158. 愛ゆえに
魔術とは何か。
魔導王が答えるに、世界に編み込まれた意志力である。
そもそも、この盤上世界は因果の流れによって全てが決定される。因果を操るのは創世主と壊世主の二つのみ。即ち、魔術とは創世主の意志によって生まれる法則である。
そして魔導とは──
「魔導とは即ち、冀うこと。祈りを捧げ、意志力を以て因果を繰り、不可能を可能とすること。要するにまあ、なんでもアリだな! ソースコードの書き換えが如く、今すぐ新しい魔導を作ってみるのも一興か! フハハハハハッ!」
アビスハイムは戦場の真っ只中で魔術式を試行する。
視覚式の魔術。脳裏に魔力の流れを焼き付け、結果を出力。これまでに見たこともない……そう、例えば『エムティングのみを滅する魔術』などが発明できれば望ましい。或いは『不死身のメロアのみを屠る魔術』など。
言うは易く行うは難し。
アビスハイムは自らの想いを形にしようと魔術を行使してみたが、魔力が無駄に霧散しただけに終わってしまった。
「やれやれ、リリスのように簡単に魔導を使えれば良いのだがな。やはり我では厳しいか」
嘆息しつつ、星属性の熱線でエムティングを焼き払う。
戦いは未だ続いている。首魁である心神と命神は発見できていない現状。地下に沈めた王都アビスの上空全域ともなれば、戦場はかなり広大だ。易々と二神は見つからないだろう。
「やあ陛下。厳しいですね、いったん王都の結界内へ退くことも視野に入れた方が良いかと」
「ロンドか。たとえ全兵が退こうとも、我は退かぬぞ。お前、疲労はないか?」
「うーん……まあね。余裕です……とは冗談でも言えませんが。かといって、英霊の俺が弱音を吐くわけにもいかない。私のことは大丈夫、陛下は陛下の戦いを続けてください」
ロンドの消耗をアビスハイムは見抜いていた。しかし一般兵が死力を尽くして戦い続けている以上、彼の無理も理解できる。
彼は黎触の駒を操り、通常の数倍の精神力を消費している。駒を増やせば増やすほど、把握しなければならない戦場が増加するのだ。今、ロンドは全ての駒をフル稼働させている。その数、七。通常の七倍の目を以て彼は戦場を動いていた。
「お前はしばし我の近くで動け。頭は動かしつつ、身体を休めるようにな」
「……かたじけない」
苛烈な戦場の中、ロンドは不思議な感覚を覚える。
アビスハイムから感じたあたたかさは何と形容すればいいものか。彼には分からなかった。
~・~・~
暗黒の空を彗星が駆け抜ける。
次々とエムティングを屠りつつ、メロアを殲滅する円盤状の戦闘機。ナリアのアーティファクト、『オーオー』である。
自律型の思考を兼ね備えたアーティファクトは、効率的に敵を殲滅していくが……巨大な蛇竜だけは何度斬り刻もうが復活してしまう。
「命神の眷属、メロア。魂を削ぎ、根源を砕いても蘇るか。研究対象としては興味深いが……さすがに今は戦わなくてはな」
天を覆い尽くすほどに巨大な影が、数十体。メロアの群れはブレスを地上へ撃ち放ち、エムティングごと人間を消し飛ばしている。幸いなのは理性がないこと。
ナリアのように付近を戦闘機で通過すれば、そちらに気を取られて地上の被害を防ぐことができる。事前の作戦で決まったように、他のソレイユ兵たちも上空でメロアの誘導を行っていた。
「さて。殺せないのならば眠らせてしまおうか。ユリーチの報告によれば、身体の構造は通常の蛇竜と遜色ない。睡眠形態にも入るはずだ。大元の命神が消えれば、眷属のメロアも消える。それまで──眠っていろ。『純潔リボルバー』」
オーオーがメロアの喉元を通り過ぎた瞬間、弾丸を射出。
神の眷属だけあって生半可な攻撃は通らない。メロアが纏う神気を分解し、それを弾丸の威力に加算して再構築。強烈な睡眠誘導弾を撃ち込んだ。
ほどなくしてメロアは力を失い、地上へと落下していく。地に接触する前に魔道具の電磁誘導を使用し、人のいない場所へ放り出す。
