115. 苦痛と怨恨、相鳴らす
「ここで死んでくれ、イージア。俺の大切な人のために」
剣閃が空を裂いた。アルスの眼前に瞬間的に現れた斬撃は彼の首を斬り落とす。
しかし神族は不死。彼の身体は神気によって再生した。だが、彼の肉体は鎖に縛られたままだ。魂そのものを拘束するゼロの用意した鎖は、決してアルスを離すことはない。
「奥四葉──『無刃』」
同時、別の斬撃が世界を裂いた。
くるりくるりと回転し、積層し、縦横無尽に四つ色の光が跳ね回る。一撃で数十回の衝撃を叩き込む剣の筋がゼロの天剣カートゥナを食い荒らす。
マリーが放った苛烈な攻撃は、一時的にアルスとゼロの距離を遠ざけることに成功する。
彼女の手に握られているのは柔鉄の剣。俗称では蛇腹剣とでも言うのだろうか。自由自在に剣身が伸び縮みし、周囲に四属性の魔刃を振り撒く凶器だ。
「お前、俺を警戒していたんだな。先に手を打っておくべきだったか」
「当然です。人を信じた瞬間、私の故郷では死を迎えますから」
マリーによる妨害が入ったがゼロの本懐は果たされた。神族のアルスを拘束し、これを厄滅の徒に引き渡す。そこから先はゼロの与り知るところではない。アルスが処刑されるのか、或いは邪に染められるのか。
「ゼロ……っ! 待て、どうして裏切ったのか話を聞かせてくれ!」
絶望的な状況、命の危機にあると言うのに……彼はゼロを信じることを諦めようとはしない。愚直で救いようがない馬鹿。マリーとゼロは彼に対して同時に諦念を抱く。この男は、やはりどこまでも英雄気質が過ぎるのだと。
「黙れ。俺は裏切ったんじゃない。最初からお前らの、魔導王の敵だった。天魔の味方だった。昔は仲間で今は敵。それだけだ」
ゼロは吐き捨てると共に、アルスを縛る鎖をより高く掲げていく。彼の声が僅かにしか聞こえないほど、高く高く……曇天の空へ。
後は目障りなマリーを殺すのみ。魔導王の英霊である彼女もゼロの抹殺対象だ。
「アルスさんは渡しません。あなたをここで倒します」
「不可能だ。お前は死ぬ」
両者の間合いは十分。どちらが先に足を運び、仕掛けるか──という勝負が訪れることはない。
動いたのはゼロだった。その場で彼の腕だけが鋭く振るわれる。
刹那、マリーの首元に斬撃が走った。
~・~・~
人は人生で三度死ぬという。
一度目は、環境の死。幼少より自分を覆っていた環境が壊れるか、遠のくか。いずれにせよ人はこれまでの生き方を捨て、新たなる世界に順応せねばならない。
二度目は、心の死。残酷な世の中を前に、誰しもが心を殺して生きてゆく。元気に振る舞っているあの人も、憧れのあの人も。きっと死んでいる。
三度目は、死。純粋な死だ。命が終わり、世界から欠け落ちる。
私は今──三度目の死を迎えようとしている。ゼロと名乗る間者の斬撃が私の首元を捕捉した。いかなる原理か、彼の斬撃は瞬間的に私の首元へ転移したのだ。
「すっ……」
息を僅かに吸う。次に呼気を出せば、首を斬られて死んでいる。
しかし誤ったか、厄滅の徒。我が身は英霊。
そう、私は故郷の世界で既に……三度目の死を迎えているのだ。
忌まわしきアリキソン・ミトロンの手によって。
「復讐呪念」
私は死なない。黒き嵐を殺すまで。
~・~・~
「マリーッ!」
アルスの叫び声は届かない。
ゼロの神能、『絶対斬撃』。視界に入る存在であれば、絶対に斬撃を届かせる。
瞬間的に現れた斬撃はマリーの首元へ。彼女の首を斬り落とした。
彼女は英霊。きっと一度は死んでいるのだろうが、それでも死の味は恐ろしいものだ。英霊といえど、生前に不死の特性を持っていなければ単純に死ぬ。つまり、マリーはここで……
「っ!?」
ゼロとアルスは同時に目を見開いた。
彼女は死ななかった。異常なのは蘇生法だ。魔力による再生でも、邪気や神気による肉体の再構築でもない。
呪術。怨恨、憎悪、怨念。あらゆる負の感情を煮詰めた穢れの気が、マリーの身体を歪に組み立ててゆく。スライムの再生のように、眼前の光景は常軌を逸したものであった。
「言いましたよ、私はあなたを倒すと。死ぬか、殺すか。私は勝つまで死にません」
怨恨によって動き続ける屍こそ、彼女の本質。かつて故郷の世界を仇敵に滅ぼされ彼女も死した。
英霊として召喚された呪骸。
「お前も不死か……いや。呪術の行使は魂を擦り減らす。殺し続ければ死ぬか」
ゼロは退くべきか、継戦するべきか逡巡。後にマリーの魂を少しでも擦り減らす択を取った。
戦況の混迷を見たアルスは考える。自分は今、動けない。ならばできることはあるだろうか。
「『調律共振』──マリー、聞こえるか?」
彼は『接続』の神能を行使。ジークニンドに未だ返還していないことが功を奏した。
(これは……念話ですか?)
