50. 面影
騎士は尋ねる。
僕は答える。
「竜が目撃されたとの話ですが……」
「……倒しましたよ」
「この荒廃具合は?」
「激しい戦闘をしたので」
「後ろのお二人の戸籍を検めさせていただいても?」
「ええと……僕の味方なので心配いりませんよ」
「あん?俺はテメエの味方なんかじゃ……」
「貴方は黙っていて下さい。闘うことしか考えられないのですか?」
「おう!」
…
……
………
騎士団からの質問を受け続けること小一時間。
「ようやく解放された……」
なんとか二人の素性を誤魔化しきれた……
街中のリフォル教徒は淘汰され、ジャオの街の安寧は回復。
落ち着きを取り戻し、夜も更けようとしていた時、気怠げに座る僕にタナンが話しかけてきた。
「おい、お前……アルスだったか。お前は何の神だ?」
「いや……僕は何かの神、という訳じゃないよ。新規の神族と思ってもらって構わない」
「そうか……あの一撃で分かったぜ。悔しいが、お前は俺よりも強い。だから……待ってろよ、俺はお前も、親父も超えて強くなってやる!」
「ああ……待ってるよ」
そう言い残し、龍神の息子は夕陽に向かって歩いて行った。
「貴方のおかげで大事にならずに済みましたね……感謝を」
「君……ええと、ブルーカリエンテ。君は本当に世界に仇為す気はないのかな?」
さて、問題はこの悪魔。
タナンとの戦闘を見るに、比類なき力を持つ。
アテルの共鳴者として、世界を害す存在は排する事も僕の役目だ。
「フフ……畏いものだ。……では、こうすれば信用していただけるかな?」
彼は指先に淡い光を灯し、それをこちらへ差し向けた。この術式は……契約?
「ただの契約ではないな……一方契約か?」
「はい。私が一方的に貴方の支配下に入ります。貴方にデメリットは一切ありませんよ」
「……分かったよ、信じよう。悪魔ブルーカリエンテ。この世界に害を与えない……それだけが条件だ」
悪魔といえども、全てが凶暴だとは限らない。それぞれの立場があり、世界と対立する者も居るというだけだ。
かつて人も魔族と対立しながらも、魔族の者達は人類に歩み寄り融和を図った。それと同じように悪魔とも手を取り合えるだろう。
「ありがとうございます、我が契約者。では……私はこの世界を見て回りたいので失礼する。何か私に役立てる事があれば、是非呼ぶと良い」
そう言い残し、悪魔は暗闇に向かって歩いて行った。
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「お疲れ、アリキソン。予想外の事件だったが……君のおかげで助かった」
突発的な襲撃の対処を終え、気怠げにソファで寝転がるアリキソン。彼もまたルフィアの騎士としてこの街を守り抜く役目を果たしたようだ。
「あぁ……そう言うお前も活躍したそうじゃないか。世間のお前に対する評判も、多少はマシになるんじゃないか?」
含み笑いで彼は言う。
「それは……どうだろうね?」
僕もまた、冗談じみた彼のからかいを適当に返す。
いつもより疲れているからか、彼の口数は少ない。
評判、か。
「その内、評判だけじゃなく実力も妹に越されるんじゃないか? マリーとは手合わせもしたことないから分からんが」
「うーん……それは無いな。実力だけは譲らないよ、絶対に。愛する妹にもね」
「フッ……『蒼麗騎士』相手によく言うじゃないか?」
アリキソンの口から出た『蒼麗騎士』……妹であるマリーの称号だ。
騎士として認可されるまで、騎士見習いとして彼女は日々任務に勤しんでいる。その活躍と成長は目覚ましく、評価は鰻登りだ。
対して、僕は騎士見習いとなる事もなく傭兵稼業を気紛れに熟すのみ。これといった功績も無く、かつて神童と呼ばれた評価は落ちる一方である。
「人の為に何かをすることは嫌いじゃないが……わざわざ動くのも億劫だよ。この気持ち、君には分からないか?」
間も無く、僕は騎士試験を受験可能な年齢になる。
父の後を継ぎ、聖騎士になりたいという思いももちろんあるが……何かが僕を引き止める。
