169. 乖離が始まり
ソレイユが生まれた瞬間から、この国の終わりは決まっていた。
いずれの国も命も、やがては終わりを迎える。大した問題ではない。肝要なのは「終わり方」。
呆気なく消えるのならば何も残らない、英雄の名のもとに滅ぶのならば未来がある、自然災害によって潰えるのならば良心的だ。
──其は突如として顕れた。
地下へ沈んだソレイユ王国全土。中央に逆巻いた黒いカタマリが広がり、暗黒の波となって押し寄せた。波に飲み込まれた者はどうなったのか。
溺死……ならば救いようはあるだろうが。残念ながら現実は甘くない。
「逃げろっ! 津波が来るぞ!」
「どけっ! 邪魔だよ!」
「な、何を……ぎゃぁああっ!」
住民は彼方より迫り来る暗黒の津波を前に、ただひた走るしかなかった。
他人を押し退け、魔導車で轢き殺し、数多の血を流して。これでは神々の眷属が跋扈する地上の方が安全ではないか。皮肉にも守られる対象であったソレイユ国民は、王の展開した結界により外に出ることができなかった。
アビスハイムとてこの状況は想定していた。想定していてなお、防ぎようがなかったのだ。これが最善策、最小の被害で済む手段だった。
「はやくっ……はやく逃げ……!?」
津波から逃げていた親子が立ち止まる。
急にうずくまった父親に、手を引かれていた子どもは首を傾げた。
「お、お父さん? はやく逃げないと! あのまっくろな波が来ちゃう!」
「あ……あああ、そうだな。逃げないとな。だいじょ、ぶ……お父saんは……O父saん……? ???」
どす黒く、男の身体が染め上げられる。
理性の崩壊──身体の融解。逃避は無駄だった。そう……波に呑まれても、波から逃げても結果は変わらなかった。
「お父、さん……?」
「??? ……agi? waガmi……kokoko,」
暗黒の波から次々と人型の異形、蛇竜型の怪物が飛び出す。
波に触れていない人々の体も邪気に染められ、怪物と化す。かつて父であった怪物は傍の子どもを裂き殺した。
ソレイユ地下に沈められた人々はみな生涯の幕を閉じて。生まれ変わる。
案ずることはない。
ただ世界を統べる種族が人間ではなくなるだけ。怪物の知能は一か月もあれば人間を凌駕し、遥かに優れた文明を築き上げるに違いない。
新たなる主のもとに。
~・~・~
アビスハイムの号令と同時、世界は暗黒で閉ざされた。
『──クハハハハッ! 暗黒の帳はここに穿たれた! 忌まわしきラウンアクロードの封印を破り……我が身はここに再誕す! もはや因果も世界のルールも存立不要! この盤上世界を我が力で染め上げてくれる! 世界崩壊の輪廻を此処に呼び起こす!』
天から歓喜の声が降り注ぐ。
漆黒が濁流の如く渦巻き、地下へ沈んだソレイユ全土を呑み込んでゆく。透明な足場の結界越しに、呆然とソレイユ兵たちは自らの故郷が闇に包まれる光景を眺めていた。
「陛下、これは……何が……起こっているのですか?」
「案ずるな、リリスよ。我が身は全知……全てを見通す者。故にこうなることも分かっていたのだ」
敵は壊世の主。
絶望した。悲嘆した。憤怒した。
されど魔導王は諦めず。
安息が砕かれようとも、自らがどれだけ輪廻を重ねようとも。王たる者、後退は許されず。
「民を守る為に。救済展開──」
刹那。
ソレイユを呑んだ暗黒より、一筋の光が伸びる。
ソレイユ王城のあたりから伸びた光は眩い白光を放ち、どこまでも深い邪気を穿ってゆく。
「救済の放出砲、全力放射ッ! 我ら人類の意地、壊世の主へ見せてやれッ!」
極光が爆ぜた。
地平線の彼方まで伸びた救いの光。一拍置いたのち、佇んでいたのはソレイユ王城。人類最後の希望の砦である。
可能な限りの国民を城へ避難させている。それでも救い切れなかった民が大半だ。ほとんどの民は闇に呑まれ、邪気に染められ怪物と化した。だが命はまだ残っている。命があれば、国はもう一度歩み始める。
『ヌ……オオオッ!? これは……救済の因果か! クハハハハハッ、面白い! 実に愉快だぞ魔導王! しかしいつまで持つかな?』
「総員、撤退準備! ソレイユ王城へ退却する!」
──壊世主の本体はどこにある?
