128. 遡る
遡る。
「さて、英霊よ。お前は何を我に示す?」
魔法陣に浮かび上がる私に、彼は問いかけた。曰く、魔導王アビスハイム。ソレイユの復活神話に語られる存在だ。私は英霊として彼に召喚されたらしい。
この世界は私が住んでいた世界ではなく、別の可能性を辿った世界。アリキソンが闇に堕ちず、彼に何も滅ぼされず、そして私も健常な人生を送っている世界線。
──羨ましい?
とうにそんな気持ちは抜け落ちた。ただ、平和な世界があるだけ。関係ない。
「私は怨念です。何ができましょうか」
「種族は問わぬ。我はお前にどんな特技があり、どんな魅力があるのかを問うている。お前は世界を守るために戦えるか?」
彼の質問は狡い。
生前、アリキソンの魔剣から世界を守れなかった私に……意地の悪い問いをぶつけるものだ。そのように問われれば、私は答えざるを得ない。
「世界を守ることが私の執念。或いは、奴を殺すことが本懐。もしも世界が危機に瀕しているのならば、私はあなたの力となりましょう」
~・~・~
遡る。
「……ああ、滅びゆく世界はこうも美しいか」
忌まわしき男が呟く。
世界が燃えていた。黒き風に吹き飛ばされ、黒き雷に焼き焦がされ、あらゆる人理は焦土と化した。
私は無様に災厄……アリキソンの魔剣に破れ、地面に転がっている。
あと少しで……倒せたのに。殺せたのに。ここで私が倒れれば……もう、世界は……
「滅べ。全て滅んでしまえばいい。マリー……お前が負けたということは、世界は滅ぶということ。因果は全ての破滅を定めたのだろう」
「…………」
もはや口も開けない。血を垂れ流し、喉も潰れた私に何ができようか。
「俺は世界が嫌いだ。生まれた時から「人間兵器」になる運命から逃れられなかった。お前だって俺と同じなのに、どうしてこんな面倒な世界を守ろうと思うのか。理解できない。もう、嫌だ……」
憎い。奴が憎い。
全てが憎い。そうか……結局、私も奴と同じ。全てを憎んでいるのかもしれない。
英雄の血筋に生まれたことで、苦悩してきた。だけど人の導になり、求められているという自覚も同時にあった。今までの人生が楽しかったか、辛かったかと問われれば……
「……」
お前のせいで、辛くなった。
お前が世界を滅茶苦茶にした時から、私の生は灰色に染まった。
だから結局は、お前が一番憎い。
「終わりだよ。何もかも終わりだ。俺を殺せず、お前も世界も終わる」
……嗚呼。
せめて。
せめてこの身が、この憎悪が。
奴を絞め殺せばいいのに。私が……怨霊であればいいのに。
~・~・~
遡る。
「マリー? 少しは手伝いなさい?」
母が家事の手伝いを催促してくる。
でも嫌です。私は疲れているのです。
「明日、研修なんだよね……もう少し寝させて」
「はあ……仕方ない子ね」
今は新人騎士として勤しんでいる。毎日が激務で退屈しないけど、大変な日々。
霓天の家系を継ぐ者は私しか居ないから、必然的に私は騎士の将来を定められたようなものだった。本当はデザイナー系の職に就きたかったけど、騎士を辞退したら世間の目が痛いし。
いわゆる「人間兵器」。英雄の家系は強力な神能を持つが故に、国家公務員にならなければならない……みたいな風潮があった。法律とかで定められているわけじゃないけど、みんな代々そうしてる。霓天の家系だけではなく碧天や輝天も。アリキソンやユリーチを見ていると、いつも弱音を吐かずに仕事をしていて凄いと思う。年上は偉大だ。
「ねえ、おかあさ……」
「はい、もしもし?」
私が徐に起き上がると、母に電話が入ったようだ。
最初は笑顔で話しを聞いていたが徐々に顔色が青くなっていく。何かあったのだろうか。
「え……」
母の持っていた洗濯物が地面に落ちる。
通信の内容は──訃報。
ルフィアへ出張に向かっていた父が死んだ。ルフィアが崩壊した。
首謀者の名は……アリキソン・ミトロン。
~・~・~
遡る。遡る。遡る。
全てを思い出して、忘れて。遡る。
「こんにちは」
不躾に、寝転がる私を覗き込んだ……変な人。
顔の半分に布をつけていて、白い髪の毛先をくるくると指で巻いている奇人。紫紺の瞳が私を見下ろしている。
「だれ?」
「拙は魔導王の配下、魔導星冠のリリス・アルマと申します。あなたに憎悪を思い出させに来ました」
「???」
言っている意味が分からない。不審者だ。
お父さんを呼ばないと。
あれ、でも……お父さんって……どこに居るの?
そもそも私は今、どこに居るの?
「魔導王陛下のご命令でなければ、拙もこんな残酷なことはしたくないのですが。あなたが辛い思いをすることと、国が亡ぶこと。秤にかければ前者を採ります」
「私はだれ」
「マリー・ホワイト。怨霊です」
「おんりょう」
「そう、怨霊」
たぶん、怨霊は良くないものだ。
良くないものは存在しない方がいい。
「私はこのまま寝ています。おやすみなさい」
「駄目です。起きてください」
どうしてこの人は私を起こしたいのだろう。私は怨霊というよくない存在で、寝ていた方がいいと思う。自分のことが何も分からないけど、たぶん寝ているべき。
「さっさと起きろ。手遅れになる」
「うわ!」
とつぜん女の人が私の腕を引っ張って起き上がらせた。
気が付いたけど、自分の身体が異様に軽い。私、こんなに小さかったっけ……?
周囲を見渡すと、真っ白な空間。
「これ以上遡ると、あなたは憎悪を完全に忘れて消滅します。強引に精神に干渉しましたが正解だったようですね。もう一度、辛い過去を未来へ繰り返します。耐えてください」
「耐えるって……? どうすればいいの?」
「拙の手を握って。大切な人を想って。大丈夫、未来にはあなたの味方がたくさん居ます。魔導王陛下も、霓天も、拙も。決してあなたを見捨てません。だから……」
だから。
その先の言葉を聴きたくなかった。
本能が拒絶している。けど、聴かなければならない。
「『アリキソン・ミトロンを殺す』……あなたの目標を果たすまで、未来へ進み続けなさい」
「っ……!」
取り戻す。取り戻す。取り戻す。
再び未来へ進み、憎悪を取り戻す。
「ぁ……ぁ……」
「大丈夫」
手にあたたかいものが触れている。
お願い……離さないで。




