162. 黒嵐虚像
マリーは刮目する。
眼前に現れた男はたしかに憎悪の矛先だった。
『あら? どうして生きているんですか? 本当に邪魔。不快感しかありません』
「喚け。俺は死なない、死んでやるものか。俺が生きているということは、マリー・ホワイトも生きる」
いつしかマリーの消滅は止まっていた。
自らが生きる根源が再び現れ、呪念による肉体の形成が再会。憎悪を湛えた目で彼女はアリキソンを見据える。
「よく私の前に現れましたね。殺される覚悟はできていますか?」
「……俺を殺す前に、まずは英霊としての責務を果たせ。敵は眼前の心神。奴を殺した後に俺を殺してみろ」
心神は彼らの様子を見て呆れかえる。
あまりに無様だ。呪いと憎悪によって人間が生きる糧を得ることは、なんと見苦しいのか。
『うーん……学習能力がないんですか? 心ある限り、情動ある限り……私に傷は付けられない。お二人がどれだけ足掻いても無為。恥が募るだけ』
「さて……学ばないのはどちらか。一度敗北を喫しているお前に、二度目の敗北を教えてやろう」
~・~・~
魔女の生涯は虚構に満ちていた。
ユリーチ・ナージェント──もしくはフェルンネ。彼女は災厄との融合以来、真実を表出したことはない。
ゆえに偽ることには慣れている。忘れゆく記憶の中、唯一得たものがあるとすれば……魔術の叡智と人を欺く手腕であろう。
心神が舞う戦場に陰伏してユリーチは魔力を巡らせる。
「『虚構』」
常に災厄の応用術式を展開し続けなければならない。
彼女が集中を途切れさせた時が敗北の時。
視界の中では心神、マリー……そしてデルフィが躍動している。
英霊アリキソンは存在しない。彼女が幻影魔術によってデルフィをアリキソンに偽装しているのだ。心神ですらも見破れぬ幻影、理外の魔女の名は伊達ではない。
「どうか気がつかないで……」
マリーが幻影アリキソンの正体を知覚した時、彼女は消滅する。
たとえ異界の存在であろうとユリーチにとってマリーは友人。この場で簡単に消滅を許すわけにはいかない。
デルフィにアリキソンの言動を任せるのは不安が残るが、今は仕方ない。少なくとも彼の精霊術はマリーと心神にとっては邪悪なものに見えているはず。
「偽って、欺いて……最後まで……!」
彼女が見せるのは幻影だけではない。
心神をじわりじわりと取り囲んでいく歪。
この歪を完成させることが勝利への道筋。
最後まで欺き、神を殺す。
~・~・~
デルフィは不慣れな剣に顔を顰める。
これまで彼が扱ってきた武器は槍斧。剣を本格的に使うのは初めてのことだ。
しかし今の彼はアリキソン・ミトロンとして振る舞わなければならない。安易に槍斧を握れば心神とマリーに正体を悟られかねない。
(しかし世界を破壊した異界の英霊だっけか……こんな感じの振る舞いで合ってんのか? ユリーチには少しだけ演技指導を受けたが……)
デルフィと英霊アリキソンに面識はない。
中二病のような言動であるということと、一人称・三人称しか聞いていないので演技に不安が残る。
『それで? どうしますか? 死にますか?』
心神は余裕を湛えて二人に詰め寄る。デルフィが一歩後退すると、マリーは露骨に距離を取って後退った。どうやら相当忌み嫌われているらしい。
「死ぬのはどちらでしょうか。思念呪術──『杭憑』」
マリーの憎悪が高まり、黒き杭が心神へ迫る。
鋭利な杭の先端は心神の胸元へ。
しかし目の前で弾かれる。
『ふふっ』
「直接的な攻撃だけではなく、行動の阻害も通用しませんか」
『当たり前でしょう。もう相手をするのもうんざりです。いつまでも学習しない怨念たち……』
心神が指先を動かすと、周囲のエムティングが徐に動き出す。
背から伸びる白き茨をマリーとアリキソンに飛ばして緩慢な動きで獲物を追い詰める。
「チッ……!」
雷を巧みに使いこなし、デルフィはエムティングの攻撃を相殺。同時に星属性が刻印された剣で茨を断ち切る。雷電霹靂の精霊術を堂々と使えず本調子ではない。
彼の目的は時間稼ぎだ。ユリーチの目論見が完成するまで心神を妨害する。
マリーも同様だろう。時間を稼ぎ、魔導王などの心神を屠れる者の到着を待っているはずだ。
「おい、マリー。西側のエムティングは俺が引き受ける。お前は東を」
「…………」
返事はない。あくまで協調はマリー側から拒まれているようだ。
敵の敵は味方……と言えるほど彼女とアリキソンの確執は浅くない。
(……やり辛いな。とりあえず俺は俺で時間を稼ぐか)
意を決するや否やデルフィは駆け出す。
ユリーチの幻影が途切れないことを祈りつつ、次々にエムティングを斬り伏せる。心神が統制している割には連携が取れていない。そもそもエムティングに連携するほどの知能があるかは不明だが、人にも化けられると聞く。
主である心神は依然として微笑み、デルフィとマリーが奮戦する様子を眺めていた。
(不気味だな)
時間を稼げているのはありがたいが、得体の知れぬ不気味さがある。
ユリーチの工作が効いているのだろうか。
マリーもまた心神を警戒しつつ戦い続ける。
星属性の煌めきがエムティングの粘液を消し飛ばした刹那、彼女は悍ましいものを見た。
「……!? アリキソン!」
叫んだ時にはもう遅い。
心神の身体の一部……両腕の下から蜘蛛のような腕が生えている。新たなる腕から真っ直ぐに伸びた白い糸がアリキソンの身体を絡め取った。
完全に意識外からの攻撃。心神の真の姿は蜘蛛型の神族。彼女は二人が奮戦している間に神転を済ませ、アリキソンへ魔手を伸ばしたのだ。
『ごめんなさい、飽きました。もう終わりにしますね?』
問答無用。
ただ飽きが来たという理由だけで手折られる命がある。
「っ……!」
マリーは間に合わない。
心神の糸がアリキソンの身体を左右へ捻じ曲げ、身体を上下に引き千切った。




