170. 絶望の中で走る者たちがいた
共鳴を解放したアルスの槍撃が黒化エムティングへ迫る。
壊世主の加護を受けたといえども、災厄には遠く及ばない。ティアハートが黒化エムティングの核を貫き動きを停止させる。
『キ゚……キkiッ……』
歪な鳴き声を上げて黒化エムティングが塵となり消滅していく。
彼が安堵して矛を収めようとしたのも束の間、さらに歪な声色が響き渡る。
『キヒhihiヒッ! クアクアハhaハハッ! ワガミ、wagaミ、ノガレraレヌゾ、キュuセイシャ! ──!』
甲高い悲鳴を上げて黒化エムティングが消滅。
絶命の叫びに呼応するように、地平線の彼方より気味の悪い金切り声が響く。サーラは耳を塞いで周囲を見渡した。
「うわ……なにこれ。なんか、やばくない?」
「この気配……黒化エムティングとやらが迫ってるみたいだな。しかもかなり数が多いぜ」
ジークニンドは高速で迫り来る気配に顔を顰める。おそらく壊世主がアルスらの存在を認識し、眷属である黒化エムティングを仕向けているのだろう。
ソレイユの大地は地下に沈み、足場は平らな結界が広がるのみ。遮蔽物はなく逃げ場もない。しかし彼らは王都へ向かう為に前進しなければならない。
逡巡と焦燥が巡る中、ダイリードが叫んだ。
「接敵するぞ、警戒せよ!」
視界で小さな豆粒のような黒化エムティングを捉えた直後。既に刃は眼前まで迫っていた。
「速っ!? 『救済の領域』!」
ジークニンドは咄嗟に半円状の領域を展開。一行の身を眩い白光が包み込む。
黒化エムティングは救済の力には耐性がないようで、白光に当たった瞬間に身体を損傷。次々と地平線の彼方より黒き影が迫る。十、二十、三十……数え上げればキリがなく。
「僕が最前線に立って戦う! いったん全ての個体を殲滅する!」
アルスは救済の領域から踏み出して黒化エムティングの群れへ向かう。
一穿。彼の槍撃は大気を揺るがし、エムティングの軍勢の中央を貫く。災厄を滅するほどの攻撃を放っても足元の結界は揺るがないのが救いだ。
『キュウセi? キュウセi!』
『ワgaシュ、フウziタモノ!』
しかし黒化エムティングの速度は異常なものだった。
アルスの攻撃は軍勢の一角を消し飛ばしたが、ほとんどのエムティングに攻撃を回避されてしまった。共鳴を解除した状態でさえも一筋縄ではいかない相手。
アルスに覆いかぶさるように、天空より無数の黒化エムティングが飛来する。
「『守天時空海』!」
彼の身を守るように高波の壁が展開。サーラは全霊の魔力を籠めて防壁を用意したものの、ほんの数秒で黒き茨に水膜が引き裂かれる。
ダイリード、ジークニンドは救済の領域を破壊しようとするエムティングを必死に打ち払う。
「クソッ……アルス、大丈夫か!?」
「こちらは大丈夫だ。しかし……君たちの領域の方が保ちそうにないな。AT、とりあえずなんとかならないか?」
「僕を便利屋のように扱うのはやめていただきたく……」
群がるエムティングを魔術で捌きつつATは思案する。
たとえここで第一波の軍勢を退けたとしても、壊世主の手によって第二波・第三波の追撃が来る。それに王都へ接近するということは、敵軍に突っ込んでいくことに等しい。
「……大丈夫そうだ」
彼は虚空を見上げて呟いた。
瞬間、時空の歪みより現れた鈍色の巨大な箱。箱には奇妙な車輪と綱が取り付けられており、操縦席に座っていたのはオッドアイの少女。
「天才美少女ノア、ウォーワゴンに乗って参上です! 今度は幻影じゃなくてちゃんとした本体ですよー!」
この世の理に反する重量で黒化エムティングを轢き潰し、急ブレーキで駆けつけた。
唐突に戦場へ突っ込んできた巨大な箱に、アルスたちだけではなくエムティングまで硬直している。混乱する一行にノアは怒号を飛ばす。
「はよ乗ってください! 後ろの箱の部分へどうぞ!」
ノアが意志力を籠めると皆の身体が浮かび上がり、トラックの荷台のような場所に突っ込まれる。全員の搭乗を確認したノアはそのまま車体を急発進。