(念話のようなものだ。ゼロの神能は、視界に入る相手に絶対に斬撃を命中させるというもの。裏を返せば、視界に入らなければいい)
(……そうですか。しかし私の戦いは機動力に特化していない。幻術の類も苦手なので、どうしたものか)
先の数手でマリーの特質はアルスも把握していた。足運びが俊敏なものではない。四属性と呪術、そして蛇腹剣を操り技巧的に立ち回る戦法だ。
アルスの調律共振により魔力を融通しても、単純に速度を強化するだけでは剣士のゼロには見切られてしまうだろう。
(考えがある。僕の鞄にある召喚札を取り出して、口元へ突っ込んでくれ)
(正気ですか)
(正気です)
英霊。歴史に名を刻む偉人の召喚こそが、アルスの導き出した打破の策であった。アルスは大空に浮かび、マリーの到達は難しい。ゼロの猛攻を往なしながら召喚札を彼の下へ届けるのは、マリーといえども困難だろうか……アルスはそう考えた。しかし、彼女はアルスの知るマリーとは決定的に異なる。
(まあいいでしょう。一旦ゼロを引き離します)
推定、彼女の力が八重戦聖にも匹敵することをアルスは知らなかった。ともすればゼロのポテンシャルをも凌駕する。だが、ゼロの神能がマリーの勝利を阻害しているのだ。
「奥四葉──『四葉異剣』」
魔力が地に浸透。四属性を極限まで高め、かつ均衡を保った魔力だ。
まるでマリーの精神がそのまま大地に染み込んでいるかのように緻密。異常なまでの精神力と忍耐力によって維持された魔力構築はアルスに匹敵する。
「邪魔をするな……!」
天地より、大気より。マリーの刃が次々と生まれてゼロに波状の攻撃を仕掛けていく。一つ一つの刃が上級魔術に匹敵し、かつ四属性の合わせ技により属性防御を貫通する。
ゼロは四方八方に絶対斬撃を飛ばし、後退しつつ魔刃を打ち払う。しかし彼は知らない。マリーの無比たる攻撃が単なる誘導に過ぎないことを。
「はい、どうぞ。刃ごと口に突っ込みますね」
ゼロが猛攻の対処に追われていることを目視したマリーは、剣身を後方の鞄へ。刃先からアルスの鞄に入っている召喚札を巻き上げて天空へ飛ばす。
アルスはおずおずと痛覚を遮断し、己の口腔に突っ込んで来る刃と共に召喚符を歯でがちりと掴む。両手が拘束されているので、口に魔力を籠めて使用するしかない。
「あの札は……!」
ゼロが気付いた時には、既に術式は展開されていた。彼は咄嗟に斬撃を飛ばすが、魔力に物理は通じない。術式は途切れることなく積層し複雑な紋様を描く。
英霊召喚の魔力は馬鹿にならないが、アビスハイムの魔力を拝借する。アルスは術式起動を確認し、召喚札を口から吐き捨てた。
「アビスハイム、借りるぞ! 我は神なる者、人の世に刻まれし英雄よ──汝の意志を示せ。縁と結びて、汝を此処に」
詠唱は特に必要ないが、かっこいいのでやっておく。
相手は六花の将、神能の継承者ゼロ。生半可な英霊では太刀打ちできない。それこそアルスに代わるような至強の存在が必要だ。
ゼロは何としてもここで勝たねばならない。アルスを捕縛し、マリーを屠る。
でなければ、彼の生きる意味は──
「頼むから……! 死んでくれ、俺の大切なモノの為にッ! もう抗うな、戦うな……お前らは厄滅を乗り越えられない!」
絶対斬撃が飛ぶ。
再びアルスとマリーを捉えた斬撃は、寸分たがわぬ軌道で急所へ。
魔力が爆ぜる。
「雷電霹靂──『轟きの爪牙』」
刹那、暗雲が天を支配した。




