131. スターチ
私は希望を背負いたかった。
「スターチ。お前は将来、ルフィアを担う者となる。ナージェント家の長男として、人を教え導く光となるのだ。たとえ自分がどのような人間であっても」
たった四歳の私に、父は重い言葉を浴びせた。だけど嬉しかった。
私は期待されているのだと……幼心に勘違いしてしまった。
最初の過ちだ。この時に希望を抱かなければ、或いは真実を知っていれば。
自分に期待することなどなかったのに。
~・~・~
「……スターチ様はまだ光魔術を扱えないのか」
「妹君は既に神能を使いこなしているというのに……嘆かわしい」
廊下の隅で魔導士団の会話を盗み聞きしていた。
慣れたものだ、私に対する失意は。
妹のユリーチは四歳で既に光魔術を扱えるようになっている。対して六歳も歳上の私は未だに扱えず。
英雄の家系の中には、神能を発現させずに一生を終える者もいるらしい。私がそうだとでも言うのだろうか。
何度も、何度も。繰り返し術式を行使した。魔力が歪な形となって爆ぜる。
何度も、何度も、何度も。闇夜の中、一つの光が灯ることを期待した。
何度も、何度も、何度も、何度も……
「……どうして」
全てにおいて妹の方が優れていることは自明だ。
しかしせめて……神能を発現させなければ輝天の家系としての矜持が保てない。まずは才能を見上げるよりも、地に立つこと。他者と優劣をつけずに己が特質を確立させることが大切だ。
理論では分かっている。上を見上げればキリはなく、妹も見上げる対象の一人だ。だから私はせめてナージェント家の立派な一員であれるように努めたのだ。
だから私は……ユリーチを憎んではいない。
私が憎むのは……
~・~・~
統計によると、十三歳まで神能に目覚めなかった人間が力を発現させる確立はゼロに近い。
私は既にその歳になっていた。もう希望はない。
失意の中、亡き両親と導師に代わってナージェント家を継いでいた。
「おや、スターチ殿。お疲れ様です。今日も夜遅くまで残業ですかな?」
ルフィア王城の執務室から出た途端、嫌な人間と出くわしてしまった。
長らく魔導棟で研究を続けている博士だ。……とは言っても、碌な成果を挙げずに遊び惚けている国のお荷物なのだが。
「ええ。私は人一倍努力せねばならない。命を削ってでもルフィアのために尽力しましょう」
「おお! よく分かっているではないですか。神能も使えず妹君にも劣る貴方は、せめて国の手足となっていただかなくては。……はあ、しかし惜しい。亡きエビネ殿とシダ導師も、貴方ではなくユリーチ殿に時間を注いでいれば……彼女はさらに魔術の才に目覚めていたでしょうに」
博士のような誹りも慣れたものだ。
両親や導師が私に注いだ時間は無駄だった。みな一様に言う。私だって同意見だ。自分が無能で、私に魔術を教えた時間はユリーチに割かれるべきだったと自覚している。
「我が身の非才、恥じ入るばかりです。今後とも精進いたします」
「ふん……子供の分際で生意気な。どうせ貴方がどれほど努力しても神能は使えないというのに……」
嫌味を吐き捨て、博士は廊下の奥へと歩いて行った。
この時、彼は私の非才に対する嫌味を言っていたのだろうと……愚かな考えを抱いていた。だが違う。私は……諦められていたのだ。
~・~・~
ある日、私は亡き父の書斎を整理していた。
無数の魔導書が埃を被って積み重なっている。私もユリーチもこの書斎は使わずに王立図書館を使って勉強しているので、使う機会はほとんどない。しかし宝の持ち腐れも如何かと思い立ち、整理を始めた次第だ。
「……これは」
ふと、異な書物が目に留まった。魔導書ではない。
装丁には古臭く、どこか懐かしい形の文字が書かれている。『日記帳』……父の文字だ。まさか父の日記がこんな所に眠っていようとは。
興味が示すままに手を伸ばし、ページをめくり始めた。ざらついた紙に記されているのは他愛もない出来事。どうやら父が母と結婚した日から記されているものらしい。
ずっと日記を読み進め、何時間が経っただろうか。やがて私は一つの真実を記すページへ辿り着いた。
『五千二百九十六年、フラムの月、十一日。
今日は妻とかなり揉めた。孤児を引き取ってほしいと連絡があったのだ。まだ一歳にも満たない赤子だ。友人の夫妻が死に、引き取り手もなく孤児となってしまった。
本来であれば孤児院に預けるのが常だが、亡くなった夫妻の髪色は赤く、瞳は碧色。そして私と妻の髪と瞳も同じ色だ。つまり、一見すれば実子と殆ど変わらない外見に育つであろう。そこで亡き夫妻の友人である私に引き取ってくれるよう頼みがあったのだ。
友人とはかなり親密な付き合いをしており、互いに気の知れた仲であった。私もできることならば赤子を引き取ってやりたい。しかし妻は猛反対だ。
まだ第一子も生まれていない現状……ナージェント家の長男はこの子となる。神能を使えない子を長男とすれば、この子に負荷をかけてしまう。それが妻の反対理由だった。決して他所の子供を引き取りたくない……という理由ではない。妻であれば、たとえ腹違いの子でも愛を注いでくれるだろう。
人間はたしかに才能によって人生を左右される。これは厳然たる事実だ。しかし、人間は心の在り方によって人生の価値を変容させることも事実。自分が自分らしく生きる事が幸せなのだ。
だから私は……この子を引き取ろうと思う。明日、妻を再度説得する。
赤子の名はスターチというらしい。明日から彼にはナージェントの名を授け、長男となってもらう。いずれ真相を明かす時が来るのか、来ないのか……私にはまだ分からないが。この子と共に未来を歩む覚悟はできている』
──私はナージェントの血筋ではなかった。
神能が使えないのも当然だ。最初から可能性はゼロだった。父と母は残酷なまでに優しく、私に配慮して……今日この日まで、私が腹違いの子であるなど気が付かなかった。
「……私は、」
私は只人である。努力は無駄だった。
ユリーチとは家族ですらない。いきなり突きつけられた現実に、視界が真っ黒に染まった。思わず日記を炎魔術で焼き捨てる。同時に水魔術で鎮火する。
煙の匂いが嫌に煩わしい。炎が消えると同時、立ち上がる意志も掻き消えてしまったようだ。
「フ……ハハハッ!」
乾いた笑いが響き渡る。嗚呼、もはや愉快だ。
全てを失い、吹っ切れた気分だ。仕方なかった、仕方なかったのだ!
そう、私は何も間違えていなかった……この生き方が努力の限界点であり、極点である。私はよく頑張った、耐え抜いた。自分がナージェント家であると嘯いて、周囲の圧力と戦い抜いた。
しかし、全ての非才が無才であると自覚した時。ずっと楽になれたのだ。
絶望に呑まれ、視界が闇に閉ざされ、そして──
『…………』
何かが、私の傍に立った。
心に入り込んで来る異物。魂が染められる。心地よい。
闇が……心地よい。本来、私は表舞台に立つべき人間ではなかったから。英雄ではなく只の人間であったから。
光は嫌いではない。ただ闇がより好きなだけ。私が存在しなければならない場所に戻っただけ。
『あなたはこれより『天魔』となります。主はそのように運命付けられました。あなたはこれより『天魔』となります……』
声が響く、魂が震える。
私は──闇に染まる。
穏やかに。静謐に。侵食し。
この身は六花の魔将が一、『天魔』に変貌した。




