116. 雷電再臨
空は黒く染まり、稲光が走る。一瞬の出来事だった。
召喚魔法陣より現れた男は即座に敵……ゼロの姿を捉えた。迸る稲妻に英霊の白髪が光る。
「雷電霹靂──『轟きの爪牙』」
眩き雷光、一拍遅れて轟音。天より伸びた雷の腕がゼロを鷲掴みに。凄まじい衝撃を受けたゼロは、思わず大きく後退る。
「っ……クソ、英霊召喚は成功したか!」
新手の登場に彼は退却するべきか逡巡する。マリーとの一騎打ちならば戦いはまだ続行できるが、さらなる戦力の投入とあっては厳しくなる。
一方、アルスは自身が召喚した英霊の姿にひどく既視感を覚えていた。彼と出会ったのはずっと昔のこと。もはやあの旅路を思い出すことなどないと……そう思っていた。
記憶は遥か彼方、史実で言えば二百五十年前に遡る。イージアがレアと共に魔国へ訪れた時、思いがけぬ形で出会うこととなった精霊術師の少年。記憶にある彼よりも少し大人びているが、たしかに彼の面影は残っている。
「デルフィ……!」
「あんたが召喚者か。デルフィ・ヒュエンだ。歴史では『輝ける黄蛇』なんて大層な二つ名がついてるが……まあどうでもいい。あの男が敵で良いんだな?」
「ああ……そこの水色髪の少女は味方だ。彼を撃退してくれ」
デルフィはアルスの正体に気が付いていない。認識阻害の仮面を外した姿を見せていないのだから当然だろう。
「撃退……ね。了解した」
主人の言葉にやや違和感を覚えたデルフィだが、今は疑問を呈さずに戦いに集中。
『撃退』。なんとも甘く、現状に向き合えていない曖昧な言葉だ。少なくとも命の取り合いで扱うべき単語ではない。だが、デルフィはアルスの『撃退』という言葉が嫌いではなかった。
彼はアルスを縛る鎖を雷で分解しようと試みたが、すぐに一般的な鎖ではないと看破。マリーと呼吸を合わせてゼロに接近する。
「その剣士の異能は、視界に入った者に斬撃を飛ばす能力だそうです。お気をつけて」
「……了解」
ゼロは眼前の英霊を知らない。
楽園に居る頃から勉学を行わなかった彼。破壊神の騒乱後も、ずっとレヴィーに籠ってサーラを目覚めさせる方法ばかりを模索してきた。偉人など知るはずもない。
「俺は退けない。ここで退くことは許されない。一人残らず……斬り伏せてやる!」
再びゼロが絶対斬撃を飛ばす。
彼の剣閃は過たず二人の英霊の首元を捉える。マリーは先程と同様に呪術によって再生。
そしてデルフィは──
「雷電霹靂──『幻雷・重崩』」
裂かれる瞬間、雷の束となって消えた。
再び現れたのは雷鳴と同時……ゼロの背後。
「いつから幻影の用意を!?」
「最初からだ。最初の雷が鳴り、俺の肉体が構築される瞬間に」
デルフィは簡単に人を信用しない。信じないわけではない。
信ずるに値した者のみを信じ、最後まで守り抜く。最初から全てを疑っている。そして最後には、必ず守るべきものを見つけるのだ。この意志こそ彼が魔国で得た信条である。
完全にゼロの不意を突いたデルフィは、主人の望みに沿う形で撃退を試みる。彼の身体を雷の紐で縛り、彼方まで投擲。同時にゼロの視界を妨害するようにフラッシュの壁を展開する。
だがゼロが引き下がるかどうかは不明だ。雷の幕を突破し、再び攻撃が来る可能性を考慮しなければならない。
「もう警戒しなくても大丈夫ですよ」
「……その心は?」
マリーが発した言葉にデルフィは眉を顰める。
だが、理由はすぐさま明かされることとなった。
圧倒的な魔力。場を震撼させるほどの覇気が満ちた。
使役英霊であるマリーを通して主人……アビスハイムが出現。
「我、参上ッ……! ……なんだアルス、その無様な姿は! フハハハハッ、これでは参上ではなく惨状ではない……か……」
言葉遊びを途中で自分でもつまらないと思ったのか、転移してきたアビスハイムは声量を小さくしていく。デルフィは肌で転移してきた王が只者ではないことを感じ取る。
遠方で魔導王を捕捉したゼロもまた。
「魔導王が出てくるのは聞いてない……! クソ、ごめんなサーラ……」
ゼロの言葉は誰にも届くことなく、虚しく消えいった。敗北の余韻と共に高原の奥へと消えて行く。
