143. クロイム
ひとり、暗い廊下。
暗黒が逆巻く天のもと、人々は絶望的な状況を肌で感じつつあった。外敵の復活、進化……そして蹂躙。まもなく破滅が王都に来たる。
「っ……はぁ……」
クロイムは足を引きずって部屋から飛び出した。突如として頭が割れるように痛み、心臓が爆発しそうなほどに高鳴っている。
高揚に寄り添う恐怖。血が沸騰し、魂が鳴動している。何かが彼の中で弾けようとしていた。
「っぐ……」
もはや立つことすら儘ならない。
力なく倒れ込み、視界が闇で閉ざされた。廊下の窓から射し込む僅かな光明だけが、彼の視界を支えている。
そしてクロイムが意識を失う直前、見た光景は──
「俺、は……?」
光と闇が己の身を包み、侵食していく景色だった。
~・~・~
「君はね、僕を倒さなくちゃいけない」
いったい何千年前のことだろう。
静謐なる精神世界の中で、親父……創造神と俺は相対していた。ああ、何度も聞いた話だ。俺は親父の自壊機構。曰く、親父は遥かなる未来で自分が闇に堕ちることを予見して俺を創ったらしい。
でも。それなら闇に堕ちる前に予防すればいいんじゃないか。俺はずっとそう言い張ってたけど、親父は頷かなかった。
「まーたその話? 「お父さんを殺してくれ」って懇願される息子の気分にもなってみろよ。やだね。つか俺に神を殺せるくらいの力はないし」
「神能を全て得た時、君は神をも超える。君ならできるはずさ。……親を殺させてしまうのは申し訳ないと思っているよ。ごめんね」
親父の謝罪は軽くない。だからこそ俺も嫌になる。
「実際、俺は生まれてから一度も神能を全部……十二個手に入れたことはない。生まれる前からダイリードに『混沌の衝動』を与えてるからな。最大で十一個だ。だからいまいち実感が湧かないよ。全ての神能を得た俺が、どれくらい凄いのか」
ああ、きっと親父が言うからには相当な力なんだろうさ。
でも……だからって。いくら力を得たからって、大切な父親を殺せるわけじゃない。精神の強さと肉体の強さは結びつかない。精神世界から出ない非常識な俺でも、それくらいは分かる。
実際に俺が十二の神能を取り込んだとして、親父を殺せる覚悟があるのか?
「僕を信じて。君ならできる……根拠は提示しないけどね。あと、君には僕が闇に堕ちた後、記憶を失ってもらおうと思う」
「???」
唐突だな。あまりに唐突な話に、俺の頭は混乱した。
記憶喪失になれって言われて、はいわかりましたと答えるバカはあんまりいないと思う。よほど人生に苦しんでいるなら記憶喪失になりたがるかも。
「──絆。君の人生経験は乏しい。この精神世界に引き篭もっているからね。闇落ちして破壊神になった僕を倒すには、絆が必要なんだ。だから一度記憶を失って、一人の人間として過ごして……『誰かを守りたい』と思える意志を君には培ってもらおうと思う」
「……はあ? 絆って……子供が作る物語みたいな。流石に信じられないぜ?」
「では論理的に説明しようか? ジークニンドが理解できるか分からないけど。君の魂は『慈愛』に分類される。簡単に言うと、誰かを想う意志を力に変換しやすい魂だ。そして君の持つ神器は『六花剣アクァーリ』。僕が雪の精霊として過ごしていた頃の魂を全て注ぎ込んで、四十年と三ヶ月と十二日かけて創った神器だ」
俺は親父が贈与してくれた神器を呼び出す。紫色の刃を持つ美しい剣だ。
きっとこの剣が親父を殺す要となるのだろう。銘を【六花剣アクァーリ】。
「その剣が真の力を解放する鍵は二つ。一つ目、全ての神能をジークニンドが取り込むこと。二つ目、己の魂を刃に宿すこと。君の慈愛の魂を宿し、大切な人との絆から生まれた意志を燃え滾らせ、全てを斬り裂く力を宿すんだ」
「なに? つまり俺は神能ぜんぶ集めて、誰かと恋でもしろと?」
「恋とは言わないさ。そもそも男女の姿を取れる君の恋愛対象がどちらなのか……興味深いところではあるけどね。友情でも、愛情でも構わない」
ああ、困った。俺に人間らしい感情を求めつつも、親父を殺せだなんて。
そんなのまるで……
「人殺し、じゃねえか……」
ただ機械のように心をなくして、親父を殺せれば楽なのに。
「──ジークニンド。世界はやがて大きな滅びに包まれる。滅びの徒には僕も含まれる。世界が黒く染まって燃え尽き、人々が項垂れて絶望する。間違いない、これは僕が予見した確実な未来だ」
「…………」
「滅びの時。君は誰かを守りたいと想わなきゃいけない。滅びの未来で、君の傍に誰が居るのかは僕には視えないけど──でも。きっと君なら」
