45. 揺らぐアイデンティティ
雷。
時に神の怒りとすら揶揄される気象。
それは人の身で起こせる筈のものではなかった。
されど……電糸の束は人の手によって形作られ、操られていた。
雷と突風とが木々を凪ぎ、水を巻き上がらせ、小鳥が鳴いて飛び去った。
「──そこだ!」
刃煌が迫る。
「いいや、視えている!」
人智を超えた速度を伴う剣技を捌き、斬り返す。
かつてこの相手……碧天と初めて戦った時以来、研ぎ澄ませた技術……見切り。
僕達の勝負はいつも一瞬で決まる。
「よし……今回は僕の勝ちだな!」
「クソ……これで百二十一勝、百三十六敗か……! もう一戦!」
互いに息を切らし、剣を構える。
アリキソンのように、こうして全力を出せる相手もなかなか居ない。神能を持つ者同士、会う度にこうして訓練を積み重ねてきた。
「二人とも、そこまで。これ以上は魔力不良を起こすから」
……と。
勝負に熱中していると、いつも通りユリーチに止められる。
「……も、もう一戦だけ頼む!」
「だめ。明日には目的地に着くし……無理したら戦闘に支障が出かねないでしょ」
アリキソンが彼女に頼み込むも、案の定却下だ。
まあ、見慣れた光景だな。
「ユリーチの言う通りだ。明日には討伐任務があるんだろう?」
相手がどんな存在であれ、万全を期して任務に臨むことが騎士の心構えらしい。
悔しそうな彼を諭す。今回負けたのが僕だったら立場は逆だったかもしれない。
「……そう、だな。ではまた今度だ」
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マリーベル大陸、ジャオ王国。
大霊の森付近に強大な魔物が出現したとの報告があった。
そして、その魔物討伐の任務が碧天と輝天に下された。
ベヒーモス……天災と呼ばれる程に恐れられる存在ではあるが、あくまでそれは人の領域での話。
碧天と輝天が居れば容易く討伐出来るだろう。どちらか一人でも良いくらいなのだが、ルフィアは少し英雄の継承者を過小評価しているのではないか?
僕は……ルフィアに遊びに来たついでに少し滞在していたので、興味本位でついてきただけだ。
その日の夜、僕達三人はユリーチの建築魔法によって作られた建物で休んでいた。
「アルス、それは卑怯だろ」
「うるさい、勝てば正義だから」
電子空間内で竜が獣を突き飛ばす。
ダラダラとした姿勢でゲームをしている僕達をよそに、ユリーチは熱心に書物を漁っている。
……こんなに煩い奴らが近くに居るのに、よく集中できるものだ。
ユリーチは輝天の家系としてルフィアの事務や、スターチさんの補佐を行なっていた。おそらくその書類を整理しているのだろう。
また、アリキソンはルフィア王国の騎士という立場で今回も公務で出向いている。彼の活躍は目覚しく、間もなく副団長に昇進する見込みだそうだ。
僕もあと一年したら、騎士試験が受験できるようになる。士官学校には通っていないので試験を受ける必要があるのだが……合格はできると思う。
……騎士になるかどうかは、まだ決めてないが。
「よし、そろそろ寝るか?」
アリキソンが大きな欠伸をする。
「うーん、そうだね。ユリーチ、それ終わりそう?」
「ええ、別に急ぐほどの仕事じゃないから大丈夫。……あと、明日は早いから、ちゃんと起きてね」
彼女の青碧の瞳がアリキソンを捉える。
彼は寝起きに弱い。三回は起こさないと動かない困り者である。
「……コイツは僕が起こすから任せてくれ。無理矢理にでも叩き起こす」
「ふん……明日くらいはまともに起きるさ。俺だってたまにはやる気を出す」
「そう……それじゃあ、おやすみなさい」
そう告げて、ユリーチは部屋から出て行った。
「よし、電気消すぞ」
「ああ」
ふっと光が消滅し、夜の帳が部屋を包み込む。
もぞもぞと毛布が擦れる音が聞こえる。
アリキソンは眠りやすく、起きにくい。
……そうだ、言っておかなきゃならない事がある。
「……明日、君が起きれなかったら僕の一勝な」
「あ、ああ……」
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よし、百三十七勝だ。
結局アリキソンには水を浴びせて叩き起こすことになった。
「これは……あまりに酷い。拷問だ!」
「うるさい。さっさと準備しろ」
文句を言う彼の背を押し、身支度を促す。
普段は文句無しのイケメンなんだが、朝に限っては子供みたいにめんどくさい。
ユリーチが魔法を解除し、家を畳む。
そして魔導車でジャオ平原に向かう。魔物はあまり他の地域に移動しないので、まだ猶予はあるだろう。
