123. 心あらまほし
とある新兵が綴る終焉の日。
「星属性刻印の魔道具を持て! 通信によれば、まもなく王城から魔導王陛下の精鋭軍が駆けつける! エムティングの攻撃より大森林を死守し、一匹たりとも壁へ到達させるな!」
指揮官の怒号が響き渡る。周囲の兵たちの士気は上々だが、一人だけ浮かない顔をしている少年兵がいた。彼は軍属して間もなく、戦いにも慣れていない。
魔導王が突如即位して約一か月。月日は怒涛のように流れ、まともに魔物との戦闘や戦闘機を扱う訓練もなくここまで来てしまった。緊張する新兵に上官は気丈に話しかける。
「よ、緊張してんのか?」
「は、はい! あ、いや……緊張などしていません! 身命を賭して外敵と戦います!」
「大丈夫だ。今までエムティングなんて俺らが簡単に掃除してきただろ? 現代兵器の前じゃ、神様の眷属なんてのも呆気ないもんさ」
兵士たちの自信の理由はこれまでの戦果と結びついている。
魔導王が作成させた魔道具により、彼らは数体のエムティングであれば容易に討伐。現代魔術による強固な結界は攻撃を通さず、魔導科学の叡智は神すらも凌駕したのだ。
圧倒的に有利に進めてきた戦場を鑑みれば、兵士たちの士気が上がるのは当然の流れだろう。しかし少年兵も同じ光景を見てきたにも拘わらず、自信なく俯いていた。
「何がそこまで不安なんだ? 大丈夫だって」
「で、ですが……どうにも嫌な予感がするのです。僕らの軍事力はたしかに凄い。ただ、本当に僕らが見ているものは真実なのでしょうか……?」
「不安で頭でもおかしくなったか? 俺が傍に居るから安心しろよ。お前は見てるだけでいい。見てろよ、俺の華麗な機体捌きを」
少年兵は己が心を奮い立たせ、先達に敬礼。
戦場へと向かった。
~・~・~
眩き閃光が煌めき、高濃度の星属性熱戦が射出される。
次々と熱戦がエムティングを焼き払い、森林が火炎に包まれてゆく。少年兵は呆然としてソレイユ軍の猛攻を眺めていた。
「な? 俺らの力は半端ないだろ? 王城からの援軍を待たなくても楽勝さ」
「そ、そうですね……僕の杞憂でありました……」
海洋で暴れる蛇竜メロアは他部隊が攪乱してくれている。エムティングの食い止めも問題なく行われ、自然環境への悪影響を除けば憂慮はない。
新兵は安堵に胸を撫で下ろす。後は魔導王の配下が心神や命神を倒してくれるのを待つだけだ。
『──安堵。素敵な感情ですねえ? でも、いささか……戦場には不釣り合いな感情だと思いませんか?』
「!?」
声が響いた。透き通っていて、怜悧な声色で、されどどこまでも悍ましい。
少年兵は咄嗟に振り向く。眼前には真っ白な神聖に塗れた少女が浮いている。彼女の姿を視認した瞬間、少年兵の隣に立つ上官が動いた。
「貴様は心神っ! 臆病者が、ようやく姿を現したか!」
『姿を現した……? 仰っている意味が分かりませんが、私は放浪していただけ。まさか家畜から神たる私が逃げているとでも? ふふっ……ああ可笑しい。これが憐憫という感情なのでしょうか?』
「問答無用、覚悟!」
少年が止める暇はなかった。よく訓練された上官だからこそ、敵に勇ましく斬りかかる。星属性が刻印された至高の魔道具を手に、目にも止まらぬ速度で心神に襲い掛かった。
剣身輝き。体躯猛々しく。
『素晴らしい。面白い。素敵です。愉快です。もっと見せて。……どうして力がないのに戦おうとしてしまうのでしょう。いえ、すみません……人間の中では強い方なのでしょうかね、あなたは? ごめんなさい、人間の尺度が分からないもので』
斬撃は心神に届かず。呆気なく超硬度の剣身は折れる。
「馬鹿なっ……!?」
『馬鹿はあなたですよ? まだ折れない自信過剰、頑固者は好きじゃないです。そこの少年のように慄いて、震えて、戦慄するような……柔鉄のような心を持つ人が私は好きなんですよね。なので死んでください?』
いつしか周囲を取り囲んでいたエムティング。
何が起こったのかと少年は周囲を見渡し……絶望する。軍の内側より生じたエムティングが次々と戦線を崩壊させている。陣形は乱れヘリも堕ち、白茨の鞭に軍隊が蹂躙されていた。
視界を前に戻した時、上官は死んでいた。
「なん、で……」
『知っていましたか? エムティングは人間に擬態できるんですよ? 私に関する文献にも記録されていると思うんですけど……勉強不足ですね』
知らない。そんな情報は知らない。
何も分からない。自分はどうすればいい。
『混乱。良い感情ですね。でも、少し混乱が増えてきました。これはつまらない』
少年兵はただ腰を抜かして心神を凝視し続ける。目を離せば殺される。
周囲のエムティングは心神の指令によってか、一切少年兵を攻撃せずに大森林と王都を分かつ壁へと進んでいた。
心神は持論を垂れ流し続ける。
『喜怒哀楽。私は生命体が持つ感情を均等に分けようとしました。心神と呼ばれている私ですが、心の意味、感情の意味が分からないんです。だからあらゆる感情を分配して均衡を保ちたい。今、この戦場には恐怖の感情が渦巻いています。これはよろしくありませんね? ですから、あなたにはせめて喜んでいただきたい』
「意味が、分からない……」
『人間が神の思考など理解しなくてもよいのですよ。ただ恩恵を受け取っていればいい。私は特別にあなたを逃がしてあげます。嬉しいでしょう? そして他の方々に教えてあげなさい。このままでは国が滅んでしまうと』
心神は慈愛の女神を想起させる笑みを浮かべる。
まさしく善良な意志から生まれた笑みであった。しかし少年の足は動かない。眼前の女神は悪魔である。悪魔を前に彼は意志を喪失していた。
『おかしいですねえ……命が助かった時、生命は喜ぶのでは? 私の勉強不足でしょうか。まあいいや。じゃあ、そこで私の眷属たちに貫かれて死んでしまいなさい。それでは、さようなら』
言うや否や心神は消失した。
周囲は炎。逃げ場などない。
少年兵は混沌と秩序渦巻く戦場の中、ひたすらに恐怖していた。




