156. 六花終焉
破壊神の真の姿が露になると共に、ソレイユ離島に振り出した白黒の雪。
冷たい六花はATが降らせていた灰と溶け合い、柔らかな光を発する。アルスの手の平に落ちた光は、すぐに溶けて消えた。
「これは……?」
「親父は元々、雪の精霊と融合した神族だったらしい。この六花剣アクァーリも親父の力を籠めて作られた物だ」
ジークニンドは剣の切っ先を大樹へ向けて答える。
「白い雪が本来の創造神の神聖を、黒い雪が破壊神の邪悪を示す。破壊神が本性を現したことで、魂の力が雪になって降り出したんだろう。この二つが混ざり合った時……混沌と秩序は相克し、救済の力へと変化する。救済の力は言い換えれば、『因果が存在しない状況』。つまり、どんな強大な存在も因果に囚われた盤上世界において、救済の力は何者をも終わらせる効力を持つ」
サーラは理解していないようだったが、アルスとATには理解できた。つまり、島全体が救済の光に包まれたこの状況ならば、破壊神を倒すことができると。
「……俺の六花剣で破壊神の魂を斬る」
「ならば私たちが道を切り拓こう。サーラ、行こう」
「うん……! 大丈夫、いけるよ!」
ジークニンドに全幅の信頼を置き、鳴帝と守天は駆け出した。
ATは依然として安息世界を維持し、破壊神の権能の一部を封じている。しかしもしもの場合……ジークニンドたちが破壊神を倒し損ねた場合。
彼は動かなければならない。
「そこのお前……そういや名前、聞いてなかったな」
「ATだ。行って来るといい、ジークニンド。これは君の戦いだろう」
「おう! AT……不思議なやつだな。でも、悪い奴じゃないのは分かる。そう心配しなくても……俺は失敗しないから大丈夫だ。じゃ、頼んだぜ!」
守りたい。
ただ一つの願いが、ジークニンドを最後の戦いへ駆り出した。
まだ雪は降っている。
~・~・~
アルスは迷わずに巨大な大樹へ飛び込んでいく。
雪と灰の間を縫って、破壊神の枝が勢いよく伸びた。
「不敗の王──『彗嵐の全構え』」
槍を巧みに捌き、凄まじい威力を持つ枝の刺突を受け流す。
人間体の時は多少の判断能力があったようだが、今の破壊神には完全に理性がない。攻撃を流すのは先程よりも容易になっている。
しかし問題は肉体の肥大化。魂が何処にあるのか判別がつかず、また一撃で幹や枝を断つことは不可能に近い。ジークニンドの火力を信じるのみだ。
次第に接近するアルスを退けようと、破壊神は邪気を発動。本能的な権能の行使だった。海中に沈んだ根に邪気が収斂し、地殻へ伝播──大規模な振動が起こる。
直後、地中から溢れんばかりの溶岩が噴き出した。降り頻る雪を焼き尽くし、天へと舞い上がった超高温の液体。まともに喰らえば肉体の破壊は免れない。
しかしここで回避行動を取れば、アルスは前へ進めなくなる。ジークニンドの進路を切り拓くことも難しくなるだろう。
やむを得ず彼が回避しようとした時、その時。
「迷わないで。傍には私がいるから」
声が聞こえた。仲間の声が。
迷うな、前へ進めと。
「フェルンネ師匠から教わった通りに……魔眼解放──α因子『絶対空域』、β因子『根源波濤』」
アルスの後方で魔力が渦巻き、何かが破けるような音が聞こえた。
サーラの瞳が視ているのは眼前のアルスでもなく、破壊神でもない。この戦場に渦巻く全ての気。白い雪と黒い雪が混ざって、救済の力へ変わるように。
自分の魔力もまた混成させ、一つの結論へ昇華させる。
アルスは彼女を信じ、前へ。
一拍置いて……世界で初めて観測される術式が行使された。即ち、理外魔術。
「未来を拓いて──観測、『守天時空海』!」
天より降り注ぐ溶岩を防ぐように、ドーム状の海が展開。
