153. オズ
小さいころから、少しだけ運が悪かった。
一匹の鼠が家の隅で死んでいる。俺は膝を抱えて暗闇を見ていた。
北ロクの片田舎、寒空の下。両親が死んだ。
土砂崩れにあって死んでしまったらしい。ひとり残された子供の俺はどうしたらいいのか分からず、ずっと泣いていた。
──忌子。俺は里でそう蔑まれていて……誰も手を差しのべてくれなくて。
不幸を招く化物と、呼ばれていた。俺が訪れた家の作物は鴉に荒らされる。俺が関わった人間は数日以内に必ず怪我をする。
両親はそんなことないって励ましてくれた。俺の運が悪く見えるのは、本当に偶然だったのかもしれない。でも……両親まで死んでしまった。きっと、きっと俺のせいだ。
「ああわが童よ、あわれな子よ。きみの手が落ちる前、きみの心が煤に染まる前。どうか純情を忘れるな」
いつしか母親が歌っていた童歌を口ずさんでいた。
この歌が好きだった。俺を肯定してくれているような気がして。
「きみの想いは旅に乗る。きみのやさしさ、風を超ゆ。どうか、どうか忘れないで。きみの心は世界のゆりかご」
風に乗って、旅をして。自分の納得できる姿を見つけてごらん。
歌は俺の心をひっそりと、されど強かに震わせた。
襤褸切れ掴んで、煤けた靴磨いて、箪笥ひっくり返して。
俺は衝動的に駆け出した。逃げたかったんだと思う。自分が忌子として扱われるこの里から、世界から。俺は……普通の人間になりたかったんだと思う。
普通の……人生を送りたかったんだ。
~・~・~
運の悪い俺でも、旅は不思議と長いこと続けられた。
盗みにあったり、あと一歩のところで魔導車に轢かれていたり……ギリギリな旅路だったけど。でも、楽しかった。
あの日のことは鮮明に思い出せる。
霧雨が降りしきる森で泣いている少女を見つけた。魔物が山ほどいて、かなり迷いやすい危険な魔領で……俺と同じくらいの年齢の子が一人。
木の幹に背を預けて泣いている様は、世界から切り取られたように異様な光景だった。
「……大丈夫か?」
俺の問いかけに少女は答えない。
ずっと赤髪に顔を隠して、肩を震わせて泣いていた。
「雨除けの魔法も使わないで……風ひくぞ? それに、ここら辺はこわーい魔物が出るんだぜ?」
「…………うるさい」
開口一番、罵倒だ。
こりゃ俺も結構傷付いたね。でも見捨てられなかった。昔の俺を……見ているようで。
とりあえず雨避けの魔法を使って、少女の隣に座り込んだ。
適正を持っている火属性の魔術で周囲を明るくして、暖めて。魔物が来ても大丈夫なように。
「……」
「……」
うるさいって言われたから、黙って座る。
どれくらいの時間が経ったかな。ようやく少女は二度目の声を聴かせてくれた。
「あなた、なんでここにいるの」
「それ俺のセリフだけど……まあいいや。俺はね、旅の途中だ。フロンティアで魔物倒したり、きれいな写真を撮って売ったり……放浪してるんだよ」
「た、旅人……? 中世の人?」
旅人なんて、俺が生きている時代じゃ滅多に存在しない。
稼ぐにしても日雇いの工事をした方がマシなくらいで……旅をしてるなんて、帰る場所のない人くらいか。実際、俺は死んでも故郷には帰らない腹積もりだけど。
「俺が旅する理由はね、自己実現だよ」
「自己実現?」
「そう。自分が納得できる姿を見つけたいから。この道の先に答えがあるのかなんて分からないけど、進んでみないと先は見えてこない。もしかしたら旅をすれば自分が納得できる姿を見つけられるんじゃないか……って、淡い期待を籠めて進んでいる」
