150. ノット・オズ
楽園。
今や辺獄。
花は枯れ、風は腐り、青空など一度たりとも見えない。
混沌が、蓄積している。六花の魔将供が稼ぎ続けた、死、争い、憎悪……遍く混沌が溜まり、楽園から破壊神の肉体を解放しようとしていた。
ようやくだ、ようやく解放される。忌々しき神々に封じられたこの肉体が。
永い、永い百年間であった。
あの日より俺は創造神を支配し、破壊神となった。
なぜ創造神が無抵抗で俺に魂を支配させたのか……知ったことか。都合がいい。
ああ、混沌よ。
我が器を解き放て。
枷を外せ。檻を壊せ。
果てなる地で、厄滅が開かれようとしている。
素晴らしい計画だ。俺もまた、厄滅の一欠片となろう。
『…………目覚めの時』
我が器は解き放たれた。
これより世界を闇で閉ざし、破壊を撒く。
我が名はオズ・ナドランス。破壊の神。
人間を憎悪し、滅ぼす者。
~・~・~
「やあオズ。元気そうで何よりだ」
百五十年前のあの日、記憶は未だ鮮明に残っている。
消したくても消せぬ、地獄の日。延々と、延々と、俺の魂で回り続ける。
嗚呼、また……この忌まわしき記憶が再生されるのか。
「よっ、ローヴル! いきなり呼ぶからびっくりしたぜ?」
「はは……突然悪いな。カシーネとの結婚まで一週間を切った。祝杯を挙げようと思ってな」
やめろ。先へ進むな。
過去の俺は、愚かなオズは、人を疑うことを知らなかった。
人は醜い。人は浅ましい。人は畜生だ。
信じるな、信じるな。
「嬉しいねえ。俺も最近は式の準備とかで忙しくてさ……たまには息抜きもありだな!」
「あ、ああ……そうだな」
どうして気が付かなかった?
ローヴルはいつもより表情が硬かった。ミトロン家の使用人も緊迫していた。
呑気に笑っている過去の己が憎い。
殺されるとも知らず、無様が過ぎる。
死ね、死んでしまえ。そのまま無様に死ね。自分が悍ましい人間であった過去を想起すると吐き気がする。
「か……はっ……」
ワイングラスが地面に落ちる。カーペットに緋色の液体がじわりじわりと、染み込む。
シャンデリアが眩しい。影が落ちた。
「…………オズ、死んで……くれないか」
ローヴルが俺を見下ろしていた。碧色の瞳が俺の死を望み、殺意を向け、憐憫を向け……やめろ! 俺に憐憫の情を向けるな! お前が殺したのだろう!? お前が……! スフィルも知っていた、ローヴルは裏切った、ルフィアは俺を殺した! 赦すものか、カシーネとの愛を引き裂き、全てを奪った人間の世! なぜ世界を救った俺が殺されなければならない!? 俺は英雄じゃない、英雄じゃない! 英雄じゃなくてもいいから、俺から何も奪うな! やめろ! 俺は死にたくない! ただ生きたいだけなのに! 友を信じていたかったのに! 愛する人と結ばれたかっただけなのに! 毒が苦しい! 焼けるように痛い! ローヴル、助けてくれ! 俺たちは親友だろう!? スフィルはどうして国を止めてくれなかった!? カシーネはどうして何も知らなかった!? 神能など要らない! 嗚呼、体温が奪われていく! 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 光が眩しい! 俺を裏切った国が憎い! 俺が死ぬのではなく、お前らが死ね! 運が悪いじゃ済まされない! 龍神の頼みなど引き受けるんじゃなかった! 魔神など倒すんじゃなかった! 世界など救ってやらなきゃよかった! なぜ平気で人を殺せる!? 身体が動かない! 息ができない! もう終わる、いつ終わる!? 俺はいつ死ぬ!? 早く終わらせてくれ、早く! でも嫌だ、死にたくない! カシーネ、カシーネ、カシーネ! 俺の愛した人間は助けてくれない!? ローヴル、俺の友は俺を殺した!? スフィル、俺の友は俺を見殺しにした!? いや、違う! 何かの間違いだ! これは夢……そう、夢だ! きっと俺は夢の中にいて、目覚めれば全て終わる! だから早く! 早くこの苦しみから解放してくれ! 夢なら覚めてくれ! あ……視界が暗くなっていく。嫌だ! 死にたくない、死にたくない! 怖い! 俺は死にたくない! 夢の中でも死ぬのは怖い! そもそもこれは夢なのか!? もしも現実だったら!? 本当に親友たちが、国が俺を殺していたら!? どうすれば無念は晴らせる!? ああ憎い! 俺は何も悪くないのに! 神が助けてくれるのではないのか!? 冷たい! 熱い! 苦しい! あ、あ、あ、……呪ってやる! 全て呪ってやる! 俺がこれほど苦しんでいるのだ! 全ての人間に同じ苦しみを与えてやる! 全て殺してやる! 全て壊してやる! 呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる! 呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って呪って……呪って……?
──あれ?
俺、誰だった?
~・~・~
為すべきことは分かる。
怨念となった俺が為すべきは、全ての人間を殺戮すること。
憎悪だけが残った。故に憎悪に従い、全てを呪おう。
創造神に憑りつき、楽園を崩壊させた。ローヴルを闇に染めた。スフィルを子供の目の前で殺した。まだ足りない、もっと死を。
六花の魔将に混沌を集めさせ、我が肉体が直々に人間を蹂躙する。
嗚呼、神の力は強い。破壊神オズ・ナドランスは全てを破壊に帰す神である。
破壊を始める。魔将が集めた混沌を用いて楽園の檻より脱し、枷を外す。
我が身は解放された。
だが、何故だ。何故……なおも我が身は痛むのだ。
ああ、そうか……きっと憎悪を晴らせば痛みも消える。人間を一人残らず破壊すれば、この痛みもきっと消えてくれる。
引き寄せられる。
何かが俺を呼んでいる。滅びの地、ソレイユだ。
厄滅の門が開こうとしている。俺もまた一つの鍵。
ああ、呼び寄せよう。破壊しよう。
『呪って……憎悪……破壊…………俺は、誰……』




