168. Abyss - δεζηΘικλμνξΠρστʊΦψΩ
観測世界線 : δ
魔導王アビスハイムより、周回四度目を記す
Tに言われていた通り、魔術式アビスに魔力を蓄積させ続けて五千年。魔力の抱えすぎで溺死するかと思ったぞ。
再び即位し、Tと再会。奴が用意してきた『対災厄防御術式』なるものを構築してみる。
前回は命神を本気にさせてしまったことが敗因だ。奴は心神と違い、人間に手心を加えている。人間を愛しつつも世界を憎む歪な神だ。本気を出さないうちに倒すのが賢明だろう。
試みは半分成功。命神を封印することはできた。
しかし如何なる手段を以てか、封印は破られてしまった。
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観測世界線 : ε
魔導王アビスハイムより、周回五度目を記す
Tから敵についての背景を聞く。
曰く、『棄てられし神々』は創世主なる存在を恨んでいると。二神を殺した存在が創世主であるという。超常存在の話をされても困るが、一応頭には入れておこう。
心神を倒すことに成功した。
しかし人手が足りん。心神の相手をしている間に、天魔と命神に王都を攻められてしまう。
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観測世界線 : ζ
魔導王アビスハイムより、周回六度目を記す
有望な人材を探しているうち、かつての六花の将である『聖王』ウジンと知り合った。虚神であったという奴を登用すれば、多少は戦況もマシにはなるか。
リリスの提案により英霊召喚を試してみることに。たしかに戦力が足りないのならば、英霊を呼べばいい。魔力など無尽蔵にあるのだからな。
今度は心神・天魔の討伐に成功した。しかし……ああ、なんということか。
天魔は二体いた。いや、正しく言えば真の天魔が偽物の天魔を擁立していた。天魔スターチならぬ、天魔ソウムを討たねばなるまい。
生半可な英霊では駄目だ。最強格の英霊を召喚する必要がある。
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観測世界線 : η
魔導王アビスハイムより、周回七度目を記す
Tのはからいにより、ノアという少女と知り合った。曰く、世界の全てを知悉する存在。我を差し置いて全知全能などと腹が立つが、今は猫の手も借りたい状況だ。
ノアは我やTと同じように、全ての世界線を観測可能な存在らしい。一般的な事象には干渉できないので直接的に手は貸せないが、特別に情報だけは与えてやるとのこと。
ノアによると、命神には通常の封印は効かないらしい。
そこで見当をつけたのが、サーラライト国の姫。彼女は罪神なる神族を身に宿し、如何なる神をも裁くことができるらしい。
錬象と関わりのある人間だったので誘致しておく。
命神を罪神の権能により封じ、心神を心なき兵器で屠り、天魔スターチをTの手によって討伐。
ノアの叡智により戦況は大きく有利に傾いた。
後は天魔ソウムを屠るのみ……だったのだが。
二神が復活し、一瞬にして眷属が王都に溢れ返った。
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観測世界線 : Θ
魔導王アビスハイムより、周回八度目を記す
真なる天魔ソウムの権能は、世界の事象を書き換えること……らしい。
チートではないか阿保野郎。またしてもノア先生の知恵をお借りし、弱点を把握する。書き換え可能な事象は三つまでとのこと。また、異界の存在はソウムの干渉を受けない。
そこで試みたのが、異界からの英霊召喚だ。
悪魔や神を異界から召喚するように、英霊も召喚自体は可能。成功率は低いが、成功すれば或いは。
召喚できたのは二名。異界と言うよりは別の世界線の英霊を呼ぶことができた。しかしこの二名……アリキソンとマリーは並々ならぬ確執があるようで、連携は取れそうにない。
困ったものだ。そして我らを新たに妨害した思わぬ刺客……『守天』ゼロ。かつての英雄までもが人類に刃を向けるか。だが問題ない、我が直々に屠ってくれよう。
さて今回も三大外敵を屠り、異界の英霊をソウムの対処に向かわせる。
しかしイレギュラーだ。結界が外部より破られた。侵入者の正体は『邪神』ダイリード。続いて、破壊神。
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観測世界線 : ψ
魔導王アビスハイムより、周回n度目を記す
「……くっ」