進んで行くと、何人かの人が見えてきた。白い制服に、ジャオの国章。観測隊で間違いない。
彼らの目線の先には、注意を逸らさず監視されている魔物が居た。
穏やかな平原には似合わぬ、漆黒の巨躯。全身から燃え上がる炎と鋭い牙は強者の風格を醸し出している。
「ルフィア王国騎士、アリキソン・ミトロン。討伐の要請に応じ参上した。観測隊の者で間違いはないだろうか」
「これは……碧天様に輝天様! 隣国よりよくぞお出で下さいました。我々は王国より派遣された魔物観測隊です。現在、あそこに見えるは天災級の魔物……爆炎のベヒーモスです」
爆炎種か。ベヒーモスの中では比較的下位の種だが、それでも騎士団の一部隊には匹敵する。
僕もベヒーモスは何体か狩ったことがあるので、二人の敵ではないことが分かる。
恐らくジャオ王国内の軍隊を動かさずに、ルフィアへ応援を要請した理由は……魔磁場の障害の影響だろう。
ここジャオでは天然の魔力回路に大きな乱れがあり、復興に人手を割いている。つい最近も大きな災害があったはず。個人で騎士団を凌ぐ実力を持つ英雄の末裔は、魔物の対処に充てられたと思われる。
「では、行こう。アルスはどうする?」
「僕はここで待機で。武運を」
「了解した。ユリーチ、行くぞ」
「はーい」
二人の仕事を奪っても悪いし、流れ弾から観測隊を守らなければならない。
……まあ、めんどくさいという理由もある。
「がんばれー」
ひらひらと手を振って二人を送り出す。
アリキソンが嵐の如き一閃を繰り出し、ベヒーモスが咆哮した。
「霓天様も、来ていらしたのですね」
横の観測員が尋ねてくる。
「ええ、まあ気晴らしに」
「たしか、リンヴァルスでバトルパフォーマーをされていると聞きましたが」
バトルパフォーマーとは……まあ、剣闘士だ。観客を楽しませるお仕事。
魔物や他の戦士と戦ったりするスポーツで、騎士試験の戦闘審査でもこれが取り入れられている。
手持ち無沙汰にしているところを、リンヴァルス皇帝に誘われて時折参加している。あとはたまにディオネで傭兵をしたり。
「はい。とは言っても、正規の職にはつかずにこうして遊んでいる現状ですが……」
「はっはっは。神童とまで呼ばれた貴方の事です。騎士になればあっという間に昇格でしょう」
神童、か。
たしかにそう呼ばれた時期もあったな。今ではこうして放浪しているせいで、すっかり良い噂は消えたけれど。
どちらかと言えば、今は国内では妹が評価されている。
彼方で嵐が巻き起こり、更に大きな咆哮が木霊する。ユリーチの光魔術がベヒーモスの身体を包み込む。
もうすぐ終わるだろう。
「それにしても、凄まじいですね……英雄というものは。私にはとても目で追えません」
「いやあ……すごいなあ。かっこいい……」
二人の戦いの美しさに思わず感嘆の声を上げる。
「何を仰いますか。貴方も神能を扱えるではありませんか」
「僕の、地味なんですよね。四属性操れるっていいますけど……僕と同じ四属性、ユリーチも操れますし」
「そ、それは素晴らしいですね……流石は輝天様です」
その人間外れの能力に観測員が思わず引きつった表情を浮かべる。本来、人が操れる属性は一つなのだから当然の反応だ。
僕のアイデンティティが無くなってしまう。一体どんなインチキしてるんだ?
ふと向こうを見ると、戦いは既に終わっていた。
ベヒーモスがどっさりと倒れ込み、邪気となって霧散しつつある。
「おつかれ、二人とも」
涼しい表情をした彼らに労いの言葉をかけておく。
「さすがは英雄……! この度はご協力、ありがとうございました!」
「いいや、当然のことだ。ジャオの騎士団も復興で大変だと思うが、頑張ってくれ」
「それにしても……こんなところにベヒーモスが出現するなんて珍しいね」
ユリーチが疑問の声を上げる。
たしかに、このフロンティアは弱めの魔物が出現する筈だ。
無論、例外はある。
アテル曰く、秩序の因果の巡りである循環邪気がどうとか。まあ詳しい事は分からないが、魔物の出現にイレギュラーは起こり得る。
「ふむ……最近、こういった事が多いな」
別に混沌と秩序の均衡は乱れてはいないみたいだ。
この世は混沌と秩序の拮抗で成り立つ。
人や神は混沌の駒であり、魔物や災厄は秩序の駒。
創世主や壊世主が直接手を下す事は、盤をひっくり返すのと同じ事で……それ故に彼らは直接の干渉ができない。
「それはともかく……目的は果たした。引き上げようか」
「そうだね。では、これにて失礼しよう」
──そこで、一つ気付いた。
僕、何もしてないね……