「……分からなくも、ないがな。俺には決して……そんな事は誰かの前では言えん。少しだけ、お前が羨ましいよ」
──羨ましい。
その単純で、表層的な感情にどれだけの想いが詰め込まれているのか、僕には分からなかった。
だから僕はこれ以上何も言わない。言えない。
「……そろそろ寝るよ。明日の朝にはディオネに戻らないといけないからね」
「ああ、おやすみ」
アリキソンにそう言い残し、夜の寒気が漂う街中へ出る。寝ると言ったが、まだそうする気はない。
今日はこの街をゆっくりと観光でもする予定だったが……誰かさんのおかげでその予定は潰れてしまった。もう夜だが、最後に夜景を眺めるのも悪くはないだろう。
ここマリーベル大陸は四季があり、今は心地良い春の季節だ。雪雨ばかり降るディオネからすると、新鮮なものだ。ちなみに、ここジャオは雪は降らないらしい。
天に煌びやかな光を巡らす開放通路の天廊。形も幅広く、重厚な造りとなっている。
この街を見渡すべくエレベーターに乗り、開放的な広場に足を踏み入れる。途端、爽やかな風が頬を撫でた。
「誰もいないか」
ただ風の鳴く音だけが響いている。
柵の間際に足を運ぶと、天に座する星々よりも眩い文明の光が広がっていた。
「……何してるの?」
「えっ?」
突然、声がした。
「……ユリーチ、居たのか」
振り向くと、そこには赤髪の少女。
薄暗い影が顔にかかって、表情はよく見えなかった。
……全く気配を察知できなかった?
それとも、たった今来たのか?
「今日は観光できなかったから、せめて景色だけでも見ておこうと思ってね」
「そう……綺麗だね。でも、私は電灯よりも空の柔らかい光の方が好き。……写真は撮った?」
「いや、写真はあまり好きじゃなくて。思い出は心の中に、古い記憶にあるから良いんだと思う。……バトルパフォーマーという仕事柄、自分が撮られるのは好きだけどね」
「ふふっ……じゃあ、今度たくさん撮らせてね? ……私は写真大好きなんだけど」
それは知っている。
彼女は動画や写真を撮ってはSNSに投稿している……いや、それは僕も同じだった。
自分を忘れることは悲しいから。彼女は写真が好きな理由をそう語った。
「…………」
人と話す心積りでは無かったので、特に話すことが思いつかないな。
「今日は大変だったな。リフォル教も合成獣まで連れてくるなんて……」
「……そう、ね。あの神経、理解出来ない。宗教とか言ってるけど、奴らはただの快楽殺人者の集まりなんだから」
リフォル教か。
百五十年前以前も宗教自体は存在したらしいが、魔神リグト・リフォルの降臨以後、その信徒数は急激に増加してしまった。
「ねえ、アルス」
「うん?」
「もしも……彼らの様に悪い人達が居て。その人達が扱う物や技術も悪くなると思う?」
きっとユリーチは、合成獣の事を言っているのだろう。
理外の魔女と呼ばれる者が生み出した世界の異物。
誰が為に、何の為にその生命が創り出されたのかは知られていない。
「僕には……正義とか、悪とか。そういうのを決める権利は無いよ。ただ僕が判断して、自分がやりたいことをやる」
「……うーん? よく分からないけど、分かった。どうでもいい事を聞いたね」
でも、その結果として僕は不安定な生を営んでいる。
事勿れ主義、傍観者、消極的。
いつからこんな性格になったんだったか?
多分、五年前からだと思う。
「それじゃあ、私は帰るね。おやすみなさい」
「おやすみ、良い夢を」
「良い夢……見られるといいなあ」
そう呟いて、彼女は去って行った。
後には、ぽつりぽつりと消え始めた家々の光。
夜闇がじわじわと広がっていた。
「みんな……変わっていたんだな」
幼き日の彼らの面影は、既に無い。
アリキソンは騎士として責任を持ち、人々を守る剣となり。
ユリーチは自分の光から逃げていた事なんて、とっくに昔の出来事で。
懊悩の、傷心の果てに彼らは居た。
僕は、何か変われたのかな。