ひどい頭痛だ。不要な記憶を切除してはいるものの、もはやXugeとの結合に耐えられそうにない。
何度繰り返しても、何度繰り返しても……厄滅を超えられぬ。
「大丈夫かい、アビスハイム」
「T……我はあと、何回繰り返せばいい? あと何回で勝てる?」
返答はない。
我もやがてTのように、本来の自分をすべて忘れてしまうのかもしれない。しかし民を守る為ならば……ああ、そうか。これがTの見ていた守護者の境地か。
「提案があるんだ。僕も理解しかけているが、厄滅を超えることは不可能に近い。不可能とは言わないけどね。それなら……厄滅を起こさないというのはどうだろう?」
「やれるものならやっているさ。我が眠る前に心神と命神、創造神を殺したこともあった。偽天魔のスターチを事前に殺したこともあった。しかしどうだ? なぜか必ず敵は現れる」
「──因果。この盤上世界を取り巻く絶対性。因果を繰る者が存在する限り、戦いからは逃れられない。だから僕は……」
呼吸。
Tのたった一つの動作に、万感の思いが籠められていた。
「僕は新たなる創世主となる。盤上ではなく安息に支配された世界を構築し、全ての悲劇を断つ。今回の周回ではもう時間が足りないけれど……次だ。次回、僕は厄滅を起こさない。安息の世界を築き、全てを終わらせる。君も……協力してくれるかな」
覚悟は結構。望みは崇高。
しかし我はTの性質を知っている。奴は犠牲を容認してしまうことを。
「その計画は……犠牲を生むのだろう。お前のことだ、分かっているぞ」
「十を切り捨て、百を救う。合理的な判断だと思わないかい?」
「ならん。ならば十も百も救う。それが我の在り方だ。安息の世界とやらもどうせ碌な計画ではあるまい」
奴は我の言葉を肯定も否定もしなかった。
ただ困ったように笑うだけだ。
「君を巻き込みはしないさ。僕の独りよがりだ。可能な限り犠牲も少なくする。僕が全てを受け止める器になるから」
「……なぜ。なぜお前は、そこまでして世界を守ろうとする? 原動力が分からない。自分を崩壊させてまで……」
奴は狂人だ。我もまた狂人だ。
しかし二つの狂気の間に明確な隔たりがある気がした。言語化はできないが、決定的に異なる信念が。世界を守りたいという意志は同じなのに、根幹にある心が異なる。
「君と同じく、世界を護りたいから……なんてのは方便かな。僕は実際、一瞬を取り戻したいだけだ。本来の自分など何も覚えてはいないが、ただ一つ覚えている瞬間がある。あの人ともう一度会うために……僕は、この世界を崩すわけにはいかないんだ」
分からん。
我には奴の信念を解せぬ。しかし……遠き日に思いを馳せて彼方を見るTの瞳は、とても慈愛に満ちていた。
はじめて見た。奴があそこまで感情を表出させた瞬間は。
「……ええい、仕方あるまい! あいわかった! 今回ばかりは我が一歩退いてやろう。お前の野望に力を貸してやろうではないか」
「……犠牲を生む計画だとしても?」
「犠牲は最小限に留めよ。命令だ」
「混沌を集めつつ犠牲を出さないのは不可能だが。……善処しよう。今回の計画ではノアと対立する可能性もあるし、僕と君は可能な限り関わらないように動く」
一度だけだ。奴の計画を一度試し、駄目であれば……我はもう一度立ち上がれるだろうか。
「それはともかく、今回の輪廻は全力で抗うぞ。厄滅まであと一か月。お前の計画云々は今回の戦いが駄目だった時に考えよ」
「……心得たよ、陛下」
心神──撃破。
命神──撃破。
天魔スターチ──撃破。
天魔ソウム──撃破。
再誕心神──撃破。
再誕命神──撃破。
邪神──撃破。
破壊神──撃破。
ああ、ようやっと。世界は救われた。
厄滅は退けた。泣きの一回のつもりだったが……ここに至って勝利するとは。Tの安息世界の計画とやらも実行せずに済む。
これでようやく、終わりだ。
……いや。終わりではない。
世界を暗黒が呑み込んだ。エムティングが転生し、メロアが変質し、ソレイユ全土を暗黒が呑み込み、対災厄防御術式が紙のように破られた。
あの日──我は地獄を見た。
厄滅への勝利は、さらなる地獄を開く因果に過ぎなかったのだ。
敵の名は──壊世主ゼーレルミナスクスフィス。
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観測世界線 : Ω
魔導王アビスハイムより、周回n度目を記す
もはや勝利は望めぬ。Tの計画に託すほかあるまい。
……しかし奴の安息は破られた。救世者アルスによって。安息は顕現不可能。
故に、決断を下す。世界はどう足掻いても滅びるのだと。




