でも秩序でもない第三の因果。
世界滅亡の因果を裂く者である。