アビスハイムは見渡した。いいや、この暗黒の波そのものが壊世主の本体なのだ。未だ太刀打ちの術は思いつかない。前回のXugeが僅かに壊世主の情報を把握しただけに過ぎないのだ。
しかしアビスハイムは絶対に希望を捨てはしない。
王とは……民なくして成り立たないもの。
故に守り抜く。最後の一人まで。
~・~・~
破壊神を討伐し、結界内へと戻ったアルス。
「これは……!?」
空から黒い灰が降り注いでいた。
足元の結界内に広がる地下ソレイユは闇に包まれ、一欠片の光も見出せない。
大気に満ちるは凄まじい濃度の邪気。ATは状況を見て眉を潜めた。
「……なるほど。今回はスムーズに進み過ぎたか。既にルミナの顕現が始まってしまったようだ」
「ルミナ……だと? 壊世主はラウアの手によって封じられたはず……」
「その封印を破ったのが『棄てられし神々』だ。ルミナは『棄てられし神々』を蘇生させ、彼らに秩序盾ルナの封印を穿つための混沌を集めさせた。壊世主が直接的に世界に干渉することは、明確な世界のルール違反。もはやこのソレイユは混沌と秩序が鬩ぎ合う世界ではなく、秩序一色に染められてしまった」
傍のサーラとダイリードは話の全容を理解できなかったが、とにかく不味い状況にあることは把握した。創造神から命じられた最後の任務を果たすためにも、戦わねばならない。
「急いで王都アビスへ向かう! デルフィの反応は……まだ彼は無事だな」
アルスはデルフィの魔力反応をたしかめる。
まだ彼が無事だということは、王都付近の戦場も全滅はしていないということ。
焦燥に駆られた彼が足を運んだ瞬間。
「イージア! 右だ!」
ジークニンドが叫ぶ。
アルスは瞬時に身を翻し、側方を裂いた茨を目視する。
黒い鞭のような茨が目にも止まらぬ速さでアルスを攻撃した。
「これは……っ!?」
降り立ったのは人型の異形。
全身が黒い装甲に覆われ、背中から生えた茨が羽のような形を形成している。手には邪気で作られた剣型の武器を持ち、ねめつけるようにアルスを凝視している。
しかしアルスが驚愕した理由は姿の気味悪さではない。
「共鳴が……解放されている……?」
目の前の異形に対して、明確に創世の意志が警鐘を鳴らしていた。本来、共鳴は災厄にしか行使できない。
動揺する彼に対し、ATが簡潔に説明を行う。
「アレはエムティングの転生形。エムティングとメロアの所有権は神々から壊世主に移った。僕は『黒化エムティング』と呼んでいる。いわば壊世主の加護を受けた存在だ。だから共鳴の解除が許されているのだろうね」
並々ならぬ邪気を湛え、黒化エムティングは口を開く。
『モhaヤ……コnoセカi、ニンgeン、フヨu。ワレラ、アraタナル……iノチ、no、カタチ』
言語能力。
これまでエムティングが有していなかった「意思」が存在する。
「……共鳴、解放。壊世主の横暴を許しはしない。全速力で黒化エムティングを退け、王都へ向かうぞ!」
救世者の憤怒が爆ぜた。これまで彼が護ってきた世界を、ラウアが残した遺志を、いとも容易く破壊するルミナの横暴。
止まることはできない。