「次だ。メロアを確実に無力化していく」
学習したオーオーは、次なるメロアを標的に定めて動き出す。
しかし此処は終末の戦場。易々と趨勢が決まる道理はなかった。己が眷属に手を出されれば、戦場を睥睨する神が動き出す。
「──そこまで。俺の眷属をあまり虐めてくれるな」
凄まじい覇気を受け、オーオーが警報を鳴らす。
機体が鉛に変化したように堕落。ナリアは咄嗟に地上へ飛び降りる。
地に足を付けて見据えた先。黒髪の男が立っていた。
「本命が釣れたか。お前の眷属は過労で眠いらしいぞ、命神メア?」
「うん。アイツらは本当は眠ったりしないぞ。しかしお前はなんだ……人間なのか? やけに変な気配を感じるな。その変な機械も見たことないし」
「人間ではない、とだけ。これはアーティファクトだ。世界に一つだけの、私の叡智の結晶。神々なぞには到底作れぬ素晴らしい魔道具だとも」
オーオーをシールド状に変形させて、ナリアは表面を撫でる。
「へえ……やっぱり生命の知恵はすごいな。俺が生きていた時代は、そんな機械が作られるなんて想像できなかった。俺は好きだよ、そういう生命が学んで進化していく過程が」
「……やけに肯定的だな。世界を滅ぼそうとしている分際で」
アビスハイムは言っていた。命神は特異な心を持っていると。
ナリアも聞いただけでは分からなかったが、実際に会話してみると分かる。心神は徹底的に生命を侮蔑している。天魔は世界に災禍を巻き起こそうと非道を敷いている。
だが、この神はどうか。言動が一致していないのだ。
「世界を滅ぼす……ってのは語弊があるな。俺はクニコスラやソウムと行動を共にしてはいるが、最終的に目指すものは違う。創世主って分かるか? 俺ら神族の親みたいなもんなんだけど……俺は奴を殺したいだけなんだ。その目的さえ果たせば、俺は人間の幸福を願って消えるよ。ただ、創世主を引き摺り出すにはこうするしか手段がないだけで」
「分からん。創世主なる存在も、私には観測できぬものだ。しかし……お前は何故ソレを憎む?」
戦うには動機がある。
命神のように理性を保っている者ならば、必ず信念が存在するはずだ。いまさら分かり合おうなどとナリアは思わないが、研究者としての性だろうか。動機が気になったのだ。
「神族にはたくさんの掟がある。与えられた役目以外を遂行してはならない。……俺は神として生まれてしまったが故に、ただ一人の娘を愛することすら許されなかった」
「……ああ、そういうことか。お前……『命』を与えたな?」
「そう。俺は生前、人間の少女を愛し、無限の命を与えた。だって愛しい人にはずっと生きていて欲しいだろ? 神族だって愛の気持ちは変わらない。でも……創世主は俺の行いを、愛を許さなかった。そして俺を裁き、殺した。だから憎いんだよ……個人的な恨みで、俺は現代に生きる人を殺してしまう。申し訳ないと思っているが、抑えられないんだ。【棄てられし神々】として蘇った瞬間から、心の中の闇が増幅して止まらない。止められない」
ナリアは命神の吐露を聞き終えて呆れかえる。
本当に──この世は馬鹿ばかりだと。神も、創世主も、人間も……自分も。みな馬鹿だ。心を持つが故に、功罪を生み続ける愚昧。
争いは止められないのだろう。だから止めるための制裁が必要だ。
「……だそうだ。シレーネもどき、聞いたか?」
物陰から姿を現した少女。
彼女……シレーネは静かに頷いた。命神は彼女の姿を見た刹那、思わず後退る。
「なん、だ……お前? 人間じゃない、魔族じゃない、神……でもないはずだ。いや、その気は……お前なのか?」
「お久しぶりです、メア。ああ、正確に言えば私……シレーネとあなたは初対面なのですが。今はこのシレーネという少女の身体を借り、語り掛けています。我が名はクラヴニ。罪神クラヴニ。【棄てられし神々】を裁く、【棄てられし神々】。悲しきあなたの罪過、ここで焼き焦がしましょう」