アビスハイムは彼を追うこともできたが、敗者を追うなど王の器ではない。どちらにせよゼロは大した障害にならないと分かり切っていた。
「さて、それは魂を縛る鎖か。解いてやろう」
アビスハイムはアルスも解くことができなかった鎖を容易く破壊。やはり世界の全魔術を知悉しているという噂は偽りではないようだ。
「あざます。助かりました。それと……デルフィも」
「ああ……俺のことは知っているか?」
「君もこちらを知っているはずだ。私はイージア。今はアルスという名で活動している。かつての縁が君を召喚まで導いたのだろう」
「イージアか……! そう言われれば、そんな気もしなくもないが……仮面は被っていないんだな。魔国での一件、懐かしいもんだな……」
再会の余韻に浸る両者の間に口を挟むようにして、アビスハイムが解説する。
「デルフィ・ヒュエンか。アジェン共和国の解放者、『輝ける黄蛇』だな。『統べる黄蜘』ジニア・ジルコを倒し、革命の旗印になった英雄だ。生前は精霊術師だったと伝承されているが、英霊となった状態では精霊は付き添いで召喚されない。ただし生前に扱っていた精霊術を全盛の状態で維持できる。詳しくはアジェン戦記を参照せよ」
「あ、どうも解説ありがとうございます。……そうか、デルフィは英雄になっていたんだな」
「まあ、世間からはそんな扱いを受けている。俺としては俺なりの生き様に従っただけなんだけどな」
彼は困ったように笑った。生前にアルスが出会った時よりも、いくぶんか表情が豊かで落ち着きのある態度になっている気がする。きっと魔国で別れた後にも多くの経験を積んできたのだろう。
和気藹々とした雰囲気が漂い始めた一行。ところがマリーが釘を刺す。
「あの、ゼロを追わなくても?」
「む……いや、いい。アルスが追えと言うのならば追うがな」
アビスハイムは決断をアルスに迫った。彼がかつてゼロと仲間だったと知ってのことだろう。
「いえ……追わなくても大丈夫です。国防的な観点からすれば追うべき、なのでしょうが……」
彼は未だに迷っていた。本当にゼロが敵に回ったのか。
ゼロは理由もなくかつての仲間に刃を向けるような男ではないはずだ。もしかしたら、アルスが彼にそうあって欲しいと思っているだけなのかもしれない。
「では……我はさっさと転移して城に戻るが、お前らも一旦帰還せよ。あ、お前らは徒歩な」
「分かりました。……というか、空を飛んで帰れば良いのでは? 僕のライルハウトの権能なら……」
「ならん。空を飛ぶ無機物以外のモノは、王国内では全て外敵と見做すように通達してある。鳥や竜は別だが。空飛ぶ不審な影の報告を受け次第、我が転移して7発で120%のメテオをぶち込んでやるぞ」
そう言い残し、アビスハイムは消滅した。
マリーは困惑したように立ち尽くす。未だにアビスハイムのノリには付き合いきれない。自国がここまで逼迫しているというのに、どうしてここまで泰然としていられるのか。
「陛下の言うことは時々分かりません。召喚されてだいぶ経つので、そろそろまともなコミュニケーションを取りたいのですが」
「僕は分かるよ。さっき陛下が言ってたのは、空を飛ぶと撃墜されるってことだ。たぶん崖復帰も許してもらえないだろうね」
「??? ……まあいいです。早く城へ戻りましょう。ここら辺に敵はいないようですし、ゼロはもう逃げているでしょうし」
デルフィは二人の様子を見て、ようやく落ち着いて呼吸をする。手元に首を回したが、そこに感触はなかった。生前ならばいつも彼の首元に蜷局を巻いていた精霊はいない。
雷電霹靂の精霊──クオングは今も世界のどこかで元気に過ごしているのだろう。
(新しい契約者でも見つけていれば良いが……まあ、アイツとは生前に円満な別れを迎えたんだ。今の俺にできることは彼らを守ること……英霊としてな)
かつてデルフィの心を大きく変えたイージア。イージアとしては何もしていないつもりだ。
しかしデルフィは些細な彼の言葉に救われた。
故に、今度はデルフィが恩を返す時。
死してなお英雄は英雄で在り続ける。




