160. 無限への裁き
罪神クラヴニ。
彼の神の死因は、「苦罰を過剰に与えたこと」。罪神は罪と罰を自在に定める神定法則を持っていた。彼の性質を利用しようとした悪意ある人間に騙され、結果的に罪神は人間同士の争いに加担することになってしまったのだ。
故に創世主より裁きを受けた。
シレーネに憑依した罪神クラヴニを名乗る者。命神は彼の気配を思い出すや否や、どこか安堵した表情を浮かべた。
「ああ……そうか。クラヴニ、お前も【棄てられし神々】になったのか。かつてアテルに殺され、憎悪を抱く同志……ってわけだ」
「いいえ。同志ではありませんよ、メア。私を現世に呼び戻したのは、あなた方を蘇生させた者と同じ存在ではない。それに──私の本来の役目は原罪を裁くこと。混沌から秩序へ転じた【棄てられし神々】を殺すことこそ、我が権能なのです。ですから……私はあなたの敵だ」
約束の日はやってきた。
シレーネとの契約以来、クラヴニが待ち侘びた瞬間。因果に悖る眼前の神を殺さねばならない。
彼の言葉を受けた命神は瞑目する。
「ふむ。つまり、お前の主は……そちらか。良いだろう、俺の邪魔をするなら……かつての仲間だろうと容赦はしない。先の戦いでは油断して魔導王に遅れを取ったからな。全力を出させてもらおう」
神気が肥大化する。
ナリアの手によって眠らされたメロアたちが一斉に消滅し、神気に分解されて命神へ。爆発的な神気が渦巻いた瞬間、ナリアは神気の分解を試みるが……あまりに強い力に弾かれてしまう。
クラヴニは命神メアの様子を注視。おそらく彼は神転する気だ。
しかしクラヴニは神転を止めようとはしない。同じ神族として、本来の姿くらいは取り戻させてやろうと。
伸びる、延びる。神気が光となって天へ天へ。
無限に続くかのような神の御身が顕現する。天へ蜷局を巻く蛇竜。メロアをそのまま数十倍に拡大させたかのような巨体。
命神メア=ルッイ=シヴの真の姿である。
『絶対なる不死を以て、屍を築く。我が命──轟け』
命神の咆哮によって大気が罅割れる。空を覆う蛇竜を仰ぎ、ソレイユの人々は呆気にとられてしまう。
しかしクラヴニとナリアは動じず。
「さて、シレーネの身体を借る罪神よ。お前はアレをどうするつもりだ?」
「無論、裁くまで。私の神定法則『原罪制裁』を用いれば、如何様にも神を誅することは可能です。相手が絶対不死の真理根源を持っていたとしても。しかし……ええ、不運なことに。私がシレーネの制御権を得たばかりだからか、まだ神定法則の立ち上げができていません」
「はあ……事前にスタートアップくらいは済ませておけ」
「申し訳ない。ナリアさん、あなたには時間を稼いでいただきたい。私を守ることなど考えなくてもいいので、数分程度……可能でしょうか?」
正直に言えば、ナリアでもあの巨躯から地上の兵を守ることは難しい。
しかしこの女、気位が高く不可能は背負わない。不可能があるのならば可能にする……それが『錬象』である。
「任された。早く神定法則の起動を開始しろ」
「ありがとうございます。では、お気を付けて」
オーオーを飛空形態に変形させ、彼女は即座に飛び立った。
同時にクラヴニは瞑想を始める。
『無限龍覇』
命神の口元に神気が収縮し、地上へ向かって一直線に放出される。
流石にアビスハイムが地下へ張った結界は破壊できないだろうが、地上のソレイユ軍を焼き払うことはできる。エムティングに命中したとしても、星・天属性ではないので再生されてしまう。
命神のブレスが焼き払うは、敵であるソレイユ軍のみである。
「させるものか」
小さな彗星、天を駆ける。
