151. 破壊神降臨
猛烈な速さで、水平線の彼方より悪意が迫る。
其はこの世の全ての怨恨を煮詰めた邪悪。果てしなき呪いの権化。
「これ、は……まさか」
アルスは身震いする。
あまりに純粋で、あまりに残酷な殺気。一瞬でソレイユ離島の空気が冷え切った。
ダイリードからすれば、この百年間で慣れた気配だ。
「……我が主、破壊神。イージアにサーラよ、汝は主を救いたいと言うのか。あの悍ましい気を見てもなお、救うことができると思うのか」
人型の矮躯、されど気配の大きさははかつての創造神をも凌駕する。
赤錆を塗りたくったような髪が風になびき、其が通った海はどす黒く染め上げられる。瞳は胡乱、理性はない。
かつて何度も笑い合い、慕った創造神と同じ姿だ。しかし全身が邪気に汚染され、かつての慈愛は見る影もない。
「……っ! あれが、主……そっか。もうあんなに……汚れちゃったんだね」
サーラは破壊神の変わり果てた姿に目を逸らさなかった。
アルスもまた彼を救うと決めたのだ。ダイリードはとうに主に従い続けることを決めた身だが、それでも破壊神となった主の容貌は痛ましかった。
破壊神は生命体の気配を感知し、ソレイユ離島に着陸する。
『…………人間の、気配』
「……やあ、創造神。久しぶりだな。私のことは覚えているか?」
「アタシも! ねえ主、アタシのこと覚えてる? サーラだよ!」
無駄だ。彼らの言葉は届かない……傍のダイリードは分かっていた。
なぜなら、既に創造神はこの世に存在しないのだから。同じ姿をしていても、中身は全くの別物。
『人間を、呪う。憎悪、俺の……』
闇の奔流が爆ぜた。
同時、破壊神は眼前の生命体を滅ぼさんと動き出す。対話を試みるアルスへ、衝動のままに波動を放出。
「っ……!?」
攻撃を仕掛けられることはアルスも警戒していた。
故に青霧で波動を受け流すつもりだったが……重い。ひたすらに重い。時間を無効化する青霧すらも貫通する重圧。彼の魂が悲鳴を上げる。
「呪詛を払え、安息の風」
重圧を受けるアルスを守るように、混沌の力に満ちた風が吹く。風は破壊神の邪気を払い、アルスを重圧から解放した。
駆けつけたのはAT。天魔ソウムは彼の手によって討伐された。リリスは国内へ戻り、魔導王の援護へ向かったようだ。
「無事かい、アルス」
アルス。ATからイージアではなく、その名前で呼ばれるのは些か不思議な心持だ。
ダイリードもサーラも彼をイージアと呼ぶが故に、違和感は一際強かった。
「助かった。やはり創造神の裏にあるのは……オズ! 聞こえているか!」
『オズ……? 俺は、オズ・ナドランス……全てを破壊する者。俺は、誰……』
「死帝から真実は聞いた。君は祖国と友に裏切られ、無念の死を遂げたのだと。君の憎悪は理解できる。しかし、神を支配してまで殺戮を起こせば……君の味わった死の理不尽を、多くの人にそのまま強いてしまうことになる! 英雄オズとして、これ以上の暴虐は……」
再び殺意が迸る。
アルスの言葉はどこまでも正しく、どこまでもオズの憎悪を掻き立たせた。正道を外れた者に正義を説くほど愚かなことがあろうか。
『英雄、忌まわしい……嗚呼、苦しい! 何度、何度繰り返す!? 呪ってやる、呪って……!』
力任せに破壊の権能が行使された。
破壊神の周囲にあった木々や巨岩が捻じ曲がり粉砕される。同様に破壊の重圧を受けたアルスたちは、再びATの補助により死を免れる。
「アルス。言葉は逆効果だ。アレはもはや意志ある者ではなく、衝動的に破壊を撒く災い。力を以て沈めてやるしかないだろう。もっとも……」
ATの表情は険しい。
「あの破壊神は僕らじゃ倒せない」
「倒せないってどういうこと!? せめて動きを封じることができれば……」
サーラは未だ諦めていない。
たとえ創造神の理性を戻す手段がないにせよ、相手は神族という個の生命体。討伐自体は可能なはずだが……
「守天の片割れ、君には見えないだろうけど……破壊神を操っているのは『黒天』だけではない。大いなる意志の糸繰りを断つ存在が必要だ。たとえ破壊神の魂を砕いたとしても、修復されるだけだろうね」
「……なるほど」
アルスは納得した。彼には視えていないが、ATだけに視えているモノがある。
冷静に考えればオズがいくら憎悪を抱こうが、神を操れるのは異常だ。他に何らかの力を借りて創造神を支配したと考えるのが妥当だ。
「うー! どういうことか分かんないけど、アタシは何をすればいいの!?」
『…………壊れよ。全て、破壊を』
混乱する一同に対して、破壊の権化は手を緩めず。
破壊神の肉体が暗黒に包まれ、黒き触手が伸びる。触手は島を覆い尽くし、生きとし生ける者を全て粉砕せんと叩き付けられる。
アルスは青霧を、ATは混沌の結界を、サーラは水壁を展開。
破壊神の触手の乱打は次々と彼らの守りを打ち破り、粉砕していく。アルスは強引に呆然と立ち尽くすダイリードを引き込み、敵味方を問わず生命を襲う触手から守る。
「イージア、我は捨て置け。主の手によって死するが本望というもの」
「断る。君は再び立ち上がらねばならない。死なせてなるものか」
「…………」
ダイリードはもう何もする気がなかった。
見よ、破壊神の凄まじい力を。創造の力を反転させ、大いなる存在の加護を受け、英雄の呪いを宿した力を。もはや誰にも止められぬ。
ソレイユも世界も何もかも、やがて破壊されるのだ。
「AT! もう青霧が持たない! 何か打開策は!?」
「……大丈夫。もう一つの救済が来るよ」
触手の大攻勢を防ぐアルスは限界に近い。
サーラとダイリードを守りつつ、破壊神を倒すことも不可能だ。
ならばATが信じる存在とは──
「──救済の領域」
光が満ちた。
あたたかで眩い白光だ。
離島全体を包み込んだ輝きは触手を消し飛ばし、アルスたちの身を守る。
「この光は……!」
知っている。
混沌と秩序の力を織り交ぜた、この盤上世界において最も優れた力。全ての闇を払う白き救い。
「お、みなさんお揃いじゃねえか。さーて……ついに俺の役目が果たせるってもんだ。なあ、親父……苦しいだろ? 今、俺が解放してやるからな……」
六花の根源、ジークニンド。
破壊に終焉を齎す救いが訪れた。