やめてくれよ。もう、やめてくれ。
俺に背負わせないで欲しい。でも、俺は親父を殺す機構として生まれてしまったから……本音を吐けば、俺は俺の存在を否定してしまうことになる。
お前の言葉が苦しい。親父、お前は……
「お前は。怖くないのか……?」
「うん、怖いよ。神族だって自分の死は怖いさ。でもね、もっと大切なことがある」
親父は徐に立ち上がって、大きく両手を広げて笑った。
なにやってんだこいつ。
「僕らはね、大きな木なんだ。種子を地面に蒔いて芽吹くのを待つように、生命に未来意志を授けて巣立つのを待つ。そして巣立ったら僕らの役目はおしまい。神はもう必要ない」
「そんなこと……ないだろ。世界がどうしようもない危機に陥ったら、神が救わなきゃ。神は……必要なんだ」
「人は可能性を持つ。全ての因果を乗り越え、不可能を可能にする。だって、アテルがそう定めたのだから。時にどうしようもなく残酷な世界でも抗えるよう、救済の因果を世界に宿したのは我らが創世主だ。神代は終わらなければならない。厄滅は人を滅ぼす瞬間じゃない、神を滅ぼす瞬間であり、人を解放する瞬間だ」
何を言っているのか分からない。
アテルという存在も、厄滅という言葉も。俺は何も知らない。
親父には何が視えているのだろう。
希望の未来か、絶望の未来か。
「今は分からなくても大丈夫。でも、君はいつか世界の命運を左右する選択肢を選ばなければならない。剣を取って僕を殺すか、否か。僕は君に呪いをかける。どうか僕を……救ってくれ」
分からない、分からない、分からない。
分かって堪るものかよ。思考を放棄して、世界なんて捨て去ってしまえば良い。
だって俺には……守りたいものなんて無いのだから。
~・~・~
「……っ」
どれくらい眠っていたのだろう。
数分とも言えるし、百年間とも言える。
「親父……」
全てを思い出した。思い出してしまった。
だから、向き合う時だ。
俺がずっとずっと、逃げ続けていた現実と。
今……世界はソレイユを中心として分岐点にある。選択肢の一つを決定する権利が、俺にもあった。
「──四つ」
今、俺の中には計八つの神能が戻っている。
みんな、授けた人たちは死んだ。俺が継ぐべき力だ。アリスもリグスも、今しがたウジンも。意志を残して死んでいった。
「……行かなきゃ」
親父の言葉、ずっと分からなかった。
でも分かったよ。記憶喪失になってよかった。じゃなきゃ俺、シレーネや大師匠、アルスとかアリキソン、ユリーチたちと友達になれなかった。あの人たちを守るために立ち上がれなかった。
もしも親父が破壊を振り撒くなら、世界を傷付けるなら。俺は親父を救ってやらないといけない。だって……自分があんなに愛していた生命を傷付けるなんて、親父なら絶対にあり得ない。
破壊神は俺の父親じゃないんだ。
「あ、クロイムさん。ここに居たんですね」
「……シレーネ」
俺を最初に拾ってくれた少女。アリスの妹。
彼女は馬鹿だが、俺の大切な人だ。
「辛気臭い顔してますね。まあ、こんな状況なら無理もないですけど。アビスハイム陛下が緊急集会を行うそうです。クロイムさんも早く大広間へ……」
「……悪い」
シレーネの横を素通りして、廊下の先へ。
魔導王の話を聞くのも良いが、俺にはもっと優先してやらなきゃいけないことがある。
「クロイムさん……?」
「クロイムか。いい名前だな。俺にステキな名前をくれてありがとう」
「え、え……? どうしたんですか。人格変わりました?」
いいや、俺の人格は変わっていない。
ジークニンドとしての生の方が遥かに長いが、たしかにクロイムの生は俺の魂に刻まれている。俺はジークニンドであり、クロイムでもある。
「俺はちょっと出かけてくる。すぐに戻るよ」
「…………え」
やばい、死亡フラグみたいな台詞になった。これで普通に生きて帰って来ても若干ダサくなるよな……?
「──はい! すぐに戻ってきてください! 待ってますからね!!!」
「うっさ……」
シレーネは異様に大きな声で叫んで、踵を返して走って行った。
……虚勢だ。馬鹿なくせに察しはいい奴だな。地面にシレーネの瞳から落ちた水滴が染みている。
ああ、やっぱり。
俺には守らなきゃいけないものがある。世界がある。
「残る神能は四つ。このソレイユに全て揃っているみたいだな。さて……行くか」
軽く世界を救って、すぐに帰ろう。
大丈夫、俺ならできる。だって親父がそう言ってくれたから。