空間を捻じ曲げてサーラの意志のままに広がった青。絶対に破られることのない、天空を制する無間の蒼海。
「ありがとう、サーラ……!」
溶岩だけではなく、破壊神の枝と根の刺突すらも跳ね除けた理外魔術。アルスは仲間の力を信じて進み続けた。
やがて海が消える。眼前には破壊神の巨大な幹。
背後にはジークニンドが続いている。ここで一切合切の破壊を引き受けるのが彼の役目だ。
「破壊神オズ・ナドランス! 鳴帝の名にかけて君を救う!」
敢えて破壊神の気を惹き、全ての殺意を我が下へ。
ジークニンドは未来そのものだ。彼を守ることが世界の未来を拓く。たとえこの身にどれだけの苦痛が降り注ごうとも……必ず創造神と世界を救う。
立ち向かう。
悍ましい邪気と、懐かしい魔力が折り重なり……真っ直ぐに木の枝がアルスへ伸びた。これまでの中で最も重く、恐ろしい呪いの一撃。
逃げはしない、真正面から迎え撃つ。神槍ティアハートを仕舞い、神剣ライルハウトを呼び出す。
精神統一。魔力収斂。戦意増幅。
遍く己を神剣に宿し、魂を奮い立たせ。
蒼き輝きが剣身に宿された。
「破滅の型、最終奥義──『払暁』」
身体は勝手に動いていた。
滅びぬ者など存在しない。たとえ神であろうとも。
終わりの時が来たのだ、創造神。
闇は払われ、暁が来たる。
「我が剣筋、即ち世界の歩む道。さあ……往け、ジークニンドッ!」
眩い蒼の輝きが明滅。破壊神の枝は断たれた。
後は進むべき者を進ませるだけ。
まだ雪は降り頻る。
~・~・~
まぶしい。
アルスの剣閃の輝き、雪と灰が溶け合って生じる光。邪悪に囚われた神との戦いとは思えぬほど、戦場は明るかった。
思わずジークニンドは目を細めるが、視界は前を向いたまま。
彼を進ませるのは『絆』。
記憶を失い、取り戻し。色々な人と出会った。ここで自分が負ければ、彼らの笑顔が奪われる。父親も永遠に闇の中で苦しむことになる。
「させるかよ……」
いったいどれほどの人が、この厄滅の裏で死んでいるのか。泣いているのか。
傍にいる仲間を想うほど、ソレイユで戦っている友たちを想うほど、人々のことを想うほど……六花剣の輝きは増していく。
自分が役割を課せられたから破壊神を屠るのではない。守りたい人がいるから破壊神を屠るのだ。
アルスが切り拓いた道へ、ジークニンドは迷いなく踏み込んだ。
視界が晴れる。眼前には破壊神の──
「っ!」
枝。まだ残っていた細い枝が、ジークニンドという脅威を排除しようと動いていた。
魂の位置は六花剣の加護により視えている。幹の中心だ。ここで枝を躱して退けば、きっと剣は届かない。再びアルスが斬った枝を再生し、防御されてしまうだろう。
覚悟を決める。踏み出せ。
枝が己の肉体を串刺しにしようが、剣先が届けば戦いは終わる。
だから……
「ぬ……おおおおおおぉっ!」
巨大な人影が、眼前より迫る破壊神の刺突を受け止めた。
腕を交差させ、重い呪いの一撃を全霊で受け止めた漢があった。
どうして彼が動くなどと想像できようか。彼は彼自身の意志で動いたのだ。彼がもはや神の操り人形ではないと、証明した瞬間だった。
「……ありがとな、ダイリード」
友の横を通り過ぎ、ジークニンドは進む。
全てを終わらせるために。
届く。幹の至近距離まで迫ったジークニンドは、破壊神の最後の抵抗と言わんばかりの邪気を薙ぐ。
あと──零歩。もう六花剣アクァーリは破壊神の魂に届く。
「終わりだ、破壊神!」
救済の剣、破壊を斬る。
破壊神の自壊機構は役目を終え、同時に六花剣アクァーリは塵となって消滅していく。
天を衝く威容が邪気となって消えていく。
呻きと、叫びと、慟哭と。英雄の悲鳴、そして神の嗚咽が混じり合い。
いつしか雪は降り止んでいた。