空から隕石のように降り注ぐブレスへまっすぐに、ナリアは向かっていく。神気を分解しながら少しでも衝撃を拡散させ……広範囲にシールドを展開。
しかし地上を守り切ることはできない。あまりに命神の攻撃範囲が広いのだ。
「──起動せよ、アーティファクト群・アンファ」
瞬間、地上から無数の光柱が立ち昇った。
ナリアとて無策で戦いに臨んだわけではない。事前に地上の戦車に細工を施し、対空・対神族用の放出砲を備えさせていた。
光の柱は彼女が防ぎ切れなかったブレスを迎撃し、地上の被害を最小限に留める。
二度目の命神のブレスが放たれるが、攻撃を学習したアーティファクトによって効率的に往なされた。
「お見事。私もそろそろ準備が整いますが……」
クラヴニは空中で命神の攻撃を躱し続けるナリアに感嘆した。もう少しで神定法則が起動する。
神気が高まりつつあるクラヴニの気を感じてか、命神は巨体を動かして彼に狙いを定めた。天へ埋め込まれた尾を振り回し、クラヴニの下へ。
大地震のごとき揺れが巻き起こり、超大質量の尾先がクラヴニが瞑想する地上へ叩き付けられる。
「──!」
ナリアは間に合わない。あまりに命神の身体が大きく、頭部付近から尾までの移動は時間がかかってしまう。幸いクラヴニの付近に人はいなかったようだが、肝心の本人の安否は……
「無事ですよ。ええ、私の身を守る必要はないと言った筈です。審判を下すその瞬間まで、我が墓標が立つことはあり得ない」
一度は尾に叩き潰されて死した筈のシレーネの身体が、数秒後にはまるで何もなかったかのように立っていた。
神気がクラヴニの背に沿うようにまっすぐに収斂し……裁きの準備は整った。
『邪魔をするな……クラヴニ!』
命神は激情に任せてクラヴニを排除せんと、再び尾を振り上げる。
轟音と共に唸りを上げて振り下ろされた尾。しかし二度目の衝撃が走ることはなく。中空で、巨体はぴたりと静止していた。
「罰とは、死だけではない。例えば禁固、例えば拘留。私は数々の罰を神々に下してきた。本来、因果に反した【棄てられし神々】に与えられる刑罰は死刑のみ。しかし私ではあなたを殺すことはできませんね、メア?」
『これ、は……』
「命神メア=ルッイ=シヴ。あなたに終身刑を言い渡します。動機が如何なるものであれ、因果に反することは赦されません。永遠の闇の中で自らの行いを悔い、来世はよき存在として生きられるよう。判決を下す」
クラヴニが伸ばした、紋様の刻まれた右腕。
「この世に神は不要ぞ。然らば、神代の残滓をここで払う。我が名は罪神クラヴニ。我が魂を糧とし、悠久の裁きを」
手から伸びた灰色の渦が尾へ接近し、滔々と命神の肉体を呑み込んでいく。
不死に対する答えは封印。命神は封印への対処法を持っているが、神定法則によって定められた神罰からは抜け出せない。
『ぬ……ああっ! まだ俺は…………いいや、ここまでか。まあ結局、こうなるのは分かりきってたんだよ。俺の目的は果たせなかったけど……役割は果たした。もう、いいかな……』
命神の最後は、意外にも間延びした声であった。
渦に飲み込まれる間も彼は身動ぎ一つせず、自らへの裁きを受け入れる。無限の命が、終わる。
「メア。終わるのは、怖いですか?」
『うん。けど、自分の罪は自覚してたからな。後は……そう、鍵は開かれる。まだ俺たちの罪は清算されてないから……その分まで、この封印の中で悔いるとするよ。ありがとな』
「……やはりあなたは、悪役など似合わない神です」
クラヴニは眼前の光景から目を背けるように瞳を閉じる。
再び目を開けた時、灰色の渦も、命神の巨躯も……全てが消え失せていた。
これにて神罰は下された。