追い縋るエムティングを振り切り、とんでもないスピードで。
~・~・~
「……と、とりあえず危機は去ったということでいいか?」
アルスは困惑して操縦席のノアに尋ねる。
黒化エムティングは相当な飛行速度だったが、このウォーワゴンはさらに速い。車体の中はどういうわけか外見からは想像もできないほど大きく、まだまだ人を乗せることはできそうだ。ノアの持ち物なので、旧世界の空間拡張技術などを使っているのだろうか。
「はいお疲れ様です。ルミナが堂々と不正というか、世界に干渉しやがったのでノアちゃんの本体が出てきました。もうルールとか守るつもりありませんね、アレ。封印された腹いせに世界を壊滅させてやろうって感じです」
一同は彼女から現状の説明を受ける。
壊世主を封じていた秩序盾ルナの力が破られ、このソレイユを攻撃してきたこと。エムティングやメロアの使役権が壊世主に移り、超常的な力を得たこと。
そして今もなおソレイユ王城で人間たちが抵抗を続けていること。
まだソレイユの全てが闇に呑まれていないことを聞いたジークニンドは安堵する。
「よかった……てことは大師匠やシレーネたちも無事なのか」
「分かりません。王城に収容できる人間には限りがあります。王都から離れた地方の人間はほとんどが死滅し、戦場にいた兵士たちの安否も定かではない。もしかしたらナリアさんやシレーネさんも無事ではないかも」
ノアは皆を安堵させるような事実を断言しない。状況はあまりにも厳しく、油断してはならないのだから。
再び沈黙が漂う中、サーラは隣に座るダイリードを見る。彼はずっと俯いていて何を考えているのか分からない。直前まで敵対関係にあったという気まずさもあるだろうが……
「ダイリード、しっかりしてよ? アタシたちは創造神の最後の任務を果たさないといけないんだから」
「……心得ている。人を救う。我が犯してきた罪を少しでも清算する。だが、その前に……」
彼は大きな体を動かし、地面に平伏した。
「……我を叱ってくれ。許してくれとは言わぬ。だが……残虐なる破壊神に従い、我は人の命を奪ってしまった。汝らとの絆を、過去を……蔑ろにしてしまった」
この場にいる者はノアとATを除き、楽園に長いこと住んでいた。ダイリードに対しては様々に思うところがあるだろう。
彼の立場を考慮しても、いささか盲目的すぎた。失った命は取り戻せない。
「私は……君の行為は許せない。しかし私が許さずとも、世界が君を許す時が来るだろう。正しい道理を以て人を救い、清算を続けていれば……君がまっとうな神に戻れる日は必ず来る。だから歩みを止めないで欲しい」
アルスは奪われた側の憤怒を知っている。大切な人を奪われた悲しみは易々と消えない。
だが、人も神も過ちを犯す。【棄てられし神々】のように。だから彼にできることはダイリードを見守ることだけ。
「アタシはさ……うん。百年間ずっと眠ってて、アンタが何をしたのかは分からないけど。でも間違ったのなら正しい方向に戻ればいいよ」
サーラは迷いながらも答えた。
ダイリードはまだやり直せる。しかし六花の将の中には死んでしまい、過ちをやり直せない者もいる。自分の弟だって……もう二度とやり直せない。
「ん。俺はお前のことずっと見てきたけど……まあ勤勉な奴だしな。その真面目さが裏返っちゃっただけだろ。また裏返して、親父の遺志を継いでくれよ。たぶん親父みたいに立派な神になれるのは……俺じゃなくてお前な気がするしさ」
ジークニンドはダイリードと最も長い付き合いだ。
だからこそ分かる。もう二度と同じ間違いは起こさないと。操り人形のダイリードはもういない。だから案ずることなく前を向けるよう、ジークニンドは彼を支え続けるつもりだ。
「……すまない。ありがとう」
壊れ、離れ、散ってしまったかつての絆。
破片を繋いで立ち戻る。継ぎ合わせて取り戻す。
前を向き、世界のために。