どの道を往く人でも同じだ。
教師、芸術家、武人、料理人、その他もろもろ……どんな道を往く人でも、その先に答えがあると信じて道を進む。俺の場合、道が旅路だっただけ。
「なあ、君はどうしてここに居るんだ?」
「…………私、逃げちゃった」
「逃げた?」
「二年後、魔導高等院に入るの。お父さんから勉強しなさいって言われても……勉強が嫌で逃げた。だって、私……勉強嫌いなんだもん」
それはもう、めちゃくちゃ納得できる理由だった。嫌いだから逃げたと。
単純明快、赤子でも分かる理由。
「いいじゃねえか、逃げても。俺だって故郷から逃げてきたし。なんなら何もかもすっぽかして、俺みたいに旅しちゃうのもアリかもな!」
「え……バカなの?」
「旅人なんて、だいたい夢見がちなバカさ。あー……でも、魔導高等院に入るなら頭よくないとな。旅はやめて、別の逃避手段を探すか?」
「ふふっ……」
笑い声が聞こえた。
鈴の音のように心地よい音色だった。
はじめて俯いていた彼女が顔を上げる。交差した瞳は美しい青。
綺麗だった。
俺はあまりの美しさに気を取られ──
「っ、下がれ!」
なかった。少女の背後から魔物が歩み寄っていたのだ。
咄嗟に彼女を引き戻し、俺の後方へ下げる。
鋭い尾と翼を持った猪。中型の魔猪だ。
抜刀、構え。俺にはディオネで習った剣術がある、大丈夫だ。後ろで人を守りながら戦うのは初めての経験だが、やってみせる。
『──!』
魔猪が雄叫びを上げ、こちらへ吶喊。
すかさず剣を水平に構えて足先に魔力を宿す。やや斜めに倒れ込んで受け流しを……
「『火球』!」
熱気が上方を過った。雨の弾幕を穿ち、魔猪の中腹へ。
火球を浴びた魔猪は真っ直ぐに吹き飛び、木の幹に叩き付けられて……絶命した。
「今のは……君が?」
すごい精度だ。咄嗟に現れた魔物に対し、視界と魔力が乱れた雨の中、俺を避けて魔術を命中させるなんて。それに一撃で魔物を倒すとは……俺より強いかもしれない。
「私ね。勉強が嫌いな理由は、もう十分魔術を扱えるからなの。すごいでしょ?」
「ああ……ああ、すごいよ! ははっ……俺が心配する必要はなかったみたいだな。その強さなら、本当に旅でもしてみたらいいんじゃないか?」
「うん……ありがとう。なんか、悩みを聞いてもらって楽になれたよ。通りすがりの旅人さん」
少女は悩みが振り切れたように笑い、雨空を見上げた。
滴る水が赤髪の毛先から落ちていく。
「じゃ……俺はこれで。達者でな!」
もう俺の役目はない。さあ、旅を続けよう。
「待って!」
呼び止められた。
まだ何か相談したいことでもあるのだろうか。別に俺は大した人物じゃないし、これ以上彼女に言ってやれることなんてない。
「私も……一緒に行っていいかな?」
「やめておけ。俺は生まれつき運が悪くてね。俺と一緒にいたら、君も不幸になるぜ?」
心の中で苦笑いする。
きっと彼女も、俺と一緒に過ごせば怪我をしたり、最悪……死ぬ。だから駄目だ。
一人旅は少し寂しいけど、気楽でもある。
俺は一人で生涯を閉じるべき人間だから。
だが、彼女は俺の論理を跳ね飛ばした。
たった一言で。
「大丈夫! 私、運いいから! これでおあいこだね!」
「……はっ。はははっ! そうか、運がいいのか! そりゃ羨ましい!」
もしかしたら。
もしかしたら……彼女なら。
俺と一緒の道を歩んでくれるのだろうか。
恐る恐る──手を差しのべた。震えていただろうな。
「オズだ」
「カシーネ! カシーネ・ナージェント! よろしくね」




